06 トリベノへ行く
翌朝、吹雪が目を覚ますと、最初に目に入ったのは、冴の寝顔だった。
美しいなあ~、朝からいいものみたな~、と思っていると、やがて視線を感じたのか、冴は目を覚ました。
長い睫の隙間から吹雪を透かし見て、しばらくぼけーっとしていたが、突然「ああそういえば」という顔になって、吹雪を撫でてひそひそ言った。
「…吹雪、大丈夫か?怖いことはなかったか?」
「うん。平気。」
「そうか。よかった。…何時だ?」
冴はそう言って、自分で腕時計を見た。…寝ている間も時計をはめているなんて、と吹雪は少し呆れた。
冴はひそひそ言った。
「…45分だ。まだちょっと早いな。寝てるやつもいるだろう。…遅いやつは遅かったから、昨日。少しでも寝かせてやろう。」
辺りをみまわすと、枕をだきしめたり布団をなくしたり、上下さかさまになったり、いろんな格好で、みんなまだぐーぐー寝ている。学校指定のジャージの奴が多かったが、なかにはパジャマを着ている強者もいた。
「…冴、昨日のアレ、なんだったんだろ。」
吹雪がひそひそ尋ねると、冴は少し考え込んだ。
そして言った。
「…実は俺もよくわからないんだ。ただ…なんかがお前の上にのっかってたのは、なんとなくだが、わかった。」
「…そうなんだ。…歌、うたってたんだよ、女の声で…なんか、とぎれとぎれに…。すぐこのへんで。」
吹雪は自分の顔から5センチくらいのところを手でしめした。
「…そうか。それは怖かったな。」
「うん、怖かった。」
吹雪はわざと甘えて言うと、冴に抱き着いた。…ちなみに、夜が明けた今となっては別にどうでもよく思っていた。
「こらこら。」
「なでてなでて。」
冴はくすくす笑って、ちょっと撫でてくれた。
「…吹雪、…多分、たいしたことじゃないんだ。通りすがり…というか、まあ、そんな感じだろう。できれば忘れてすごせ。多分、古都をでてしまえば振り切れると思うから。」
「そうなんだ?…月島は詳しいんだね。」
「…うーん、残念なことに詳しいというほどでもないんだ…。」
月島はまた少し考え込んだ。
吹雪は尋ねた。
「…冴、藤原が…俺がどっかいくとか寝言言ってたって言ってたけど、…冴は、それ聞いてた?」
「…少しは聞こえた。だが、藤原のほうが良く聞こえたみたいだな。」
「…俺、そんな夢、見てなかったのに…」
「わかってる。」
「…背中になんか、ついてる?」
「いや、なにもない。気にするな。」
冴はそう言って、吹雪の頭を少し自分の胸に抱き寄せた。
…温かかった。…なんだか気持ちが、きゅーんとなった。
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「ここの宿、飯すくねーよな。」
「…地域的に食料事情がよくないんじゃないのか?」
「こんなに菓子はうまいのに?」
もう、出発前の朝から菓子を貪りくらう、男子達なのであった。
「菓子買ったか?」
「とりあえず一人2箱は買ったな。」
「菓子どころか、漬物がうまかったから、きのう実家と親戚に発送したぞ。」
「根津ってちゃっかりしてるよな…。」
「しっかりとゆいたまいぇ。」
根津が威張って言うと、須藤が言った。
「…おい、しっかりものの根津。」
「なんだ、しっかりものの須藤。」
「…お前、古都くわしいんじゃね?」
「…残念ながらくわしいってほどでもないんだな、これが。」
「でもしょっちゅうきてるだろ。」
「しょっちゅうでもないよ。年イチぐらい。」
「…この近所に10分でいってこられる神社ねえか?」
「…なんで。」
「…オカルトくまタンに、お守り持たせたくね?」
根津は唸った。
「うーん、それは言える。でも…このへん市街地だしなぁ…。お寺が20分くらいのとこに一件あるのは知ってるけど…。確か菓子屋の隣…。遠いよな。…ごめん、俺も全地図おぼえてるってほどでもないんだ。」
