第113話
「…………彼を待っていたのではないのか?」
「知らねーよ誰だよ! ビビらすんじゃねーよマジでよ!」
リョウの目には、ケイが嘘をついているようには見えなかった。
そうなればまた色々と新たな疑問点が出てくるのだが、それは今考えるべきではない事くらい、リョウはちゃんと理解していた。むしろ理解が追いつかないのは、やって来たばかりのルーカスだ。応援に来るなり『誰だお前は』などと言われれば、彼が戸惑うのも当然のことだろう。まさか初対面の相手全員に誰何をしているわけでもあるまいし。
「何の話だかわかりませんが…………私もおしゃべりをしにきたワケではありません。さっさと捕縛してしまいましょう」
「ちょっとアナタ、使用人の分際で私に命令なんて――――」
「申し訳ありません国宝院お嬢様。しかし状況が状況ですので、今は目を瞑って頂きたく」
「ぬぐっ……」
平時の立場としてはシエラの方が遥かに上だ。
しかしここは戦場で、彼ら彼女らは探索者だ。現場に於いて優先されるのは地位ではなく経験。如何にシエラが将来を嘱望されたルーキーであろうとも、現時点では実力、判断力共にルーカスが上なのだ。何よりも、今最も重要な事は敵の捕縛だ。それがよく分かっているからこそ、シエラはそれ以上不満を垂れることなく、しかし若干不服そうに口を噤んだ。
「気をつけて下さい。あの敵は相当やりますよ」
「どうやらそのようですね」
ちらとルーカスが視線を向ければ、そこには右腕を庇うシエラと脇腹を抑えるリョウの姿。
対するは、これといって目立ったダメージもないケイ。両者の姿を見れば、ケイが相当な実力者であることは分かる。それでも、不思議と敵を取り押さえられる自信がルーカスにはあった。何故ならば――――。
(確かに強敵だが…………少なくとも織羽より上には見えん)
初めての時を除けば、これまでに三度。リーナ伝いで凪へと頼み込み、仕事の空き時間に織羽と模擬戦をしていたからだ。
対人戦の経験が足りないことを痛感したルーカスが、その対策にと選んだ相手が織羽だったのだ。ルーカスには実力がうっすらバレていたこともあり、織羽もそれなりに真面目に相手をした。もちろんリーナには試合を見られないように。
その結果として、ルーカスは三度ともズタボロに遊ばれたのだが――――しかしその甲斐もあってか、対人戦でのあれこれは随分と改善された。何しろ織羽ときたら、ルーカスの弱点を敢えて突きまくるのだ。いやらしいフェイントをかけたり、攻撃しやすいようにわざと隙を作って誘い込んでみたり。それにルーカスが釣られる度、手痛い教訓をくれるのだ。そうして痛みと共に叩き込まれた教えは、魔物との戦いでは到底得られない貴重なものであった。
そんなルーカスからすれば、目の前の敵はまだマシな相手に見えた。
格上には違いないであろうが、しかし化物と比べれば何倍も。
「私が前に出ますので、お二人は援護をお願いします」
金持ちのお嬢様とその護衛役、そして他家の護衛執事。
特に見知った仲でもなく、戦闘スタイルなども互いに知らない三人。即席故にチームワークなどあるはずもなく、下手に連携を取ろうとするよりはむしろ、臨機応変な対応と個々の実力だけで戦う方が幾分マシだろう。ルーカスはそう判断し、ケガをしている二人に援護を任せた。
「承知しました。シエラ様、やれますか?」
「当然よ! この程度のケガ、なんてことありませんわ!」
そんな二人の返事を聞き、ルーカスが小さく頷く。
そうして右手に着けた手袋をぎゅっと引き絞り、直後に勢いよく駆け出した。
「チッ……三対一かよ。卑怯だろ」
「盗人風情がよく言う」
ケイがぶつくさと文句を垂れるも、知ったことかと言わんばかりにルーカスが素早く間合いを詰め、拳打を振るう。
四桁と三桁の最も大きな違いは技能の有無であり、身体能力的にはそれほど大きな差はない。加えてケイの技能は戦闘向きではなく、本業の盗みでこそ光るものだった。故にルーカスやリョウの攻撃は、三桁のケイにとって十分に脅威たり得るのだ。少なくとも、まともに受けていい攻撃ではない。
「あ? テメェなんでそれを……っとぉ!」
リョウの時と同様、体を捻って攻撃を回避するケイ。
その瞬間、ルーカスが僅かに眉を顰めた。もちろん攻撃を回避されたからではなく、別の理由でだ。
(こうもしっかりと攻撃を躱されるのは、随分と久しぶりだな……)
ルーカスの特訓相手をしているどこぞのメイドは、攻撃を回避する時、これほど大げさに動いたりはしない。当たったとルーカスが確信した攻撃でさえ、紙一重で回避されてしまうのだ。そこに無駄な動きなどは一切無く、下手をすれば動いていないのでは、と錯覚しそうになるほどだ。そんな洗練され過ぎた動きと比べれば、十分に優れている筈のケイの身のこなしでさえ、ルーカスにはひどく無駄な動きに見えてしまう。
(特訓の成果はしっかり出ているということか。付き合ってくれた彼女に感謝だな)
こんな風に考え事が出来る程度には、今のルーカスには余裕があった。
順位的にはリョウとほぼ同列のルーカスではあるが、対人戦という点に関して言えば一歩先んじていると言っていいだろう。
「オイオイ、戦闘中に考え事とは関心しねぇなぁ。そら食らえ」
回避の体勢からくるりと回り、ケイがぱちりと指を鳴らす。すると甲高い耳鳴りが突然ルーカスを襲う。
やはり技能持ちだったかとルーカスが警戒し、来るダメージに備えて防御の構えを取る。しかし何時まで経っても、敵の攻撃はやってこなかった。不思議に思ったルーカスが、或いはただのブラフだったのかと疑った時――――自身に起きている異常にようやく気がついた。
(貴様、一体何を…………ん?)
