01 ハレルヤ・ホーム
S-23高等部2年は、全クラス一斉日程で修学旅行へ出かける。
コースはアジアへ行く西グループ、シベリアへ行く北グループに本人の希望によって別れるが、出発はいずれも水曜の朝、州都中央の駅からだった。
S-23には奇妙である意味はた迷惑ともいえる伝統がある。特別列車の発つ地上13番ホ-ムに集合し、そこで集まった順にアカペラでハレルヤコーラスを繰返し合唱するのだ。それは出発前の点呼まで続き、点呼のあと、今度は第九…「喜びのうた」が指揮つきで大合唱される。そのあと、おもむろに半分くらいずつ時間差で別の列車に乗り込んで、州都を発つ。
それは州都中央駅の、冬の到来を告げる風物詩でもあった。
立川吹雪は美麗な友人・月島冴の左腕に抱き着いて、朝からほくほくの気分だった。駅の前で送りの車から下りた「美しい月島くん」とばったり会うなんて、朝一番に数少ない友人に会えるだけでも運がいいのに、それが月島冴だなんて、幸先がよすぎる。
「うふーん、冴、嬉しいなぁ、冴と一週間、一つ屋根の下、だね…。」
「…そんなことが嬉しいのか?」
「嬉しいよ。」
そうかと適当に答える冴は寝不足顔だった。
2人がホームへのエスカレーターに乗ると、…ホームではすでにハレルヤコーラスが始まっていた。
「…なんだこれ…」
冴が驚いた。そう言えば、冴は今年の春に編入したばかりで、S-23の奇妙な伝統の数々をよく知らないのだった。
「あ、ハレルヤコーラス。中学部の最後のほうの『思い出週間』に習うんだよ。…そっか、冴、まだいなかったもんな。歌える?」
冴は青くなって首を振った。オイリュトミーにも大抵はついていけない編入生特有の恐怖が顔にのぼった。
冴は学科は優等生だし弁論も強い、連邦共通語のスピーチも母国語並だが…体育以外の技能・芸術系は並だった。噂では料理はうまいらしいが、男子の家庭科は中学部までしかない。
「…じゃあ、口パクでね。ま、歌わなくてもいいけど。俺も半分くらいしかわかんない。大丈夫だよ、合唱部と音楽科が勝手に盛り上げるから。」
吹雪はどうってことないよ、と冴の腕をぽんぽんと叩いて慰めた。
ホームに登ると、そこは、普段は使われていない州鉄の古い線路の先だった。昔まだ、ここがごく当たり前の小さな駅だったころに使われていた線路だ。つまりそれは、気象パネル衛星が打ち上げられる以前、いや、ここいらがエリア地区と呼ばれはじめる以前のこと、という意味だ。州外チューブラインやモノレールと繋がれて、高架・地上・地下あわせて172のホームが密集する巨大なハブステーションと化した今でも、昔の名残りを惜しむかのように、その線路はひっそりとあって…、こうしてときどき、臨時列車の指定ホームとなる。
その古く汚れた、あちらこちらに傷のあるホームを、高校生達の歌声が揺るがしていた。旅立ちの喜びを込めて、朝日のなかを、歌声が幾重にも重なって突き抜けて行く。その晴れがましさは、まるで今朝の吹雪の気持ちそのもののようだった。あらゆるホームの列車を待つ乗客たちが、地上13番ホームに注目していた。その多くは懐かしみや愛着のこもった柔らかな眼差しで、或いは稀に、嫉妬し憎むような瞳孔で。
冴は圧倒された様子で周囲を見回していた。吹雪が腕をひっぱってやると、おずおず進んだ。吹雪は知っているフレーズだけを口ずさみながら、冴を仲間のところへ連れていった。吹雪がみつけたのは須藤と根津で、須藤は堂々たる美声でバスパートを正確に歌い上げていた。根津は適当だ。
「オハヨ月島。歌詞あるよ。ほい。」
中学編入の根津が気をつかって歌詞を持って来てくれていた。受け取ったものの、冴はさっぱりわからないようすだった。
冴が片身狭そうに、根津と吹雪に挟まれて立っているところへ、やがて陽気に歌いながら藤原がやってきた。藤原は視線だけで友人達に挨拶し、迷わずに須藤の隣に立つと、二人できれいなハーモニーを作った。
生徒が増えるにつれ、合唱は迫力を増した。ホームが揺れているように思えるほどだった。繰返すうち、寝起きで擦れていた女子達の声が、徐々に艶のある、こぼれ出る鈴の音のような美麗な響きに変わってゆく。
…天使が降臨しかねない波動が州都中央の駅に広がり、全てのホームを浄化した。
明るい、明るい光。
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「…朝から心臓がとまるかと思った。」
「月島、第九は歌えるんだ?」
