07 打算
「何さがしてんの、冴。」
冴は荷物を探って、ユウが送ってくれたお守りを探してみたが、なにしろ適当に荷造りしてしまったので、どこにはいっているかさっぱり分からなかった。宿で探す以外なさそうだ。
「ん、なんか、魔よけの石があったなと思って。…みつからん。宿で探してやるから。」
「…ふりきれなかったんだね、俺。」
「…うん。」
「…まっ、飽きたらいなくなるよね?」
「まあな。…あのな、吹雪、…助けてくれるかもって、期待させると、離れなくなるから、…まちがっても、ゆっくりしてけとか、話してみろとか、俺になんかできることある?とか、…いつもみたいな優しさは発揮するな。いいな?」
「あはははは、恋愛と同じだな。期待させちゃいけないんだ?」
吹雪は意外とカラっとしていた。
「そうなんだ。…もしなにかしてやりたいなら、成仏して下さいとでも、祈ってやれ。」
「…大丈夫だよ、俺が優しいのは月島にと…あとはせいぜい、根津にくらいだから。」
「…そうか?…以前大弓もかなり多めにみてやってたぞ。」
「…それは見栄じゃね?…ただお前に『いい人』って思われたかっただけじゃね?よくおぼえてないけど。…きっと点数稼ぎだよ。俺、おおよその人間のことどうでもいいから。」
「…。」
月島は苦笑して、吹雪をなでなでした。…そんなことはない。吹雪は優しくて、なんでも許してしまうようなところがある。たとえそれがドウデモイイからなのだとしても、なかなかできることでないのは確かだ。
吹雪は冴に撫でられて、ぐるぐる言う猫のような顔になった。
…吹雪は撫でられて育った子供で、撫でられる気持ちよさを知っている。愛撫をこうして当り前に受け入れることができる、そういう幸せをしっている生き物なのだった。
通りすがりの教師が、冴たちを見つけて言った。
「おい、おまえたち、そろそろ集合だぞ。」
「はい」「はーい」「いきまーす。」
+++
午後はバスにのって、原子力課題考察をおこなうために、原爆記念館へ行った。
実は事前学習で、すでに先日、原子力発電所を先に見学済みで、初期レポートも提出済みだった。
「…すげえな。」
「…不謹慎だぞ月島。」
須藤が冴を諌めるのを聞いて、吹雪は少し振り向いた。
多分、冴が凄いといったのは、展示品そのもののことではないんだろうな、と思った。…なんとなく、そんな気がした。
影だけになった少年や、真っ黒に炭化した人間の写真をみて、吹雪は正直なところ、冴よりもっと非人間的な感想を持っていた。ただ、それを人前で口にしないだけの良識は、S-23に長くいるだけあって、自然と身についていた。
…死神の手によるアート。
そう感じた。
この見学のあと、今日中に二次レポートを作成しなければならない。生徒達は事前にネットで資料集めをしていたし、あるいはてっとり早くパンフレットを集めて、すでに下書き済みのレポートを、表の広場に座り込んでとっとと修正したりしてた。はやく済ませば、宿で遊べる。吹雪も例外ではなかった。
本当の気持ちや本当のことを、人を傷つけずに巧みに表出する訓練をすべきなのに、適当で無難で人当たりだけがよいような、そんなでまかせを作り上げる訓練ばかりをさせられている、と吹雪はいつも感じてしまう。
イライラした。
自分の大切な時間が、学校のせいで無為に消費されているように感じた。
もっと大切なことを訓練してくれればいいのに、と思ってしまう。
勿論、原子力考察は大切だけれど…。
だから…。
…手がとまった。ため息。
「…真面目だなあ、吹雪は。」
冴がのほほんと言うので、吹雪は口を尖らせた。
「おめーにいわれたかねーよ。…できたの?」
「…書いてきたから。」
「…俺もかいてはきたんだけどさ。…この悪魔的なショックをどうしたものか、持て余すんだよなー。…なんか俺って人類を憎んでいるのか、とか思っちゃうわけよ。別にそんなことはないんだけど。」
冴はそれをきいて、ひそひそ言った。
「俺は人類を地球に繁殖してしまった青かびだとおもっているぞ。都市の昼間の風景を鳥瞰で眺めると、強くそれを感じる。ドームなど、いかにもコロニー的だし、いっそのこと、茸だといっても過言ではない。」
