後編
アリエスは、公爵邸の自分の部屋で支度の終わったドレス姿を鏡で見ていた。
そこには、美しい令嬢がいる。
夜会に出席するために、刺繍とレースで飾られたドレス姿の淑女。
輝く金髪は結い上げ、小さな宝石で飾られている。
その髪には、レオに持たせられた妖精の世界の花が挿され、宝石に負けない輝きで美しく咲いている。
レオの魔力が施されている花は、時間が経っても萎れることはなく瑞々しい。
アリエスにその花を渡された侍女は、初めて見る花に戸惑ったようだが、美しく飾ってくれた。
「一度戻って、家族にお別れをしたいの」
アリエスのお願いをレオは聞いてくれた。
「扉が閉まる前に、たとえどこに居ようとも迎えに行く」
レオはアリエスの指に指輪をはめながら言った。
銀の指輪は、レオの髪が巻き付いているような気分にさせた。
鏡に映る自分の指には銀に輝く指輪。
そっと指輪をなでると、レオが側にいるような気持ちになる。
レオに出会ってから、王太子のことなど思い出しもしなかった。
あんなに想っていたのに、想いが途切れてしまうと現実が見えてくる。
この指輪が守ってくれる。
だから、夜会で王太子に会っても恐くない。
父親のディケンズ公爵が妻と娘をエスコートして王宮に登城した。
今夜の夜会は、王宮で開くひときわ大きな夜会で、王都に居を構えるほとんどの成人貴族が出席している。
ディケンズ公爵は、アリエスを大広間までエスコートすると、王と婚約解消の話をするべく夫人を伴って王の執務室に向かった。
最近は王太子が婚約者をエスコートしないことは周知され、アリエスが一人でいても不思議がられなくなった。
「アリエス様。とても綺麗な花ですね。
初めて見ましたわ」
アリエスの友人である侯爵令嬢シシリアと伯爵令嬢ハリエットが近寄って来た。
「いただきものなので、私も名前は知らないのです」
アリエスがレオを思い出して、頬を染めるのを見逃す令嬢達ではない。
「まぁ、アリエス様。詳しくお教えくださいませ」
「久しぶりにアリエス様の笑顔を見た気がしますわ」
アリエスよりも嬉しそうに二人が言うのを、アリエスも嬉しそうに見る。
王太子が男爵令嬢を側に置くようになってから、アリエスの表情は固いものになっていた。
王妃教育を受け、表情に出すまいとすればするほど、今までの明るいアリエスから遠ざかるのは当然のことだった。
アリエスの笑顔を見て、人々が集まって来る。
ディケンズ公爵家は王家に引けをとらない最高権力の家なのだ。
公爵が溺愛している美しい娘。
男爵令嬢の実家である男爵家が近隣貴族とトラブルを起こした折に、王太子が軍司令部の許可を取らず独断で1部隊を派遣したのだ。
しかも、それは男爵側が隣接する伯爵家の領地にある湖から勝手に用水路を作り、水の利用を始めたことが原因なのに、兵の派遣で伯爵家を無理やり抑え込んだのだ。
王太子への不信が集まっている今、貴族達は王家側の保守派と若い貴族が多い革新派に分かれつつある。
その革新派の中心になるであろうディケンズ公爵家である。
今現在は、両陣営に与してなく中立を保ってはいても、王太子のアリエスの扱いに感じないはずはない。
しかも、今日は王太子の側近であるギュフタフ・ディケンズは登城していない。
とうとう、切ったか、と誰もが思っていた。
人の騒めきを集めて、王太子が男爵令嬢をエスコートして夜会に現れた。
アリエスの存在を確認すると、ドンベル男爵令嬢ジャスミンがスティーブの腕に身体を寄せる。
そしてジャスミンが何やら囁くと、スティーブの表情が変わっていく。
「アリエス・ディケンズ」
スティーブが声を荒らげて、アリエスの名を呼ぶ。
アリエスが王太子を見つめると、スティーブは一瞬怯んだように見えたが、大股で向かって来る。
「ギュフタフをそそのかしたな!
俺の側近を辞意するだと!
この売女が! 実の兄まで誑し込むのか!」
スティーブの言うことは滅茶苦茶である。
「殿下、何をおっしゃられているのか、分かりかねます」
アリエスには、あの優しかった王太子がこのような言葉を言うなど信じられないが、本人が目の前で言っているのだ。
「お前が、側近達に言い寄っていると証言があるのだ。
それだけでなく、ジャスミンの部屋に猫やネズミの死骸を投げ込んで脅しているとは、情けなさすぎる」
身に覚えがないどころか、想像もしない言葉を王太子がアリエスに投げつける。
周りからは、信じられない、と言葉が挙がるが、保守派と革新派では意味が違う。
騒ぎが大きくなっていくが、これを抑えられる王も王妃もまだ大広間に現れない。
ディケンズ公爵夫妻との話が長くなっているのだろう。
簡単に婚約解消を受け入れられない、ということか。
アリエスは溜息をつきたくなる気持ちに蓋をして、王太子に対応する。
「身に覚えがありませんし、証言とはどういうことですか?
私はドンベル男爵令嬢の部屋を知りません。
そのような事をしようとも思いません」
「嘘を重ねるな!
男なら誰でもいいのだろう? とんだあばずれが!
お前が誘ってきたと本人達が言っているのだ」
王太子の側近である3人が前に歩み出る。
高位貴族の子弟ではあるが、王太子が男爵令嬢に入れ込みだしたと同時に素行が悪くなっていった男達でもある。
彼らが、アリエスから誘いを受けたと言っているのだろう。
証言にならないことは確かなのに、スティーブは信じているようだ。
「こんな女に正妃は務まらない。
破棄だ! 婚約破棄だ!
