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さようなら、見知らぬ理想のアナタ


「ギルバート・シュタイナーです。ディアナ様、お初にお目にかかります」


 低く歌うような声と共に、銀髪の貴公子は美しい礼をとった。

 彫刻のように均整のとれた肉体、北国出身者の中でも飛び抜けて白くきめ細かい肌、理知的でありながらどこか夢見がちな緑色の瞳――妖精と言われた方が信じられるほどに(うるわ)しい貴公子の登場に、ディアナの側に控えていた使用人たちは性別を問わず視線を惹きつけられ、息を呑む。


 しかし、その完璧な笑みを向けられた当のディアナの表情には一瞬、なんとも言えない苦いものが走り抜けていた。

 それはほんの一瞬、本人ですら意識しなかったほどの僅かな時間で。すぐにそんな感情は跡形もなく拭い去られ、彼女は貴婦人然とした穏やかな笑みを浮かべる。


「お会いできる日を心待ちにしていましたわ、ギルバート様。ディアナ・グロールです」

「めごぇ……」


 ディアナと目が合ったギルバートは思わずといった様子で何かを呟きかけ、そしてハッと言葉を切った。

 あからさまに不審な反応にディアナは首を傾げるが、彼女と目を合わせようとせずギルバートは気まずそうに目を逸らす。そして、無愛想に「ああ」とひと言だけ呟くと口を(つぐ)んでしまった。

 相手を突き放すような冷淡な反応に、場が凍りつく。しかしディアナは挫けずに、努めてにこやかに言葉を続けた。


「こうして顔を合わせることこそ今日が初めてですが、私たちには共に積み重ねた時間があると思っています。婚約が決まってから五年、交わしたお手紙がその(あかし)。ギルバート様から頂いたお手紙は、どれも私の大切な宝物ですわ」

「……そう、ですか」


 ギルバートが僅かに言い(よど)んだことに気がつきつつも、ディアナは素知らぬ顔で笑みを作る。


「ギルバート様の語る北方の生活は新鮮で、王都での暮らししか知らない私に新しい物の見方を教えてくれました。四季折々の暮らしや景色、日々の鍛錬の様子――貴方の手紙が綴る世界に、どれだけ想いを馳せたことでしょう」

「ありがとうございます。私も、ディアナ様との文通にいつも慰められていました」


 そう述べながらも、ギルバートの答えはそっけない。どこか用意した原稿を読み上げているだけのような白々しさが漂っている。

 浮かべる表情もまた、最初の挨拶から少しも変わらない。それは、彼がこの出会いになんの関心も寄せていないことを却って雄弁に物語っているかのようであった。


 そこまで考えてから、ディアナはそんな彼の耳たぶがほんのりと朱に染まっていることに気がついた。

 こう見えて一応、緊張はしているのだろうか。それとも、苛立ち? すんと取り澄ました表情からは、彼の感情はなかなか読み取れない。



 その後も会話は弾まず、無為な時間が流れていく。やがて見計らったようにギルバートは席を立った。


「本日はお会いできて嬉しかったです、ディアナ嬢。グロール家に婿入りするまでの一年間、これまでより一層貴女との仲を深めていきたいと考えています。そのためにまた、ディアナ嬢のお時間を頂くことをお許しいただけますでしょうか」


 これだけ長く彼の声を聞くのは、この茶会の中でこれが初めてではないだろうか――そんなつまらない感想が、ディアナの脳裏をよぎる。

 言っている内容は誠実なのに、あまりに一本調子なためにまったく感情がこもっていない。まるで誰かに言わされているかのようだ。


「……もちろんですわ」


 でも、そんな思考などおくびにも出さずにディアナは鷹揚(おうよう)に頷く。


「玄関までお送りします、ギルバート様。本日はお会いできて良かったです――」


○   ○   ○   ○   ○   ○   ○


 芸術品のように美しい男性が、北の辺境領からやって来た――そんな噂が情報に(さと)い貴族界を駆け巡ったのは、それから三日も経たぬうちのことであった。


「噂のギルバート様、私もとうとうお見掛けしましたの! 本当に、評判に(たが)わぬ美貌の君で……今でも思い出すだけで胸がどきどきしてしまいます」

「あれだけ美しいと、もはや羨ましいという気持ちすら感じないのですね。ただただ、素晴らしい芸術を鑑賞させてもらったという感動を覚えましたわ。口数が少ないところも素敵! まさに『氷の宝石』といった風情ですわね」


