第119話
シエラとリーナ主従がアトリエを後にした、その少しあと。
凪とお目付け役のクロア、そしてケイとハルの四人だけとなったアトリエの会議室。
「はい、メイドが戻りましたよー」
野暮用で外に出ていた織羽が、大凡一時間ぶりに戻って来ていた。
入室するなり、メイド服をごそごそと漁り始める織羽。そうしてスカートから取り出した小さなオリハルコンを無造作に、かつ興味がなさそうにテーブルへと転がした。
「ミッションコンプリート…………完璧です」
「おっ、さっすがメイドちゃん! やるぅ♡」
「ご苦労さま織羽。ケガは…………どう見てもしてないわね」
凪とクロアの二人から労いを受け、しかしなんでもないといった様子で一礼してみせる織羽。
クロアはもちろんのこと、凪も既に織羽の実力を知っている。故にケガの心配こそすれ、失敗するなどとはまるで考えていなかった。
「なッ……!?」
「どうしてそれがここにッ!?」
そんな身内二人とは異なり、驚愕の声を上げたのはケイとハルの二人だ。
自分達を囮にしてでも送り届けたはずのオリハルコンが、さも当たり前のように転がっていたからだ。
「買い出し中に、偶然拾いました」
もちろんそんなワケはない。
そんなワケはないのだが、あまりにあっけらかんとした織羽の様子にケイとハルは混乱気味であった。
「そんなワケないッ! だって私は確かに――――」
「まさか、アジトに乗り込んだのか!?」
ケイは囮となってハルを逃がした。ハルはオリハルコンを仲間に渡した後、やはり囮となって逃げた。
そして二人とも、その役目はしっかりと果たした筈だった。アジトが見つかる筈などないし、よしんば見つかったとして、そこには元二桁のグレンが居た筈なのだ。そして『物質透過』能力者のハルを逃さないため、『一位』はずっとここに居た。つまり今ここに例のオリハルコンが持ち込まれるなど、あり得ない筈なのだ。
「貴女はハル、だったかしら? 貴女が既にオリハルコンを仲間に渡しているという可能性、ちゃんと考えていたわよ。というよりも、そっちのほうが可能性は高いと思っていたわ」
「なっ……で、でもっ!?」
ハルが目を見開き、信じられないものでも見るかのようにクロアへ視線を送る。
窃盗団のメンバーが何人居るのか分からない以上、最大戦力はアジトの方に回すべきである。現に『一位』は自分に付いてきたではないか、と。もし凪が本当に予測出来ていたのなら、『一位』に自分を追わせたのは明らかにおかしい。そんな眼差しであった。しかしクロアは何も答えず、ただニヤニヤと楽しそうに笑うばかりであった。
「手っ取り早く逃げるなら港、その裏をかいて街中。このふたつが本命で、潜伏だけはあり得ない。追う側は普通そう考える。だからこそ一旦何処かに隠れてやり過ごす…………ただの保険のつもりだったけれど、存外当たるものね」
「いや、だがッ…………俺達はアジトの近くを通ってねぇぞ!? どうして場所まで割れた!?」
「この街で私に知らない事はないわ。いいえ、知ることが出来ない事はない、と言うべきかしら? 一見して分かる高級ケースを持ち込んでも不自然ではない場所、そして人目につかず、かつ今は利用されていない場所。港から見て逆方向で、治安維持部隊の目が届きにくい場所。これだけ絞れば、候補を挙げるのはそれほど難しくないわ」
驚きを隠せないケイに対し、凪が簡潔に事実だけを述べる。
彼女は自らの読みを誇るでもなく、ただ肩を竦めるだけであった。
「いやぁ、相手が悪かったねぇ。相手があの金髪お嬢様だけなら、もしかしたら逃げ切れてたかもねぇ♡」
そう、これは凪にしか出来ない芸当だ。
否、星輝姫と密の二人ならばこの程度はやってのけるだろう。だがそれは迷宮情報調査室の精鋭という、あくまでも特殊なケースの話だ。裏を返せばつまり、九奈白市内に限っての話ならば、凪はあの二人に匹敵するだけの力があるということ。
しかしケイやハルからすれば、九奈白の人間だからでは説明がつかないこともある。
成程確かに、九奈白の力を使えばアジトの特定は出来たのかもしれない。だがあの場にはグレンという、組織内でも一、二を争う武闘派が居たはずなのだ。ケイやハルの目から見ても結構なクソ野郎ではあったが、しかし腐っても元二桁だ。現役時代と比べれば力は落ちているかもしれないが、それでも十分化け物に類する男だ。仮にアジトが判明したとしても、そう簡単に排除できる手合ではない。そして何度も言うが『一位』はハルが引き付けていた筈で、その後はずっとこの部屋に居た。
「グ、グレンはどうしたッ」
ケイの疑問を受け、凪とクロアは織羽へ視線を向ける。
「はて…………あぁ、そういえば一際人相の悪い大男が居ましたね。あれがそのグレンさんでしょうか」
「あいつは元二桁だ。アンタみたいなメイドにどうこう出来る相手じゃねぇ!」
「頼んだら快く渡してくれましたよ」
「んなワケあるか!」
のらりくらりと適当な事を言う織羽に、ケイが鼻息荒くする反論する。