「…滅びるべくして滅んで行く、なんて書いたら、相談室で心配そうなカウンセラーに家族関係を根掘り葉掘りきかれるんだぜ。でも客観的にみて、人類はプレ・ドームの時代にくらべて衰退している。それを意地で認めないほうがずっと病的だ。輝かしい未来なんて、あるわけないじゃん、この状況で。紫外線に焼き殺されたプレ・ドームの末期に人類はすでに気付いてたはずなんだ。だからドームを作ったんだろう?ドーム時代のはじまりは人類が、衰退期であることを受け入れたことの象徴ともいえる。…いわばドーム社会っていうのは、末期癌の患者があつまった、尊厳ある死をみんなで静かに待つホスピスみたいなもんだよ。残り少ない時間をいかに力強く意味のあるものにしていくか、それが人類の今の課題なんだ。」
吹雪の、ペシミスティックな迂回路をひとまわりして戻ってくる逆説を、冴は面白そうに聞き、それから少し話を戻した。
「面接は体験済みか。俺もだ。俺のいなかの学校はドーム式じゃないから、スタッフがたりなかった。だから、面接は教師。」
「冴も?へー、それは意外。」
「だがうちはもう、天下御免の離婚家庭だし、母子家庭だし、貧乏で3食食ってないし、たまにあう親父は口より先に手が出るタイプだし、本音で事情喋るとだいたい普通のきまじめ教師ならすぐ黙ったぞ。二度とよばれないか、馬鹿にされたと思ってねちねち嫌がらせするか、二つに一つだ。嫌がらせされたら、闇討ちに合わせてた。それで大人しくなる。あいつら、成長過程で撲られたことや命の危険感じたことないからな。」
「…お前ってばヤクザ。」
「…黙らないで腹を割って話せばいいだろう、かっこつけるからだ。生徒指導室に呼び出ししといて、黙ってどうする。職務放棄は許さん。そのうえ、自分の手に負えない事例だからといって、生徒に嫌がらせして一身の矮小な価値観を維持しようとするなど、言語道断、おしおきだ。俺がしないで誰がやる。教師を育てるのは生徒の仕事だ。」
「…こういう生徒いると大変だよな、教師は。」
「俺がいなくなって、やつらもせいぜい羽根伸ばしてるこったろうよ。」
冴は懐かしそうにほほえんだ。…多分、言ってる内容と現実は少し違っていて…猛者の先生と、よく、人けのないところでガチで「殴り合い面接」していたというあたりなのだろう。教師もそれほどヤワなのばかりではない。…吹雪は、そう勝手に理解した。
「…だがな、カビはカビなりに、一生懸命生きてるわけだ。カビをそだてている科学者は、それはそれは気を使ってカビを管理するぞ。」
「うん、それは分かるよ。でも世の中にはカビって表現だけで目がクジラなやつも沢山いて…それをどうやって回避するか、…そしてそのカビへの愛をどうやって盛り込めば理解が得られるのか、…そのあたりを苦労しているわけ。…けっきょくさ、そこの表現が解決できなくて、そもそもの部分ていうか、そこが俺、みたいな、それでこそ俺、みたいな部分を、削除せざるをえなくなるわけで…。それが憂鬱なんだ。」
「そうか。吹雪はそうやって真剣にそれに向き合うから、とてもわかりいい絵の構図が作れるんだな。…うちの陽さん、吹雪の絵をみて、こいつは頭がイイって言ってたぞ。よすぎて多分不幸だって。」
吹雪は複雑な気分で頭を掻いた。
「…よすぎて不幸なんじゃないよ。ここ一番で微妙に能力がたりないから不幸なんだ。いっそ打たれないほど出る釘になりてえ。どうしたらそう成れるのか、それを教えてほしいんだ。叩かれないように引っ込んでる方法なんて、あんまりにくだらねーよ。しりたくねえ、もう、これ以上。」
「…なるほど。」
冴は気の毒そうに笑った。
話をうちあけると、吹雪は楽になった。
別に、冴がわかってくれたから、教師に無理にわからせなくてもいいやと思い、こだわっていた部分をさっくりと削除した。
+++
バスでは吹雪と冴は離れた席になった。吹雪の、通路をはさんだ隣に小坂がいた。小坂は吹雪の隣にいたスウェンに、ちょっと替ってくれる?と頼んで、吹雪の隣へやってきた。文化祭以来、吹雪と小坂とは、友達感覚になっていた。
「タッチー、実はね、…フェルゲンハウアー智美が、月島くんに話があるらしいんだ。」
フェルゲンハウアーってだれだっけ、と吹雪は考えた。大黒屋とかフェルゲンハウアーとか稲道丸とか、クラスメイトに、その手の覚えずにいられない名前のやつはいない。月島と根津がそろってるだけで、みんな「大江戸」とかいってよろこんでるくらいなのに。ほかにスウェンとオーウェンの、ウェンウェンズ、という地味な喜びかたもあるくらいだ。
「…だれだっけ。」
「ああ、D組の、赤毛で、髪をこうしている子。」
