一ノ姫と鄙の君
叙位式の後、外仕女達と喜びを分かち合った後、同僚となる仕女4人に挨拶を済ませた。仕女は定員6名と定められているので今まで以上に連携を密にする必要があるかも知れないと高階姉姫は思った。
引っ越し等の猶予期間が一週間あるため、その間は外仕女と仕女の部屋の間を行き来することになるだろう。最も、高階姉姫は最低限の物しか持参していないため、数時間で引っ越しは終わってしまう。高階妹姫は物持ちの為、暫くかかるかも知れない。
まあ、この一週間は任官の準備期間ということで、仕事は免除されるという暗黙の了解があった。
手持ち無沙汰に図書寮の近くを歩いている時だった。高階姉姫は鄙の君に出食わした。
「権図書助様」
高階姉姫は頭を下げる。知己であるとは言え、公式の場では鄙の君は位の高い図書寮の次官である。
「畏まらなくてもいい」
鄙の君は知己である事を強調した。
「では・・・鄙の君、改めてお久しゅうございます」
再会して以来、碌に会話もしていなかったのだ。二人きりで会う時ぐらい、昔を思い出しながら話すのもよいのではと思った。
「うん。高階姉姫も、見違えた」
鄙の君は少し照れた様に言う。
「随分経ちますから」
高階姉姫は返す。
「鄙の海での事は迷惑をかけた。父君や母君に余計な心配をかけた様だ」
鄙の君は頭を下げる。
「そんな事は・・・祖父がうっかり文にあなたの事を書き添えたのが事の発端なのですから。祖父はああ見えて、うっかり者なのです。それに・・・」
「それに?」
「鄙の海であんなに良くして貰った鄙の君に感謝こそすれ、恨む様な事は一切ございません」
「・・・そうか。それを聞いて一安心した」
鄙の君は心底そう思っている様に大きく息を吐いた。
「そうそう・・・宮仕えの折りは推挙をして頂いてありがとうございます。ちょっと父と婿取りの事で揉めていたので助かりました」
高階姉姫は礼を言った。
「いや、あれは図書頭のした事」
「嘘よ」
高階姉姫はきっぱりと言う。
「ほお・・・どうしてそう思われる?」
鄙の君は受けて立つ様に高階姉姫を見る。
高階姉姫は、高階家と図書頭が全く面識がない事、以前高階妹姫に言い寄っていた貴族が騒ぎを起こしたが、宮仕えは逆に望んでなかった事、後宮十二司には知己がなく、葛城右兵衛が申した通り、初め高階姉姫の推挙はなかった事、また、葛城右兵衛は此度の推挙に関わっていない事(葛城右兵衛には事後報告であった事を仄めかしている。)、図書頭と初めて会った折、推挙の話が挙がった時、図書頭が鄙の君を確と見た事、父母は前述の通り自分と妹の婿取りを望んでおり、宮仕え等以ての外と考えていた事を話す。
鄙の君は一々頷きながら一つ一つの理由を吟味している様だった。
「ふむ・・・しかし、図書頭が推挙した事は動かし難い事実ですぞ」
「図書頭は誰かに懇願されて推挙に踏み切ったのでしょう」
「理由は?」
「先日、図書頭にお礼を申した折り、どちらが姉でどちらが妹が識別できなかったようですから。推挙の際には姉と妹の名が別々に書かれてあった。姉妹を区別できない方が個々に推挙できないでしょう?」
「内侍司で調べたのでは?確か、内侍司の掌侍様がはそなたらの大叔母にあたるとか」
「よくご存じで」
「・・・・・」
鄙の君は言い過ぎたと口を閉ざす。
「成程・・・宮仕えの話をなさったのも鄙の君でしたか」
高階姉姫は軽く笑う。
「・・・伊織殿には叶わぬな」
「そう、それですよ!」
高階姉姫が声を上げる。
「えっ!?」
「私と妹の名を知っているのは父母と祖父母だけ。それ以外で知るのは・・・私が教えた鄙の君だけ」
鄙の君は思わず口を押えたが、時既に遅しと言ったところか。しかし、それは鄙の君にとってどうでもいい事だった。
「もし一ノ姫の言う通り私が推挙したとしても、この短期間で昇叙したのは間違いなく姫君達の実力だよ」
鄙の君は言った。
高階姉姫は鄙の海での事を回想しながら言う。
「あの当時、京は荒れておりました。今では信じられないでしょうが、妹は身体が弱く、父母と共に任国に行ける状態ではなかった。泣く泣く訪れたのが祖父母の住まう土地-鄙の海でありました。初めのうちは周りにある全てのものが初見で目新しく映り、飽きる事がありませんでしたが、慣れてしまうと退屈を感じる様になりました。そんな時、祖父があなたを連れて来てくれた。あなたと会った以後の鄙の海の生活は今の糧になるほど貴重な時だったのです。私たちはあなたに救われたのです」
これ以上話すと余計な事まで言ってしまいそうだった。それを察したのかはわからぬが鄙の君は重い口を開いた。
「・・・詳しい事は申せぬが、あの摂津国の鄙の海に行く事が決まった時、私は孤独に苛まれていた。このまま、この地で朽ちていくのかと思うとやるせなかった。そなたらの祖父母殿が同じ時期に越して来なければどうなっていた事か。・・・そんな折、孫が療養に来るという話を聞きつけた。私は会える日を心待ちにしていた。・・・祖父殿は悪戯心が多すぎるのか、まさか孫が姫君とは知らされてなかったので、初見の時は大層驚いた。しかし話してみると利発でその・・・とても美しかった」
鄙の君は照れた様に手に持った扇で顔を隠す。高階姉姫もどぎまぎした。
「とても楽しい日々であった。心に巣食っていた澱が洗い流される位に・・・救われたのは姫君達だけではない。私も救われたのだ。自分はあの鄙の海で朽ちてゆくだけの存在だった。姫君たちに出逢わなければ、京に戻ることも、こうして再び相見えることもなかっただろうと」
鄙の君は静かに語った。
鄙の海の潮騒が聞こえる。高階姉姫はその情景を思い浮かべる様に目を閉じた。




