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03 麗人階級

 列車はすでに、とある駅に2時間以上停車中だった。そうしないと、すれ違えないらしい。

 生徒達は下車を禁じられていたが、冴は窓をあけて、たまたまそこにいた地元の駅弁業者をその美貌で呼び寄せた。丁寧な「お願い」をし、長い睫が縁取る美しい眼差しでかすかに媚びて、ついに駅の売店に出張販売させることに成功した。全員が月島を拝んだのは言うまでもない。

 欠食気味のエリアの高校生達は、売店の菓子のみならず、駅弁まで買い尽くしたから、結局お弁当屋さんにとっても良かった。支給の小さな弁当では、男子高校生のケモノのごとき腹はなかなか膨れにくかったのだった。なにしろ金だけはあるのがエリア人だ。たとえかなり苦しい家庭の子である吹雪であっても、エリアを出てしまうと、本当にお金持ちなのだった。

 午後の授業は2時半から始まった。テーブルには戦利品の飲料や袋菓子、地域の特産品らしい「なんとかパイ」「なんとかサブレー」などが所狭しとノートの隙間に挟まっていた。

「…さて、食い物のためなら無類の行動力を発揮する2-Bの諸君はこの車両かね。おっと、2-A、2-Cも混合だったな。わぁかってるわかってるぅ。…おまちかね、ダンディな共通語教師・ダニエル先生のお時間だ。テーブルにのこったスゥウィーツぅ、いつまでも出しとくと、ダ-ニエル先生がいただくぞ。Are you ready?」

 自分でそう自己紹介するおっさん語学教師ダニエルは、生徒達の人気者だ。

「今日は楽しい共通語のテストを行なうー。ん-? 行なって、ほしいだろ? なんたって、ハノイでは共通語の実践がまっている。ぐーすぐすしてるとぉ、ぼられるぜ。まあ、ハノイの人々はエリア人種のようにがめつくはなーいから、だいじょーぶっ、かーもしれないけどな。

 だがしかーし、ここでチャンスはのがさないダーニエル先生だア。さっ、boys and girls、楽しい復習のお時間だ。チェックシートの7枚目を出して。…ヒアリングいくよ。ばしっと聞いて、ばしっと、キ・メ・ロ。…準備はいいか。では、ヒアリングスタート。」

 …それから延々と20分、ヒアリングテストが続いた。

 さしもの冴も起きていた。ダニエルの濃い語りが、眠りをふりはらったらしい。

 続けて20分、耳で聞いて、答を手許のシートに書く別のヒアリングが行なわれた。目まぐるしい。

 最後に連邦共通語で作られた平和ソングが流された。その歌詞をききながら手早く書き取って行くのだ。

 …あっというまの一時間だった。

「オーケーイ、じゃあチェックシートをダーニエル先生に提出しなさい。はいはい、今日の所はとりあえず、これでカンベンしてやるぜ、チルドレン。だが、明日もこうだと思うなよ。…それから、ここによく使う表現を一覧にしておいたから、友達同士でトレーニングしあって、ハノイ滞在にそなえなさーい。はい、一枚ずつくばって。…では、担当は、ダンディな共通語教師、ダニエルでした。ボン・ボヤ-ジュ。 」

