13 ビュッフェ
「…盛装2着もってくる馬鹿がどこにいるんだよ。」
「俺のクロゼットは全部盛装なんだ。嘘だと思ったら吹雪にきいてみろ。」
「タッチ、ナントカ言ってよ、この馬鹿に。」
「…綺麗だよ、冴。…抱いて。」
「おいで吹雪。」
2人は芝居がかった仕草でぎゅーっと抱き合った。
「…根津の負け。」
須藤が言うと、根津は坊主頭をがりがり掻いた。
今日はお楽しみの立食パーティーで、マナー講習も5分くらいだった。いわく、「自分の食べるものは自分でとること」「食べない分はとらないこと」「かたよった食べ方をしないで、バランスよく食べること」「走り回らないこと」「ステージの人が話すときは、静かにすること」「ふさわしい話題を選ぶこと」くらいの注意だった。旅行後半は、生徒達の疲れを考えて、お楽しみの時間が増える。この立食パーティーも、その一つだった。だから、レポートもない。チェックシートの提出だけだ。
事前講習もなんのその、女子達は皿いっぱいにケーキを取るやつ、皿いっぱいにフルーツカクテルをとるやつ、皿いっぱいに…という具合に作業分担して、みごとにお菓子だけ食べていた。男子の多くは、たいてい肉ばかり集中的に食べている。
冴は塩がテーブルにないか探したが、見当たらなかった。残念だがしかたがない。小鉢にフォーをよそっていると、背の高い、赤毛の女が近寄って来た。
(…フェルゲンハウアー)
その覚えずにいられない長い名前が脳裏に浮かんだ。
凄まじい美女だった。…ラメのはいった、セクシーなカクテルドレスを着ていた。…赤い口紅が、挑発的になまめかしい。白人の血が濃いらしく、アジア系では太刀打ちできない早熟さだった。
「…月島さん、今晩は。」
「…」
冴は顔を上げた。…挑戦的に睨んだ。
フェルゲンハウアーは苦笑した。
「…女はお嫌い?」
「…」
冴は相手にせずに、その場を去った。
…ああいう女のアクセサリーにされるのはイヤだ、と強く思った。
戻ってみると、須藤に袖を掴んで引っぱられた。
「なんだ?」
「根津は告白イベント中だ。」
「何だと?! 絶対きいてやるぞ!!」
「やめろというのに。…なにヤケになってるんだ。小学部の修学旅行じゃないんだから。」
「…べつにヤケになぞなっていない。」
「 …フェルゲンハウアーに話しかけられたろ。無視か?」
「…俺は事情あって女断ちしてるんだ。」
「…正解だな。おまえ、節操なさそうだから、どうせ手当たり次第だろ?」
「…来るもの拒まずな面がないとはいわんが。」
「お前がそうすると、結局手当りしだいじゃねーかよ。」
須藤は面白そうに笑った。
やがて根津がやってきた。
「おお、根津、…彼女とは付き合うのか?」
「…うーん、とりあえず、一回デートしてみるわ。多分向こうが俺のオタクぶりに驚いてすぐにげると思うけど。まあ、勉強勉強。」
「なんてコだ。」
「それは秘密です。」
なにおう、吐け、などとやっていると、なぜかオーウェンがやってきた。
「おう、オーウェン。」
根津がオーウェンに逃げた。
「…塩、あったか?」
「…流石に土産屋に塩はなかった。」
「米をとっとくんだった。あれでも魔よけにはなる。」
「送っちゃったしな。」
「あったぶんは食ったしな。」
…向うのほうで、小坂と吹雪が2人で楽しそうに何か話していた。2人は意外と気が合うらしかった。…考えてみれば大隈は、北コースへいったので、ここにいない。うってつけなのだった。
冴は食事しながら、会場をさがした。また女子につかまっているのか、藤原はみつからなかった。
冴は須藤に訊ねた。
「須藤は告白イベントはないのか。」
「…ああ、お前寝てたもんな。俺は実は、イッコ下の、中学時代の鼓笛隊の後輩と、あともう少しでうまくいきそうなんだ。…お土産買ったぞ。」
「なんだと?! しらなかったぞ?!」
根津が笑った。
「…お前、タッチーと抱き合ってぐーぐー寝てたからな、あんとき。」
「くそっ、楽しい話を聞き損ねた…。」
オーウェンが言った。
「…おまえけっこう、色恋沙汰好きだよな、そんな顔してるくせに。」
「顔は関係ない。」
「…フジもタッチーもいないからって、荒れるなよ、月島。迷惑だな-、もう。」
