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16 面会

 真神原に点在する小さなドームの数々と、それを繋ぐ極細のチューブラインは、奈良の名物だ。まるで遊園地のコースターを冗談のように引き延ばしたようなシロモノで、そのランチはレールのうえではなく、透明なチューブの中を通る。大きなチューブが磁力や空気圧を利用しているのと違って、奈良の遺跡巡りチューブは、まさにジェットコースターのように、高低差や電力によるゼンマイのようなものを利用している。なかなかにかわいらしく、かつ重力調整がはいっていないので疾走感があり、エキサイティングな乗り物だった。若い子にはとても人気のある観光コースだ。

 石舞台にいるとき、冴の携帯が鳴った。出ると、担任の小島だった。

「あ、月島?…あのね、急なんだけど、お前に今夜、面会がはいったよ。」

「え…俺にですか?」

 まさか、連絡しなかったからユウが心配して来たのだろうかと思い、冴は焦った。

「うん、久鹿だよ。」

「陽さん?!」

「うん。さっき連絡が入って。…今日、お前達の班、8時戻りだろ、ちょっと一時間はやく、7時までにもどっといで。…根津も同じ時間に面会はいってるから、2人で一緒にかえってきたらいいよ。」

 小島は昔陽介の担任だったことがある。見知った仲なのだった。

「はい…わかりました。」

「おまえんとこの班長、藤原だったよね。ワタシから言うからちょっと代わって。」

 エッ、と思って、冴はいやな気分になった。

 まあ、仕方がない。藤原を呼んで、電話を貸した。

(…まあ、浮気されるより、いいか、こういう我侭のほうが…)

と冴は思い、突然やって来た陽介のことを、別に怒るつもりもなかった。陽介が冴のことを好きなのは知っているし、冴だって陽介に会いたいのだし、…別に陽介が我慢できなくて「きちゃった」からと言って「明日会えるでしょ?!」などとせめる気は毛頭なかった。どうせ藤原のことを懺悔するわけでもなし、隠し通せばそれまでだ。

(…?)

 だが、なんだか違和感があった。

(なんだろう…)

 …胸騒ぎがした。

(親父が…なんかいってなかったっけ…)

(…許可がおりたからついてくとかなんとか…?)

 藤原が電話で冴の肩をつついた。

 冴は顔をあげて、電話を受け取った。  

 藤原はアンニュイな顔になっていて、冴と目を合わせなかった。

 勿論可哀相だとは思うが、冴にはどうしようもない。

 …女の子にちやほやされて、御機嫌をなおしていただく、とかそんなことを祈るしかなかった。

 石舞台では少し見学時間を余計にとっていたので、冴はその時間を利用して、陽介に電話をかけた。昨日、かけられなかったのも気になっていた。

 …まったく通じないのだった。電源をきっているらしかった。

 一応、メールをうっておいた。

 続けて、ユウに電話した。

 ユウには繋がった。

 3人の親子関係霊の成仏の顛末を話すと、ユウは「あら、よかったわね! それは本当によかったわ!」と手放しで喜んでくれた。

「…冴、あんたに、分かっていてほしいのだけど…」

 ユウはいつもとは違う、静かな調子で温かく言った。

「…今回はたまたま、その親子にも時期がきていて、それで立川君が仲介する形で、やっぱり時期が来ていた長崎のひとと繋がって、そこに藤原くんがいて、さらにあんたがいて、それを教えてくれたそのシロウト占い師の女の子がいて、そうしてやっと、道がひらいたのよ。…時期でなければそういうことは起らないし、時期であったとしても、そういうふうに、連結が上手くいくことは、なかなかに稀な幸運なのよ。それだけの人の力が全部あって、…もしかしたら、あんたがあたしには言わなかった目立たない人物の力もあって、やっとなるべき形になったのよ。」

「…ああ。そうだな。」

 言われてみればその通りだと思った。…たとえば立川をハノイで二晩支えたのは須藤だし、オーウェンがいなかったら、冴たちは何が起っているかよくわからなかったことだろう。…亡き父も助けてくれた。

