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序章 開戦の朝 2

 駅には白煙がちらついていた。

太陽はとうに上っているが、その光が時折隠される。

線路の傍らにある建物の窓が煙を吐き出すのを、フェリックスは遠目に眺めていた。


 フルビェショフの町と駅は制圧された。

とはいっても大きな戦闘があったわけではない。

ルテニア軍の小規模な部隊のほとんどが戦うまでもなく捕虜となった。

夜明けをついた奇襲攻撃となったのである。

ごくわずかな兵士が抵抗を試みたものの、騎兵の突破力を前に何をすることもできなかったのだ。


 そんな中で数少ない反応を示したのが、駅近辺に駐屯していた部隊だった。

わずかに止まっていた貨車を盾に、敵兵士は反撃を試みた。

そうあっては騎兵の分が悪い。すかさず一個小隊六〇騎が馬を降り、徒歩兵として戦う判断をした。

『馬を降りることを騎兵でなくなることと思うなかれ』

フォン・ライヘル少将が普段から話していたことが、迷わず実行された形である。

それによって駅は制圧された。

幸いにもこの町には電信所はなく、攻撃を本国に通報されることはなかった。

しかしいくらかの書類のたぐいは燃やされてしまい、その煙が立ち上っているのだった。

 フェリックスは馬を降り、一方の手で手綱を持ちながら、もう一方の手で愛馬の体をなでる。

後方にいて直接戦闘に参加したわけではないが、長い距離を駆けていたし、銃声の中に身を置かせた。

本来、馬は大きな音が苦手な生き物である。

それをこんな環境に連れて行かなければならない。

すまないことだと彼は思った。

愛馬の黄褐色の毛並みは、汗で白く泡立っている。

じっとりと湿った感覚が、フェリックスの手を通して伝わってきた。

そんな愛馬をいたわりながら、駅舎の方へと歩き出す。

その間も煙は空へと立ち上っていた。


 駅舎の前には数頭の馬が繋がれていた。

その列にフェリックスも愛馬を繋ぐ。

そうしてから駅舎へ向かおうとしたが、引き返して愛馬の顔を撫でた。

どうにもその顔が寂しげに見えたのである。

「これからもよろしくな」

フェリックスはそう残し、駅舎へと入っていった。

 駅員の事務室は臨時の指揮所のようになっていた。

この襲撃を指揮した中隊長、ヴェレバ大尉はフェリックスの二期先輩にあたる。

彼は適当に片づけた机の上に小縮尺の地図を広げ、帳簿やらランプやら、その辺から持ってきたものを重石として載せていた。

旅団司令部で見たそれに比べ、より詳細に地形を描いた地図にはペンで線が引かれている。

ちょうどフェリックスたちが駆けてきたルートはそれをなぞっていた。

「司令部は何と言っている?」

地図から顔を上げたヴェレバ大尉がフェリックスにそう問うたが、彼は首を横に振った。

まだ旅団長との連絡は取れていないのだ。

「この辺りは魔素の密度が低いと言って、この丘まで行って連絡をすると言っていました」

フェリックスは地図に描かれた丘を指差し答えた。

その指先を見ながら、ヴェレバ大尉は小さくため息をついた。

少々不機嫌そうな空気をまとっている。

「魔法ってのも案外不便なもんだ。見えないものにたよるんだからな」

「そう……ですね。とにかく戻りを待ちましょう」

フェリックスにはそう答えることしかできなかった。

魔素。

魔法の行使に必要な要素の一つである。

いかに腕のいい魔法使い(チャロジェイ)と言えども、どんな場所でも好きに魔法が使えるわけではない。

魔法使い(チャロジェイ)がいて、指輪や杖のような法具を持ち、魔素のある環境で初めて魔法(マギア)が行使できる。

その密度には場所によって差があり、濃ければ濃いほど強力な魔法が扱える。

一般的に草木の多い環境の方が魔素は濃く、都市部では薄い。

ロドメリアは全体的に魔素が濃い傾向にあるが、微妙な粗密が存在するらしい。

その差をフェリックスは感じ取ることが出来ないが、魔術官(マギク)であるシャルロッテは鋭敏に読み取っているのだ。

見えないものがこの世界を支配している。

魔法とは無縁なフェリックスにはとても不思議に思えるのだった。

 シャルロッテの戻りを待っている間、事務室に二筋の細い煙が昇っていた。

紙巻の煙草を吸う二人が窓の外に人影を認めたのは、フェリックスがここへやってきてから十五分ほど経ってからだった。

シャルロッテと、その護衛としてヴェレバ大尉が遣わせた二騎の騎兵である。

小柄な赤褐色の馬から降りる、これまた小柄な姿。

彼女は騎乗したままの兵士たちに答礼し、こちらへ駆け出してくる。

腰から吊られ、左手が添えられたサーベルは、その先が地面を擦らんほどの高さにある。騎兵らしくないとフェリックスは思わないではなかったが、彼女の能力がこの戦争でいかな役割を果たすのか。それを見極めなければ答えを出すわけにもいかなかった。

 ドアをくぐってきたシャルロッテの敬礼する右手には、法具である指輪が輝いていた。軍服には少々不釣り合いな装飾のそれに載せられた宝石。それがうっすらと光を帯びている。魔法(マギア)を使った名残だった。

