姫の乱
2年の任官を終え京に戻った高階家当主・持国は、自室で茶を嗜んでいた。任官していた大掾が急死し、京に留まっていた三河守が赴任できる大掾を探していたのだ。三河国は上国であり持国は位が足りなかったが、三河守が宮廷に取り計らい、特別に認めてもらったのだ。勿論、赴任にあたっては便宜を図ってもらい、必要な租税徴収以外の収入の5割が懐に入り、持国はかなりの蓄財ができたのだ。婿取りの話もその蓄財を背景に行ったものと言える。
婿取りの話をした時点では二人の姫は反発したが、それ以降は表立った不服を言ってくる様子はない。鄙の海での件が余程堪えているのだなと持国は解釈していた。
次の赴任先はまだ決まっていなかったので、持国は三河守へのお礼も兼ねて屋敷を訪れていた。その帰り、大路を歩いていると、身分の高い方と思しき牛車がやって来た。持国が作法に従い平伏すると、牛車が止められ声を掛けられる。
「高階若狭国掾とお見受けする」
右近衛少将であった。持国は頭を巡らした。
(確か、京でも浮き名を流している好き者と聞く)
朧げな噂話を思い出す。どうも、二ノ姫に懸想し、見事に袖にされたらしい。身分の高い方に娘が懸想されるのは吝かでないが、婿が欲しい持国には微妙な話だった。
「時に、二ノ姫から貰った文に、近々宮仕えをすると記されていたが、誠か?」
「はっ?」
持国は意味が分からず素っ頓狂な声を上げる。
「そちに宮中で伝手があるとはな」
かの好き者はそれだけ言うと去って行った。
(宮仕え・・・とな)
右近衛少将が去った後も、持国は平伏したままで難しい顔をした。
屋敷へ戻った持国は、二人の妻や姫付きの女房に問い質す。
「そう言えば、雛(二ノ姫の本名)が文を貰ったと聞き及んでおりますが、のう?」
二ノ妻が姫付きの女房の一人を見る。
「はい。二ノ姫様に伺ったところ、右近衛少将からと」
女房の一人が自慢気に話す。余程しつこく二ノ姫に問い質したと見える。
「ですが、お断りの文を書いた様です」
殿上人からの恋文を断った事を勿体ないと思っているらしい。持国とて、通常ならばそう思ったであろう。だが、今は婿取りの方が大事なのだ。
「して、二ノ姫の文には宮仕えの事が書かれていたとか?」
「その様な事は初耳です」
その言葉に二人の妻、女房達は首を傾げた。
「・・・そうか」
これ以上聞いても宮仕えについては何も聞き出せまいと持国は思った。
しかし、事はそれで終わらなかった。件の右近衛少将が宮中で二ノ姫の事を聞き回っているらしい。通常、姫が宮仕えと言えば後宮に入り帝の妃候補になること・・・摂関家に取り入ったか。また、少ないとは言え、後宮で女房になるか官吏として働くことも意味する。帝の妃候補として入内するのであれば、如何に好き者の男君も手を出せないが、女房か官吏になるのであればまだ機会はある。好き者の男君はその自尊心に賭けて、二ノ姫を口説き落そうとしているようだ。噂話が好きな官吏が高階家に興味を持ち、茶飲み話として持国に伝えたのだ。
(いい迷惑な)
持国は苦虫を噛み潰したような顔をした。とは言え、永らく京を離れ、京の情報に疎くなっていた父は、自分の知らぬ間に姫君に懸想している高貴なお方でもいたのではないかと疑心暗鬼になる。
(右近衛少将殿も勇み足をしたものだ)
そんな話をすれば、二ノ姫に興味を持つ輩も増えよう。自分でライバルを増やしている様なものだ。後に好き者の男君は後悔するが、その事が二ノ姫の存在を際立たせてしまう。この噂は宮中ばかりでなく、後宮内にも知れ渡ってしまう。
気乗りしないが、持国は二ノ姫を呼ぶ。
「何でございましょう?」
二ノ姫の冷ややかな態度に持国は冷や汗を流す。それでも父親の威厳を崩さずに尋ねる。
「聞きたいことがある。雛の元に右近衛少将殿から文を届いたと聞き及んでいるが誠か?」
「申すことなどございませぬ」
一ノ姫ばりの直截な拒絶に、持国は狼狽える。明らかに婿取りの話が尾を引いている口調であった。持国は二の句が告げられなかった。
「他に何も無ければこれにて」
二ノ姫は立ち上がる。
「ま、待て雛。相手は右近衛少将殿である。こちらの立場もある。無碍にはできぬのだ」
「ならば、右近衛少将殿に直接聞けばよろしいでしょう」
素気無く言うと、二ノ姫はその場を立ち去った。
残された持国は二人の姫の心がを読み違えていたのでは考えてしまう。婿取りは話は、違う意味で二人の姫を刺激してしまったのではないかと。
二ノ姫にも聞けず、格上の右近衛少将殿にも問い質せず、持国はほとほと困ってしまう。宮中の噂は二人の妻や女房達も聞き及んでいるようで、
「婿取りの話はどうされたのですか?」
二人の妻にせっつかれる始末だった。
(我の預かり知らぬ処で事が起こっておる)
持国は疑心暗鬼になっていた。