「…世界が動くときは、そういうものなの。あんたにその形を、覚えておいてほしいのよ。

 あんたは普通の人間とはあらゆる意味で違うのだし、あんたはいろんな人間の運命を狂わせがちな人間なの。

 だけど、それは、…ただあんたがあんたであるだけでは、狂ったりしないのよ。

 いろんなことがかさなって巡るのが運命というものなの。

 …だから、何か悲劇がおこったとしても、すべて自分のせいだと思ってはいけないわよ。それは傲慢よ。」

 冴は少しだまったのちに、うなづいた。

「…ああ、そうなんだろうな。…そう考えるべきだと思う。」

「うん…。それから、そのへんを漂っている霊を、迂闊に助けようとしないでね。一人では無理なんだから。」

「それは今回とてもよくわかったし…まあ、俺はそもそも、見えないからな、その類いは。」

「そうね。それはせめてもの救いだわ。仏の慈悲かなんかよ。」

「…だな。…ところで…」

 冴は今日、陽介が突然来ることになった話をした。

「…今朝、ついさっきまで学校にいたわ。」

「…なにかかわった様子は…。」

 ユウは黙った。

「…おい、」

「…あとでメールするわ。切るわね。」

 ユウは電話を一方的に切った。

 冴は、眉をひそめた。


+++


 ユウからのメールは、なかなか来なかった。

 昼食が済んで、午後の日程も半ばまで過ぎたとき、ようやっと流れて来た。

『10時過ぎに、夜思が接触。2人密談しつつ教室を出て、その後見ていない。大学内に、久鹿を探す奇妙な連中数人。文1の1年が数名久鹿の消息を聞かれている。幸い、わたしには寄ってきていない。あんたもあまり話をあちこちに広げないように。久鹿は心配無用。自分のことを考えるように。』

 …短いそのメールは、冴の神経を逆なでした。

(だから…)

(だからあいつはまずいっていったのに、陽さん!!)

「何固まってンの、月島。…久鹿さんが来るって?今日。…もうバレたの?藤原の件。」

 根津に話し掛けられて、冴ははっとして、画面を閉じた。

「…いや、なんだか…陽さんのほうで、何かあったらしいんだ。それで、多分、逃げて来るんだと思う。」

「逃げてって…」

「わからない…、俺もくわしいことは。ただ、あの人はときどき、護衛が必要な状況に陥ることがある。おうちの事情だったり…まあいろいろ…。修学旅行生に紛れるのは妙案だ。」

「…藤原に口止めしておくから。…お前の口から今言うと、カドがたつだろ。」

「すまん、根津。」

「お前のためじゃないから気にするな。」

 根津は笑って、冴の背中をバン、と叩いた。

「…6時になったらみんなと分れて、宿へ行こう。…藤原が女の子から告られてる時に俺達は家族に御面会ってわけだ。」

「ああ、そうだな。」

 根津は手をふって、冴から離れると、藤原のほうへ歩いて行った。


+++


 根津と冴が宿に戻ると、小島が玄関で待っていた。小島のそばに…

「陽さん、…」

「わっ、冴、なんだお前ひどい顔して! ちゃんと寝なきゃ駄目じゃないか!」

 周囲などまったく気にせずに冴が陽介を抱き締めると、小島もまた何も気にせずに言った。

「…ここロビーがなくてさー。面会用に久鹿が部屋借りてくれたから、そっちへお行き。…根津のおかーさんもいるよ。105号室ね。一部屋しか空いてなくて、いちおう衝立たててくれたらしいけど、話つつぬけで御免ねー。」

 …どうせ狭いロビーで隣り合って話せば同じだ。

 抱きあったときの美しい波動をじぃーんと味わっている冴を引っぱって、陽介は部屋に向った。根津もついてきた。気のせいか、にこにこしていた。

 声をかけてから陽介が入ると、根津の母親が出て来た。挨拶は済んでいたようだ。根津の母親は太っていたが妙にひきしまっていて背も高く、ものすごい威圧感があった。バリバリの現役のお役人様だ。道理で陽介が玄関でまっていたわけだった。

「おかーさん、なんだよお、突然来てえ。せっかくの自由行動日にー!!」

「抜き打ち監査だよ!」

 そう言うと、母親はけらけら笑った。

「俺にもし藤原みたく今日の7時から告白イベントがはいってたらどうする気だったんだよーっ!」

「おまえに告白するのにわざわざ最終夜7時まで待つ作戦たてる奇特な女子がいるもんかい。そういうことはクラス一番のアイドルにやることだよ。最初をとりそこねたら、最後さね。最後に派手なことやりゃ、真中の連中の印象ふっとばせる。」