「フォン・ハインリッヒ少尉、旅団司令部への報告が終わりましたのでお伝えに参りました」

「ん。旅団長はなんと?」

ヴェレバ大尉は口元から煙草を離してそう問う。そして報告を聞いている間、煙草の灰が伸びていくに任せていた。

 正確を期せば、シャルロッテはフォン・ライヘル少将と直接話をしたわけではない。

彼の司令部にあってシャルロッテの直属の上官たる魔術副官、オルガ・カニア少佐を介して連絡を取り合っていた。

法具を口元に当てて魔力を込め、胸元へ当てている間は会話―――思考の行き来ができる。

そして突撃前にシャルロッテがやっていた腕を振り上げる動作は、野戦電話の呼び出しハンドルを回すようなものである。

「そういえば少尉、このあたりの魔素は薄いのか?」

「え?は、はい。逆に丘の周辺は魔素が多く、伝達距離も稼げたので……」

ヴェレバ大尉の問いに一瞬だけ不思議そうな顔をしたシャルロッテだったが、すぐに視線を地図に落として説明を始めた。

遠くを観測するために高地を取るというのは野戦の基本だが、その重要さは魔法を扱う時にも同様だった。

伝達魔術や探知魔術を遠くまで送ろうとするのなら、高い場所に陣取った方がいいのである。

そういった点においては、魔法は光や音に似たものかもしれない。

「……わかった。この地図で魔素の多い場所に印をつけておいてくれ。俺は中隊に戻る。参謀、後は頼んだ」

そう言い残してヴェレバ大尉は部屋を出ていった。鋲を打ったブーツが立てる木の床を削るような残響が消えた頃、フェリックスは「少尉」と声をかける。

「ああ見えてヴェレバ大尉は道理にかなったことに余計な口出しはしない。そんな意外そうな顔はするんじゃない」

シャルロッテは目を丸くしながらフェリックスの顔を覗き込む。

「見てたんですか?」

「それだけ顔に出てればなぁ」

「あの人、どうも魔法(マギア)嫌いっぽくて……」

自分の目に見えないものや、それを扱う人間へ不信感を抱くことは仕方のないことかもしれない。

ゆえに魔法や魔法使いを嫌う者は少なからずいる。

かつては迫害じみたことが行われたこともないわけではない。

しかし魔法使い(チャロジェイ)魔力のない者(ニェーチャ)だなどと言っていては戦争ができないのである。

そしてガリーツァは魔法使い(チャロジェイ)の割合が比較的多い国。

それを排除しては社会が成り立つはずもないのだ。

好き嫌いにかかわらず、いるのが当たり前なのである。


 一方で魔力のない者であっても魔法(マギア)に抵抗感のない者もいる。

フェリックスはそちら側の人間だった。それもあってか、シャルロッテは彼に気を許している節がある。

司令部にあって魔術副官部の外に出た彼女が行く先と言えばおおよそフェリックスのもとだった。


 ヴェレバ大尉が残していった仕事は情報の整理が主だった。

参謀の本来の仕事である。

シャルロッテが言いつけられていた場所ごとの魔素の密度のほか、現在の部隊の戦力や弾薬、食料その他の量。

そして死傷者の数。

把握すべきことはいくらでもあった。

じきに町の方を占領しに向かった連隊主力の二個中隊がこちらにやってくるはずである。

それまでに手元の仕事はまとめておきたかった。そんな作業をしている中で、「あの」と声がかかる。

シャルロッテである。

「これからはこの駅からルテニアの方へ延びる線路に沿って進撃していくんですよね?」

「そうなるな。だがそう簡単じゃない」

「……というと?」

その問いに答える前に、フェリックスは窓の外へ目を向けた。

彼のものも含めて、数頭の馬が長い留め木に繋がれている。

彼らもしばらく休む暇はないだろう。

「本国からおよそ二十キロメートルを俺たちは馬で来た。だが現状では歩兵は歩いてこなければならないし、馬車で弾薬や小麦や飼葉のような糧秣(りょうまつ)も運ばなければならない。そんな貧弱な補給線では戦争が成り立たないんだ」

「本国から線路を敷かなければならないということですね」

「そうだ。しかも面倒はまだあるぞ?」

わざと意地悪な口調でそう言ってみせる。

するとシャルロッテは露骨に顔をしかめて返してきた。

まだ何かあるのかと言いたげである。

「ここの路線は軽便鉄道。線路の幅は六〇〇ミリメートルだ。そして我が国の官営鉄道は一四三五ミリメートル幅の線路を採用している。ということは?」

「どこかで貨物の積み替えが必要ということですね。うっわ……」

シャルロッテが声を漏らして憐れんだのは、積み替えをする荷役たちか、はたまたその計画を立てる輸送担当の将校か。

どのみち彼らは大仕事である。

銃を撃ちあい、サーベルで斬り結ぶだけで戦争ができればどれだけ楽だろうか。

それらは実際には戦争どころか、そのはるか下の要素である戦闘の一部分にしか過ぎないのである。

近代戦争とはかくも非効率で、地道で、華やかさに欠け、得られるものに対して失うもの多大にも関わらず、国家はそれを必要とする。

なんと不合理な選択だろうか。

戦争を仕事にしているはずの二人は、そんなことを考えていた。

「質問だが……魔方陣を描いて杖を振れば、そこから線路が湧いて出るような魔術はないのか?」

「あれば苦労はしませんけど、それは魔術(マギア)じゃなくて夢の世界の話ですね。それにあったとしても、使えば国中の魔素が無くなっちゃうと思いますよ?」

当然の返事に、フェリックスは「だよなぁ」とつぶやいた。

ともかく戦争は始まったばかりである。

これから続くであろう苦労を前に、楽を考えてしまうのは人の性かもしれない。

そしてそんな簡単な方法など存在しないことは誰の目にも明らかだった。

それでも彼らは一歩一歩前に進んでいかなければならない。

そうすることが、彼らの義務なのだから。

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