よくも長い間、本性を隠して騙していたな」
憎々し気にアリエスを見る王太子は高々に宣言する。
「僕はドンベル男爵令嬢ジャスミンを正妃とする。
ここにディケンズ公爵令嬢アリエスとの婚約破棄と、ジャスミンとの婚約を発表する」
こんな人を好きだったのか、これがアリエスの正直な気持ちだ。
別室では、王と父親のディケンズ公爵によって婚約解消がなされているであろう、とアリエスは確信している。
「どうぞ、お好きに。私には関係のないことですわ」
そのまま背を向け、場を去ろうとするアリエスに、かっとなった王太子が駆け寄る。
「ジャスミンは恐くて泣いたんだ! 謝罪しろ! 逃げるな」
大広間の騒動の知らせで駆け付けた王と公爵の目の前で、王太子の拳がアリエスを殴りつけた。
ドーン!
と大きな音を立てて、アリエスが後ろに弾け飛んだ。
「アリエス!!」
公爵の叫び声で、王太子が正気に戻る。
公爵が倒れて動かないアリエスに駆け寄るより早く、アリエスの周りに靄がかかる。
靄が晴れた時には、アリエスは銀髪の長身の美丈夫に抱きかかえられていた。
意識のないアリエスを大切そうに抱きながら、憎悪をこめて王太子を見る男。
「誰だ!?
曲者だ! 衛兵、こいつを捕まえろ!」
王太子の言葉に兵士が集まって来るが、剣を抜くことができない。
男が手をあげると、身体が動かなくなったからだ。
「お前が、アリエスを殴ったのか?」
レオは挙げた手をスティーブに向けた。
スティーブは後ろにいる側近もろとも放り投げられ、後ろの柱に叩きつけられた。
う、とうめき声をあげ身体を起こそうとする。
「違うの!
脅されて無理やりなの。
私を守って」
ジャスミンは、スティーブを助けに行くことなく、アリエスを抱いている男に駆け寄る。
スティーブは茫然とその様を見ている。
ジャスミンはレオに触れることなく、アリエスと同じように弾け飛んだ。
「触るな。
嘘をつく者の目は腐っている。腐臭が身体から漂っているぞ」
レオはジャスミンを見ながら、おぞましいとばかりに目を細める。
レオはそっと腫れているアリエスの頬をなでると、腫れはひき、アリエスの意識が戻って来た。
「レオ様」
アリエスがレオを見上げて微笑むとレオは愛しそうにアリエスを見る。
レオはそっとアリエスを降ろすと、皆が見ている中、アリエスに膝をつく。
「美しき姫君、アリエス・ディケンズ令嬢。
どうか私の妻となり、行く末永く私に寄り添わせてください」
レオが差し出した手に、アリエスが手を重ねる。
「はい。
レオ・フェルディハーン様、どうか私をお側から離さないでくださいまし」
レオがアリエスの手のひらにキスをすると歓声があがった。
「そいつは僕の婚約者だ!」
さっきは婚約破棄と叫んでいたスティーブが立ち上がり、レオに拳を向ける。
もちろん、レオに触れる前に弾き飛ばされるが。
「婚約はすでに解消されている」
大広間に響くようにディケンズ公爵が大声で言う。
信じられないとばかりに、スティーブが父である王を見るが、王は首を横に振ってスティーブを否定するだけだ。
「スティーブよ。
公爵の言う通り、すでに王太子とディケンズ公爵令嬢の婚約は解消されている。
理由はお前には心当たりがあるであろう。
それと、その者たちと情を交わしていたのは、そこに転がっているドンベル男爵令嬢である。
証拠も後で見せよう。警備兵や侍女、たくさんの証言が報告書で挙げられている。
部屋に死骸が投げ込まれたのも自演であるぞ」
がっくりと項垂れるスティーブが王太子の地位から落とされるのは、もう少し後になる。
「お父様」
アリエスがレオの手を取り、公爵の元に行く。
「レオ様の求婚をお受けしました」
公爵には、レオの現れ方からして人間の姿をしていても人間には思えない。
王族に劣らぬ豪華な衣装であるが、このような高位貴族も王族も知らない。
「アリエスを今夜貰い受けます」
レオが公爵に礼を取る。
「今夜だと!?」
レオの言葉に誰もが驚き、公爵は声を荒らげる。
「私はレオ・フェルディハーン。
妖精の世界をたばねる王だ。
今夜、2つの世界を繋ぐ扉は閉まる」
レオが手を開け広げると、誰もが見える形で金色の大きな扉が大広間に現れた。
追いついて来たビアトリス夫人が公爵の横に立つ。
「アリエス」
「お母様、私は望まれてレオに嫁ぎます」
アリエスはレオと手を繋ぐと扉の前に立った。
扉の中に入る前にレオが、公爵夫妻に再度礼をする。
「ご令嬢は誰よりも大事にすると誓う。
そして、毎年のこの日、一日だけの里帰りを許そう」
パタンと金の扉はしまり、光の粒が飛び散るように消えて行った。
大広間に残された人々は、言葉もなく見送るしかなかった。
それから毎年、変わらぬ美しさのディケンズ公爵令嬢は1日だけ里帰りをした。
お読みくださり、ありがとうございました。
なんとか1日で書き上げられてほっとしてます。
皆様にステキなハロウィンの夜を~~