第109話
それは突然のことだった。
「一体何事ですのッ!?」
都市高速を走っている真っ最中、リムジンのボンネットが何の予兆も無くひしゃげたのだ。
とはいえ、名にし負う国宝院家所有のリムジンだ。当然のように特別製であり、ただの銃弾や投石程度でこうはならない。つまりこれは何かしらの技能による攻撃だと予想が出来る。
走行不能というわけではないが、しかしだからといって、もうもうと上がる煙を放置したまま走るわけにはいかない。運転手がブレーキを踏み込み、その反動でシエラがつんのめり車内を転がる。流石というべきか、シエラの隣に座っていた護衛役――――花車騎士団の阿澄リョウは、僅かに体を傾けてバランスをとるのみであった。
「ちッ……外の様子を見てきます。シエラ様は体を低くして、私が『良い』と言うまで車内で待機を」
車両が停止したのを確認したリョウが、勢いよくドアを開けて外へ飛び出す。
その姿を見たシエラは頭を回転させ、混乱の中にあってどうにか首肯してみせた。
先の監視の件については凪から聞かされていた。ライバルである凪の忠告を素直に聞くのは憚られたが、それでも今回はモノがモノだけに十分警戒していたつもりだった。情報が漏れることを防ぐため、本日の予定はリョウにすら昨晩伝えたばかりだ。マンションを出る際にも細心の注意を払った。移動が始まればそうおいそれとは手が出せないと、そう考えていた。
そんな自身の考えが甘かった事を痛感し、シエラは歯噛みした。
しかし今回のケースについて言えば、誰もシエラを責めることは出来ないだろう。
そもそもの話、あの国宝院家の人間に襲撃をかけるという、その行為自体が常軌を逸しているのだ。少なくともこの九奈白市内で、そのような蛮行に出る者など存在しない。十人に聞けば十人がそう答えるだろう。どうしても九奈白家の方が目立ちはするが、それだけの力を国宝院家は持っているのだから。故にシエラもリョウも、一応の警戒はしつつも『どうせ手は出せないだろう』と楽観視していた。しかしそれが普通の感覚なのだ。
結果としてその甘さに付け込まれた形となったのだから、 情けないやら恥ずかしいやら。
またぞろ凪に鼻で笑われるであろう事を思えば、自戒で顔が歪むのも無理はない。
「くっ……失態ですわ」
リョウは一人で大丈夫だろうか。運転手は無事だろうか。
様々な疑問がぐるぐると頭を駆け巡るが、それでもシエラは自身の役割をしっかりと理解していた。
現役の探索者とはいえ、シエラは駆け出しに近い。
それこそ、リョウ達のようなトップレベルの探索者からすればまだまだひよっこだ。外に出ていったところで、足手まといになるであろうことは分かりきっている。そんなリョウが『待っていろ』と言ったのだから、自分の役目はブツを死守することにある。そう理解している。
先のダンジョン実習で、シエラは自身の未熟さを思い知らされた。あれから彼女も多少は丸くなり、強気に我を出すことが少し減ったのだ。自身の経験など、この業界からすれば浅瀬も浅瀬なのだと。牙が折れた訳では無い。プライドを失ったわけでもない。ただあの一件により、探索者として僅かなりとも成長したということだ。
「とはいえ、歯がゆいですわね…………あら?」
そこでシエラはふと、車の外が妙に静かな事に気づいた。
静かというよりも、むしろ一切の物音が聞こえない。リョウが戦っている音も、周囲を走る車両の音さえも。
窓の外を見渡しても煙幕のような白いモヤが周囲を覆うばかりで、リョウの姿は疎か、人っ子一人見当たらなかった。
「これは……一体何がどうなって――――」
そうして外の様子を探るため、窓を覗こうと体を起こした時。
ふかふか柔らかい車内の高級シートから、腕が生えているのが見えた。
比喩ではない。まるでキノコかなにかのようにニョッキリと、細い女の腕が突き出しているのだ。
そしてシエラがそれに気づいた時、オリハルコンが収納されているスーツケースの持ち手が、丁度その手に握られたところであった。
「……は?」
シエラの声に反応したのか、『怪しすぎる腕』は如何にも慌てた様子でシートの中へと引っ込んでしまう。手に掴んだスーツケースごと、ぬるりと。
シートには当然穴など無く、人は疎か腕が生えていた意味も分からない。何が何だかわからないとばかりに瞳をぱちくりとさせ、ただ呆気に取られるシエラ。今の彼女に言える確かなことなど、オリハルコンが奪われてしまったという一点だけだ。
「ななななな……何なのよ一体!?」
急ぎ車のドアを開け、外に飛び出す。
すると車両よりすこし離れたところから、リョウの警告が飛んできた。
「シエラ様ッ! まだいけませんッ!」
見れば彼女は、フルフェイスのヘルメットで顔を隠した見るからに怪しい人物と、道路の真ん中で剣を交わしている最中であった。敵の顔は窺い知れないが、おそらくは体型的に男であろう。警棒のような短めの棒で以て、リョウの攻撃を上手くいなしている。未だ互いに無傷でいるところを見るに、二人の実力が伯仲しているのか、或いはただの時間稼ぎか――――否、十中八九後者であろう。
「いいえリョウっ! もう既にやられましたわ!」
「はっ!? やられた!? 何がです!?」
「例のブツですわ! 敵がもう一人居て――――あぁもうっ! とにかく、もう盗られたってことですわよッ!」
「なッ……どうやって!?」
一体誰が、どうやって。
そんなことはシエラが聞きたかった。一体どう説明しろというのだ。
『気がついたら座席から腕が生えていて、まるで壁抜けグリッチよろしく、スーツケースごと下方へすり抜けていった』とでも言えというのか。こんな説明で何が伝わるというのか。そんな馬鹿馬鹿しい考えが頭を巡り、いよいよ業を煮やしたシエラはただただ結論だけを伝えた。
衝撃の事実を聞き、リョウは思わずシエラの方へと振り向いてしまう。
相対する敵から視線を切った瞬間、フルフェイスの男は素早く後退。傍の道路上に倒してあったバイクへと乗り込み、素早く逃走にかかった。
「しまっ――――くそっ、待て!」
だがここで見逃してしまっては、もう二度と追いつけない。二度とオリハルコンを取り返すことは出来ない。
幸いにもと言うべきか、どうやら先程の煙は車から吹き出したものではなく、敵が使用した視覚妨害用の煙幕だったらしい。ボンネットが凹んで少々不格好ではあるものの、車は問題なく走れそうであった。追跡に向いているとはお世辞にも言い難い車種だが、ただ身体能力にモノを言わせて走るよりは幾分マシだ。
「追いますわよ、リョウ! 運転手を起こしなさい! もし駄目そうなら貴女が運転を。私は凪に連絡しますわ!」
「承知しました」
素早く指示を出し、スマホを取り出しつつシエラが車に乗り込む。
「絶対に逃がしませんわよ……!」
シートに背中を預け、苦虫を噛み潰したような顔で凪へと電話をかけるシエラ。
ただでさえ加工を依頼している状態なのだ。これ以上の借りなど、ライバルである凪にはもちろん作りたくはない。しかし今の状況を鑑みれば背に腹は代えられない。国宝院家の力は強大だが、しかし市内――――ダンジョンの外に於いては、圧倒的に九奈白の力が強い。
「もしもし? ええ、私ですわ……って、挨拶なんてしている場合ではありませんわよ!」
大事な大事なオリハルコンを取り戻すには、遺憾ながら凪の力を頼る他ないのだ。