ケイも、そしてハルも、グレンに対しては悪印象しかなかった。二人は盗賊行為こそすれ、出来るだけ一般人を巻き込まないよう立ち回ってきた。当然ながら、人を殺したことは一度もない。しかしグレンは、盗みの邪魔とあらば殺人すらも厭わない男だった。そんな凶悪な男が、ただ頼まれただけで大事なブツを渡すなど絶対にあり得ない。ましてこんな、見るからにか弱そうなメイドが一人でアジトに赴いて、あまつさえ無傷で帰ってくるなど――――。
そこまで考えて、ケイはあることに気づいた。
そう、今しがたやってきたこのメイドは、どういうわけか全くの無傷なのだ。買い出しなどとワケのわからない事を言ってはいるが、しかし実際にオリハルコンを持ち帰っている以上、アジトまで赴いた事は間違いない。だというのに、だ。
訝しみ、眉を顰めるケイ。そして同様に、異様な点に気付いたハル。
その様子がよほど可笑しかったのか、たまらずクロアが声を上げた。
「あはははは! いやぁ、もういいんじゃないのぉ?」
「は? もういいって…………アンタ一体何の話を――――」
「キミ達はさ、ずぅっとボクの事を『一位』って呼んでたよねぇ。どうしてそうなったのかは分かんないけど、それ勘違いなんだよねぇ」
「…………は?」
けらけらと、腹を抱えて笑うクロア。
クロアの事を『一位』だと信じていた二人は、クロアが何を言っているのか、その意味がまるで分からなかった。
しかし次の瞬間、全てが氷解した。クロアが告げた言葉の意味も、グレンをどうやって排除したのかも、そしてオリハルコンが今ここにある理由も。
「ウフフ、ホントの『一位』はこっちだよ♡」
「どうも『一位』です。いえい」
無表情でピースする織羽を見て、あんぐりと口を開くケイとハル。
二人は纏まらない頭でただぼんやりと、『女のガキ』という点だけは合ってたんだなぁ、などと考えていた。
* * *
市内に入っていた『D-thieves』の構成員は一部を除き全て、織羽によって『いつも通り』に処理された。
ちなみに『いつも通り』というのは、ボコしてそこらに転がして、最後に治安維持部隊へ通報するというお決まりコースのことである。どうやら織羽は治安維持部隊のことを『電話一本ですぐに駆けつけてくれる街のお掃除屋さん』くらいに思っているらしい。
残すは一部の例外、つまりはこの場にいるケイとハルの二人だけだ。
その二人にしても、既に聞きたいことは大凡全て聞き出せている。あとは治安維持部隊へと引き渡すだけで、彼らとは二度と会うこともないだろう。ハルに関しては拘束が無意味である為、どのように連行するのかは不明だったが――――それは治安維持部隊が考えることであり、凪や織羽の知ったことではない。そうして凪が治安維持部隊へと連絡を入れようとしたその時、ケイがおずおずといった様子で凪に話しかけた。
「なぁ、九奈白の嬢ちゃん」
「何かしら?」
「虫がいいのは分かってるんだが、ひとつだけ頼みを聞いちゃくれねぇか」
二人は既に観念しているのか、逃げるような素振りは見られない。
『見逃してくれ』などと言うわけでもなさそうだった。故に本来であれば聞く必要のないその言葉を、凪は聞いてみようと思った。
「一応、聞くだけ聞いてあげるわ」
「俺達が拠点に使っていたホテルに、金が置いてあるんだ。盗んだ金じゃねぇ、俺等が仕事の合間にダンジョンで稼いだ金だ。今から口座を教えるから、振り込んどいてくれねぇか」
「…………何を言い出すかと思えば、本当に虫がいいわね。そんな話、聞いてもらえると思う?」
「思わない。でも、頼むよ」
それは盗人が吐いたものとは思えない、ひどく真剣な声音だった。
その頼み事の内容も、凪が予想していたものとはまるで異なるものだった。というよりも、内容の意味が分からなかった。よもや出所してからのことを考えて、というわけでもあるまい。そんな盗賊の不思議な頼み事に、何故だか凪は興味を惹かれた。
「理由は?」
「病気の妹がいるんだ。そっちのハルは母親が病気でな。最上級の回復薬じゃないと治らねぇんだとよ。全然足りねぇだろうけど、ちょっとくらいは楽させてやれるかもだろ?」
上位の回復薬は、現代医療ではどうにもならないケガや病にも効果を発揮することがある。それ故に高価で、一般の者ではとても手が出せない値がつく。
はっきり言ってしまえば、こんなものはよくある話だ。この国に限っても、例を上げれば枚挙に暇がない。無論、凪とて不憫に思う。自身が恵まれた生まれであることを自覚している分、尚更だ。しかし、だからこそ凪には何も出来ない。九奈白の人間であるからこそ、特定の誰かを特別扱いするわけにはいかないのだ。まして相手は正真正銘の盗人で、本当のことを言っているとは限らない。この手のお涙頂戴話は定番ですらある。
「悪いけれど――――」
眉を潜め、凪がケイの頼みを断ろうとした、その時だった。
「あいや待たれぃ」
「…………織羽?」
「出過ぎた真似とは存じますが――――彼らの処遇は、私にお任せ頂けないでしょうか」
いつになく真剣な眼差しの織羽が、同じく真面目な声音でそう言った。




