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手習ひ  作者: MOCHA
第3章 鄙の君
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文士との出会い

 二人の姫は珍しく御簾(みす)を下ろしたり、几帳(きちょう)を立てたりしている。高名な文士(ぶんし)(祖父曰く)が来るのでそれなりに迎えなくてはと言う思いがあった。

「誰か?」

 門番の衛士(えじ)誰何(すいか)する声に二人の姫は緊張を走らせる。

 祖父母の声が聞こえるが、遠くてよく聞こえない。二人の姫は耳を澄ますが、そのうち屋敷と離れを繋ぐ廊下に衣擦れの音がする。二人の姫は居間である床の上のちょこんと腰掛け、姫然(ひめぜん)とした恰好をした。御簾(みす)の向こうに誰かが訪れる気配がする。

「お見えになりましたぞ」

 御簾(みす)越しに案内に立った祖父の声が通る。

「では・・・」

 祖父が案内を終え、屋敷に戻る様子だ。誰かが座る音がする。

(意外に小さいなあ)

 文士(ぶんし)と言うので大人な人をイメージしていた一ノ姫は少し拍子抜けだった。

「お初にお目にかかります」

 凛とした声が響く。だが、声からして大人ではない。よくよく見れば、御簾(みす)越しにも11、12の少年に見える。

「貴方が、文士(ぶんし)ですか?」

 一ノ姫は思わず口に出していた。貴族の世界ではあまり女が喋るのは良くないされている。それでも問わずにいられなかったのは、一ノ姫の好奇心が強い故か。

文士(ぶんし)などと・・・」

 御簾(みす)の向こうで明らかにたじろぐ様子が見られる。

「私は文士(ぶんし)などではありませぬ」

 二人の姫は顔を合わせた。

「祖父からは文士(ぶんし)と伺っておりますが?」

「それは若狭(のじょう)のお(たわむ)れでしょう」

 目の前の少年は苦笑交じりに行った。若狭(のじょう)は祖父が最後に任官した土地の官職である。

「ま、物語も(いく)ばくか知っておりますし、一通りの知識も知っております故、文士(ぶんし)と混同したのでしょう」

 御簾(みす)越しの少年は困った顔をしている。

「もしや・・・祖父のお相手を?」

 一ノ姫は直感的に口走っていた。

「はい・・・囲碁を少々(たしな)むので」

 祖父が頻繁に外出する謎が解けた気がした。この(ひな)の海で囲碁を嗜む者が然う然う(そうそう)いるとは思えぬ。一ノ姫も囲碁は知っているが、とても祖父を満足させる棋力(きりょく)はない。 

「ああ・・・申し訳ありませぬ」

「?」

「紹介が遅れました。正綱と申します。以後お見知りおきを」

 少年が頭を下げた。

「あ、私は一ノ姫、もう一人は二ノ姫と申します」

 一ノ姫が御簾(みす)の中で頭を下げた。(なら)うように二ノ姫も追随した。異母姉妹であることもそれとなく伝えた。

「・・・ご丁寧な挨拶を」

「正綱様。堅苦しい言葉は抜きにしましょう。私たちの方が年下・・・7つなのですから。こんな調子では物語も聞けません」

「わかりました。では、お互い丁寧語は抜きと言うことで」

 少年は屈託なく笑う。一ノ姫はその邪気のない笑顔で心奪われる。

  

「以前、京に?」

 一ノ姫は尋ねた。

「どうしてお分かりに?」

 正綱は問い返す。

「この様な(ひな)の海にこれだけ(みやび)な振る舞いをされる方がいるとは思えないので」

「目の前にいるじゃありませんか」

 正綱は笑う。一ノ姫は毒気を抜かれた気分になる。伊達に「文士(ぶんし)」とは呼ばれていないようだ。ただ、京のことはあまり触れられたくない様子だ。一ノ姫は察した。

  

 正綱は気づいた様に表情を改める。

「申し訳ない。物語を語りに来たのに、長々と他愛のない話を」

「いえいえ、若い殿方とお話できる機会など滅多になかったので、とても楽しいです」

 二ノ姫が華やかに言葉を継ぐ。正綱はちょっと照れたように鼻の頭を()く。

(この()、どこでそんな言葉を覚えたのかしら)

 完全に姫然(ひめぜん)と相手を持ち上げる二ノ姫に一ノ姫は意外に思った。

「では姫様たちの徒然(つれづれ)に、物語など話して進ぜましょう」

 正綱が居住まいを正すように座り直す。

 二ノ姫の表情が喜々とした。勿論、一ノ姫も同じであった。

 正綱が語る物語は二人の姫が聞いたこともない異質の物語であった。恋物語もあったが、出て来る姫の奇行が話の中心になったり、それは二人の姫の退屈を満足させる以上の魅力ある物語だった。時を忘れ、二人の姫は次の物語を所望した。