 ダニエル先生が立ち去ると、戸田が言った。

「すげえよ、月島が起きてたぜ。」

「しかも課題バリバリやってたぜ。」

「…私は勉強は真面目です。中学の復習に興味はありません、しかし、新しいことはがんばっています。」

 冴は、いやらしいことに、それを共通語で答えた。

「月島さん、州外へ出たことがありますか?」

 曽我部が対抗して共通語できいた。

「先日、週末を利用してパリまでいきました。」

「観光ですか?」

 もらった表をみながら吹雪が尋ねると、冴は首を振った。

「いいえ、ビジネスです。」

「嘘つくなよ学生のくせにーっ。」

「学生ですか?一般ですか?」

「学割一枚。」

「半分にまけてください。」

「トイレはどこですか。」

 ボックスはきゃらきゃらと笑った。

 ようやく列車が動き出した。


+++


 菓子を食っていると、藤原がやってきた。

 冴にぺたーっとくっついている吹雪を憎々しげに睨んで、藤原は戸田に席を変わってもらった。

「…藤原、どっちにいた?」

 冴が聞くと、藤原は適当に指をさした。

「あっち。…女子と戯れてた。…月島はなんで女子と口きかねーで、こんな男ばっかのボックスで立川にへばりつかれてんの?」

「…まあ、いろいろあってな。」

「…女子、みんな話したがってるぞ。」

「それは有り難いことだとは思う。」

「…まあ、いいけど。」

 藤原は冴のポテトチップスを勝手に食べた。

 吹雪は言った。

「ほんっと藤原って、分かる気ないよな。」

 冴も藤原も目を剥いた。吹雪は言った。

「…冴は家主さんの飯作って学校卒業しなきゃなんないんだよ。女つくっていいわけないだろ。」

「女作れとは言ってない。普通に話せばいいのにっていってるだけだ。」

「わかってないよなあ、冴と普通に話したら、複数の女子が冴のことすきになっちゃうじゃん。」

「それはそうかもしれないけど…。」

「期待持たせるのはよくないよ。…藤原、『ベニスに死す』って小説読んだことある?」

「…ねーよ。」

「…本人はその気なくても、美しい人間ていうのは、とかく他人の人生を狂わせがちなの。だから冴は、女大好きだけど、ずーっと我慢してんだよ。…わかれ。」

 訝しげに藤原が冴を見ると、冴は困ったような顔になり、…話を変えた。

「…藤原はまだか、コクハクタイムは。」

「…2件予約が入ってる。」

 冴はにっこりした。

「やっぱりな。可愛い子か?」

「ん…まあ、どっちもそれなりに可愛いよ。タイプはちがうけど。」

「どっちが好きなんだ?」

「…うーん、どっちも、考えてもみなかった相手だから、少し時間もらうつもり。…まあ、帰って、そのあと休みあって、テストだろ、テスト開けくらいまで…。ことわるにしても言い回し考えないと…。」

