第25話
九奈白市内の、中央通りから少し外れた細い路地。
新しいもので満ち溢れた市内に於いて、そこだけが時代に取り残されたかのような、どこか落ち着いた雰囲気のあるレトロな喫茶店にて。
「まさか、密さんが直接来るとはねえ」
「他にも、出向かねばならない用事がありましたので」
織羽がケーキを口へと運ぶ。対面に座る上司をちらりと見てみれば、普段通りのスーツ姿であった。
というより、織羽は密の私服姿など一度も見たことがない。職場で見たときも、そうでないときも。彼女はいつもスーツ姿である。
(こういう人ほど、プライベートでははっちゃけてそうだよねぇ。ぬいぐるみと話をしたり……いや、むしろ裸族だったりしても不思議じゃない)
そんな織羽の失礼な想像が、まさか声に出ていたというわけでもあるまいに。
「別に普通ですよ。休みの日は専ら家で映画鑑賞か、公園でジョギングです」
「……エスパーかな?」
「あなたの考えそうなことくらい、すぐに分かります」
小さくため息を吐き出し、密がコーヒーの入ったカップへと口をつける。
そうして一息ついたところで、密は机を二度、指で軽く叩いた。その瞬間、二人の周囲からは音が消える。まるで水の中へと飛び込んだかのように。
これが密の『異能』。
『音を消す』能力ではなく、『音を操る』能力だ。今のように周囲から音を奪うことも出来るし、小さな物音を増幅することも出来る。音を離れた場所から発生させることも出来る。酷く応用の利く、密にぴったりな能力と言えるだろう。こうして内緒話をする際などは、特に重宝する。
「さて……話というのは、先日の誘拐犯についてです」
「流石、仕事が早い」
今日の席は密からの呼び出しだった。
内容はもちろん、先日の一件についてである。いつもであれば通話で済ませるところを、何故か密が直接伝えに来たのだ。密が自ら出向いてくるとなれば、織羽とて無視するわけにはいかない。大急ぎで花緒里へと外出許可を申請し、休みをもらったというわけだ。
「まず男の方ですが……名前は陸逸。彼は現役の探索者で、順位は39位です。立派な特級探索者ですね。もちろん表の顔は、ですけど」
「へー」
「へー、ではありません。もう少し探索者のランクにも興味を持って下さい」
「いやぁ、あんまりアテにならないですよアレ。ボ……私に言わせれば、こないだの陸って人よりも密さんの方がよっぽど怖いですし」
「大凡の戦力を測るには、十分役に立つと思いますけどね」
織羽はアイスコーヒーを飲みながら、あっさりとそう答えた。相対した相手が高位の探索者だったからといって、特別何かを感じることはないらしい。
探索者の順位とは、単純な戦闘能力だけで決められているわけではない。魔物の討伐数は当然評価対象に入っているが、その他の様々な要素も加味されるのだ。例えば索敵能力であったり、後方支援能力であったり。ダンジョンに関する知識全般やパーティの指揮能力、果ては探索実績までもが含まれる。そういった部分を鑑みれば、織羽の言う『アテにならない』というのもあながち間違いではない。
事実、織羽が『怖い』と言う密の順位は三桁台である。順位が高いからと言って、それが強さに直結するわけではないということだ。
「女性の方は黒沼と名乗っていたようですが、もちろん偽名でした。そして二人共、他国の犯罪組織の構成員です」
「……ですか。ま、そうですよね」
「織羽は興味ないでしょうけど、裏ではかなり有名な巨大組織ですよ。過去、日本国内で起きた事件にも度々関与していた組織です。なかなか尻尾を見せない面倒な輩だったのですが――今回の一件でようやく、といったところですね。上も大層お喜びでしたよ」
「それはそれは。苦労した甲斐がありましたね」
「苦労……してました? イヤホン越しでしたけど、とてもそうは見えませんでしたよ」
実際のところ、あの時の織羽は確かに苦労していた。敵を倒すことではなく、正体を隠すことにだが。
39位の探索者というのは、紛れもなく超一流だ。順位と強さがイコールではないといっても、全くの無関係ではない。仮に今回戦ったのが織羽でなかったら、あるいは、凪はそのまま連れ去られていたかもしれない。よしんば阻止が出来たとしても、対応に当たった人員には相応の被害が出ていたことだろう。死者が出ていた可能性もある。今こうして冗談のように話せるのは、『対応に当たったのが織羽だった』からとしか言いようがない。
「まぁ、これ以上の細かい話は必要ないでしょう。重要な事はただ一点、『これで終わりではない』ということだけです。今回の一件で織羽も思い知ったことでしょうが、やはり彼女には狙われる理由がある。狙うだけの価値がある。今後も、似たような事が起こる可能性は十分にあるでしょう。おめでとうございます。護衛任務続行です」
「ぬぇー……」
重めの会話内容に反して、にっこり笑顔でそう告げる密。もしかしたら解放されるかも、などと考えていた織羽からすれば、めでたくもなんともない話であった。とはいえ、心の何処かでは分かっていたことだ。犯罪組織の構成員を二人捕まえただけで終わるような任務なら、最初からこんな面倒なことにはなっていない。
「さて……事件については以上です。それとは別に、織羽には渡しておくものがあります」
「え……なんです? 密さんにそう言われると、妙に怖いんですけど」
「いえ、別に悪い話ではありませんよ」
そう言って密が取り出したのは、一枚のカードであった。
高級感のある漆黒のカードには、探索者協会の紋章と『Ⅰ』の文字が刻印されている。
「忘れ物ですよ。大事なものなんですから、ちゃんと管理して下さい」
「ん、あぁ……そういえば見ないなーとは思ってました」
テーブルの上に置かれたカード――探索者証を、織羽がさしたる興味もなさそうに受け取る。そうして手元でくるくると回して遊びながら、雑にバッグへ突っ込んだ。
「はぁ……今の言葉を世の探索者達が聞いたら、一体どう思うやら」
「今のところはダンジョンに入る予定もないですしねー……あ、そういえば実習があるって言ってたな……どうしましょう?」
「偽装用のカードを手配しておきます。実習とやらには間に合うでしょう」
「ありがたや~」
頼りになる密様へと両手を合わせ、織羽が食べかけのスイーツを献上する。このような冗談が許されるあたり、そこらの一般企業よりも余程アットホームな職場である。そもそものトップがアレなので、さもありなんといったところだろうか。無論、献上品は華麗にスルーされたが。
こうして全ての話を終え、密が早々に席を立つ。まだやらなければならない仕事でも残っているのか、随分と忙しないことだ。だがしっかりと伝票も手にしているあたり、理想の上司まっしぐらな密であった。
「では、私はこれで。何かあればすぐに連絡を」
そう言い残して店を出る密を、スプーンを咥えながら見送る織羽。
「……これで終わりではない、かぁ」
先のことへと考えを巡らせ、口をとがらせる織羽。
しかし今の彼には、任務が始まった当初とは違う感情が芽生え始めていた。
「でもま、なんだかんだで今の生活も結構楽しくなってきたし……うん、なんとかなるでしょ! よし、張り切っていこー!」
一人決意を新たにし、眼の前のパフェを片付け始める織羽。
――――なんだかんだと言っても、結局アイツは最後までやるさ
いつぞや隆臣が口にしていた台詞だ。
奇しくも、というべきだろうか。隆臣のその予言は見事に的中していた。そんな風に言われていたことなど、織羽には知る由もないことであったが。




