09 恋するハノイ
州外へ出る生徒達の大方は、上機嫌だった。
ただ、A組とB組の男子たちは、一部バス酔いして、チューブラインステーションに到着しても、苦しげだった。寝不足のせいだろうと思われた。
「やーねーもう、朝方まで猥談してたんでしょーっ。男子ーっ。」
「猥談なんて、古風な言い方知ってるねアンタ…。」
クラスの女子たちにばたばた背中を叩かれながら、藤原は冷汗をかいて、吐き気をこらえていた。
「藤、エリカに告られたんでしょ、付き合うの?」
「…どうでもいいけど叩くなよ。」
「え、別にたたいてないけど…」
女子はとぼけた。
「…誰にも言ってないのになんで知ってンの?」
「さあ。あたしはF組のハロハロに聞いた。」
「…じゃあ結果もハロハロとやらにきいてみてくれ。俺に関してどういう情報が流れてんのか興味あっから。」
「えーっ、おしえてよーっ。いいじゃんーっ。」
また、ばんとたたかれた。藤原は吐き気を必死で堪えた。
「…やなこった。」
「どうせすぐばれるってー。」
また、ばん。
「…う、駄目だ、俺、ちょっと吐いてくるわ。センセイにいっといてくんね?」
藤原は荷物を女子におしつけて、バタバタ走ってトイレに行った。
…朝食べたものをすべて吐いた。吐いているうちに、生卵を思い出して、ことさらに吐いた。
吐くものがなくなって、やっとほっと一息ついた。
ふと、便器の中をみると、吐瀉物に混じって、なにか溺れかかっていた。
吐瀉物の色と同じ色だったが、なんだか、じたばたと苦しんでいるようすだった。
藤原は深く考えず、吐いたものを水に流して個室を出た。
洗面所で口を濯いでいると、月島が入ってきた。…迎えにきてくれたらしい。
「…大丈夫か、藤原。」
「ああ、うん。ちょっと車酔い。…寝不足したからだろ。普段はあまり、酔わないんだけどな。」
月島がティッシュを引っぱり出して、なにか頬の辺りを拭ってくれた。…吐いたものがついていたらしい。…申し訳なく思った。
「…あ、ごめん…」
「…なにが。…行くぞ。」
ゴミを片隅のボックスに放り込んで、月島は藤原の背中にそっと手を回して促し、トイレを出た。
月島がぼそっといった。
「…おまえ、…後ろの人に感謝したほうがいいぞ。」
「…俺って、なんか、偉い人ついてんの?」
「…」
月島は黙って笑った。
「…藤原、次の告白イベントは奈良か?」
「うん、そう。」
「…お前は大丈夫だ、女たちもお前を守ってくれる。女の守りは強いから。」
「…でも、幽霊騒ぎで集団パニック起こすのって、普通女子だよな。」
「…あれは一種の祭だ。あいつらの多くは祭りであることがわかっててやっている。だから終わったらケロリとしたものだ。」
藤原は月島をおいかけながら、尋ねた。
「…月島、…立川のは…」
「…今はなんともいえない。…今夜は立川とは部屋が別だ。何か動きがあるかもしれん。」
「…まだついてるんだ?」
「…俺は霊能者じゃない。ただ、…田舎があるから、こういうことに慣れてるだけなんだ。俺の親たちが育った山は…そういう部分が未開の地といってもいいほどで…。…当たり前のように神々が在って…当たり前のように、素朴な信仰があった。…母の実家では、いつも神棚に卵をそなえていた。」
「…。」
エリア育ちの藤原でも、日本のそうした文化は勿論知っている。近所には稲荷もあるし、初詣だって行く。…だが、月島の口調はそうした形骸化した行事とは、一線を画した重量感…というより、湿度、みたいなものがあった。
「…そういえば、今夜はお前と2人だな。…ゆっくり話そう。楽しみだ。」
月島は突然そういって、美しい顔で嬉しそうに笑った。
急にとびきりの笑顔で笑うものだから、藤原は…腰が抜けるかと思った。
+++
チューブラインを使えば、長崎からハノイまで、一時間もかからない。
