第103話
クロアが飛び出していった、そのほんの少し後のこと。
その場でお留守番となった織羽へと、凪が説明を求めていた。
「で、どういう事なの? もしかしてまた私なのかしら?」
総会での一件も踏まえ、また私が原因なのかと訪ねる凪。
既に織羽の正体を知っているが故に、凪は回りくどい探りを入れることがなくなっていた。
「いえ、恐らく別件でしょうね。というより、お嬢様を狙うような身の程知らずがそうポンポン出てきても困ります。今回はどちらかと言えば、むしろ……」
而して、織羽の答えはノー。
頭に『恐らく』と付けてはいるが、その表情から察するに内心ではある種の確信を持っている様子である。凪を狙ったものでないことは確実だが、では真の狙いが何なのかと問われれば確証がない。心当たりはあるが、しかし断言は出来ない。言い淀んだ織羽の言葉を汲み取れば概ねこんなところであろうと、凪は一先ずそう結論付けた。とはいえ所詮は凪の勝手な想像でしかなく、認識に齟齬があるのは好ましくない。故に凪は情報を共有するため、織羽に話の続きを促した。
「説明」
「あ、はい。少し長くなりますが、よろしいですか?」
「構わないわ。どうせ暇だもの」
解き放たれた猟犬が肉を咥えて帰るまで、まだいくらか時間がかかるだろう。この後は白凪館に戻る以外の予定もないため、時間は十分にあるのだ。そうして凪はマンションのエントランス前――――しっかりと手入れされた前庭部分へと歩を進める。そこに設置された無駄に高そうなベンチの前へと立ち、織羽がハンカチを敷くのを見てから優雅に腰掛けた。
「では……そうですね。夏休み終盤に、リーナ様達とお買い物に行ったのは覚えていますよね?」
「もちろん。貴女が遅れて合流した日でしょう」
「ですね。当時は適当に誤魔化しましたが……実はあの日、ウチに定期報告を行っていたんです」
「ふぅん……勝手な想像だけれど、そういうのは深夜とかにするものだと思っていたわ」
織羽の言う『ウチ』とは言わずもがな、迷宮情報調査室のことである。既に凪はその存在を知っているが、何処に耳目があるかは分からない。一応は極秘扱いの組織であるため、外で名前を出すわけにはいかないのだ。故に織羽が外でその名を出す際は、今回のように『ウチ』であったり、或いは『動物園』などと呼んだりしている。動物園と呼ぶには些か珍獣が多すぎる気もするが。
「そうですね。本当は前日の晩に連絡を入れる予定でした」
「そうなの? だったらどうしてあの日にズラしたのよ」
定期報告とは、遠方で任務に就いている者が本部へと状況を伝えるために行う、大変に重要な作業だ。これは室長である隆臣ですらも、現場に出る際には必ず行うよう義務付けられている。ちなみにこれは千里が最も苦手とする仕事でもある。閑話休題。
織羽の場合は週に一度、土曜日の深夜に定期報告を行っているのだが――――当時はとある理由により、深夜の連絡が出来なかった。故に仕方なく次の日へと回し、その所為で遅刻する羽目になったのだ。そのあたりの説明を織羽が面倒に思ったが故、凪には『どうしても外せない用がある』などと適当な説明を行い、そうして別行動の許可を得たというわけだ。
では、そのとある理由とは一体何なのか。
「いやぁ……実は夜遅くまで、亜音さん椿姫さんと恋バナをしながらゲームで遊んでおりまして」
「恋バナをしながらゲーム」
「はい。ご存知ありませんか? なんかこう、わちゃわちゃしながらでっかいモンスターを倒すやつなんですけど。普段はそういったものを嗜まないものですから、ついつい熱中してしまいまして……気づけば連絡も忘れてスヤッスヤでしたよ。あはは」
「何を笑ってるのかしら、この馬鹿メイドは……」
凪は齢十六という若さにして、多くの部下を持つ超有名企業のトップでもある。もし仮に自分の部下がそんな理由で報告を怠ったと知れば、如何に器の広さで知られる彼女であっても、流石に苦言を呈していたことだろう。それを思えばこそ、凪は一度しか会ったことのない密へと内心で同情した。これも凪の勝手な想像ではあるが――――恐らくは織羽だけでなく、似たような理由で報告をサボる者があの組織には多そうであったから。なおこれは余談だが、メイド達の使用武器は三人ともハンマーである。
「まぁそれは置いておくとして……その定期報告の際、密さんから『関わることはないだろうけど、念の為頭に入れておくように』と聞かされていた話がありまして。なんでも、何処ぞの小国で発見された『とある希少な鉱石』が発表前に盗まれたとかなんとか。加えてもうひとつ、『出所不明のとある希少鉱石が国内に持ち込まれ、その取引がどこかで行われるらしい』とのことで」
