第117話
気を失って床に転がるハルを一瞥し、クロアはスマホを取り出した。
といっても、これは彼女が私用で使っているものだ。迷宮情報調査室から支給されている連絡用のものではない。スマホのケースには大量のメイドシールが張られており、どこぞのメイドを模したストラップもジャラ付けされている。彼女の織羽に対する執着ときたら、控えめに言っても怖いレベルである。そんな彼女の左手には、今しがたハルから奪ったばかりのケースが握られている。
「あ、もしもしぃ? そーそー。うん、捕まえたよぉ」
「そう……貴女の手並みを見るのは今回が初めてだけれど、ここは流石と言うべきなのかしら?」
「レア技能持ちって言っても、所詮はただの盗賊ってコトだねぇ。ま、ボクはこの間のリベンジが出来たから満足だよぉ」
通話の相手は織羽――――ではなく凪だ。
既に凪やリーナと言った『表』の面々とも顔合わせを済ませている彼女だが、プライベートの連絡先を教えているのは織羽だけである。ではなぜ凪が通話出来ているのかといえば、それはクロアとの連絡用として、織羽が自分のスマホを置いていったからである。
「それで、例のブツは回収出来たのかしら?」
「ん? あー……それなんだけどさぁ」
耳に着けたイヤホンで通話をしたまま、クロアが手にしたケースを開く。
『黄金郷』のギルドマークが刻印されたジュラルミンケースは、彼女の手の中で虚しそうに揺れるだけだった。
「まぁ、やっぱ入ってないよねぇ」
「……ま、そうでしょうね」
「お、反応から察するに読み通りってカンジ?」
「これだけ時間があったのに、まだ馬鹿みたいに持ち歩いてるなんてあり得ないもの」
急いで追いかけたとは言え、シエラがオリハルコンを奪われてから既に数十分が経過している。
窃盗犯の総数は分からないが、しかし二人きりとはとても思えない。他にも数名、仲間がいると考えるのが普通だろう。少なくとも、そうであると仮定して動くのが正しい。であればこそ、この聡明な少女が何の対策もしていない筈がなかった。
「確率は良くて六割ってところだけれど…………一応、手は打っておいたわ」
「あぁ、だからメイドちゃんじゃなくてキミが通話に出たってワケだ」
「そういうこと。それじゃあ、貴女はもうこっちに戻ってきて頂戴。出来ればそこに転がっているであろう、盗人も連れて」
「へいへーい」
そう言って通話を終えたクロアは、スマホをポケットに仕舞いつつ、未だ気絶したままのハルへと目をやる。
如何に三桁探索者といえど、四階の高さから地面に叩きつけられれば無傷ではいられない。命の危険があるほどではないが、いくつかの骨折は見られた。さしずめ『ダンジョン中層あたりに出現する魔物の攻撃をまともに食らった』と言ったところか。
完全に意識のない人間を運ぶのは、実は非常に難しい事だったりする。
しかし『重力操作』を持つクロアにとっては造作もないことだ。総会の際には千里を担いで運んだこともある。
「ふぁ…………んっ。ま、面倒だけど仕方ないかぁ……」
オリハルコンがどうだとか、クロアにとっては酷くどうでもよい事だ。
今回彼女が作戦に協力したのはあくまでも自分のため。前回の失敗を取り返し、織羽からの評価を回復するための参加だ。故にこんな後始末にまで力を貸す理由などないのだが――――。
「巨乳ちゃんに貸しを作っておけば、そのうちメイドちゃんと遊べるかもしれないもんねぇ♡」
* * *
九奈白市某所にて。
まだ昼を少し過ぎたところだというのに、その店は既にシャッターが締め切られていた。
とはいえ、はたから見ればただの定休日にしか見えないことだろう。何故ならその店は探索者向けの加工品店であり、閉店時には平時より防犯シャッターが降ろされているからだ。加えてその店は、大通りから随分と奥まった場所にあった。つまりは、立地的にも人目につかないような店なのだ。隠れ家的なお店といえば、少々聞こえが良すぎるかもしれないが。
締め切られた店内には、どこぞの事務所前で車でも磨いていそうな、いかにもといった風貌の男たちが屯していた。
そして部屋の最も奥、椅子に座って煙草を燻らせる男が一人。神々しい光を放つ小さなオリハルコンを、男はその手の中で弄んでいた。
「国宝院に奪われたって聞いた時は確かに焦ったもんだが……ククク、こうして戻って来たンなら何の問題もねぇ」
そこへ、恐らくは部下であろう別の男が声をかける。
「グレンの旦那、ケイとハルは追手に捕まったみたいですが、どうします?」
「あ? どうするもクソもあるか。仲良し小好しの探索者ギルドじゃねぇンだぞ。ミスは常に自己責任だ」
煙草の男――――グレンは気分を害したような顔で部下を睨みつけた。
彼らは窃盗団『D-thieves』のメンバーであり、グレンはそのリーダーだ。リーダーといっても窃盗団の長というわけではない。今回取引を行うために派遣されたチームの責任者、という意味だ。しかしリーダーを任されるだけあって、グレンは元二桁の探索者だ。窃盗団内でも随一の戦闘力と頭脳を持つ男であった。
