第120話
シエラを中心とした、オリハルコンを巡る大騒ぎから二日後。
いつもと変わらぬ市内を、学園終わりの織羽と凪が歩いていた。
本日は街の様子を観察するという名目で、徒歩での通学となっている。
「なべて世はこともなし、って感じですねぇ」
「火消しはそれなりにしたけれど、ね」
大騒ぎといっても、結果的に関係したのはごく一部の人間のみ。
所詮は凪やシエラが個人的に動いただけの事件だ。国宝院家や九奈白家の当主が動くような事態にはなっておらず、規模も被害も、『総会襲撃事件』とは比べるべくもない小さな事件だった。当然ながら市内の日常には何の変わりもなく、ただ薄っすらと『どこぞの窃盗団が一斉に捕縛されたらしい』という噂が流れた程度である。
「でもまぁ、シエラ様からはたっぷり謝礼を貰ったのでしょう?」
「そうね。加工のキャンセル料しか請求していなかったのだけれど…………余程私に借りを作りたくないのか、必要以上の額が振り込まれていたわ」
今回の件で最も損をしたのは、言うまでもなくシエラだ。
凪は労力を割いた程度で済んでいるが、シエラが被った損害はそれどころではない。大破した高級車両はもちろん、凪やリーナ、ルーカスといった協力者たちへの迷惑料兼謝礼も送っている。おまけにシエラはあれで律儀な為、護衛のリョウにも特別ボーナスを出していたりする。それらを全てを計算すれば、それはもう中々の金額である。だというのに結局、オリハルコンが手元に残ることはなかった――これに関しては彼女のプライドの問題でしかないが――のだから、踏んだり蹴ったりとしか言い様がないだろう。
なお織羽とクロアが今回の作戦に協力していたことを、実はシエラは知らない。
ハルの『物質透過』についてもシエラは聞かされておらず、凪からは『治安維持部隊が捕縛したところを引き取った』という説明しか受けていなかったのだ。しかしシエラは治安維持部隊の優秀さを知っているため、特に疑うこともなくこれを受け入れた。実際には『一位(偽)が見張っているから逃げられない』という状況を作ることで、どうにかあの場に留めておけただけなのだが。
織羽については言うに及ばず。
またぞろタイミングを見計らって戻ってきたために、シエラとは顔を合わせてすらいない。
もちろんこれは、織羽やクロアの実力を知られると面倒なことになるからだ。
クロアは前職がアレだったし、織羽はこの先も学園に通わなければならない。余計な詮索はされたくないし、疑念を生むことすらも避けたかった。バレ気味のルーカスにすら打ち明けていないのは、こうした複雑な事情があるからだ。とはいえルーカスも『馬鹿みたいに強い元探メイド』としか思っていないらしく、性別云々に関しては全く気づいてはいない様子だったが。
ともあれ、そうした理由からシエラからの謝礼は貰っておらず、二人は凪からちょっぴりお小遣いをもらっただけである。
とはいえ二人とも金には困っていないため、織羽は珍しい夕食の食材を。そしてクロアはお高い化粧品を買って終わったとか。閑話休題。
そうしてのんびりと雑談を交わしつつ、下校ルートからは少し外れたところにある公園へと入ってゆく二人。
公園内には人の影がちらほらとあり、他校の学生やカップルの姿も見受けられる。凪たちが歩く少し先には一台のキッチンカーが停まっており、数組の客が並んでいた。
そんな平和そのものとも言える光景を眺めつつ、ふと思い出したように凪が話を切り出した。
織羽が奪い返してきた盗品のオリハルコン、その行方についてだ。
「ところで、あのオリハルコンは結局どうしたのかしら」
「私が持っているのも変なので、密さん経由で上に回しておきました。研究サンプルが多いに越したことはないでしょう」
シエラが放棄したことで、所有権が再び曖昧となったオリハルコン。
当然ながら凪が受け取るわけにもいかず、結局ケイとハル共々、織羽預かりとなっていたのだ。
