連綿
後宮は女性のみで構成されている。唯一後宮に入れ男性は帝のみである。また、例外として、皇族や妃の親族ごく一部だけが後宮への出入りを許されていた。妃や女御も後宮からの出入りは厳しく制限されていた。お宿下がりや出産、療養といった特別な事情でもない限り、後宮から出ることは許されなかった。その為、後宮(内裏)から大内裏に出る門には衛士が配置され、妃や大臣と雖も出入りは制限されていた。
勿論後宮には後宮十二司がある。所謂事務方である。彼女らには後宮の出入りに使われる札が発行され、紐等で首から下げていれば、胡乱な様子がない限り通された。中には顔パスの役付きもいた。高階姉妹姫は見習いであり、出仕したてであったため、常に札を首から下げていた。門番は札には目もくれず、高階姉妹姫の顔を窺った。どうやら二人は知らないが、宮中では賢く美しい姉妹姫が宮中に出仕したと専らの評判であった。宮仕えの前は変わり者の姉妹姫と噂があり、その落差で余計に目立っている様であった。
書司という役目柄、高階姉妹姫も後宮外の図書寮の行き来が中心になっていた。図書寮の書庫には今まで見たことも聞いたこともない書籍が山積みになっている。書棚はあるのだが、いつの頃からか書籍の入庫があっても、整理されず書庫のスペースにそのまま放置されたままになっていた。図書寮も人手不足なのであろう。図書寮では、書籍以外にも図書の書写、国史の編纂、紙・筆・墨等の文房具も取り扱っており、殊に紙の生産が始まってからは紙の需要が増加し、本来の書籍整理関係の仕事も滞りがちであった。図書寮の様に後宮から近い部署であればよいが、他の部署の行き来には何十分も掛かってしまう所もある。実家で花や蝶よと扱われていた姫君では体力的に辛い作業だった。夏前には今年入った見習いの半分が姿を消していた。車輪の付いた荷車擬きでもあれば大分仕事が軽減されるのであろうが、事務方の女官は陰明門経由で行き来することが多く、この経路では狭い通路と宴の松原があるだけで、荷車等使える筈もなく、宴の松原は物の怪が住んでいるとの噂が真しやかに語られ、通る者は足早に過ぎ去る場所であった。
「おお・・・上総左兵衛少尉が文をもろうておる」
書籍を持ちながら高階妹姫が大内裏の廊下を見る。
「お相手は大蔵少丞か。お似合いじゃな」
高階妹姫が訳知り顔で頷く。
(我が妹ながら近くの部署の官吏の顔と名と官位を覚えているとは)
さすが宮仕えが初日で数十人の同僚を実家に呼んだだけはあると思った。ちなみに、上総左兵衛少尉とは女官の父が上総国の出身で左兵衛少尉の官を得ているため、その呼び名になったのである。何でも以前は上総国の郡司をしていたが、たまたま赴任した受領に才能を見出され、そのまま京に連れて帰り、左兵衛府の官吏となったらしい。
話を戻すと、下級貴族にとって、宮仕えは生活の糧であり、数少ない異性との交流の場でもあった。当時の貴族は夜這いが恋愛の常識となっていた。文を何度か交わし、お互いが気に入れば男が女の屋敷に忍んでくる。最も、それは飽くまである程度格式を持った上流貴族に限った話である。お互いやんごとなき身の上で当時の上流貴族の女性は人前に出なかったので、その様な恋愛形態になったのである。夜這いは当事者である女性も含めその親も相手に対してある程度の格式や家柄を求めるため、位が低い下級貴族は相手にされないのが常であった。また、女性の容姿や性格も碌に知らず(ある程度、噂や文の内容によって容姿や気性は推察することはできた)に夜這いをするため、男性にとってはかなり賭けに近かった。下級貴族や庶民は女性とも普段から顔も合わせるし、女性も普通に働いているのであるから、夜這いに比べれば、相手の容姿、知性、家格や会話を交わせる分、選択の余地はあったのかも知れない。
後宮に勤める女官はその中でも人気があった。基本、後宮に宮仕えする女官は、後宮職員令により歳で言えば30歳以下13歳以上、容姿もある程度整っていなければ採用されないため、選りすぐりであった。
「そう言えば、あなたも文を貰っているそうじゃない?」
高階姉姫が妹に尋ねる。
「うーん・・・文は貰って事はあるけど、どうも手当たり次第他の女官にも送っているのを聞いてしまうと萎えてしまうわ」
高階妹姫は嘆息する。
「あなたが本命って方もいるんじゃなくて?」
高階姉姫が揶揄う様にニヤリとする。
「本命と言うより本命に袖にされた時の保険かしら」
高階妹姫はどうも恋愛に関しては辛口の様である。少し耳年増な傾向がある。それなりに偏見や私見を排除して官吏の噂を聞くと、高階妹姫はかなりの人気であるようだ。身内と言うこともあるが、それを差し引いても本命に考えている男性は多い様に見える。年齢の割に胸が大きい(けしからん! 高階姉姫談)のもある。ただ、家格が低い(父・持国は正八位上)のは問題らしい。正妻以外であれば、それ程問題はないが、下級官吏と雖も家格は考えるし、何人も妻を持てるは財力ない。現実問題として、妻の実家の助力を当てにする下級官吏も多いのだ。官吏達が耳を寄せ合って噂話をするのも、他の同僚の意思を知りたいという駆け引きもあるのだ。抜け駆けは法度とされていたが、話しかけたり文を渡したりしなければ、何も始まらない。手をこまねいている間にやんごとなき貴族に掠め取られる事もあるのだ。