「それにしても、あんな素敵な婚約者がいらっしゃることを今まで隠してらっしゃったなんて、ディアナ様ったらあんまりよ!」

「そうは言われましても、私も、実際にお会いしたのはつい最近のことで……」


 茶会で盛り上がる令嬢たちの話題に、ディアナは微笑みながらも控えめに答える。


 父が自分の後継としてギルバートと挨拶に回っているため、噂の美男子が彼女の婚約者であることは早いうちから広まっていた。

 おかげで最近は、どこに顔を出しても話題はその婚約者のことばかりだ。今では『氷の宝石』なんて呼び名まで定着している始末。


 心が通っているとは言いがたい婚約者のことを話題に出されるのは、ディアナの心をすり減らす。あれから二度ほど彼とは顔を合わせているが、会話の続かなさは相変わらずなのだ。

 会話も少ない中で、気まずくお茶を飲んで解散するだけの時間。それなのに毎度毎度次の約束を取りつけて帰っていくギルバートの心がわからない。


 だが、ディアナの感傷などお構いなく無責任な噂話は繰り広げられていく。


「そういえば最近、エリーシャ様がギルバート様にご執心のようよ。先日まで騎士団長に夢中でしたのに、呆れたこと」

「あの方、本当にお顔の良い男性がお好きですのね。苛烈(かれつ)な方だから、ディアナ様に嫌がらせなどしないと良いのですけれど」

「その時にはご相談くださいね、お力になりますわ」

「……ええ。ありがとうございます」


 憂鬱な噂話と親切に見せかけた好奇の視線は、ディアナの気持ちをさらに滅入らせる。

 それでも、貴族としてそんな感情を出すわけにはいかない。引き攣りそうな口角を必死に上げて、そつなくお茶会をこなしていく。

 そうして人知れぬ疲弊感を抱えて、ディアナは屋敷へと帰ったのであった。


○   ○   ○   ○   ○   ○   ○


「少し一人にして頂戴」


 温かなお茶を受け取って人払いをしたディアナは、そっと息をついた。

 静まった自室に身を置くことで、ようやく呼吸ができるようになったような感覚。ハーブティから立ち昇る温かな湯気が、少しずつ緊張をほぐしていく。


 そうして少しだけぼんやりと思索を巡らせてから、ディアナはワードローブの抽斗(ひきだし)を開けた。

 慣れた手つきは迷うことなく、その奥に隠された小さな文箱を取り出していく。


『拝啓ディアナ様 お元気でしょうか。こちらはようやく雪融けの兆しが見えてまいりました。ひび割れた湖面の氷はまるで宝石のように煌めいていて――』

『拝啓ディアナ様 先日の歌劇のお話、大変興味深く拝読しました。こちらで最近楽しんだ娯楽と言えば、春畑の泥踊りです。私も全身泥まみれになりながら――』

『拝啓 ディアナ様 そちらはもう初夏の折でしょうか。こちらもようやく青々とした若葉が茂るようになり、家畜の出産の時期を迎えました。領民皆、昼夜総出で――」


 5年もの間、婚約者と交わした手紙。何度も目を通した文章ではあるけれど、それでもその文面を見ればディアナの頬は自然と緩んでいった。


 生き生きと綴られた筆致は辺境の素朴な生活を鮮やかに描き、そこに生活する差出人の気取らない朴訥(ぼくとつ)とした性格を映し出す。

 領民と共に厳しい自然に立ち向かい、美しい自然に心を奪われ、そしてたまに失敗する――そんな等身大の差出人の姿は、ディアナの心を和ませる。


(――ああ、そうだ。私はこの手紙に出てくる『ギルバート様』に恋をしていた。でも、きっとこの『ギルバート様』は私の婚約者のギルバート様ではないのね……)


