商売の駆け引き
「言い値はダメよ、ダメダメ」
「ですが、奥様。やはり、付き合いというものがございますので……」
「だったら、もういいわ」
これ以上は時間のムダ。ピシャリと言ってから立ち上がった。
マックは、執務机をはさんだ向かう側で焦りまくっている。彼は、禿頭のわりには口髭と顎髭はムダにフサフサしている。
結局のところ、彼とわたしとは合いそうにない。考え方も相性も。
どうやら彼は、この業界において「レディはしゃしゃり出てくるな」、という男性上位主義者みたい。
「マック、取引先はあなたひとりではないから。残念でならないわ。燕麦の人気は、国の内外で急上昇しているというのに。義父の知り合いの商人だというから声をかけさせてもらったけど、わたしが『レディ』だという理由で取り引きが出来ないなんて……」
得意の不敵な笑みを添えておく。
「いえ、けっしてそんなわけでは……」
「話は終わったわ。どうかお引き取りを」
「お、お待ちください」
マックの必死の呼びかけが背中にあたるに任せ、執務室を出た。
モーガンは、きっと面白くないでしょう。
でもまぁ、わたしは面白いからいいわ。
いったん自室に戻り、ふたたび執務室に行く前に厨房によってお茶とスイーツをせしめようと考えた。
もうすぐ領地に行き、燕麦の収穫状況を確認しなければならない。さきほどやって来たマックは、その燕麦を他国の商人に売りさばく仲買人のひとり。それが、他国の商人の言い値で売ろうとしている。
マックは、あきらかに賄賂を受け取っている。
彼は、以前モーガンがギャンブルに依存していた際に何度も金貨を融通していた。その縁で、燕麦の仲買人をしてもらっていた。しかし、もうそろそろ彼のことは切ってもいいと思う。当時の借りは、充分返せている。それどころか、何倍も儲けているはず。
「サナ。おまえ、マックを虚仮にしただろう?」
案の定、マックは侯爵家を辞す前にモーガンに訴えたみたい。
モーガンがすごい勢いでやって来た。
「ええ、モーガン」
モーガンのことは、ぜったいにお義父様とは呼ばない。それから、アイラのこともお義母様とは呼ばない。
「彼は、自分の利益のことしか考えていません。もう充分でしょう?」
モーガンは、渋くてそこそこの顔に苦笑を浮かべた。
「まったく気の強いレディだ。だが、そうだな。借りは返した。おまえがそう言うのなら、そうなのだろう」
(へー。めずらしいことを言うのね)
すこしだけ意外だった。
厨房に行くと、料理人は休憩に入っていた。だから、彼とわたしのお茶を淹れ、スイーツを出して厨房で立ったまま飲んで食べた。その間、とくに会話をするわけではない。
口を開いたのは、飲んで食べたあとである。
「アイラは?」
「店だ。年甲斐もなく、あっちの店、こっちの店と飛びまわっておる」
「いやだわ。レディを蔑ろにするのはあなたの悪い癖よ、モーガン。アイラは、まだ若いわ。あっちこっち飛びまわっているのがまだ若い証拠なのよ。わたしも助かっているの。モーガン、あなたもたまにはいっしょにまわって欲しいわ。男性だってダイエットや健康意識の高い人がいる。上流階級になれば、その意識は高くなる。そういう人たちに、燕麦の良さを教えてあげて」
「わかった、わかったよ。あんなドロドロした食い物、どこがいいんだかね。だが、たまにはアイラと街をぶらつくのもいいだろう」
「そうよ。ドロドロした食い物でもいまの流行なんだから、大きな顔をして宣伝してちょうだい。アイラと一緒にね」
彼は、そう言いながらでも毎朝いろいろなレシピを試してくれている。そのことを、わたしは知っている。
ティーポットにお茶を淹れ、カップとともに盆にのせた。
あたらしいレシピとして考え出した燕麦のスイーツがあるので、それも盆にのせた。
燕麦のマフィンである。小麦のかわりに燕麦を用い、バナナとハチミツを混ぜて焼いてみた。
そのクッキー版もある。そちらは、すでに各店舗で販売したりレシピを公表している。
各屋敷や家庭で焼いてくれていることでしょう。
ドナルドソン侯爵家でも、「罪悪感のすくなくなるスイーツ」として、わたしが焼いてストックしている。使用人たちがどんどん食べるので、最近では焼いても焼いても追いつかないほどである。
それはともかく、マフィンとお茶ののった盆を胸に抱え、執務室に向った。