長崎・ハノイ間のチューブラインは昨年敷設されたばかりの新しいラインだった。国内線とちがって、サービスは連邦がおこなっている。パスポートチェックが、州内とは段違いの厳しさだった。学生達の横を、出入国警備員に捕まった人間がぞろぞろとどこかへ連れてゆかれた。生徒達はなんとなく緊張した。違法滞在者、という言葉が、生徒達の脳裏に浮かぶ。
なんだかんだで手続きが必要で、移動よりもそこに時間がかかるのは、州内と同じだった。けれども生徒達は、生真面目に列をつくり、順番をまった。
ゲートをくぐってから、ほっとたした面持ちで、須藤が言った。
「…あとは乗っておりれば、北緯21度ってわけだ。」
周囲も緊張をといて、同意した。
アクリルウォールの向こうを、何かの罪で大人達が連行されてゆく。何人も、何人も。
+++
ハノイで生じた他クラスの到着待ちの時間、流石に完全自由というわけにはいかず、到着ロビーというところで待たされた。
ロビーは日本とちがって、恐ろしいほどの数の売店であふれていた。連邦の中は通貨が統一されている。州で使っていた通貨は、そのまま店で使えた。
「…州によって、個性ってあるんだな。」
立川が感心してきょろきょろしている。藤原が見ていると、月島は立川の耳もとにひそひそ何か吹き込んで、2人はくすくす笑った。…なんとなくムッとして、話しかけた。
「なに内緒話?」
月島は笑って向こうを指差した。…テディ・ベアの専門店があった。藤原はますます腹が立った。
だいたい月島という男は誰に対しても調子がよくて、…藤原に何か期待させるようなことを言った直後に、立川に「今夜はお前がいないから、あのクマ買っとくかな。」とかなんとか言っているのだ。
「…何怒ってンだ、フジ。」
不思議そうに須藤にきかれたが、まさかくわしく説明はできなかた。
荷物を集めて置いて、藤原はなにか食べ物を買おうと売店の一つに入った。
朝食を吐いてしまったので、空腹だった。昼食まではまだ時間がある。
先に根津がきて、飲み物を買っていた。
「根津、何飲むの。」
「ビール。」
「をい。」
「うそうそ。ただのクラムチャウダー。」
「…スープか。いいかもな。俺、飯吐いたから腹へって。」
「俺もなーんか胃の具合わりぃ。あ、おかゆとか、フォーとかあるみたいだよ?あっちに。」
「…うん、今はとにかく、なんか食い慣れたものが食いたい。」
藤原はサンドウィッチとコーンスープを頼んだ。本当なら、F and Cのフィッシュバーガーが食べたかった。でもないので、仕方がない。
藤原は州外は初めてではない。共通語は普通に通じた。
根津が「ここおけよ」と立食用のテーブルを少しあけてくれたので、お言葉に甘え、根津の隣に立って、食事した。
「…藤原、今日は…月島と一緒の部屋だな。ツインルーム。」
「…スィートが当れば面白かったけどな。C組女子にしてやられた。」
「うん、でもまあ、ツインも楽でいいんじゃない、大部屋が続いたし。シングルでもいいくらいだよ。疲れた。」
「根津はオーウェンと一緒だっけ。…退屈だったら遊びに来いよ。」
「うんまーな。でも少しオーウェンと、話したりしてみるつもり。ノリがわるかったら、別に、一人で本でも読むわ。昨日の一件で、眠いし。…だいたいテーブルマナー研修があるだろ。盛装してフレンチ食うんだぜ、2時間も。多分部屋にかえったらへとへとだよ。」
根津はそういって、はわー、と欠伸した。
「…クマは須藤と一緒か。」
「そ。」
「…」
「…心配?」
「…別に。」
根津はスープのアサリを樹脂のフォークで拾って食べた。
「そだね、藤原は今日は、自分の心配しないとな。」
「どういう意味だよ。」
「…いわなーい。だって藤原怒るもん、絶対。」
根津は嬉しそうにそう言って、ニヤニヤ笑った。