 なるほどそうだったのか、と根津はびっくりした。競争率の高い男を好きになると大変なんだな女子も、と思った。…今頃、藤原はまた、そんなけなげな女の子を、この目の前の美麗な男に狂ってすっぱり振っていることだろう。今の藤原に、女なんて誰一人目に入るまい。

 改めて根津は、冴を母親に紹介した。

「あらあら…せっかくのいい男が…寝不足で台なしね。今度コンディションのいいとき、是非みんなでうちに遊びにいらっしゃい、楽しいわよ、北都のドームは。冬も綺麗よ。雪が見られるわ。」

「有難うございます、是非。」

 挨拶が済むと、衝立の両側に分れてふた組は座り、宿が厚意で出してくれた茶をすすった。

 根津家が陽気に盛り上がって来たあたりで、陽介はひそひそと冴に話を切り出した。

「…今日、一講目が終わったところで、夜思に呼び出されて、自宅に戻らずにまっすぐ逃げろと言われた。…表通りのビルのほうまでこっそり行って屋上からうちをみてみたら、囲まれてた。」

「教団ですか。」

「うん。…夜思の話では教団も、鳴海カズくんのあとをつけて、聖地に行くことに決めたらしい。」

「…鳴海の婚約はどうなったんです。」

「…俺も聞いてない。でも何もいってこないから、少しずつでもすすんでいるんだとは思う。」

「…」

「…教団は要するに、カズを探してる状態らしいんだ。俺は今締め上げられても、鳴海の居場所がわからない。…だが、いつきの居場所なら、多分なんとか探せばわかる。」

「…」

「…教団にあとをつけさせて、カズの近くまで引っぱって行く。」

「鳴海を教団に売るんですか?」

「売るわけじゃない。カズはもともと教団を巻き込む気だ。教団しかもっていない情報もあるし、一番最近、聖地にアプローチしたのは教団だから。」

「だったら、カズと教団の話し合いの仲立ちをしてやればいい。そんな危険な…あとをつけさせてひっぱっていくなんて…。」

 陽介は苦笑した。

「冴、…大人はみんな…大人だと思う?」

「…」

 小島にも聞かれたことのある問だった。

「…教団は、カズと和解したり、対等に取り引きしたり、まして頭を下げて一緒に連れて行って下さい、なんてお願いしたりは出来ないんだよ。」

「…」

「…でも、教団は、こんなやり方しかできないけど、なんだかんだいって、俺やカズみたいのを頼りにしちゃってるわけなのよ、いつもいつも。…奴らは俺を利用していると嘯いてはいるけれど…その実、俺がいなけりゃ、肝心なことはなんにもできない、羅針盤のない難破船なのよ。…」

「…」

 冴はうなだれた。

「…行く以外ないんですね。」

「…うん。」

「…行かないって…約束したのに…陽さん…」

「…ごめんね。」

 冴は顔をあげた。

「どうしてそこまでやってやる必要があるんですか、何も関係ないのに、あんな教団。」

「…義務はないけどさ、そうする以外ないときって、あるじゃん、冴。…しめあげられて、答えがないっていうのは、実は最悪なんだよ。放してもらえなくなる。」

 …それは、その通りだ。

 そうする以外ないとき…。

 藤原の水がこぼれた瞬間を、まざまざと冴は思い出した。

「冴、心配しないで、首尾よく案内して、クリスマスには帰ってくるし…様子を見て、パリに助力が頼めそうなら頼むつもりだし。なるべく安全に配慮して動くよ。俺はもう、おそわれたら襲われっぱなしになるしかないタイプだから、襲われないようにがんばるから。」

