前編
ハロウィンの夜に楽しくなっていただければ嬉しいです。
王道のお話しです。
ハッピーハロウィン!
ディケンズ公爵家の執務室には、当主のキャラハン・ディケンズ公爵、ビアトリス夫人、嫡男ギュフタフ、娘のアリエスと家族全員が集まっていた。
お茶を用意した侍女と家令を下げて、家族だけになると公爵が口を開いた。
「呼んだ理由は分かっておろう?」
公爵の視線は、娘のアリエスに向いているが、アリエスはそれには応えず下を向いている。
「王太子殿下は、すでに寵妃としてあの男爵令嬢に王宮に部屋を与えた。
まだ正妃を娶ってないのにだ」
公爵が言えば、ギュフタフも黙っていない。
「婚約者である我が妹を、あの男爵令嬢の下に扱うありさまに黙っておられない」
ディケンズ公爵が宰相、ビアトリス夫人の実家は国軍総省を牛耳るバカラ侯爵家。
ディケンズ公爵家は王家の柱なのである。
ギュフタフは王太子の側近でやがて父親の後を継ぐ存在である。
娘アリエスは王太子の婚約者として、幼い頃より教育を受け、すでに公務もこなしている。
「アリエス、私はお前を不幸にしてまで、婚姻を結んでほしくない。
お前と殿下の婚約は政略ではあるが、お互いを尊重できなければ成り立たないのだ。
政略とはそういう事だ。人質ではないのだから。
私は、今の殿下に娘を預けられない。それを覚悟しておくように」
公爵は婚約を解消すると言うのだ。
アリエスは顔を上げて父親を見る。
「それでも、殿下は優しかったのです。
いつも、いつも」
お慕いしていたのです。
言葉に出来ない想いがあふれる。
「アリエス、その殿下はもういない。
お前に理不尽なことばかり言うと知っている」
王太子の側近として、兄のギュフタフほど現状を分かっている人物はいない。
「父上、僕はこのままジゼル王国に旅立ちます。
王太子の側近を辞する書はここに、明日、夜会の前に殿下にお渡しください。
本来ならば己で出すべきでしょうが、少しでも早くコンラート殿下にお会いしなければなりません」
ギュフタフは父親に言うと、今度はアリエスに向き合った。
「明日の夜会は、控えた方がいい。
不穏な動きがある。殿下からはエスコートの申し出は来てないのだろう?」
男爵令嬢は王宮に部屋を与えられたとはいえ、まだ正式な寵妃ではない。
本来ならば、婚約者を優先すべきなのに、王太子は男爵令嬢を最優先する。
その男爵令嬢は自分にも色仕掛けをしてきた。
高位貴族の男性の多くにしているようだ。
ギュフタフは拒否したが、そうでない男もいたろう。
その一人が王太子であり、王太子の側近の中にもいる。
知らぬは王太子ばかりという事だ。
父親の気持ちも兄の労わりも嬉しい、だが、まだ好きなのだ。
何度も王太子と男爵令嬢が二人で寄り添う姿を見せつけられた。
『王妃の公務はおまえにやらせてやる、だから邪魔はするな』
心無い言葉を王太子から投げつけられた。
「お兄様、10年の間婚約者だったのです。どうしてこんな事に」
「あの男爵令嬢に会ってから殿下は変わってしまった。
今の殿下にはこの国を任せられられない。
たとえ王家唯一の王子だとしてもだ。
そして、継承権のある男は他にもいる。
ディケンズ公爵家の娘の政略結婚の相手として、スティーブ王太子は相応しくない、ということだ」
兄は政略の相手ではなくなったから、アリエスの非ではなく他に嫁げると言っているのだ。
大事にしてくれる相手に嫁げと。
ギュフタフは、そのままジゼル王国に向かった。
現王の姉姫がジゼル王国に嫁ぎ、二人の王子を産んだ。ジゼル王国の王位継承者であるが、この国シュルツバルの王位継承権も持っているのだ。
ディケンズ公爵家は優秀な第2王子コンラートを、次期シュルツバル王に据えようとしている。
ビアトリスは涙をこらえている娘アリエスの肩に手をやる。
「お父様の話は終わったわ。部屋に戻りましょう」
肩を震わせ無言で頷く娘、その気持ちは痛いほどわかる。
幼い頃より、娘と王太子は仲睦ましくお互いを必要としていたはずなのだ。
王太子は娘を裏切っただけでなく、ディケンズ公爵家、バカラ侯爵家も裏切ったのだ。
部屋に着き、ベッドに座らすと優しくアリエスを抱きしめる。
「今日の食事は部屋に運ばせるわね。少しでも口にしなさいね。
殿下の心変わりに、ずっと悩んでいたのね、苦しかったわね。
明日の夜会は、どうしましょう?」
涙が一筋流れる。
耐えていた想いがあふれ出すように、涙は止まらない。
涙を流すアリエスを見て、美しいとビアトリスは思った。
アリエスは、貴人達が花に例える程に美しい令嬢であるが、恋に苦しむ娘は誰でも美しいのだ。
「大丈夫です。
明日は出席いたします。最後に殿下のお姿を見たいと思います。
私は、ディケンズの娘として教育を受けました。公爵令嬢としての矜持は無くしません。
ただ、今夜だけは許してください」
殿下のことを想う最後の夜として。
アリエスは気の弱い娘ではない、公爵令嬢としてプライドの高い娘だ。
好かれていない男に取りすがるなどしない、分かっているけど、好きだったのだ。
ビアトリスは、娘の額にキスを落とすと部屋を出て行った。
もうどれぐらい涙を流したろう。
いつの間にか寝ていたらしい、ベッドから起き上がり寝室を出る。
隣の居間には食事が用意されていた。