+++
団体観光客を多く受け入れているレストランで、まあまあの昼食をとったあと、世界で今もっとも注目されているという農業施設を見学した。
全員、エアで埃をぶっとばしたあと、紫外線と薬品の霧で消毒され、マスクをかけさせられた。そののち、施設のパイロット・レディが美しい共通語で生徒達を地下へ案内してくれた。
「…愛称の公式募集、正式名称命名権のオークション、…いろいろな方法がとられましたが、市民はそうした結果をまったく顧みず、自分達の心のままに、この施設をこう呼びます、『地下世界』と。ここには、微弱ですが、日光もさしています。足りない分は人工光で補っています。…地下37階です。」
藤原は、遠くに昏い太陽がぎらぎらと輝くのを見上げた。床や天井に透過部分があり、最地下のここでも、太陽が見えた。
周囲はまばゆいほどの人工光につつまれ、地下というよりは、天上の世界にいるようだった。みっしりと包み込む湿気が心地よく、魂が潤う心地がした。…子供の頃想像した、雲の上の世界、カミサマの世界、そのイメージに、極めて近かった。
「ここが『地下世界』と呼ばれるのには、もう一つ理由があります。…連邦ドームの多くは、その厳格な市民権の規定や、遵守運用のシステムにもかかわらず、その多くはスラムを地下街にかかえています。みなさん方の耳に入れまいと必死になっている大人も多いことでしょう。ですが、ここはそれを公開します、次世代を担う子供達に。どう受け取るか、どう判断するかは、皆さんの自由です。」
滅菌素材でできたメタリックグリーンのアオザイで着飾る、その美しいパイロット・レディを、藤原は、見つめた。
女は世界を敵に回す義賊のように生徒たちを挑戦的に見据え、…その姿は輝いて見えた。
「『地下世界』は犯罪者の強制労働によってその生産の2/3が支えられています。…つまり、スラムの解体と同時に作られ、本来なら一括追放されるべき不法滞在者を雇用したものです。これに関しては世界中、そして、ハノイ市民からも強い反対がありました。…みなさんのお友達の中にも、家族の一部が、市の中ではないところにいる御家庭があることでしょう。そういう方々は、自分の家族をこの農園で働かせたいと考えたのです。一緒にすめますからね。…実は、そうした雇用も許されています。一部はそうした労働者たちです。」
女は少し照明を落とし、一面にひろがる畑を見せた。整然と並ぶ緑色の株は、どれもこれも生き生きと育っている。じつにうまそうだった。
「…しかし、ここでの労働はきわめて厳しいものです。今日は気のりしないから間引きはしない、夫のやすみにあわせて家族で旅行にいきたい、収穫は血圧がひくいから午後……もしそんなことをしていたら、植物は一日でおそろしいほど育ってしまいます。まったく通常の労働条件が通用しないのです。…ここでかされる労働は、連邦の基準をはるかに超過してしまうものです。…ここでは、強制労働契約というものがなされます。3年続ければ、不法滞在は不問にされ、1年間、ドームの中の地上に滞在権を得ることが出来ます。ただし、機関により監視されます。そのあいだに就職ができれば、そのままドームにのこることが出来、市民権が得られます。勿論、監視も終了します。もし耐えられなければ、労働者は、いつでも、市外追放を選ぶことが可能です。…これにより、ハノイの不法滞在者は10年前の3/100まで減少しました。また同時に、食料自給率は、280バーセントまで上昇し、みなさんの住むエリアトーキオにもおいしい花ニラやパクチーを沢山輸出しています。」
女は照明をもとに戻した。