根津にからかわれて、冴はカチンときた。
「うるさい。」
…人間、疲れてくると地金がのぞくものである。
+++
「…トモ、美人だし、頭もいいのに。どうして月島くん、会ってもくれないのかしら。」
吹雪は小坂のケーキと、自分のチキンを取り替えて貰いつつ、言った。
「ウーン、なんかねえ、多分、月島は、可愛くって、守ってあげたくなるような、頼り無い女の子が好きなんだと思うよ。…ああいう、なんていうか、…月島と美貌や才知で張り合うようなタイプは、めんどくさいんだと思うよ。」
「…でも、タッチーを抱き締める代わりに女子をだきしめても、別にいいと思うんだけど。」
「…よくないよ。俺を抱き締めるのは冗談で済むけど、女抱き締めたらハァハァしちゃうじゃんか。問題だよ。学校で。」
「…でも、あの人って、腕が寂しいタイプなんでしょ、要するに。」
「そう。なんかをこう、ぎゅーっと抱き締めていたいの。枕とか。ゆたんぽとか。」
「…おこちゃまなのね。みかけによらず。」
「んー、てゆーか、あれは、ヤツの業。」
「…業?」
「うん、前世の呪い。」
「どういう意味?」
「だから、子供を早死にさせちゃったお母さん、とかだったんだと思うよ、前世が。その傷痕が疼くんでしょー?」
「ええっ、なにそれ。タッチーってそういうこと信じちゃうの?非科学的。」
「…非科学的っていうか…。なんか、自明の理として知ってるって感じがするんだよなー。それだけ。」
吹雪はあっさりそう言って、小坂を呆れさせた。
+++
「…藤原って、今、カノジョさんいるの?」
「…いないけど、大恋愛中。…なにさ、お前、俺のこと好きなの?」
「あたしじゃないんだ、友達が-。」
「よくある言い訳だよなー。」
「言ってなさいよ、この自惚れ屋。…告白聞く気は?」
「話をするのはかまわない…、と伝えてくれればオケ。」
「…ちなみに今回何人目?」
「…3人目かな。…あともう一人予約入ってる。」
「…おつかれー。」
「はいはい。」
女友達が去ったので、藤原は顔を上げて、月島を探した。
小坂と飯を食っている立川はすぐにみつかったが、月島はなかなか見つからなかった。
…みつけないほうがいいかな、とも思った。
自分が、約束を守らずに…あのひとときを、繰返し思い出していると、月島に知られるのが怖かった。
本当に好きな相手とするのって、あんな感じなのか…と思った。
男女でも同じなんだろうか…それとも…。
それとも月島だからあんな感じなんだろうか…。
ふと気を抜くとそんなことをぐるぐる考えてしまう。
すぐに忘れるのなんか、無理だ。
…でも忘れたふりをしないと…。
…しないと…。
体がぞくりと疼いた。気配を感じたのだ。振り返ると、月島がいた。
…麗しの月島様だ。盛装した月島は、まばゆいほど美しかった。
文化祭で2人で婚礼衣装なぞ着ていたことなんか、遠い昔のことみたいだった。
「藤原、大丈夫か?須藤が心配してたぞ。…なんだか、道を踏み外しかけるとかいって。」
「どう言う意味だよそれ。」
「花壇につっこんだり、車道にでていったり。」
「ああ。」
…文字どおりのほうだった。
「…寝不足つづきでぼけーっとしちまってさ。」
「食い物にはありつけたか?」
「ポークと、ビーフ…はらいっぱい食ったよ。そのあと野菜食ってたら、女子がケーキわけてくれた。」
「満腹だな。」
「そうだな。だいたい。…ワイン色してんのって、葡萄のジュースだろ?なんか炭酸ねーのかな。」
「行ってみようか?」
月島が飲み物を配っているカウンターを指す。うなづいて、月島と一緒に歩き出した。
「…月島。」
「んー?」
「…」
「…なんだ?」
「いや、なんでもないよ。」
藤原は無理をして笑い、前を向いて歩調を上げた。
月島が言った。
「…藤原、忘れろよ?…おまえ…初めてでもあるまいし。」
「…わかってる。」
(…わかってるけど…。)
藤原はそう答えながら、体が熱くなるのを止められなかった。頭がガンガン鳴って目眩がする。そのまま月島を抱き締めて、激しく奪い合いたい、と思った。…昨夜のように。