「第九ったって、…日本語だったからな。田舎の中学の卒業式で歌ったのと同じやつでよかった。」
「あっ、S-23も卒業式、あれだった。」
「…じゃ、俺はこっちの席だから。」
「あ、うん、…まあ、一時間ぐらいで席はメチャメチャになると思うが。」
「藤原はどっち」
「俺はこっちだな。」
「たちかわ、つきしま、…ふじわら~」
吹雪がからかうと、藤原は心底くやしそうな顔をした。…席は出席番号順だった。吹雪は冴のとなりに無事収まった。
列車は古風なボックスシートだった。
「…な、冴、…終盤の自由研修日、グループ一緒になったやついるだろ。」
荷物を棚に上げながら吹雪はひそひそ言った。
自由研修日のグループは6人で…冴たちのいつものメンバーは首尾よく一緒にかたまったが、一人はぐれ者を引き受けることになっていた。
「…オーウェン?」
吹雪はうなづいて、ひそひそ言った。
「うん。あいつって、誰の知り合いなの?」
「…俺はお前の知り合いだと思っていた。」
「ちがうよ。…うーん、藤原かな??…向うが入れてくれって言って来たから、誰かと友達なのかと思ってた。」
「…まあ、別に、誰の友達でもよかろう。楽しくやれば、それで。」
冴がいつものどうでもよさそうな大様ぶりを発揮した。
吹雪は、冴が自分を友人として受け入れてくれたときのことを思い出し、なんとなく嬉しくなった。
「そうだなっ。」
…にっこりした。冴のそばにいると、吹雪はなんだか安心できる。
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列車がホームを離れると、やっと冴は、吹雪の隣で落ち着いた。
…とりあえず、「狂乱修学旅行序曲」状態の数日だった。その仕上げがハレルヤだったのだ。寿命が縮んだ。
数日前から陽介の食事をどうしようかあれこれ悩んで。冴は必死だったのに、陽介のほうは陽介のほうで、冴の貞操をものすごく心配していて。口論になり…というのは冴は冴で留守中の間男を心配していたので…。買い物に行けば、陽介はやたらと根津にあいそをふるし。…結局昨日は寝不足になるほど別れを惜しんで陽介を抱いた。…馬鹿である。
今朝最後の朝食を陽介に食べさせて…いろいろ言い含めて、うるさがられて、言い返されて、またエンドレスにもめそうだったが、時刻になり、陽介が車で駅まで送ってくれた。駅前で吹雪と会うと、陽介は冴を、ぽいっ、という感じで吹雪に預けた。よほど五月蝿かったのだろう。…冴はものすごく不安になった。陽介はこんな態度をとってはみても、実は無類の寂しがりやだ。寂しくなるとそのへんの男にふらふら近寄っていく。…前科だってあったりするのだ。
そんなこんなだったので、冴は、大事なことをわりと適当にこなして来てしまっていた。
…というのも、一昨日、冴に一通メールと小荷物が届いた。
ユウからだった。
ユウは冴と同郷で、血は繋がっていなくとも、冴の亡き父を叔父と呼ぶ、いわば親戚のような女子大学生だ。学生だが、実家が神社で、本職のお払いや祈祷は勿論、占いや憑物落とし、魔よけやまじないといったことを普段からやって金をとっているプロだ。陽介とは複雑な事情のある幼馴染で、冴に陽介宅への下宿を紹介してくれたのもユウだったのだが、何故か2人は、普段は仲が悪い。
「古都のほうは、雑多にいろいろいるし、修学旅行生は連れて歩きやすいから、ちゃんと魔よけを持って行きなさいね。」
メールにはそうかいてあって、小荷物にはおフダだの指環型の小さなお守りだの、なんか紐だの、なんだのが入っていた。
冴は「魔よけなぞナイフの一本もあれば充分だ」と思っていたが、陽介に、「…冴、怖いナイフは置いて行きなさいね。もっていくなら、刃渡り5センチ以下を一本だけしか許しません。」と百合子(陽介の母だ)の口調で言われて、仕方なく小さいものに入れ替えた。そして代わりに、ユウのくれた魔よけグッズをひとまとめに袋に入れて、荷物に突っ込んだ。…つっこんだきり、忘れていた。
教師からの連絡が終わると、列車の中は賑やかになった。ボックスの向いの連中と話も弾み、カードゲームが始まると、まもなく、吹雪は呆れた声で言った。
「…普通、こういうふうに疲れ切るのって…3日目以降だよな。」
向いの男子は笑いを堪えて小声で言った。
「…楽しみで昨日眠れなかったんじゃねーの?」
「…クマたんいるから安心したんじゃねーの。」
「なんだよお、クマたんて。俺かぁ?」
向いの2人はふきだした。
…冴は吹雪をクマの縫いぐるみよろしく抱き締めて、爆睡に突入していた。