と、小坂は手真似で説明した。ああ、と思い当たった。
「…中学の文化祭でよく共通語のスピーチしてたヤツだ。」
「うん、そうそう。」
…清潔そうで、背がすらっと高くて、面長の美人だ。大人っぽい子で、頭すごくいいんだろおなあ、エスカレーター蹴って外語大とかいくんだろぉなあ、みたいな感じの女子だった。真紅の赤毛を、巻き髪全盛のこのゴジセイに、なんとアゲマキにしている子なのだ。いつもきちんとした上質の私服をきていて、育ちもよさそうだった。
「…それで、俺が邪魔だからすこし消えろって?」
「…そうじゃなくて…、タッチーは月島くんと仲いいでしょ、なんとか20分くらい、アポとってあげるの、無理?」
「あいつ、女と口きかないよ。」
「うん、知ってるけど…でも他のクラスの女子だし、トモは才色兼備だし、…月島くんも、少し興味あるかな、と思って。」
「うーん…駄目だと思うけど…。でも俺が握りつぶすわけにもいかないから、いちおう聞いてやろうか?」
「うん、頼む。」
「ダメモトくらいで待ってろ。あとで電話するわ。」
「ありがと、タッチー。」
小坂は用が済むとまたとっとと席を交換して戻っていった。
…大丈夫なのかよフロイライン・フェルゲンハウアー、月島はヤクザだぞ、と吹雪は思った。
+++
「フェルゲンハウアー?なんだそれは。洗剤かなにかか。かぜぐすりか。地味な臓器か。」
「おまえセギノールくんの話のときもそういってたな…。人名だよ。2-Dにいる赤毛の才色兼備だ。」
冴は宿で荷物をひっくりかえしながら、気のないようすで聞いていた。
「…そのフェルゲンハウアーが何だ。」
「アポとりたいって。」
「果たし合いか?」
「告白イベントじゃね?」
「あーあ、…エリアにもいたか、猛獣を飼いならしてみたい物好きの大金持ち娘が。…あー、思い出したぞ、緑色の目の外人だろ?足がばひゅーんと長い子。」
「…ガイジンいうな。」
「…あいつ、みるからにSっぽいわな。…一晩20万といって袖にしたいところだが、そういうわけにもいくまい。…今女断ちしているので、あわないことにする。」
「…お前、今、売春なこと言わなかったか?!」
「冗談だ、冗談。」冴は陽気に否定した。「もし告白イベントであれば、今、俺は好きで付き合っている人がいるから、有り難くかつ申し訳ないけれどもお会いするわけにはいかないと伝えてしまってもらいたい。」
「…別の話だったら?」
「…俺のほうはなんの話もないとつっぱねてくれ。…それより、あったぞ、吹雪。」
…吹雪はため息をついた。やっぱりなあ、と思った。…ふと気がつくと、冴がウェディングマーチを口ずさみながら、吹雪の指に、小さな数珠みたいなものをはめていた。
「…なにこれ。」
「…魔よけ。…手洗うとき気つけろよ。」
「あーあ、いってたやつか。…あれっ。」
…はめたとたん、肩がすう…っと軽くなった。
「どうした。」
「…なんか軽くなった。」
「よかったな。」
吹雪はそのとき初めて、ちょっと怖くなった。
+++
その日は宿入りしてから夕食まで、原子力考察課題のために時間がとられていた。終わった者から自由時間で、外出も許可されていた。全部で3時間。
課題を早々におわらせていた藤原は、宿の近くの綺麗なカフェで、告白イベントの一件目に臨んでいた。
相手は藤原好みのスポーティーな女子で、巻き髪全盛のこのゴジセイに、なんと激烈ショートヘアの子だった。うなじが丸見えで、しかも綺麗だ。後ろから見ていると、抱きたくなるような襟足だった。耳とか首とか、とにかく「いつでもキスしていただけるよう、きれいに洗ってます。吸って吸って。」みたいな色気があるのに、さばさばした口調で、ニコニコ明るい。…パーフェクトだった。たしか、バトミントン部員だ。顔はなんだか室内犬に似ていた。
「…もしか、藤原くんが興味少しでもあったら、まずは一ヶ月くらい、あたしと付き合ってみないかなーっ、とか思って。」
興味はあるし、こういう子と是非素っ裸で抱き合ってみたいものだとは思うのだが、藤原は全然別の答をした。
「…ごめん、俺、今、激烈片思い中で、…もう、他の誰も目に入らないんだ…。」
…それは悲しいことに本当なのだった。
「あっ、そうだったんだ…」
「うん…。」
「…あの、でも、もし誰とも付き合ってないなら、…試しにって感じでも、あたしは全然いいんだけど…。あの、…あたしは、中学のときに、藤原くんが野球部のショートやってたころからずっと好きなんだけど…」