藤原が立ち止まると、月島も立ち止まった。そしてうつむく藤原に、優しい口調で言った。
「…飲み物もってくるから、ここにいろ。…な?」
藤原はうなづいた。
遠ざかって行く月島の後ろ姿を恥じ入るように盗み見て、その背中に…、初めてだよ、と心の中で藤原は言った。
本当に好きな相手とやったのは、初めてなんだよ、と。
+++
「あんな状態でフジを一人にするな。可哀想だろ。放置するくらいなら俺たちのところに連れて来い。馬鹿。」
「放置したわけじゃなくて、そっとしといただけだ。…むしろお前がいくのが早過ぎたんだろ。」
「月島、いいかげんにしろよ。」
「藤原は幼児じゃないんだ、お前は気にし過ぎだろう。あいつだって一人の時間が必要なときもあるんだ。」
「…まあ、2人ともおちつけって。…あのな、」
根津が須藤と冴の間を割っているところに、やっと吹雪は間に合った。
「けんかするならあとにしろよ。今はヤバい。評定さがるよ、2人とも。」
…小坂をつれてきたのが大正解だった。冴はふいっと向こうをむいたきり、口をつぐんだ。小坂があきれて訊ねた。
「どーおしたの、楽しい立食パーティーで、満腹でケンカなんて。」
須藤はひきつった顔でにっこりした。
「なんでもねーよ、小坂。」
冴はその隙に、気配なく、すっ、とその場を去った。
吹雪はすかさず後を追おうとしたが、根津にとめられた。
「タッチ、大丈夫。そっとしといて。」
「どしたの?」
根津は小坂の耳に入らないように、吹雪の耳にひそひそ言った。
吹雪はそれを聞いて、少し暗澹とした気分になった。
「…藤原、ダメかな…?」
「…大丈夫だよ。…月島、多分見に行ったから。」
根津はちょっと笑った。そしてひそひそ言った。
「…ところでタッチ、あの2人はどっちがヤッたと思う??」
「えーっ、そりゃ月島だろーっ!?」
「しーっ!!」
小坂がびっくりして吹雪を見た。吹雪はあははと笑って、根津をひっぱると、くるっと小坂に背を向けた。そしていっそうヒソヒソと言った。
「…藤原が月島ヤるって、そりゃどうよ!」
「…でも藤原受けられると思う??」
「う・うーん…。」
吹雪は考え込んだ。
「…」
2人を見た小坂はなにか察した様子で、さり気なく場を離れた。須藤が言った。
「なんの内緒話だ。」
「…うーん、なんていうか…藤原重紀の柔軟性についての問題提起。」
「…まあ、いいけどな。…」
「ねーねー、すどうくんの前世って、どっかの爺や?」
…気を利かせて話題を変えたつもりだった吹雪は、須藤に突き飛ばされた。
+++
「根津の前世は…書生で終わった文学青年。夭折。」
パーティー解散後、失礼なことを言い出した立川を、根津はとりあえず、スリッパでぶっておいた。根津たちの部屋に、立川と須藤が来ていた。
みていたオーウェンが、制服を脱いでかけながら、ぼそっと言った。
「…なんでわかる?」
立川は耳をパタパタさせる動物のような顔で言った。
「急にそんな気がしただけ。…古都すぎてから、なんとなくそういうこと考えるようになった。」
「ふうん…。今までは一度も?」
「うん、ぜんぜーん。前世とか信じてないし。」
須藤が首をひねった。
「信じてないのに、そんな気がするのか?」
立川はいっそうパタパタさせているような顔で言った。
「するー。」
「俺は?」
オーウェンがたずねると、立川は少し考えて、言った。
「一つは、お坊さん。でも、なんか洋服つくってる感じもする。」
「坊主は当たり。俺の前世はだれにきいても、坊主。…仕立て屋っていうのは初めて聞いた。」
「出家するまえ、仕立て屋だったんじゃないの。」
根津も着替えながら言った。
「さあ…。」オーウェンは言った。「…藤原の前世は?」
立川はまたない耳をぱたぱたさせた。
「んとー…お役人。」
「タッチー自身は? 」
須藤が訊ねた。立川は考えて言った。
「俺はねえ、子供の時に死んじゃったみたい。」
「…どうして?」
「んー…わかんないけど。なんとなく。」
「…タッチー、隣のクラスの大弓に勝てるぜ。やれ、占師。」
「えへー、そうかな?いいかもー。」
立川は根津のつかっているベッドに勝手にゴロゴロした。もう着替え済みで、私服になっている。