「言い回し…。慣れたもんだな。」

「修学旅行もすでに3回目だからな。毎度のこったし。おかげさまで年々減ってるよ。小学校ん時は5人だった。中学が3人。」

「…すくなくともどっちかは断らなきゃいけないからな。つらいところだな。」

「そうだな。俺別に、どっちも嫌いじゃないから。つらい。だからって両方と付き合うのはNGだろ。」

 曽我部が口を挟んだ。

「…その女子、2人とも多分テストガタガタだぜ。ありがてえ。…オベンキョできるタイプか?」

「…おまえや俺の順位にはかかわるかもしれないな。…月島には関係なさそう。…そうか。待たすのは…マナー違反かな?」

 藤原はため息をついた。…つまり、中の上くらいの成績の子らしかった。

「…でもテスト前に言うのもかえって悪い気がする。」

「旅行中に言ってやれよ、修学旅行コクハクなんて、どうせかき捨ての恥の類いだって。OKしたほうとだって多分長続きしないぜ。」

「…そうかもな…。」

 藤原は冴のジュースを勝手に飲んだ。

「…コクられるほうはともかくとして…藤原は、好きな女はいねえのかよ。」

 曽我部がからかうと、藤原は苦笑した。

 …かなわぬ恋の苦笑なのを、吹雪は知っていた。

「…まだその話は時刻が早いんじゃね?」

「まーそーだわな。でも今日、大部屋だぜ。」

「まっ、一日目は大部屋も楽しいさ。」

 話はグダグダと流れた。


+++


「腹がへった!」

「またかよ月島。」

「がまんしろよ幼児じゃあるめーし。」

「貴様が俺の菓子を食うからだ。かわりになにか寄越せ。」

 秋の早い日暮れが近付く、あわい午後の光の中、列車は目的地に近付いていた。

 藤原は仕方なく自分の席に戻り、菓子をとって戻って来た。

「あっ、このタコスチップ、しょっぱすぎるから嫌だ!」

「我侭言うなよ。」

 藤原はそういいつつも、自分が食ってしまった手前、仕方なくまた席にもどって、菓子を別のものととりかえて、またもってきた。

「…ったく、お姫さまか、てめーは。」

「何を言う。うちに出入りしてる野良猫だって、食い物の好みははっきり訴えてくるぞ。」

「へー、野良猫に餌やってんの。…何が好きなの、その猫は。」

「ほとんどカリカリだが、このあいだうっかりかつお節をやってしまって…以来、すごくかつお節をせがまれる。」

「どんな猫よ。なんつー名前。」

「鯖白だ。俺は家主さんのいないところでは陽ちゃんと呼んでいる。」

「なんでいないときだけ。」

「…家主さんが陽さんだから。」

 …曽我部が咳き込んだ。通路をはさんだ隣から根津が言った。

「なんでそういう名前つけるんだよ。」

「…たわむれに呼んだら返事されて…以来、別の名前にはまったく反応しない。」

「あーあー…」

 とりかえしのつかないことを嘆く調子で根津がため息をついた。

 吹雪は、…多分、猫は…わかっているのだろうなと思った。

 冴が、どんな名前を言うときに、一番優しい調子で口にするのかを。

 だから自分もその名前がよかったのだろう。…なにしろいつも冴から「庭の猫」よばわりされている吹雪は、猫の気持ちがよく分かった。

 冴は藤原から巻き上げた菓子の袋をあけた。

 抜け目なく二つのボックスの全員が群らがった。


+++


 立川吹雪がトイレに立つと、根津の向いに座っていたスウェンが言った。

「…月島、以前からお前にききたいと思っていたことがあったんだ。」

「…なんだ。」

「…まず、好きな食い物は何だ。」

 根津が黙って見ていると、月島は奇妙な顔になった。

「…?…焼き茄子…と、豆腐とネギの味噌汁。サヤエンドウと油あげの味噌汁も好きだ。」

 須藤が噴いた。

「合わねえ、顔に…」

「…甘い菓子は食えるのか?」

「食えるが…なぜそんなことを聞く?」

「お前のデータをもっていると、女子にモテるんだ。頼む、見捨てないでくれ。…クッキー、ケーキ、フィナンシェ、シュークリームのうち、どれが好きだ?」

「…??フィナンシェ…かな?」

 スウェンはキーを打ってメモした。

「飲み物はなにが好きだ。」

「…ジュースか?…メロンソーダとか…」

「コーヒー、紅茶、日本茶、中国茶、…すきなのはどれだ。」

「…コーヒー。」

「焼き肉、カラオケ、スポーツ観戦、映画鑑賞、美術展、演奏会…おごってやるといわれたら、何が気楽だ?」

「…焼き肉は高いから気が重いな。リバイバル映画とか。」

「逆に気にしなくていいなら、どれに一番行きたい?」

「焼き肉。」

「好きな色は。」

「……薄いピンクとか、かわいい。夜明けの空の金色も好きだ。気持ちが生き生きとリフレッシュする。」

「好きな女のタレントは。」

「キャスリーン・メルロワ。」

「ソレだれ。」

 須藤が口を挟んだ。

 冴は言った。

「…あまり有名でないが、一応女優だ。ハリウッドの。」

「どういうとこが好きなんだ?」

「…目がきれいな緑色で、虹彩に独特のまだら模様があるんだ。」

「…それだけ?」

「それだけ。」

 須藤はちょっとあきれ顔だった。

 スウェンの質問が続いた。

「…好きなミュージシャンは?」

「とくにいない。そのときどきの流行モノ。…音楽そのものはジャズやボサノヴァが好きだが。」

「おっ、渋いな。やっと期待の言葉が出て来たぞ。…犬派か猫派か。」

「…どっちも好きだ。」

「…藤原と立川が崖から落ちそうになってる。時間的にひとりしか助けられない。どっちを助ける?」

 根津は思わずくるっと後ろを向いて笑った。向うで大真面目な顔で藤原が青ざめているのだ。須藤も苦笑している。

「…多分藤原は俺が助けなくても自力で充分這い登れる。…そして俺が立川を助けるのを、すぐに手伝ってくれるはずだ。藤原はそういう男だ。」

 冴はそういって、ニヤリと笑った。

 …なるほど、と根津は思った。藤原をちらっと見ると、複雑そうだったが、満更不満でもなさそうな顔をしていた。…生殺しだ。

 …立川が帰って来て、インタビューは終わった。

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