誰もが羨む超希少素材ではあるが、しかし元が盗品ということもあって、ひどく扱いが難しかった。もちろん織羽にも必要ないし、クロアも興味がなさそうで。持っていても面倒事に巻き込まれそうだが、とはいえそこらに捨てたり売ったりするわけにもいかず。そうして処遇に困った挙げ句、織羽は上司へと投げ捨てることにした。誰が持っていても角が立つ以上は、国に回すのが最も丸いだろうと。単に面倒だったからとも言うが、結果としては同じ事である。
「まぁ、最初からそうしていれば良かったのかもしれないわね」
「密さんからはお小言を頂きましたけど。残業が得意な上司って良いですよね」
「貴女ねぇ…………近いうち、ちゃんとお礼しておきなさいよ?」
「適当に甘いものでも差し出しておけば、それで大抵の場合は大丈夫です」
そういう意味ではなく、という言葉を呆れと共に飲み込む凪。
機嫌を取れと言っているワケではなく、ちゃんと感謝を伝えなさいという意味だったのだが――――所詮は対人弱者だ。どうやらこのメイドには伝わらなかったらしい。そうして織羽の教育を諦めた凪は、話題を次へと進めた。織羽が『処遇を任せて欲しい』と願った二人、ケイとハルについてだ。
「それで…………あの二人はどうしたの?」
「おや、気になりますか? 知りたいですか?」
「な、何よ…………別に、話せないことなら構わないわよ」
無表情のまま、横目で凪を見つめる織羽。
妙に思わせぶりで含みのありそうな言葉に、凪は少しだけたじろいだ。
織羽が任せろと言ったのだから、十中八九は迷宮情報調査室絡みの案件となっているだろう。
しかしあのタイミングで申し出たということは、恐らく悪い様にはなっていない筈なのだ。或いは凪が立場的に出来なかったこと――ケイとハルが最後に行った嘆願のことだ――を、織羽が裏でこっそり行ってくれたのかもしれない。そう思っていたからこそ、凪も無理に聞き出すつもりはなかった。
しかし織羽の、この意味ありげな視線はどうだ。
お得意の仏頂面の所為で何を考えているのか読み取れないが、どうにも嫌な予感がするではないか。
凪が知る限り、織羽がこうした態度を取る時は大抵ロクなことにならないのだ。
「そうですね…………少し長くなりますので、座って話しましょうか。ほら、都合よくクレープも売っているようですし」
そう言って、いつの間にかすぐ目の前にまで来ていたキッチンカーを指差す織羽。
当然ながら買い食いなどしたことのない凪だが、辺りに漂う甘い砂糖とバターの香ばしい匂いには、実のところ先程から気になってはいたのだ。良いところのお嬢様である彼女だが、しかし良くも悪くもお嬢様らしくない部分を持っている。加えてまだ十六の少女であり、甘いものは人並みに好きだったりする。
「…………まぁ、貴女がそう言うのなら仕方ないわね。買いに行くわよ」
甘いものは脳の活性化に繋がるし、近頃は集中したり考え事をすることも増えた。
故に信頼する従者が食べたいというのであれば、それもまぁ吝かではないけれど――――などと自分に言い訳をする凪であったが、要するにただ食べてみたいだけである。
「では私が買ってきますので、お嬢様はそこのベンチで待って――――」
「選ぶわ」
「…………ンフッ」
「選ぶわ」
腕を組み、遠巻きにじっとキッチンカーを睨みつける凪。
妙に気合の入ったその様子に、織羽は危うく吹き出しそうになってしまう。もちろんそんな失礼な真似をメイドがするわけにもいかず、鼻を膨らませることでどうにか耐えてることに成功していた。そうして二人は仲良く並び、まるでカップルのようにクレープ屋の列へと並ぶ。列と言っても前に二組居るだけであり、待ち時間はほんの二、三分といったところであった。そうしていよいよ自分たちの番となり、凪がメニュー表を見ようとしたその時だった。
「いらっしゃ――――ん? おっ、誰かと思えば織羽の姉御じゃねえスか。おざっす!」
「あらホント。いらっしゃーい」
威勢よく声をかけてきたのは、可愛らしいペンギンのエプロンを着こなした男女――――ケイとハルであった。