「…御説明差し上げた通り、ここは治安のよいところではありませんので、個々人でどこでも御自由にみていただく、というわけにはいきません。列を離れないようにしてください。また、質問は要所要所でとらせていただきます。それ以外の発言、私語などはおひかえください。労働者を指差したり、不躾に視線を合わせたりしないようにしてください、もし目が合ってしまった場合は、軽く会釈するか、すぐに下方向に目をそらしてください。通路から踏出したり、まして余計な扉をあけたりしないようにしてください。我々はあなたがたの身の安全について、なにも保証できません。注意して行動して下さい。」
生徒達は粛々と、パイロットレディのあとに従った。
+++
そんな刺激的な『地下世界』見学だったが、出口で物凄い数のアオザイ美人達から、たくさんの農作物や加工品をお土産に渡され、生徒たちは意外な展開に驚いた。売店もかなり充実していて、生徒達は勢いで、家族にたくさんの食品を買って送った。
「…商売上手だな、ハノイは。」
藤原は出口でたのんで撮らせてもらったパイロットレディの写真を確認して満足しつつ言った。
「…ここの農場を立ち上げたのって、政府じゃなくて事業家なんだって。それもかなりボランティア的だったらしいよ。」
誰かが答えたので見ると、立川だった。藤原は意外に思った。
「…ふーん。なんでしってんだ。」
「…いとこが経済学部。」
「そうだったのか。」
立川はこくこくうなづきながら、米のポップコーンというか、米菓子の一種をばりばり食べていた。売店に売ってたやつだ。…藤原も手を伸ばして、勝手に貰った。
「…ボランティアって。」
「…うん、…その実業家は…物好きでスラムを見に行って…偶然、虐待されてた美人の人妻に一目惚れして…なんとかその人を、暗闇の地下から救い出したかったんだって。」
藤原は驚いた。
「…そんなロマンチックな話だったんだ…?」
「…らしいよ。…すごいね、恋って。たとえ不倫の恋でも、なんか感動しちゃうよね。」
…それを立川が知っていたというところに、ことさら驚いた藤原だった。
立川なんて、地理音痴だし、ゲイジュツカ様で、経済の話なんざ大嫌いなのだと思っていたので。
「…藤原、俺はお前の気持ちなんか全然わからないから、お前は俺が無神経に思えて嫌いなのかもしれないけど、…一つだけ忠告するよ。」
突然の発言に、藤原はなおさら驚いた。
「…なんだよ。いきなり。」
「…なんかハンドクリームとか、オイルみたいなもの持ってる?」
「…?…いや。」
「…ゴム持ってる?1個か2個くらい財布に入ってるよね。」
「…なんで…??」
「…枕許に置いて寝たほうがいいよ。」
「…なんで??」
「…怪我するって、根津が言ってたから。…」
「何でだって聞いてるだろ!」
「…お前、冴に抱き締められたら、勃っちゃうだろ。」
…頭が真っ白になった。
「ツインルームでどこに逃げる気だよ。風呂で寝るのか?鍵かけて?」
「…」
「…冴は一人で寝られないんだよ。」
「…」
藤原が固まっていると、立川はため息をついた。
しょーがねーなこのネンネちゃんはよぉ、と目で語ると、菓子の残りを藤原の手に持たせ、そのまま立ち去った。
+++
ホテルにチェックインした。
立川に変なことを言われたせいか…なんだか妙にどきどきした。
ハノイでは5つのホテルに別れて2泊する。
藤原たちに当ったホテルは、ちょっと古くなっているが、ちゃんとしたホテルで、リゾート施設もついていた。
ハノイ滞在ではホテル滞在マナーやパーティーマナーを叩き込まれることになっている。リゾート施設も必ず一カ所以上利用して、マナーについてのレポートを書くことになっていた。
選択科目で「社交一般」を選んでいる連中は、ソシアルダンスのテストまであるそうだ。そいつらは別のホテルに集められている。気の毒なことだった。俺、外交官の息子でなくてよかった、と藤原は思った。