「…自由時間ありゃあなぁ…なんで古都でなく、長崎で市内見学なんだ。」
「原子力考察課題だろ。レポート5枚だぞ。…それはさておき…、…昨日のあれは怖かった。…でも、とりあえず月島にまかせてみたら。あいつ、お守りとかいっぱい持ってるじゃん、ほら、前もなんかおっかねー古い手鏡胸ポケットにいれて歩いてたし。藤原にも魔よけと称して古いキタナイリボンの塊みたいなのを制服の裏につけさせてたりしてたろ。…あいつは隠してるけど、かなり慣れてると思うよ。…だいたい、よく猫みたいにさ、何もないとこ、じーっと見てんじゃん。」
「…まあ、いずれにしろまかせるしかないわな。」
須藤はため息をついた。
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生徒達は3グループにわかれて、8時半から30分ごとに出発した。そのままチューブラインを使うので、いっぺんにいくと、つまるのだ。うしろのほうのクラスは一時間自由時間があったが、B組はなかった。
また15分ほど歩いて今度は別の駅にゆき、20名くらいずつに別れランチにのった。めんどくさかったのか、男女に親ぼくをはからせないためか、男女別になった。
「…まるで男子校のようだ。」
月島がぼそっというので、藤原は言った。
「なんだよ、どうせ女いたって口きかねーくせに。」
月島は抗議した。
「そこに女がいるかいないかは大きな問題だ。俺が話すかどうかとは、まったく次元の違う問題なんだ。」
「…いても話さなきゃ同じだって。」
「ちがう。それは、断固、ぜんぜん違う。」
「…あきれたやつだな、お前って。本当は女がすきなんだな。しかも、好きで好きでたまらないんだな。…そんなに我慢しなきゃいいのに…。」
「…それは否定はしないが…今は、また、別の次元の問題なんだ。」
「どう違うんだよ。」
月島はそれには答えなかった。
藤原は月島の目線の先をみた。
すぐ前を歩く、立川を見ている。
昨日の一件以来、月島は立川から離れないようにしているらしかった。
…藤原はなぜかそのとき、いつものようにイライラしなかった。なんとなく、誰かに、「月島くんには月島くんの使命があるんだよ。」と言われたようなきがするのだが、夢だったような気もする。
普段なら同じことをいわれても耳が受け付けないと思うのだが、なぜか藤原は、その「言われたかもしれないような言われていないかもしれないような感じの言われた内容」に逆らう気がおきなかった。
というのも、藤原は昨日から、立川がおかしい気がしてならないのだった。おかしい、というのは、なんというか…危機感を感じるというか…。イジメにでもあってるんじゃないかな、みたいな…。そう、心配、なのだった。
藤原は立川があまり好きではない。自分本意で言いたい放題やりたい放題で礼儀知らずでイライラするし、なにより月島にべたべた絡みついていて、気持ちが悪かった。
にもかかわらず、なぜか、藤原は昨日から、立川が心配なのだ。
道でも、ふらふら列から外れてあるく立川が、何か不安になって声をかけた…。なんとなく誰かに声をかけるよう促された気がして…。
夜中の立川は怖かった。眠ったまま低い声でぶつぶつ何か言っていたかと思ったら、急に子供のような声で「おかあさん大丈夫だよ、トリベノへ行ってくるからね」といった意味の言葉を方言で叫んだあげく、ウンウン苦しみだして、皆のみている前でみるみる汗びっしょり、いくら揺さぶっても、呼んでも、起きなかった…月島が覗き込んで、なにかぶつぶつ唱えるまでは…。
今朝、朝食のあと、物知りの根津に「トリベノってどこだ」ときいてみた。根津は東山のほうだよ、などとだいたいの場所を言い、「大昔は広大な墓所でもあったし、遺体がたくさん風葬になってたらしいよ。まあ大昔のことだけど。今はさばさばしたキョート・テーマパークそのものって感じ。」と恐ろしいことを言ったのだ。さらにはこんなことも言った。「お前の藤原の名がダテでないなら、遠い遠い、オエライご先祖が代々火葬にされた場所のはずだぜ。」