 胸にツキリとした痛みを覚え、ディアナはそっと胸に手をやった――。



 もともとディナは、貴族にしては珍しい恋愛結婚に憧れがあるタイプであった。

 といっても、政略結婚を否定しているわけではない。ただ、政略結婚をするにしてもお互いの気持ちが通じ合ったうえで結ばれたい――そういう想いをもっていたのである。


 だからこそ、ギルバートの文通は心強かったのだ。

 顔を合わせることができなくてもお互いのことを知りたいと思ってくれている、同じ時間が過ごせなくても想い出を共有しようとしてくれている――そう感じられたから。

 便箋が重なるにつれ、二人の距離は縮まっていく。やがてディアナは素朴なギルバートに自然と心惹かれていったのだが……。


(実際にやってきたギルバート様は、どう考えてもこの手紙を書いた方とは思えない)


 手紙から窺えるギルバートの人柄は饒舌(じょうぜつ)で誰とでもすぐ仲良くなれる、屈託のないまっすぐな青年であった。

 領民と交わるのが好きで、生き物が好きで、嘘をつくのが少し苦手――そうして浮かび上がるのは、実際のギルバートとはかけ離れた人物像。


(この手紙を書いた『ギルバート』様は、どこにいらっしゃるのでしょう……)


 決して会えないことを知りつつも、そんな想いを馳せてディアナは重たいため息を吐き出したのだった。


○   ○   ○   ○   ○   ○   ○


 ――それでも、流れる月日とともに人との関係は変化していく。


「先日お薦めいただいた小説、拝見しました。ディアナ様の選ぶ物語はどれも間違いないですね、今回も夢中で読み耽ってしまいました」

「喜んでいただけたようで嬉しいです。私、そのお話の主人公が好きですの。健気で一生懸命な姿が眩しくて」

「確かに魅力的な主人公でした。ただ、私は主人公よりもその叔母であるカミラ夫人に惹かれましたね。夫を亡くしてもなお、家を守ろうとする気高き女性――そんな彼女だからこそ、主人公を叱咤(しった)する場面に心を動かされました。あの厳しくも温かい言葉が、彼女の人生そのもののようで」

「ええ、ええ。わかります! 私も、カミラ夫人がお気に入りで! 出番が少ないのに同じ登場人物を好きになるなんて、私たち気が合いますね!」


 思いがけないギルバートの感想に、ディアナは思わず身を乗り出す。

 そんな反応に驚いたように言葉を切ったギルバートはしばらく黙り込んでから「そうですね」と、一言だけぶっきらぼうに頷いた。

 しかし、そんな愛想のない反応をされても、ディアナはもうそこまで傷つくことはない。


 何度か重ねたギルバートとの逢瀬は、彼への理解を少しずつ深めていった。そうして見えてきたのは、彼の誤解されやすい本質だ。

 どうやら彼は無口なのではなく、気持ちを言葉にするのが苦手らしい。「元々話すつもりだった言葉」であれば淀みなく口にできるものの、想定外の対応をされたり用意していなかったことを聞かれたりすると、言うべき言葉を見失って黙り込んでしまう。それが無表情な外見と相まって、相手に突き放されたという印象を与えてしまうのだ。

