第105話
「やっぱり似てる……気がするなぁ」
荒れ果てた屋上を見つめ、日和見花鶏はそう呟いた。
「え? 何がです?」
アホ面をぶら下げながら問うのは犬吠埼一千華だ。
現場検証に来ているというのに、彼女は先程からふらふらと遊んでいるだけである。とはいえそれも、いつも通りと言えばいつも通りだ。お世辞にも良い勤務態度とは言えないが、これで一千華は意外にもTPOを弁えており、やる時はやるタイプなのだ。上の目がある本部勤務中では真面目な態度を崩さない為、直属の上司である花鶏も既に矯正を諦めており、そのままなんとなくマスコット的に許されている。
「数ヶ月前の、港湾地区で発生した事件の跡に似てるなぁ、と思ってね」
「あー……例の『無人の血海事件』ですか」
抉れたコンクリートの床、ひしゃげた鉄柵。
規模こそ小さいものの、力ずくで無理やり破壊した感は確かに例の事件とそっくりであった。この街の事件現場ではままある光景のため、はっきり同じだと断言は出来ないが――――花鶏の経験と直感は、これが同一犯の仕業だと告げていた。
「アレもよく分かんないですよねー。これは噂ですけど、邪教徒が悪魔降臨の儀式を行っていた、みたいな話も聞きましたよ」
「それは流石に飛躍しすぎだと思うけどね」
『無人の血海事件』は、発生から数ヶ月経った今でも詳細が判明しておらず、殆ど迷宮入りしている事件のひとつだ。
まるで重機でも突っ込んだか、或いは爆撃でも受けたのかと思える程の破壊痕。現場に残されたおびただしい量の血痕は複雑に入り混じっており、身元の特定が出来ない程であった。そうであるというのに、現場には死体の類が皆無ときている。高い技術を保有しているはずの治安維持部隊の調査力を以てしても、それ以上の事は何も分かっていない。もちろんこれは迷宮情報調査室が念入りに証拠の隠蔽を図ったが故なのだが、花鶏達は知る由もない事である。
「成果らしい成果と言えそうなのは、空の薬莢が二発分だけ。これでどこまで辿れるかなぁ」
「今回は血痕すら残ってないし、こりゃまたダメそうですねー」
何者かが争っていた事は分かる。
だが残された薬莢から辿れる情報など知れている。使用された銃器くらいは判明するだろうが、所詮はそこまでだ。上手くすれば持ち込まれた経路まで分かるかもしれないが、持ち主の特定までは至らないであろう。仮に皮膚や指紋が付着して残っていたとしても、発砲時の熱で変形・消失して使い物にならない場合が殆どだからだ。
とはいえ、治安維持部隊が無能というわけでは決してない。
如何に九奈白市といえど、こんな寂れたビルの屋上にまで防犯カメラが設置されている筈もない。一応この後に周囲のカメラを確認する予定ではいるが、状況を考えればそれも望み薄だろう。地上からの目撃者は言わずもがなだ。物音を聞いた者くらいは居るだろうが、それが一体何になるというのか。争いがあったこと自体は既に判明しているのだから、それは追加情報たり得ない。つまりは純粋な情報不足であり、犯人が巧妙だったと言う他ないだろう。
しかしそうは言っても、何かしら纏めて報告はしなければならない。
子供の遣いでもあるまいし、まさか「よく分かりませんでした」などと馬鹿正直に書くわけにはいかないのだ。
「……これはまた残業かなぁ」
げんなりとした表情で未来を嘆く花鶏。
それを聞いた一千華もまた、がっくりと肩を落として文句を垂れる。
「うぇー!? 今日は夜から推しのライブがあるんですけど!?」
「いやまぁ、書類は俺が作るから。一千華君は帰っても大丈夫だよ」
花鶏は後輩に無理やり仕事を押し付けるようなパワハラ上司ではない。それどころか、『女心が分からないところ以外は完璧』と称される程度には理想の先輩である。そんな彼だからこそ出た気遣いの言葉は、しかし一千華によってぴしゃりと却下されてしまった。
「ピヨちゃん一人残して、私だけ帰れるワケないじゃないですか! ちゃんと付き合いますよぅ」
「ホントに? やっぱりなんだかんだで優しいね、君は」
「うぇへへ。でしょー?」
なんとも心温まる先輩後輩のやり取りなのだが――――周囲の隊員達はもちろんイライラしていたりする。つまりは『いい加減さっさと付き合えよ』だ。外に出る度行われる二人のこのやり取りは、見様によってはただのイチャつきでしかない。その癖一向に仲が進展しないのだから、傍から見ればもどかしくて仕方がないのだ。そんな隊員たちの視線に気づかぬまま、この特に中身のない現場検証は二時間も続いた。
そうして花鶏が部下たちを従え、その場を引き払った後のこと。
全員がビルから降り、路地を抜け、大通りへと抜けるその直前。薄暗い路地の隅で、一瞬何かが光ったのを一千華が見つけた。
「おん? 今のなんだろ……」
「一千華君? 一体どうしたんだい? 尿意かい?」
「マジでそういうトコだかんな」
デリカシーの欠片もない花鶏の発言を無視し、違和感の出どころへと向かう一千華。路地を形成するビルの丁度隙間、僅かに陽光が差し込むその場所でおもむろにしゃがみ込む。そうして立ち上がった時、一千華の手には小さなコインのようなものが一枚握られていた。
「これは…………ボタン?」
「ふーむ……デザインといい素材といい、随分といいモノだね。スーツや制服の飾りボタンかな?」
「そんな感じですよね? でも、なんでこんなところに?」
「確かに。そんなボタンが使われるほど上等な服を着た人が、こんな路地に入るとは――――いやまぁ、ないこともないだろうけど」
それはただの違和感だ。
仮に見立て通り、これが高級なボタンだったとして。
大通りを歩いている最中に千切れて転がって、そうして路地に入った可能性は十分にある。花鶏が自分で言った通り、何かしらの用で通りがかることもあり得る。普通に考えれば、事件とは何の関係もないただの落とし物であろう。だがなんとなく、花鶏の経験と直感が違和感を訴えていた。根拠は何もないし、何でも事件に結びつけようとするのは悪い癖だと日頃より自戒してもいる。それでも、この何の変哲もないただのボタンがいやに気になった。
「……まぁ、折角一千華君が見つけてくれたものだし、一応調べてみようか」
「おっ! もしかして私、お手柄ですかね?」
「いやいや、十中八九ただの落とし物でしょ」
そうは言って再び歩き出す花鶏だが、しかし逆を言えば一、二割は関係があると思っているという事。その証拠に、花鶏は部下から小さな袋を受け取り、その高そうなボタンを丁寧にしまった。とはいえもちろん空振りの可能性が高いため、後輩を落胆させない為にも黙っていることにしたが。
「さて……それじゃあ帰ろうか。もちろん勤務中だから、巡回も兼ねて」
「ええー! なんだよ真面目かよー! 皆疲れてるんだから飯くらい奢れよー」
「いや、一応仕事中だから……最近はちょっと水を買いにコンビニ寄っただけでもクレームが入るんだよ?」
「生きづら過ぎるだろ……」
そんなとりとめのない話を繰り広げつつ、花鶏達はのんびりと本部へ戻っていった。
余談だが、一千華がぶぅぶぅと喧しかった為、結局この後花鶏は隊員達に飯を奢る羽目になった。しかし、特にクレームが入るような事は無かったという。