…聞かなきゃ良かったと思った。
しかもあとになってわかったが、あの子供のような声を聞いたのは、自分だけだったようなのだ。
「…月島、なんか手伝う?」
藤原はなんとなく、月島にそうたずねた。
月島は藤原のほうを見て、にっこりした。
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チューブラインを使えば古都から長崎ドームまではほんの数十分の距離だ。だが、まとまった人数が移動するとなると、それなりに時間がかかったし、移動時間よりも、乗る準備と下りたあとが長いのが国内チューブラインの欠点だった。その待ち時間の間、幾許かは自由行動が許されたが、ステーションのセンタービル内のみ、という制限つきだった。第一陣だったB組の待ち時間は、たいそう長いものだった。
「手荷物を預けて、すこし見ようぜ。」
旅慣れた根津の提案で、手荷物をロッカーに放り込んで、適当なメンツでビル内を見て歩いた。
ところで、吹雪に「古都を出ればいなくなる」などと大口たたいたものの、…それは結果として、全くの、嘘となった。
困ったな、と冴は思った。
何か気がついているらしい藤原がはげましてくれたりはしたものの、正直どうしたものか見当もつかない。…腕時計をみた。12時すぎたら、昼食の隙をみてユウに電話してみるつもりだった。
なにしろ午後には原爆資料館をみてまわらなくてはならない。さすがに現代となっては写真が展示品のほとんどになってはいたものの、あれで不安定になる人間は少なくない。
不安定になると、うっかり、いつもは真中に座っているシートの、はしっこに座ってしまったりして、…空いた隣席に客がこしかけたりする。つまり、とおりすがりとか、そこの居着きとか…。乗車率180パーセントくらいで、座れてしまうから困るのだ。
その言い回しでいうなら、吹雪はなにもなくても、慎ましく隅っこに腰かけがちなタイプで、シートがよく開いている。だから、よく隣に座られるのだろう。…ふせぐためには冴であれだれであれ、気をつけて隣にすわっていてやればいい。吹雪がいつも冴にくっついていると安心できるというのは、そういうことなのだ。
「やっぱりカステラくわないとな。」
根津の提案に、昼食前の男子達はわらわらと「カステラバー」に入った。カステラひとかけらと飲み物のセットを手軽に味わえる場所らしい。立ち呑み屋が暖簾をかけかえて昼間営業、といった感じだった。
「お客さんがた、修学旅行?」
「そうです。」
「あらあら、うらやましい。」
愛想のいいおばさんがにこにこ相手してくれた。
「今、時間の都合で駅から出られないんだけど…このへんにおみやげやさんありますか。」
根津がきくと、おばさんは2~3箇所、場所をおしえてくれた。
カステラを堪能して店をでるとき、おばさんがちょっとちょっと、と吹雪を手招きした。
「?」
吹雪が立ち止まると、おばさんはニコニコしたまま、「これ、枕許にそなえておやすみなさい。…おなかすかせてるのよ。」と吹雪に、カステラを薄く小さく切ったものをつつんで手渡した。吹雪はなにがなんだかわからないようすで、おばさんの顔をまじまじ見た。それから冴を見た。冴はうなづいた。
「もらえ、吹雪。」
吹雪がうけとると、冴は吹雪の代わりに頭を下げて、丁寧にお礼を言った。
+++
「あんたね、出発前にわざわざメールしたでしょ、気をつけろって。…あんた、今災難に遭いやすい周期なのよ。だからお守りだって送ったのに。」
ユウは第一声からトゲがあった。冴は顔をしかめた。
「…俺じゃないんだ、友達が。吹雪だ。」
「…また立川吹雪?! …どんな様子なのよ。」