 冴は胸が痛くなった。そうなのだ、陽介はか弱くて、チカン一人おっぱらえない…。一人でそんな大事をするなんて、無理に決まっている。

「陽さん、俺も一緒に行きます。明日、州都からとんぼ返りして追いますから。」

「…」陽介は笑った。

 その笑顔は、頑強に、「駄目」と言っていた。

「…冴は、学校へいかなくちゃ。帰って2日やすんだら、すぐテストだろ。」

「学校なんかどうでもいいですよ。」

「よくない。…ちゃんと通いなさい。お母さんに言うよ。」

 子供扱いして…。と、冴は陽介を恨んだ。一人じゃなにもできないくせに…と。あんたなんか、あんたなんか俺がいなきゃなにも…と。

 陽介は懐からカードを2枚出した。

「…冴、心配しないで。…あのあと、…俺のとこにも直人さんがきて、一緒についてきてくれるって。だから、大丈夫。」

 冴は衝撃を受けた。

「…死んだ男がついてきたからって、一体なんの役に立つっていうんですか?!」

「…昨日からまったくチカンにあわなくなった。…多分、小さな災いごとはぐっと減るはずだ。」

「…」

 …その能力は、健在だったというわけだ。

 冴は強い敗北感を感じた。

 何で、と思った。

 どうして親父は死んでも陽さんから頼りにされているのに、俺は…と。

「…それと、一度いつきと連絡をとると、以後は通話をパリに傍受される可能性がたかい。お前との話をラウールにきかれるのはいやだから、新しい携帯買ったから。ちょっと携帯出せ。」

「…」

 冴はのろのろと携帯をだして渡した。買ったばかりの最新機種を陽介はとりだし、赤外線通信で、名刺をやりとりした。両方の携帯のランプが点滅すると、陽介はそれぞれ登録を確認して、すぐに電話を冴に返した。

「…あと、これ、…鳴海のくれた茶わん蒸し代、返したんだけど受けとってもらえなかったから、お前にやるわ。…けっこう使いでのある金額だと思うし。…あと、これ、今月の生活費。クリスマスに帰ってくるから、ちゃんと計算して少し残しとけよな。」

「…」

「…冴?」

「…陽さん…陽さんは…俺なんか、イラナイ、ですか?」

「何いってんだよ。餓死させる気か。お前が来る前、ホントに栄養失調になったんだからな、俺。」

「…親父がいれば、俺なんか、…」

 冴がつぶやくと、陽介は呆れて言った。

「まぁた、なにいってんだか。おまえらしくもない。…いつもの絶大な自信はどうしたんだ。こういうときに発揮してくれ、頼むから。」 

「…」

 多分、藤原のことの…後ろめたさもあった。だから…。

 冴がそんな風に考えてしまったのは、自己懲罰だったのかもしれない。

 …こんな俺は陽さんにふさわしくないのかもしれない…と…。

 冴が黙っていると、陽介はテーブルの上にあった冴の手を、上からそっと握った。…冴の手から、全身に、音叉の響きのように、清浄な何かが、痛いほどに広がった。体内をきつい薬で消毒し尽くすような強烈な刺激に、冴は目を閉じて耐えた。

「…冴、よく聞いてくれ。…俺は今、危機的状況にあるから、すべてなにもかもを、お前の望み通りにしてやることはできない。だが、俺は本当にお前が必要だ。お前に自分のことを直人さんと比べて、そんなふうに思ってもらいたくない。

 お前の言う通り、直人さんはもう亡くなった人だ。単にお守り程度に考えてもらいたい。

 お前を学校にやるのは、預かっている俺の義務だ。俺もできればお前を連れて行きたいし、連れて行ったらどんなに心強くて、こんな逃避行でも、どんなに楽しいだろうと思う。…でも、俺はお前をおいて行かなくちゃならない。

 お前は学校へ行け。直人さんは中卒ですごく苦労したんだ。お前はどんな手を使っても必ず学校を卒業させると、それだけは決めていた。遺言したわけじゃないけれど、お前のお母さんも、俺も、それは知っている。…直人さんなら一週間や二週間の休みを揉み消すくらい、荒っぽい手を使ってどうとでもしただろうけれど、俺にそれは無理だ。お前には授業に出席してもらうしかない。

 …冴、俺を見ろ。」

 陽介に厳しく言われて、冴は目を開けた。

 視界が明るくなっている。…体のなかによどんでいたものが、一気に一掃されたような爽快感があった。

「もういちど言うぞ、俺はこれから奴らをひっぱって鳴海のところへ案内する。多少の危険はあるが、向こうの目的は俺じゃなく鳴海だから、俺を黙って泳がす可能性が高い。だから心配しないで、お前は学校へ行け。クリスマスには帰ってくる。それまで、留守を頼む。」

 …見つめあうと、懐かしさで胸が苦しくなった。…自分はいつかどこかの遠い世界で、この人をしっていたと…。そしてそのときも愛しあっていたのだと…。そう確信できる。

 …その絆を信じるのだ。

「…わかりました。」

 冴はうなづいた。

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