第100話
その神々しい見た目や謎に包まれた性質から、ファンタジーではすっかりお馴染みの、伝説上の名を冠することとなった鉱石。ダンジョンから産出されるものの中で、現状最も希少と言われているもの。言うまでもなく知名度は高いが、しかし世界中でも数えるほどしか見つかっておらず、実際に現物を見たことがある者など皆無に近い。ましてや個人で所有している者など。それがオリハルコンであり、緋々色金である。
ダンジョンに関わるものであれば大半を知り尽くしている九奈白家。比較対象を世界に広げて見ても、その情報量は抜きん出ていると言っていい。そんな九奈白の娘である凪でさえ、データとして画像を見たことがあるのみで、オリハルコンの現物は見たことがない。故に『まさか』とは思いつつも、シエラが持ち出してきたソレがそうだと判断出来ずにいた。だというのに、織羽とクロアは目の前の石をオリハルコンだと断言した。それもちょっとめずらしい食材を見つけた時の『あー、コレおいしいよね』くらいのテンションで、だ。
「……間違いないかしら?」
「かなり小さいですけど、オリハルコンに間違いないですね」
「めずらしー。ボクも現物を見たのは久しぶり――――あぁんゃ、そうでもなかったや」
確認の為、凪が二人に問いかける。
それでもやはり、答えは変わらなかった。あっさりとした二人の様子から、嘘や冗談を言っているようには見えない。凪はそっと瞳を閉じ、少しだけ何かを考える素振りを見せる。そうして小さく息を吐き出し、シエラの方へと向き直った。
「良かったわね。ひとまず本物だそうよ」
「え、あ、そうですの? それは良かっ――――って、ちょっと! 私はアナタに鑑定をお願いしましたのよ!? そこの二人に何が分かると言うんですの!」
高そうなローテーブルを両手で叩きながら、シエラが身を乗り出して反論する。
確かに、国宝院家は国内最高の探索者ギルドを運営している。情報量で言えば九奈白に次ぐ上、こと魔物に関しての情報であれば上回る程だ。しかしオリハルコンほどの希少素材ともなれば話は変わる。探索者協会の公式記録によれば、これまで国内で見つかったのはたった二例のみ。発見者や発見場所も秘匿された、酷く胡散臭い記録だけなのだ。故に当然、シエラもオリハルコンなど見たことがなく、本物かどうかなど判断出来ない。だからこそ一方的に抱いているライバル意識を抑え込んでまで、凪に鑑定を頼んだのだ。
だが実際に鑑定を行ったのは凪ではなく、そのお付のメイドと怪しい転入生である。おまけにその鑑定結果を、あろうことか凪が肯定したのだ。マイナー食材の試食会でもあるまいし、仮にシエラでなくとも待ったをかけるであろう。しかし凪は元々、今回の話を聞いた時から鑑定は織羽に任せるつもりでいた。シエラは知る由もないことではあるが、ダンジョン素材に関してこの場で最も優れた鑑識眼を持っているのは、他でもない織羽なのだ。加えて想定外ではあったが、クロアが付いてきたのもある意味ラッキーだったと言える。一人よりも二人の方が鑑定の確度は上がるのだから。『一位』とその同僚が声を揃えて断言するのなら、間違いはないだろう。
「疑いたくなるのも分かるけれど、この子が言うなら間違いないわ」
「だから何故ですの!? まさかそこのメイドが、アナタより優れた目を持っているとでも言うつもりですの!?」
「そういうことになるわね。というより……私も流石に、オリハルコンの現物は見たことがないわ」
「だから、それはそっちの二人も同じでしょう!」
やいのやいのと騒ぎ立てるシエラ。その喧しさに耐えかねてか、目を閉じて耳を塞ぐ凪。