「うーむ…さっき、喫茶コーナーのおばさんが、突然吹雪にカステラをくれた。腹をすかせてるようだから、枕許に置いて寝ろ、と。」
「…どこから連れてきたの。」
「古都だ。」
「なんで古都なんかふらふら歩くのよ。あんた、中学のとき教えてやったデショ、あそこは道のつけかたの関係で…」
「ああ、勿論、それはわかってる。…だが、古都はほとんど宿泊しただけなんだ。宿までのほんの10分ほどの間に、…吹雪はどうやら一人で変なところを歩いてしまったようなんだ、それも随分長い時間。…一緒だったはずなんだが…。途中でどこかに消えそうになって、慌てて俺がそでをひっぱって歩いた。藤原の守護の方が教えて下さってな…藤原の守護の方は、古都ではすごくお力が強いんだ。言葉もはっきり聞こえる。」
「…名前のせいだわね…。それでどうなったの。」
「なにかがついてきてるのは確からしい。吹雪が寝ているうえにのっかって、童謡を歌ったそうだ。そのとき吹雪は捕まった状態になっていて、一時的にこちら側からの一般的な働きかけがまったく通じなくなっていた。…苦しんでいたので、部屋中が30人心配した、病気かと思って。藤原が言うには、どこかへいく、というような意味のうわ言をいっていたらしい。…俺が不動命王の真言を唱えたら、なんとか吹雪に繋がった。」
「うーん…どうやら、引き込まれやすいタイプというか、ひきこもりやすいタイプみたいね。こう、気配感じると、なんとなく本能的に保身が働いて、自分で結界してしまうのね。それで、逆にうごけなくなっちゃう、餌食、みたいな。
…女子のバスケみたいなもんよ、たまにボール持ってるときアタック受けると、かかえこんでうずくまる子いるでしょ。あのイメージが近い。」
「…なるほど…」
「…たぶんヨリマシ体質だわ。…てっとりばやいのは、同じタイプにおしつけちゃうことなんだけどね。」
「おしつける?!」
「そうそう。…あんたこれからどこいくの。」
「午後は原爆資料館にいく。」
「ああ、うってつけ。泣き出したり気持ち悪くなったりする子がいるから、そういう子に押し付けちゃいなさいよ。」
「まったく解決になってないだろ。」
「…どうしたいのよ。クソドシロウトがあつまって浄霊でもしたいの?あきらめな、無理だから。むしろ、何も出来ないってこと伝えたほうが早いわよ。ぜったい同情とかしないことね。」
「お前そういえば、お守り送ってくれたよな?! どれか効くのはないのか?」
「…そうねえ…あれ、あんた用だからね。月島一族に憑くような剛毅なユーレ-ってあまりみたことないしね。もう、あんたの親父なんか、生霊くらっても反撃して粉砕するような勢いだったもの。まったくおっかないったら…。何人魂落としたことか…。」
冴はがっくりした。じゃああのお守りはなんなのだろう??
「…同情しないって、じゃあカステラもやめたほうがいいのか。」
「それは通りすがりのお供えだからちゃんと渡しなさい。…そのときに、何も出来ません成仏して下さいって拒絶するように言っておきな。…まあ、気休め程度だけど、指環はめてあげなさい。あの石、楽になるのよ。気配を感じにくくなるから。」
「あれ数珠じゃないのか。」
「うちは神社よ。」
「…確かに。」
「…じゃ、それで様子みなさい。」
「わかった。…カステラは朝になったらどうしたらいい?」
「食えば?…こっちは夕方4時すぎたらいつでも電話大丈夫よ。…でられないときは出ないけど。留守録いれといてくれればかけなおすわ。」
「…すまん、恩に着る。…あ、それと…」
冴がちょっと言い淀むと、ユウは嫌味たっぷりに言った。
「はいはいはい、陽ちゃんは元気ですよ。お昼は学食でカレーたべてましたよ。あたしが見た限りでは浮気はしてませんよ。」
「あ、そうか。ならいいんだ。じゃあな♪」
冴はかろやかに電話を切った。陽介のことを思い出すだけで、気持ちが温かくなった。