自分が発した筈の言葉が、一切聞こえなかったのだ。口は確かに動いているのに、そこにあるべきものがない。
それだけではない。港に響く鳥の声も、波の音も、周囲の物音全てが一瞬のうちに消え失せていた。あまつさえ、先程まで感じていた潮の香りも消えている。
(チッ、耳と鼻を潰されたか)
忌々しげに舌打ちをくれるルーカスだったが、当然それすらも聞こえない。
これはケイの技能、『静寂』によるものだ。
人間が五感で得る情報の、凡そ八十パーセントは視覚によるものだと言われている。
次いで聴覚が十一パーセント、嗅覚が三パーセント程。そして残りが触覚と味覚だ。つまり『静寂』の影響化にあるルーカスは、現在十五パーセント程の情報を奪われたいうことになる。こうしてみると大したことのない数字に思えるが、されど一割強。確かに戦闘向けの技能とは言い難いが、こと戦場においてはそう馬鹿にも出来ない数字である。
ケイが何事かを喚いているのが見えた。
突如として訪れる無音空間というのは思いの外堪えるものだ。たとえ四桁台の実力を持つルーカスであっても、一切動じないというのは難しい。そうして生まれた動揺は、次いで隙を生み、そして隙が敗北を呼ぶ。シエラとリョウが万全ではないことを考えれば、ルーカスの敗北はすなわち敵の逃亡を許すことに繋がってしまう。そうした状況では無駄に気負い、力が入り、逆に動きが固くなってしまうものだ。成程確かに、時間稼ぎという点に関してのみ言えば、ケイの技能は効果的だったのかもしれない。
以前のルーカスのままであったなら、の話に過ぎないが。
(関係ないな)
殆どの人間が足を止めてしまうであろう状況で、しかしルーカスは一歩を踏み出す。
音が聞こえないことなど、そんなことはどうでもいいとばかりに。
メイドの皮を被った化物に曰く。
――――戦闘技術はそう簡単には伸ばせません。ですので、まずは対人戦の心構えからいきましょう。
――――大半の魔物戦とは違い、対人戦には駆け引きが存在します。最も重要なのは相手の思惑を外すことです。
――――その上で自分のペースに持ち込む。選択肢を叩きつけ対処を迫る……つまりは。
対人戦闘とは『相手の嫌がることをする』のが基本なのだと。
身体能力や技術はもちろん重要だが、それは前提であって積み重ねだ。その点に関して言えば、四桁であるルーカスは既に基準を満たしている。大抵の相手であれば戦えるだけの力を、彼は既に有しているのだ。故に今最も必要なことは心構えであると、織羽はそう説いた。
織羽の教えを思い出す。足を止めたいというケイの狙いを外すにはどうすればよいか。
足を止めたいと相手が思っているのなら、足を止めなければいい。そうしてルーカスが瞬時に導き出した答えは至極単純、全てを無視してのゴリ押しだった。
そんなルーカスの馬鹿げた脳筋思考に、目を見開き何事かを叫ぶケイ。
ルーカスは敵が動揺していることを確信する。反撃の蹴りが飛んでくるのが見えたが、やはり足は止めず前へ出る。三桁探索者の攻撃なのだから当然ダメージは大きい。だがここで防御に回れば、また距離を取られて時間を稼がれてしまう。故にルーカスは防御もせず前へ出続ける。脇腹に響く鈍痛に顔を顰めながら。恐らく彼女であれば、もっとスマートにやるのだろう。この戦いを見られていたら、或いは『何ですかそのチンピラみたいな戦い方は』などと苦言を呈されるかもしれない。それでもこれが、今のルーカスに思いつく最善手であった。
「オイオイオイ!? イカれてんのかテメェ!?」
そうして遂に、ルーカスがケイの胸ぐらをがっちりと掴む。
ケイが繰り出す拳を額で受け止め、ぐわんと揺れる視界の中で。
とはいえやはり無茶のし過ぎだった。
相手の意識を刈るだけの余力が、もはやルーカスには残っていなかった。だが彼の目に動揺はない。
この場には他にも味方が居る。だからこそ彼はこれほどの無茶が出来たのだから。
「今だ、やれッ!」
自分の声すらルーカスには聞こえなかったが、自身の背後に追いすがる気配はしっかりと感じていた。
「任されましたッ!」
「良き根性でしたわよ! ちんちくりんの従者には勿体ないくらいですわね!」
胸ぐらを捕まれ逃げられなくなったケイへと、シエラとリョウが躍りかかる。
それをしっかりと見届けつつ、ルーカスはどこか満足そうな顔で意識を手放した。