シエラがそう言いたくなる気持ちは、凪にもまぁ分かる。だがどう説明しろというのか。まさか『実はそこのメイドはとある組織に所属する、今なお序列一位の元探です』などと言える筈もない。またクロアに関しても同様だ。その実力の詳細は凪も知らないが、しかし織羽の同僚というのであれば只者である筈がない。何しろ、二人の上司はあの『五位』なのだから。しかしそんな凪の心中など知らぬシエラは、とにかくまぁクレームを吐き続けた。
「先程の『あ、カメノテだ』『お吸い物にすると美味しいよね』みたいな適当な会話を聞きまして?! これが何なのか、本当に理解しているのかすら怪しいですわよ!?」
「その妙に具体的なたとえは何なのよ……」
そうは言いつつ、凪もまた『反応が淡白過ぎでは』とは思っていたのだが。
* * *
クレーマーと化したシエラをいなすこと数分。
いい加減に帰りたくなってきた凪は、漸く落ち着きを見せたシエラへと向き直った。
「それで、どうするのかしら? 加工も『Le Calme』でするの?」
「……出来ますの?」
技術、人格、態度。それらを踏まえて凪自身が選んだのだから、所属している職人の腕には自信がある。だがオリハルコンの加工など、天下の『Le Calme』ですら未だ経験がないのだ。加工し易いのかもしれないし、ひどく難しいかもしれない。というより凪は、オリハルコンを何かしらの探索者用装備に加工したという話を聞いたことがなかった。まさか自分が『既に何度も見ている』上、『一度はその手に持ったことがある』などとは知る由もない。ともあれ前例が無い以上、こればかりは断言が出来なかった。
「正直なところ、やってみなければわからないわね。まぁ一応、アテが無いことはないかしら」
そう言って凪はちらと、すぐ隣へ目配せをする。
本人から聞いたわけではないが、しかし凪は確信に近い予想を立てていた。発見者も発見場所も公開されていない、真偽すらも怪しいオリハルコンの発見例。成程、どこかで聞いたような話ではないか。それもつい最近だ。凪が目配せをしたその先には、顔も名前も公開されていない、実在するのかすら怪しい『一位』が座っていた。織羽の先程の反応を見るに――――下手をすればいくつかの在庫まで抱えていそうな、そんな気配すらあった。
昔と違い、今の凪は他人を頼る事を少しずつだが覚えている。
悪い意味ではなく、ただ自分に足りないところを少しだけ補ってもらう。力を貸してもらう。寄りかかり引き上げてもらうのではなく、支えてもらい共に歩く。そうした頼り方を、少しずつだが彼女は学んでいる。何でも一人でやろうとしていた頃を考えれば、これは大きな成長であると言えるだろう。そしてきっと、織羽は力を貸してくれるだろう。凪には何故かそんな予感があった。隣でクロアとケーキの取り合いをしている姿には若干の不安を覚えているが。
「……まぁ、アナタがそういうのなら大丈夫でしょう。ならお願いしますわ」
「そ。それじゃあ後で日時を送っておくから、うちの工房まで持ってきて頂戴。あと、失敗しても文句は言わないように」
「私はそこまで器の小さい女ではありませんわよ」
「すれ違う時に肩をぶつけたというだけで、きぃきぃと癇癪を起こしていた女のセリフとは思えないわね」
「ぐっ……あの時は機嫌が悪かったんですのよ。それにどのみち、一般の工房になんて怖くて持ち込めませんわ。アナタのところでダメなら、それはそれで諦めがつきますわ」
そうして話が纏まった頃には、既に日が沈み始める時間となっていた。
国宝院家所有のマンションということもあり、元より長居するつもりもなかった凪だ。現物の確認と制作の引き受けが終わったことで、さっさと帰りたいという気持ちがより強くなっている。凪はおもむろにソファから立ち上がると、遊んでいた駄犬と駄猫を引き連れその場を後にした。途中、エントランスホールには花車騎士とはまた別の探索者達が屯しており、そこにいた誰もが『まさか』と言ったような表情を浮かべ、呆けるように凪達を見つめていたという。
100話!