チェックイン手続きも、部屋ごとに、生徒自身が行なうことになっていた。研修の一環なのだ。
月島がサインしてカードキーを受け取り、部屋番号を確認しあった。
部屋は7階だった。ちゃんとベルボーイが荷物を運んでくれた。
「俺達がもしルームサービスをつかったら、会計はちゃんとチェックアウト時に個人的にやってもらえるのだろうか?学校に一括請求だろうか?」
「チェックアウト時にご精算いただけますよ。」
「そうか。」
「ですが、学校側からの通達もございまして、アルコール類はお運びいたしかねますので、あらかじめご了承ください。」
「ああ、わかった。夜食は何時までとれる?」
「10時まで御注文頂けます。…売店は11時までです。」
「ありがとう。」
…何故か月島は慣れた様子でベルボーイを帰した。
「…月島って、よく旅行すんの?」
「いやぜんぜん。海外はこれが二度目だ。アジアは初めてだな。」
「…州のなかは?」
「…ここ半年くらいは、陽さんと、たまに。」
「どんなとこ行ったりすんの。」
「…山奥の温泉とか。陽さんも俺も、たまに空気のきれいなところにいきたくてしょうがなくなる。…ホテルにはあまり泊まらんよ。だいたいは旅館みたいなところ。陽さんはそういうところが好きなんだ。こぎれいだが、古くて、小さな庭が苔むしてたりして、小川のせせらぎや小鳥のさえずりが聞こえて、みたいなところ。」
…いわゆる、アウトエリア趣味、というやつだった。なるほど、月島を囲っているだけある、高尚な御趣味だな、と藤原は思った。
「ふーん、いいな、温泉。俺もいきてー。…フィールド、だろ?家主さんの車で?」
月島は黙ってうなづいた。
…アウトエリア趣味については、良く言わない人間もエリアには沢山いる。アウトエリアを、なにか下級で、野蛮で、危険で、不潔だと思っている…いや、忌み恐れている愚かな人種も、エリアには確かにいるのだ。
だからこそ、アウトエリア趣味は、「下々にはわからない高尚な」ご趣味なのだった。
2人はチェックシートを出して、チェックインおよび入室時に自分達に誤りがなかったか確認したあと「提出不要」のマークを確かめて、破り捨てた。ついでに『地下世界』のチェックシートもかき込みを行なって、これは提出用だったので、ファイルに綴じた。
「…『地下世界』のレポートかかなきゃな…。」
「…うーん、テーブルが足りないな。」
「廊下の途中に寝椅子とテーブルおいてあるとこあったよ。あそこいいんじゃね?」
「よし、行くか。」
2人はノートを持って、部屋を出た。
テーブルのところにはオーウェンがいて、さきにレポートを書いていた。
「ああ、オーウェン。こっちのあいてるとこ使うぞ。」
「…御自由に。…仲いいよな、お前ら。疲れねえ?そんなにべたべたして。」
「べたべたしてると楽しいぞ。お前もやってみろ。」
「アホか。」
オーウェンはオレンジスカッシュのビンの蓋をあけて、一口飲んだ。
藤原はちょっとむっとして黙った。…月島は別に気にしていないようで、ノートを開くと手早くレポートを打ち始めた。
「…なかなかエキサイティングな見学だったな。一番面白かった。」
藤原が返事をするまえに、何故かオーウェンが言った。
「…汽車ポッポの車窓や原爆記念館よりゃ楽しいにきまってるさ。」
藤原がムッとして返事をしようとすると、朗らかに月島が笑った。
「はっはっは、貸切列車にアオザイのキャンペーンガールはいないからな。」
「…おまえ、顔のわりに下世話だな?」
「顔は関係ない。」
藤原は口を挟むのを諦めた。すると、月島が優しい口調で藤原に言った。
「…俺達もなんか買って飲みながらやろうか、藤原。」
「…」
藤原は返事もせずに立ち上がった。
+++
「…なんかカチンとくるんだけど、オーウェン。」