 でも、それは決して彼の本意ではない。


 そうして気がついてみると、ギルバートの不器用な行動も微笑ましく思えてくるのだから不思議なものだ。

 滔々と話すときの彼の言葉が白々しく聞こえるのはあらかじめ用意してきた内容だからで、常に無表情なのは不機嫌だからではなく感情を表すのが苦手なだけ。

 そんな彼の誠実な本質は、エスコートや何気ない気遣いにちゃんと表れている。


 途絶えがちな会話の中で、徐々に本の好みや考え方が自分と近いことも見えてきた。

 文通していた頃の焦がれるような想いには届かなくとも、ギルバートに好ましい感情を抱くようになってきたことはディアナも自覚がある。


 思うところは色々あるけれど、彼とならこれからも落ち着いた良い関係が築けるだろう――それは、ディアナがそう思い始めた矢先の出来事であった。




 何度目の逢瀬だっただろうか。ある日のお茶会で、庭の木の枝に見慣れぬ美しい小鳥が止まったのだ。

 ハッと目を引くその色に、ディアナは思わず感嘆の息を洩らす。エメラルドのような輝く翠色の身体に、燃え上がるような翼の緋色がよく映えて美しい。


「珍しい小鳥ですね」

 何気なくそう呟いてギルバートを見上げたディアナは、ぎくりと硬直した。おもむろに立ち上がった彼が、無言のまま地面から石を拾い上げたからだ。

 何をするつもりなのかわからず黙って彼の行動を見守るディアナを前に、手頃な石を拾い上げたギルバートは美しい投擲のフォームをとる。


「何を――」

 ハッと気づいたディアナが制止の言葉を発するよりも早く、ギルバートの手に握られていた石は放たれた。

 ヒュン、と風を切る音。小鳥に向けて投げられた石は、あやまたずその身体を打つ。


 (むくろ)となった小鳥がどさりと地面に投げ出されるまでのその時間は、ディアナが息を呑む時間もないほどにあっという間であった。

 生きる喜びを(さえず)っていたくちばしは力なくだらりと開かれ、二度と羽ばたくことのない翼は一気に輝きを失っていく。

 先ほどまでの愛らしい小鳥が一瞬で死体となり果てたことに思考が追いつかないまま、ディアナはわなわなと唇を震わせた。


「ギル、バート様……」

 どうして、と掠れた声が聞こえなかったかのようにギルバートは落ち着き払った様子で振り返った。その瞳には、なんの感情も浮かんでいない。


「恐れ入ります、ディアナ様。急用ができましたので本日はこれで失礼させていただきます」

「え? あの……」

「また、連絡いたしますので」


 ショックを受けているディアナを一切気遣うことなく、ギルバートは急ぎ足でその場を去っていく。一瞬だけ足を止めたのは、足元の鳥の死骸を拾い上げた時だけ。

 振り返ることのないその背中を、ディアナはただ茫然と見送ることしかできなかった――。



 しばらくして、吹く風の冷たさにディアナは身をぶるりと震わせた。

 周囲の静けさに、先ほどの出来事が夢だったのではないかという気持ちすら浮かんでくる。だが、足元に残る血の跡は何よりも如実に現実を物語っていた。

 無理やりにそこから視線を引きはがして、震える声で使用人にその場の片づけを命じる。


(なんの躊躇いも、なかった)


 先ほどのギルバートの姿が目に浮かんで、気がつけばディアナは指先が白くなるほどに強く手を握り締めていた。


(優しい方だと思ったのに……あんな風に訳もなく突然小鳥を殺すような方だったなんて!)


 裏切られた、という想いに胸が張り裂けそうだ。失望と失恋に頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

 その日の晩、ディアナはなかなか眠りにつくことができなかった。


○   ○   ○   ○   ○   ○   ○


 ――翌日。

 ディアナは父から、思いも寄らぬ指示を受けた。王宮の災害特別対策室に行っているギルバートに弁当を届けてほしいというのである。


「特別対策室……ですか?」

「ああ。今、王都でのっぴきならぬ災害が差し迫っているんだ。ギルバート君はその災害対策の(かなめ)となっていてね。昨日から篭りきりだから、助けてあげてほしい」


 昨日から? あの事件の後すぐ、ということだろうか。一体彼に何が起こっているのだろう。

 ギルバートへの心配の気持ちがワッと湧き上がり、そして昨日の彼の残虐な一面を思い出す。

 自分は、彼のことをどう受け止めれば良いのか。あんなことを起こした彼と、これから先やっていけるのだろうか。




「お父さま、この件が終わったらギルバート様のことでご相談をさせてください」

 思い切ってそう切り出すと、ディアナの父は実に微妙な表情を浮かべた。


「もちろん、構わないとも。ただ、先にひとつだけ言わせてもらうなら……君たち二人は、どちらも本当に不器用すぎる。可愛いディアナ、君は貴族として自分を律するあまり本心を表すことを良しとしていないし、ギルバート君はギルバート君で……いや、これは私が伝えて良いことじゃないな」