何も口にする気にはなれなかったけど、居間の机に置かれたデキャンタからグラスに水を注ぎ、一口飲むと身体が水分を欲していたと分かる。
窓のカーテンを開くと、もうすぐ朝陽が昇るころだとわかる。
陽の昇る様が、あまりに美しくて、また涙がこぼれる。
「これは、これは、美しい涙だ」
すぐ後ろから男性の声が聞こえ、アリエスは振り返る。
見たこともないほど美しい男性が立っていた。
銀の流れる髪に瞳も銀色だ。
それは、ありえない色で人間ではない、とすぐにわかった。
「驚かないか、肝の据わった娘とみれるな」
面白そうに男性が言う。
「申し訳ありません。
部屋に見知らぬ方がいることなど、ありえないので驚きすぎて声も出ませんでした。
名のある妖の方とお見受けします」
アリエスはロイヤルカーテシーで挨拶をする。
「ほぉ、これは、美しいことだ。
今日は年に1度の扉が開く日。
あまりに美しい涙につられて来たが、本人も美しい令嬢だな」
男が伸ばす手に、思わず重ねてしまうアリエスの手。
「私は、レオ・フェルディハーン。妖精をたばねているものだ」
妖精王レオ・フェルディハーン。
日付が変わり、万聖節の日になったと、アリエスは思い出した。
万聖節は妖精の世界と、この世界が繋がる日。
妖精がこの世界に来る日と知識はあるが、見るのは初めてだ。
ましてや、妖精王などと。
アリエスが考えていることを悟ったのだろう。
「今日は様々な妖精が、この世界に来るが姿を保てる者は少ない。
気配を感じることもないだろう。
この世界で姿を保つには強力な力がいるからだ」
レオがアリエルの手を強く握る。
婚約者のスティーブ王太子とさえ、子供の頃しか手を繋いだことはない。
エスコートはあるが、それさえ最近はない。
アリエスの顔が赤くなるのは当然の結果だった。
アリエスの様子が気に入ったレオは、さらに言葉を続ける。
「稀に君達の中にも妖精の姿を見る事が出来る者がいる。
そういう人間は、力の弱い妖精も見えるようだね。
反対に君達は、妖精の世界に来ることは出来ないが、妖精が手引きすれば来られる」
手を繋いでない方のレオの手が、アリエスの涙の後をなぞる。
「名は?」
「ディケンズ公爵の長女アリエスです」
「可愛い名前だ、おいで」
レオはアリエスを胸元に引き寄せた。
私が女性を引き寄せるなど、初めてのことだ。
レオは、その意味を正しく受け取っていた。それは唯一の存在であると。
アリエスはレオに手を引かれ、妖精の世界に足を踏み入れた。
そこは、美しい世界だった。
万聖節のカーニバルが開かれ、いろんな姿の妖精が広場で歌い踊っていた。
その輪の中に、アリエスはレオに手を引かれて入った。
「王陛下、私には無理です。
初めての踊りですもの」
「レオだ、アリエス。
王宮で踊っているのだろう? それと同じだ」
抵抗むなしく、レオに踊りの音に合わせさせられる。
初めてのステップに、レオの足を踏んでしまうと、レオが回数を数え始める。
「3回になったら、キスを貰う」
ボン、と真っ赤になるアリエスに、レオは満足する。
結局、3回足を踏むまでレオに離してもらえなかった。
やっと踊りの輪から外れて、王宮に向かった。
向かうと言っても、歩いてではない。
レオに抱きかかえられて、飛ぶように戻ったのだ。
アリエスを連れて戻った王に、皆が驚いて目を見張り、頭を振りかぶって再度アリエスを見た。
「陛下」
側近であろう男性がレオに声をかけるのを、手で制してレオはアリエスを宮殿の奥に連れて行った。
「レオ様、今の方は?
重大な要件があったのではありませんか?」
アリエスはレオに聞くが、レオは笑うばかりだ。
「今日は、仕事は休みだ。
どうせ、この女性は?と聞きたいだけだろう」
レオは宮殿の奥、奥庭にアリエスを連れて行った。
「さぁ、キスをしておくれ」
そう言って、アリエスを地に降ろすと向き合った。
「無理です!
失恋したてなんです!」
アリエスが叫んで身を翻した途端、レオの機嫌が下がったのがわかるほど空気が冷え切った。
「誰だ!?
アリエスに好かれる男は!」
そんな男は消してやる、と言葉を隠すレオ。
「婚約者なのですが、きっと父上が解消されます」
「婚約者がいるのか?」
冷静な言葉に戻っているレオだが、業火が心の中に燃え滾っている。
あの涙はその男の為か、許せない。
レオはアリエスの腕を掴み自分の方に向かすと、唇を奪う。
抵抗するアリエスを抱きしめ、何度もレオが満足するまで続いた。
「ひどいです、レオ様。
こんな乱暴に」
アリエスが、レオの胸を叩く。
「それは謝る。
どんなことをしても、君が欲しい。
長い年月を生きてきたが、こんな気持ちは初めてなんだ」
アリエスに好きにさせながら、レオは抱きしめる腕をゆるめない。
「アリエス、君が好きだ。
結婚して欲しい」
真摯なレオは、からかっているようには見えない。
アリエスは、これはちゃんと答えないといけないと分かる。
「レオ様。
一緒に踊って、とても楽しかったのです。
ずっと一緒にいたいと思うほどに。
でも、まだ知り合ったばかりで、もっと良く知りたいと思うのです」
アリエスの言葉は当然のことだろうが、レオには時間がない。
「この世界が繋がるのは、今日だけだ。
アリエスが納得して嫁いでくるか、私に攫われて嫁いでくるかだけだ」
逃がさないと、レオは笑顔を見せる。