「あぁ、だんだん話が見えてきたわね……」
ここまで聞けば、あとは話を順番通りに繋ぐだけだった。
結論から言えば、どこぞで盗まれた希少な鉱石というのがオリハルコンで、その取引場所というのがここ、九奈白市のダンジョン内だったというワケだ。
ダンジョン内は閉鎖的で入り組んでおり、人目につかない場所や死角も多い。そうした知らなければ誰も探そうとも思わない特定のポイントへと物品を隠し、互いに顔を合わせることなく取引を行う。ある意味では一昔前に流行った、コインロッカー取引に近いと言えるかも知れない。そしてそんな取引が成立するまでの僅かな間に、たまたまシエラが通りがかり、それを見つけてしまった。仔細は凪の想像でしかないが、恐らくはこんなところであろう。
「あの子も運が良いのやら、悪いのやら……」
「所詮は状況証拠からの推察に過ぎない話ですが……もし全部予想通りだったとしたら、凄い確率ですよね。こういうのが俗に言う『持ってる』ってヤツなんですかね?」
「どうだか……。ねぇ、こういう場合の所有権ってどうなるのかしら? 依頼を引き受けてしまったけれど、勝手に加工してもいいのかしら?」
「普通にシエラ様ですよ。なのでもちろん、加工も問題ありません」
そもそも探協からの『公式発表』というのは、発見者が探協に対して素材の買い取りを依頼しなければ発生しない。持ち戻った素材を自身で使うというのは、探索者にとって珍しくもないことで、それが危険物でもない限りは認められている。つまりどこぞの国の発見者とやらも、自分で使う為に買い取りへ出さなかったのだろう。当然ながらその後の全ては自己責任となり、盗まれてしまった時点でモノの同定が出来ない。窃盗犯達はいわずもがなである。
つまり正当な所有権を主張出来るのは今現在、現物を所持しているシエラしかいないのだ。この時点でシエラがオリハルコンを所有することに何の問題もなく、売ろうと加工しようと、どう使おうが彼女の自由である。もちろん彼女も買い取りには出していないため、再度盗まれるようなことがあればまた振り出しに戻るのだが。
「国に提出とかはしなくてもいいのかしら」
「国にもよりますが、少なくとも今のこの国では必要ありませんね。既にいくつか研究用に提出してありますし」
凪の当然の疑問に対し、なんでもないような声音でしれっと怪しい事を言い出す織羽。凪の聞き間違いでなければ、それの意味するところはひとつしかない。
「もしかしてとは思っていたけれど……貴女やっぱり持ってたのね、オリハルコンを」
「まぁ、はい。というか、お嬢様もいつも見てるじゃないですか。確か、一度その手で持ってもいますね」
「……なんですって?」
言うまでもないことだが、オリハルコンは超がつくほどの希少品だ。あまりにも発見例が少なく、世界中でも極々僅かしかない。当然ながら、金を積んだからと言って手に入るものではなく、天下の九奈白家とて未だ所有したことは一度もない。それほど貴重なモノだからこそ、現在このような状況になっているわけで。
だが織羽なら持っていてもおかしくはないと、凪は密かにそう思っていた。何しろあの『一位』様なのだから、可能性としては世界で最も高いはずの人物である。
そう思ってはいたが――――しかしいつも見ているとは、一体どういうことなのか。あまつさえ手にしたことがあるなどと。もちろん凪には、そんな覚えは微塵もない。
「ほら、いつも私が館の清掃に使っているアレですよ」
「……? どういう意味――――」
怪訝そうな顔をしながら、凪が自身の記憶を探る。
織羽が清掃に使っている道具など、精々がバケツとモップ、あとは掃除機と箒くらいのものである。別段珍しいものではないし、どこにでもある普通の掃除道具だ。
しかしそこでふと、凪はあることを思い出した。
いつぞや遭遇したダンジョン実習襲撃事件の、その帰り。思い返せば確かに、やたらと重い物を持たされたような記憶がある、と。
「……もしかして」
「はい。実はあの箒、先までオリハルコンたっぷりなんです」
「……本気で言ってる?」
「モチのロンです」
何故かドヤ顔でそう宣う織羽。
そんなどこぞのチョコ菓子のような言い様に、凪は空いた口が塞がらなかった。そろそろそれなりの付き合いだ。こういう顔をしている時の織羽は嘘を言っていないということが、凪には分かってしまう。もったいないどころの話ではなく、最早意味が分からないレベルであった。
「――――馬鹿なんじゃないの!?」
そんな凪の当然ともいえる反応に、織羽は大層満足げな顔でこう返した。
「んっふ。これがホントの織羽ルコン……なーんちゃって」
相変わらず最悪で、意味不明なギャグセンスだった。