 言いかけて、父はわざとらしく咳払いを挟んだ。


「とにかく、まずは現地に行って判断しなさい。きっと、()()()()()()()()()()が見られるはずだから」


○   ○   ○   ○   ○   ○   ○


 父の思わせぶりな言葉に首を傾げながらも、ディアナは王宮へ向かう。そんな彼女の足を止めさせたのは、普段あまり関わりのない女性であった。


「ご機嫌よう、ディアナ様」

「ご機嫌よう。貴女はえぇと……エリーシャ様でいらっしゃいますよね」


 王都へやって来たばかりのギルバートに熱を上げ、ディアナを一方的に敵視していると噂の女性だ。

 何か邪魔をされるのだろうかと内心で身構えるが、エリーシャは何故か憐れみの視線をディアナに向ける。


「お気の毒ね、ディアナ様。婚約者があんな方だったなんて。たとえ今回の災害対策で功績が讃えられたとしても、私だったらあんな方お断りよ」

「えぇと、なんのお話で……」

「美しくて寡黙な宝石のような貴公子だと思っていたのに、本当にがっかり! あなたには心から同情するわ」




 言いたいことだけ言ってしまうと、エリーシャは疾風のようにその場を去っていく。取り残されたディアナには、何が起きているのか少しもわからない。

 まさか、昨日の彼の蛮行がもう広まっているのだろうか。我が家で起きた出来事なのに? そんな悪い予感ばかりどんどん膨らんでいくディアナの耳に、不思議な言葉が聞こえて来た。


「んだばせばだばまいねびょん!」


 まるで呪文のようなその声は、紛れもなくギルバートのもの。エリーシャの言っていたことが気になって、ディアナはそっとその声が聞こえてきた部屋を覗き込んだ――。




「だはんでしゃべっちゅだべな、火喰い鳥はそったやり方では防ぎぎれね。はえぐすねど、手おぐえになるぞ」

「ギルバート、また言葉が乱れてるぞ。それでは意味がわからん」

「ああ、かにな…… いや、すみません。えぇと、火喰い鳥の対応はそれじゃ抑えきれねぇ、です。奴らは飛ぶのがはえ。偵察(てぇさつ)役が昨日居たで、今日中には王都にやって来るべ」

「とすると、やはり多少強引でも触れを出して民の生活を制限するしかないか……」

「んだ。さっきも言ったけんど、火喰い鳥はあちこちの火に飛び込む習性が危険だで。だはんで、街中の火は御法度(ごはっと)にすねど、こった建物多ぇどごろでは大火事になってまります」


 文官たちと厳しい顔でやり取りしているのは、間違いなくギルバートだ。なのに、彼は今まで見たこともないほどの饒舌(じょうぜつ)さで、耳馴染みのない(なま)り言葉を口にしていく。