「そうか?…まあ、あんなもんだろ、男同士だし。あまり俺や女に優しくされてばかりいると、非常識になるぞ藤原。…何飲む?」
「よく言うぜ。…ミネラルウォーター。」
「俺はジャスミンティーにしよう。」
2人で飲み物を買って戻ると、須藤が増えていた。
「…タッチーに机を占領された。」
「油断したな。」
月島はおもしろそうに笑った。
「オーウェンは根津にやられたのか?」
須藤が声をかけると、オーウェンは「別に」とそっけなく答えた。
藤原は言ってやった。
「…人といるのがウザイんだとさ。」
「そんなことは言ってない。」
オーウェンは素早く否定した。
…総合すると、こうなる。…つまり、オーウェンは、部屋の作業机が足りないと思ったから、根津にゆずって、自分が出てきた…と。
そう言えばいいじゃねーかよ、と藤原は腹が立った。
須藤はどちらも聞き流して、月島に言った。
「あの野菜、どうした?送った?」
「いや、持ってる。食おうと思って。うまそうだろ。」
「食うって…どうやって…」
「基本、サラダかな。さっきシンクの形みたが、…ああいうシンクのあるホテルは調理道具かしてくれることが多い。あとでフロントにきいてみる。カットシートと皿くらいあるだろ。…藤原、俺の料理、食ってくれるよな?」
藤原は思わずぱっと顔をあげた。
「…ああ!…そりゃ、勿論。」
月島はうれしそうににこにこした。…ああ、こいつ、餌食わすの、快楽の一種なんだな、…なんかお袋みてぇだな、と藤原は思った。
「俺も食いに行くぞ、月島。どうせテーブルマナーのフレンチなぞ、食った気はぜんぜんするまい。」
「そうか。じゃあ鍋と熱源も借りられないかたのんでみよう。茹でものが入ると食べやすい。イモもうまそうだった。」
「せっかくあるから、米も炊きたいな。どうせ、洋食つづくんだろ、ここ。」
「炊飯器なんかあるかな。鍋で炊くのはあるていど火力がいるぞ。」
「東南アジアは米食圏だ、可能性あるぞ、きいてみよう。タイのホテルにはあったぞ。」
「そりゃタイにはあるわな。」
おしゃべりをしながらも月島と須藤は軽快にタイプしてレポートをどんどん書いた。藤原はこの2人は凄いといつも感心する。脳が2つ3つあって、それぞれ別々の仕事をこなしているかのようなのだ。藤原も、急いで書いた。
オーウェンはというと、しばらく黙ってじっと画面だけみつめていたのだが、やがて唐突にぽつぽつ打ち始めたかと思うと、数分後には壮絶な早さでタイプし始め、一番最初にレポートを仕上げた。スペルチェックをかけたあと、とっととアップロード提出して、ノートをぱたんと閉じた。
「あーがりっ。…じゃっ、がんばれよ、べたべた大好きの月島シェフ。せいぜいうまい煮付けでも食ってくれ。」
「いつでもべたべたしてやるぞ、オーウェン。…またな。」
月島はそういって笑って見送った。
「…月島えらいぞ、よく怒らなかったな。」
須藤が言った。月島はふと顔をあげて、不思議そうに尋ねた。
「…なんか怒るようなこと言ったのか、あいつ。」
「あれはあきらかに当て擦りだと思う。」
藤原が言うと、月島は言った。
「まぁたもうー、藤原はぁー。」
そして藤原の髪をくしゃくしゃ撫でた。
「…世の中には素直になれない男がいっぱいいるんだ。ゆるしてやれ。」
…それを言われると、素直になれない男・藤原重紀は、ちょっと困るのだった。
「…1プランフリーだから、レポート終わったらプール行くか?それともマッサージでも行ってまったりするか?…俺はたいしてできんが、テニスかアーチェリーでも試してみるか?」
月島がやけに優しく御機嫌とりをするので、藤原はなんだか泣きそうになった。…これは多分、ステーションのクマ売り場で立川とベタベタしていた埋め合わせなのだろう。そのぐらいは、自惚れ屋の藤原でもわかった。