「…ごめん。」
客観的に考えればこっちのほうがずっといい、絶対いい、なんたって、女の子だ。なかよくなればヤらせてもらえるだろう。うまくいったら結婚だって不可能じゃない。しかも藤原が大好きなタイプの、色っぽくて健康でひきしまった女の子なのに…。
(ああもったいねー…)
心の片隅でそう思った。
(去年の末にでもコクってくれりゃよかったのに…そしたら絶対幸せになってたのに…俺もあんたも…なんで修学旅行まで待つんだよ、もう…)
がっかりしたようすだったが、彼女はひきさがらなかった。
「…せめて、これをきっかけに、友達になってほしい。」
…藤原重紀の脳に打算が湧いた。
(…どうせ実らない恋だし、…俺もそのうち懲りるだろう…世間では褪めない恋はないとも言うし…)
(そのとき、もしかこの子が、まだ俺のこと好きでいてくれたら、付き合えるかも…)
( つきあえて上手くいったらあんなこともこんなこともできるかも…)
「…友達なんか、別に、いくらでもなるよ。そんなんでよければ。」
「ほんとっ?!…じゃあそうしよう! ときどき放課後や休みの日会って、でかけたりしようよ! 野球見に行ったりとかさ! 手始めに、藤原くんのこといろいろ知りたいな! 」
…あれっ?…と思った。
(そういうの彼女っつーんじゃ…)
(ヤバい)
「…俺、女友達とそういう付き合いしないけど、それでよければ。」
釘をさしたが、相手はきいちゃぁいなかった。
…彼女の名は、葛生エリカ、である。
+++
「あっ、藤原かえってきたー、おかえりー。」
「おっ、藤原くーん」
根津がにやにや寄ってきた。
「…首尾はどう?いつヤれそう?」
「…うーん、おつきあいはことわった。まあ、お友達ならって。」
「お友達とヤるのは節操がないぞ、フジ。」
須藤にからかわれた。
藤原の頭の中を見すかしたとしか思えないこの的確さときたら。
あの打算がみんなに悟られているのは間違いないように思われた。
…あんなことを当たり前のように思い付き、そして自然にやってのけた自分を、藤原は強く恥じた。
「…まあ、いいじゃないか。友達だろうが友達の友達だろうが。」
そんな酷いことを陽気に言ったのは、月島だった。
本当に、なんて酷い奴なんだ、と藤原は泣きたくなった。
(お前は俺が、友達や、友達の友達とヤッても、どうでもいいのか?!)
…と思った。
「…月島、フジ泣きそうになってんぞ。」
「なんで。かばってやったのに。」
「おまえの発言、節操なさすぎ。」
「何を言う。俺は愛してる人に操立てして告白イベントを断ったんだぞ。」
月島のその台詞に、藤原はさらにショックをうけた。誰だ、その身の程知らずの女は、絞め殺してやる、と思った。この俺だって、ぜったい月島好みのサイコ-に二枚目で性格がいいこの俺だって、月島の事情を慮って我慢してるのに、と。
「…好みじゃなかっただけだろ。」
立川がぼそっと言った。
(…あとで立川を脅せばだれなのか言いそうだな)
と藤原は思った。
(でも好みじゃなかったんだ、好みじゃなかったんなら許してやらないこともない。それはそれで哀れだからな。それだけで制裁を受けたとも言える。)
とも思った。
…我ながら、気が狂っている、と思った。
とりあえずテーブルについて、冴がいれてくれた茶を飲んだ。…冴のいれるお茶はうまくて、とても愛を感じる。
「みんなレポート終わったのか。」
「ああ。」
「まだ大分時間あるぞ。どっかいかね?」
「おお、いいねえ。とりあえず、宿出たいわ。宿の大部屋にいるとごろ寝したくなる。」
「わ・か・るー。畳ってサイコ-な。ニッポン文化万歳。」
「教会でも見に行っか。」
「教会いいねー。」
「クリスマスも近いしなあ~。写真とってって実家のかーちゃんにカードにして送ろうかな。」
「帰りに眼鏡橋で写真とって-、どっかでぺけぽこいうやつ買うか。」
「ビードロいいねえ。かーちゃんと妹にイッコずつ買うかな。土産買ってないし。」
「できたばっかのカノジョにも買ってやれよ。」
「うるせーよ。」
「じゃ、行くか。」
立川が立ち上がったとき、ふと、立川が左手の薬指に小さな数珠のような指環をしているのに気がついた。
「あ、お守り買ったの、立川。」
「あーこれ、冴が貸してくれたの。俺達けっこんしましたー、なんつってー。」
立川はにこにこ言った。月島が笑っている。
…藤原重紀が嫉妬に身を焦がしたのは、言うまでもない。