「それでは速やかに触れの準備をととのえましょう」

「んだ。王都の衛兵たちとも連携すねばな」


 そうして文官と頷きあっていたギルバートがふと顔を上げた。その視線が、室内をこっそり覗いていたディアナの姿を捉える。


「ディアナ嬢!?」


 ギルバートがこんな訛った発音で自分の名を呼んだことなど、今までにない――そう驚きながらも、ディアナの心中にはほっこりした温かなものが広がっていった。

 対照的にギルバートの顔色は見る見るうちに蒼白になっていく。


「も()かして……今の会話、聞いてたですか?」

「ギルバート様、ご機嫌よう。少しでもお力になりたいと思いまして、差し入れを持ってまいりました」


 硬直したままのギルバートに構わず、ディアナは笑顔で言葉を続ける。


「王都を守る重要な任務に就かれていると伺っております。無事お仕事が終わりましたら、またお話をお聞きしたいですわ」


 ギルバートは言葉を失って視線を彷徨(さまよ)わせるが、ディアナは意に介さない。「ああ、それと」と付け加える彼女の笑みは、満開の花のようだ。


「私、アナタの今のお姿を拝見できて本当に嬉しいのです」


○   ○   ○   ○   ○   ○   ○


 ――数百年ぶりに王都に襲来した火喰い鳥の群れ。しかしそれは、ギルバートの提言によって歴史上稀に見るほど少ない被害で対処することができたのだった。


 王都ではほとんど見ることのない火喰い鳥も、辺境ではそれなりに身近な存在だ。その脅威も対処法も、ギルバートは非常によく知っていた。そうでなければ、全身に火を纏った火喰い鳥が王都を飛び交い、街は大火に燃え落ちていたに違いない。

 先導役となっていた先頭の火喰い鳥がギルバートの前に現れたのは、本当に幸運なことだったのである。


 そしてそんな彼の功績とともに、「氷の宝石は実は純朴な田舎の青年だった」という評判も広まっていったのだった。

 無口で無表情な美青年、というロマンを抱いていた女性たちからは失望の声も上がったが、周囲からの評価は概ね好評だ。周囲から気さくに声を掛けられるようになり、ギルバートも喜んでいる()()()


 らしい、というのはつまり、ディアナはあの後まだ彼と話ができていないからで――。




「久しぶりです、ディアナ様。しばらく伺うことできず失礼しました」


 ――火喰い鳥事件から、十日。

 そう言って自邸を訪れたギルバートに、ディアナは冷たい視線を向けたのであった。


「その……やはり、怒っていらっしゃいますか?」

 恐る恐る尋ねる彼に、ディアナはつんと顎を逸らして答える。


「お忙しかったことは承知しておりますから、謝る必要はございません。そして、目の前で小鳥を殺したことも事情がわかりましたから、納得しております。私が怒っておりますのは……」

「おりますのは?」

「私に、あの話し方をしてくださらないからです! どうして私にはいつも気取った言葉でしか接してくださらないのです! 私だって、自然な姿のアナタが見たいのに……」


 勢いでそこまで述べてから、耐えられずにディアナは俯いた。

 『自分を律するあまり、本心を表してない』――それが父から受けた忠告だ。だからこそ素直な気持ちを言葉にしたのだが、慣れない行動は彼女を居た堪れない気持ちに追いやっていく。

 そんな彼女の頬を、そっとギルバートの右手が撫でた。


「お許しください、ディアナ様。貴女にそんな不安を与えてしまったことを心から謝罪します」

 ひとつひとつの言葉を確かめるように、ゆっくりとギルバート言葉をつないでいく。


「それでも、私は貴女に自分を良く見せたいという欲を捨てられないのです。お手紙を交わしていた頃から、私は貴女に惹かれていました。洗練されていて、思慮深く、優美で優しい貴女。だからこそ、私は自分が田舎者で泥臭いことが耐えられなかった」


 信じてください、と囁く声はほとんど息のように掠れていて、ディアナの耳朶をくすぐって離さない。真摯なその眼差しに焼かれ、ディアナの頬は火傷しそうなほどに熱くなっていく。


「私……ギルバート様の印象があまりに違うので、文通していた相手はアナタではないのかと思っていました」

「すまね。本当(ほんど)はもっと色々話すたがったけんど、訛りが出るのがおっかねぐで」


 訛り混じりに返してから、ギルバートは恥ずかしそうに「こうなるのです」と苦笑する。

 後悔したように赤面するギルバートの手を取って、ディアナは必死に首を振った。


「いいえ、いいえ。どうかご自分を卑下なさらないで。私がお慕いしているのは……恋に落ちたのは、他ならぬそんな飾らないアナタなのですから」


 私も、と眉尻を下げてディアナは秘めていた内心を剥き出しにする。


「婿にいらっしゃるギルバート様に恥ずかしい姿は見せられないと、本来の自分より随分背伸びした姿をお見せしてしまっていました。本当は私も自分の感情を素直に見せたいですし、社交辞令ではないもっと踏み込んだ会話を楽しみたいのです。本当は、私は……」