もし国宝院シエラからオリハルコンを奪い返すことが出来なければ、非常に困ったことになっていただろう。だが結果として、物の回収には成功したのだ。再度の取引も既に話が纏まっている。これによって得られるのは、二人の部下を失っても余りあるほどの利益だ。グレンにとっては金が全てであり、ケイとハルのことなど最早どうだってよかった。裏の世界に生きる彼らにとって、トカゲの尻尾切りなど日常茶飯事なのだから。
「あいつら、『一位』がどうだのって報告を寄越しやがった時は、マジでイカれちまったのかと思ったぜ」
「ガキの女でしたっけ? ハルをやったのはどうもソイツらしいですよ」
「何が『一位』だよ情けねぇ。大方相手が格上だったもんで、言い訳ついでに適当コイたんだろ。クククッ、まぁどちらにしても囮の役目は立派に果たしたってワケだ。おかげで俺達は楽にこの街を出られるって寸法よ。テメェでテメェのケツ拭いた事だけは褒めてやるぜ」
九奈白市は世界でも有数の迷宮都市。
治安も防犯対策も、その全てが世界最高水準だ。
だからこそ、彼らは未だ九奈白市内に潜伏していた。
犯人はすぐにでも街から逃げ出したい筈だ、潜伏という選択肢だけはあり得ない、そんな読みを逆手に取って。
捜査がごく小規模だという事は分かっているのだ。港方面に多くの注意が向いている今ならば、街から出るのは容易であろう。
オリハルコンの裏取引など、ハルとケイだけではとても出来ない。
せっかくの希少素材も、組織の力がなければ金に変えられないのだ。故に二人は囮を引き受けざるを得なかった。結果、こうして切り捨てられた。
「つーワケで、俺等もそろそろオサラバしねぇと――――」
とはいえ前述の通り、いつまでも潜伏していられるわけではない。
グレンが椅子から立ち上がり、この場を後にしようとした、まさにその時だった。
がしゃん。
締め切られたシャッターを、外から叩く音がした。
先程までの弛緩した空気から一転、すぐに話を切り、息を殺す男たち。
「ごめんください」
聞こえてきたのは、女の声だった。
少し低めの、落ち着き払った声音だった。
(…………見てこい)
顎をしゃくるだけの、無言の命令。
それを受けた部下の一人が頷き、屯していた部屋を出てシャッターへと向かう。
「ごめんください。中に居ますよね? 素材の加工をお願いしたいのですが」
「チッ、見てわかんねぇのか? 閉店中だ、他を当たれ」
「そこをなんとか。ひとまず、店に入れてはもらえませんか?」
「駄目だ。帰れ」
やってきた客(?)らしき女を、シャッター越しに冷たくあしらう男。
確かに、閉店中の店にやってくるのは非常識――――というか意味が分からない行為だ。しかし男の態度もまた、客商売をしている者としては意味不明な――あり得ないとまでは言えないが――態度であった。そうして何度か『開けてくれ』『駄目だ』という意味のないやりとりをした後。いよいよしびれを切らした男が、シャッター越しに怒鳴り散らした。
「帰れっつってんだろ、このクソアマ――――」
「メイド入りまーす」
瞬間、強固に閉ざされていたはずのシャッターが吹き飛んだ。
けたたましい音が路地に響き渡る。当然ながら、奥の部屋に待機していたグレン達も『一体何事か』と店頭スペースまでやってくる。
「オイ! どうした!?」
「なっ……何が、つーか誰だテメェは!」
「め、メイド……?」
店の内側に吹き飛ばされた防犯シャッター。それに巻き込まれ、大いに散らかった店内。
逆光を背負いながら立っていたのは、一人のメイドだった。
「あーあー、わらわらといっぱい居るじゃないですか。石の裏じゃないんだから」
男たちを見た途端にわざとらしく、小馬鹿にした顔で頭を振るメイド。
「お嬢様の読み通り、というワケですね。さて……どなたがリーダーで?」
睥睨するように、店内の男たちを見渡すメイド。
この落ち着き様に加え、決して脆くなどはないシャッターをあっさり吹き飛ばすだけの力量。加えて言葉から察するに、この店がそうだとアタリを付けて来ている。一見すればただの美しいメイドに過ぎないが、しかしそうではないことをグレンは瞬時に見て取った。そしてその外見的特徴から、どうやら噂の『一位』ではないということも確認していた。
「……何モンだ、嬢ちゃん。国宝院の――――いや、九奈白か?」
「おや、貴方はなかなかキレるようですね。でもまぁ、私が何者かなんてどうでもよい事ではありませんか?」
「あァ? まさかヤるつもりなのかよ、この人数だぜ? もっと言やぁ、俺ァ元二桁だぜ? ククク……ヤるんなら噂の一位とやらを連れて来るべきだったなァ! まあ本当にそんなヤツがいるんなら、だがよ」
グレンが睨みを利かせ、その鋭い眼差しでメイドを威圧する。
元とはいえ二桁探索者の威圧だ。そこらの者であれば、足が竦んで動けなくなっても不思議ではない。
「おや、どこでその話を…………いえ、まぁいいでしょう」
しかしメイドはまるで意に介さず、ただ不敵に微笑むのみであった。
「この街での不調法、館の掃除担当としては見逃すわけにはまいりません。というわけですので、主に代わってお仕置きです」
ちなみにですが、今回オリオリの戦闘シーンはないです