「…おまえらの部屋あいてんだろ、俺にかしてくれない?」
根津は言った。
「なんで。」
「俺昨日ぜんぜん課題まにあってないんだよ。ちょっと1時間くらい、時間希望。」
「あー、いいよ、別に。でも、邪魔なら俺たちが帰ってもいいけど…。」
「…オーウェン一人でなんか出たらかわいそーだから、いてやってくんね?」
オーウェンは憤慨した。
「俺は別に頼んでないからな!」
「頼まれてないよ。気をきかせてやっただけ。…じゃ、タッチ、須藤、頼むね。」
「いいよー、いっといでー。」
+++
冴は藤原を、20階の展望ロビーで見つけた。藤原は、そこに黙って座っていた。
冴が隣に座ると、藤原は、ふん、と笑った。
「…わかってるよ。心配しなくても、大丈夫だって。…俺は滅多にお前んとこの家主さんと会ったりしねえし。…誰にもいわないよ。」
「…そうじゃない。」
…そんな理由で追って来たわけではない。
だが藤原は、冴から、思い遣りとか慰めとか、そういう気持ちを受け取りたくないようだった。
藤原は言った。
「…憐れむな。」
「憐れんでなぞいない。」
「嘘だ。」
「…」
冴は黙った。
俺は、藤原にかえって酷いことをしたんだろうか、と思った。
2人はしばらくそうして黙っていたが、藤原はやがて、時計をみて、立ち上がった。…冴も、藤原のあとをついていった。
部屋に戻ると、藤原は、少しプールで泳いでくる、と言って、てばやく着替えると、冴を残して出ていった。
…須藤に泣いてるところを見られた、その八つ当たりを冴にしている程度のことなら、冴は、別段かまわない、と思った。だが、…もし、そうではなかったら?
ため息をついてベッドに座った。
…かなり疲れが残っていた。…吹雪と一緒の部屋のほうが楽で良かったな、と、冴は酷いことを考えた。誰でもいいし、なんでもいいから、ちょっと何かを抱いていれば、安心して良く眠れる、それだけのことなのだ。
だが、おかしな話だった。
冴は母親と暮していた頃は、そんな変なクセはなかった。…エリアに来てからだ。それも多分、陽介と寝るようになってから。それにしたって「なかったら眠れない」などという重症ではなかった。
…昨日はあきらかに、眠れなかった。
冴は上着だけ脱いで引っこ抜いたネクタイと一緒に椅子に投げ、なんとなく枕をひっぱり出して抱くと、そのままベッドに横になった。…うとうとした。
しばらくして、誰かがそばに立っているな、と感じた。
藤原がかえってきたのだろうかと思ったが、藤原の気配ではないように思った。
…よく知っている誰か、だった。
「…冴、そのままでいいから聞きなさい。…起きなくていい。起きるとお前とは波長が合わないから。」
ああ、あんたか、と思った。
「…が少しよそへ行くことになった。だが、許可が下りたので、私がついてゆく。心配しなくていいから、とりあえずお前はきちんと学校へ行きなさい。いいな?」
なんだって?と思った。
「…古都の親子は、日本にかえってから落としなさい。…あの子は、おまえに抱かれていると気分がいいようだし、お前もあの子を抱いていると落ち着くようだが、お互い何の関係もないし、あまりいいことでもない。遠慮なく落としなさい。落とし方は××くんがしっているから、仲直りして、ききなさい。」
え、なんで藤原が?と思った。
「…それと、××くんのことだが…彼はお前のことがとても好きなので、それを分かってあげなさい。分かって、きちんと受け止めてあげなさい。そうすれば、あとはカレは自分で決着をつける。急かさないで、少しの間、彼を大切にしてあげなさい。…まちがっても脅したり撲ったりするなよ。そんなことをしたら、陽ちゃんとちがってとりかえしはつかないぞ。彼を信頼しなさい。彼はお前を貶めた女たちではない。決して、女たちへの恨みを彼にぶつけないようにしなさい。細心の注意を払いなさい。そうすれば、彼はお前の信頼に答える。わかったな?」
…わかった、とうなづくと、気配はすっと消えた。
冴は目を開いたが、そこには誰もいなかった。
…ひどい胸騒ぎがした。
冴はとび起きて、着替えた。着替え終わると同時に、電話が鳴った。