「若殿、そろそろ・・・」

 御簾(みす)の外、離れの廊下辺りから祖母の声がする。気がつけば、陽が西に傾き、夕暮れが近づいていた。

「ああ・・・もうこんな時刻ですか」

 正綱が夕陽を浴びている事に気づく。彼も時の流れを忘れる(くらい)、話に夢中になっていたようだ。

「ええ!」

 二ノ姫が駄々を()ねるように不満の声を上げた。

「二ノ姫」

 一ノ姫が諭すような声音になる。

「初日からこれでは際限がありません」

「いや、私は・・・」

 正綱が何か言おうとするのを一ノ姫が遮る。

「今日でなくても、物語は聞けるのですよ。慌てるものではありません。ねえ、正綱様。これからもお話聞かせてもらえますよね?」

「ええ、勿論!」

 正綱が一も二もなく即答したので、一ノ姫は安心した。彼が自分たちに興味を持ってくれたことが嬉しかったのだ。

「ま、さすがに毎日という訳にはいきませんが、都合のつく限り参らせていただきますよ」

 言った後で、逢瀬(おうせ)の約束の台詞(せりふ)だと気づき、正綱は少し顔を赤らめた。

(まあ)

 一ノ姫も察したらしく、面映(おもは)ゆい気持ちになった。

「やったあ、絶対ですよ。約束ですよ」

 無邪気な二ノ姫は再び物語が聞けることに喜びを表した。素直過ぎる反応に、正綱は目を細めた。

「二ノ姫は素直な性格でよろしいですな」

「至らぬところばかりで申し訳ありませぬ」

 年上に対する言葉遣いではないと一ノ姫は謝った。

「いやいや、飾らぬ会話は好きですよ」

 今度は御簾(みす)の中で顔を真っ赤にした二ノ姫が体をもじもじさせた。

  

 今日も外は雨が降り、梅雨時の倦怠(けんたい)感が漂っていたが、少年が来ることを伝えられ、二人の姫は喜々として準備に(いそ)しんだ。特に、折角体調が回復したのに、外出もできず鬱々(うつうつ)としていたニノ姫は、物語を聞けるだけで表情も緩み切っていた。

 二人の姫は珍しく御簾(みす)を下ろしたり、几帳(きちょう)を立てたりしている。普段は御簾(みす)上げっ放(あげっぱな)しだし、体調のよいせいか几帳(きちょう)も部屋の隅に片付けられていた。

「あらあら・・・随分とご執心のよう」

 一ノ姫が二ノ姫をからかう。

「お姉様だって」

 二ノ姫も負けていない。

文士(ぶんし)様がお目見えになったよ」

 玄関から祖母の声を聞こえる。二人は慌てて御簾(みす)の前にちょこんと座り、少年の来訪を待つ。離れと屋敷を繋ぐ廊下で、祖父が用もなくうろうろし、案内をする祖母に(たし)められていた。

(やれやれ)

 残念そうに自室に戻る夫の姿を見て、祖母は溜め息を吐く。

「月が動くことはご存知ですね?」

「はい」

「勿論」

「では、星が動くことは?」

 正綱は続けて問う。通常は廊下である簀子(すのこ)に客を迎えるのだが、さすがにこちらから請うて招いている手前、また、梅雨時に長時間居てもらうのも考慮し、正綱のために、室内に畳が敷かれ、脇息(きょうそく)と暑さ、雨除けの壁代(かべしろ)がつけられた。同じ室内なので、正綱と二人の姫は近く、両者の間に御帳台(みちょうだい)(とばり)の代わりに御簾(みす)が降ろされているとは言え、ちょっと一ノ姫は着物の乱れや髪形が気になった。二ノ姫が御帳台の中で忙しく動いている様子からも身嗜(みだしな)みには一ノ姫以上に気を遣っている様子が(うかが)えた。

 正綱は二人の姫が休んだり、食事をしている時は、二人の姫の祖父と囲碁を打っていた。祖父だけでなく、正綱も数少ない娯楽の一つのようだ。年の功と言う訳でもないが、祖父の方が格上だった。余程の間違いをおかさぬ限り、正綱が勝つことは滅多になかった。その辺も、普段は温厚な正綱が(こだわ)るところらしい。

 二人が対局している時、たまたま起きていた一ノ姫が二人の対局を見に来た事がある。一ノ姫は二人の局面に集中していた。一ノ姫の姿を間近に見て、正綱は驚く。

「姫がみだらに未婚の殿方の前に姿を見せるのはよくないことぞ」

 祖父が一ノ姫を(たしな)める。が、碁に夢中になっている祖父の言葉は弱々しかった。

御簾(みす)の中からでは局面が見えませぬ」

 一ノ姫は恥ずかしがりながら頬を膨らませる。

「ねえ、正綱殿」

 と同意を求める。

「は、はあ」

 一ノ姫の見目形(みめかたち)に心を奪われ、正綱の言葉は返事とも同意とも取れない言い方になっていた。

「ほれ、正綱殿が姫に夢中で手が(おろそ)かになってしまったではないか」

「そ、祖父様のいじわる!」

 一ノ姫は恥ずかしさの余り、人目を憚らず一目散に離れに戻ってしまった。正綱も顔を赤らめていた。

「美しき姫であろう」

 祖父が揶揄(からか)うように言う。

「隠居殿も人が悪い」

 正綱は渋い顔をした。

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