 ずっと、心にしまっていた自分だけの秘密の願い。否定されるのが怖くて、(わら)われるのが怖くて今まで一度も言葉にしたことがない自分の本心を、すべての勇気を振り絞ってディアナは吐露(とろ)する。


「本当は、恋愛結婚に憧れているのです……!」




 そっとその手を握り返されて、ディアナは自分がまだギルバートの手を握り締めたままだったことに気がついた。今更ながらに全身が熱くなるが、彼の手を振り解くことは叶わない。

 少しでも身じろぎしたら触れてしまいそうなほどの至近距離。彼の濡れたように輝く緑色の瞳に溺れてしまいそうだ。


「安心してけ。私はもう、とっくに貴女になさ惚れです」


 方言と普段の言葉遣いの混じった優しい言葉。それだけでもう、彼が今までどれだけ努力してディアナと会話をしていたのかが伝わってくる。


「なさ惚れって?」

「……ぞっこん、ということです」


 ふい、と顔を逸らしたギルバートの耳元が、まるで霜焼けのように真っ赤に染まっている。

 それを見て、ディアナは思わず吹き出していた。


「ギルバート様って、真っ赤になっても表情は変わらないのね」

「勘弁すてけ。雪国の(もん)は表情を動がすのが苦手なんです」

「私、本当に目の前のアナタのことが何もわかっていなかったのね」


 すぅ、と涼やかな風が駆け抜けていく。それがより一層ディアナには火照った頬を意識させる。

 気がつけば、その熱に浮かされるままに口を開いていた。


「私も、ギルバート様のことが大好きです。手紙を交わしていた頃から、そしてアナタの飾らない姿を見て、もっとアナタと共にいたいと思うようになりました。上辺(うわべ)だけのやり取りしかできない不器用な私ですけど……」

「その先は、私に言わせへでけ」


 そっとディアナを押し留め、ギルバートは彼女の足元に(ひざまず)いた。


「格好づげてばかりの自分ばって、貴女と一生を歩んでいきたいと思ってます。私と、結婚すてけ!」


 もちろん、とその手をとったディアナの唇から思わずといった様子で言葉が滑り落ちた。

「私たち、似た者同士だったんですね」


 本当に、と泣き笑いの表情を浮かべながらギルバートはそんな彼女をそっと抱き締めたのだった。



 手紙越しに思い描いていた、理想の婚約者サマ――ギルバートの胸の中でディアナは過去のことを思い返す。

 彼女の夢想するその姿は、その時の彼女にとって間違いなく最高の、理想的な相手であった。

 でも、それは本物のギルバートとは違う存在で。そして本物を知った今、その理想はもう取るに足らない偶像にまで風化してしまった。

 もうディアナは理想を思い描く必要はない。後はただ、目の前のギルバートと確かな絆を深めていけば良いのだから。


 ディアナの唇がそっと動く。――さようなら、見知らぬ理想のアナタ、と。


「何か言いましたか?」

「いいえ、ギルバート様。……愛しています、とだけ」


 ――そっと放たれた秘密の別れの挨拶は誰の耳にも届かぬまま、静かに風に散らされていった。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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※ギルバートのアヤシイ台詞の意味はこんな感じです

最初に顔を合わせた時の「めごぇ」・・・可愛い

災害対策室から聞こえてきた「んだばせばだばまいねびょん」・・・だから、それじゃダメだよ!


彼の訛りは東北をイメージしていますが、正確ではありません。そのあたりは異世界の訛り、ということで大目に見てもらえますと幸いです。




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以前、初めて東北に車で旅行した際に、農作業をしていた人に道を尋ねました。 一生懸命説明してくれているのに全く理解ができなくて、相手も困った顔をしながら深いため息をついていました。1人。ではなく数人。 …
北国育ちなら肌綺麗なんでしょうなぁ…!! 火喰い鳥なんて迷惑な鳥なんだ。見つけたら即殺せ!ってなるのも頷けます。 互いに歩み寄るのも素敵でした。お幸せに〜〜
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