首はね
窓の外を眺めてみると、小雨が降りだしている。ここは、とある大学の一教室であり、書棚には「必見!都市伝説」や「ほんとうにありそうな怖い噂」等、ホラーに関する書物が有に100冊は詰め込まれているだろうか。
机は長机が一つのみ、椅子は古びており、触れれば、今にも壊れそうな物が数脚置かれている。教室の広さは大体10畳ほどであり、約5人も人が入れば窮屈感を感じる広さである。その教室内では、今騒音が響いていた。騒音という表現が生易しいほどであるが、二人が相変わらず言い争っているのである。
「だから、幽霊は本当にいるの!」
「そうであれば、証拠を見せてくれないか。いつも君の話は辻褄が合わないから聞いていて不愉快になる」
「証拠ならある……昨日、友達が写真を撮って見せてくれた!ほら、見なさいよ!」
「そもそも、その写真が加工されていないのかも分からないのに、それが証拠になると?やはり君は大馬鹿者だな」
「なんですって……」
サークル活動は平日の午後5時から行われる。最早、この二人の言い争いが名物になりそうな程、ほぼ毎日喧嘩が続いている。
私は、二人にはそれぞれ良い部分があるのになと思いながら、遠い目をして教室の隅で喧嘩を聞いている。今回の喧嘩の原因は今、大学内で噂が広まっている都市伝説と呼ばれる分野に入る話であり、簡潔にまとめると、
大学から徒歩15分で着く森林公園の池にに橋がかかっている。夜中の0時丁度にその橋の真ん中に立っていると、背後から男女とも分からない声が聞こえる。声に対して、振り返ると首に×印を付けられる。振り返らず、そのまま橋を渡り切ると、声は聞こえなくなる。
以上が今、大学内で広まっている噂であり、面白半分に検証する者、全く信じない者、通り魔の仕業だと決めつける者と分かれており、この噂のどこまでが本当であるのか、私も分からない状態である。
噂が広まり出したのは、今年の5月始め頃からであり、現在6月も半ばであるが、まだ衰退の兆しは見られない。ネット上でも、話題になっており、一部には本当に傷を付けられたという人も存在する。
もちろん、サークル内でもこの話題で持ち切りであり、明音は「かまいたちの仕業」と決めつけてまでいる。
更に、昨日は噂好きの友達が橋の噂を聞きつけ、夜中に、橋の周辺を様々な角度から撮影していた。その内の一枚に、奇妙な物が映り込んでいた為、大学内でホラーサークルの部長である明音に相談した所、とても食いつき、友達の写真を教室に持ち込み、直弥先輩と言い争うという流れである。
問題の写真は、橋を真横から撮った構図であり、手摺の部分に赤黒い子供の手のような物がくっきりと映り込んでいた。手摺を外から握りこんでいるようにも見える。まるで誰かに突き落とされているようにも感じ取れる一枚であった。
その写真を見て、真っ先に直弥先輩は写真の存在を否定。加工された写真であると言い張っている。今は、どんな写真も誰でも簡単に加工できる物であり、その友達も何かしらのソフトを使って加工したのだろう。と主張した。
明音は、それぐらいではめげない性格である為、とうとう今夜、私と一緒に橋の真ん中に向かう事になった。
直弥先輩は、「ただの噂になぜそこまで」と言いながら、教室から出て行ってしまった。
その写真まで持って行ってしまったので、自宅で加工された物である事を証明する為に、徹夜で調べ上げるのだろう。
本当は私も行きたくないのだけれど、明音のきらきらした眼差しをうけると断る勇気が出ないので向かうことにした。
夜中の0時
問題の橋は、森林公園のほぼ真ん中に位置しており、長さは50メートル程。池から橋までの高さは約20メートル。もしも、落ちてしまえば池は浅い為、頭を打ち付けて即死を免れかねない。手摺の高さは私の身長158cmに対し、腰の高さまでしかない。これでは、誰でも乗り越えてしまうのでは?と疑問を感じる高さ。
噂の影響からか、6月上旬まではとても人が多かったが、今日は運の良いことに、私達二人だけである。
明音は待ち合わせ場所から、この橋にたどり着くまで終始、この噂はいつから広まり出したのか。なぜ振り返ると傷をつけられるのか。写真に映っていた手は、生前突き落とされてしまった子供の幽霊ではないかと、目を輝かせながら私に話しかけていた。
けれど、残念なことに明音は今日亡くなることが分かっている。
なぜこんなことを断言出来るのかというと、待ち合わせ場所からこの橋に着くまでに、ずっと後ろから首から上の無い子供程の背丈の物体がついてきていること。
体中から鼻の曲がるような匂い。歩くたびに滴り落ちている血液とも、臓物とも言えない物。
そして、橋に近づくにつれ、どんどんその臭気は満ちてきている。殺意も。私は、一度振り返ってしまった。それにつられて明音も振り返る。
「真樹、どうしたの?何かいた?」
振り返ってはいけない。振り返ってはいけない。振り返ってはいけない。
相手が遊び相手だと思うから。まだ自分の頭が見つからないと嘆いているから。
今まで傷を付けられていた人は皆、首周りに小さな×印がつけられていた。私は、これは何かの判断材料にされているのかと思い当たった。
幽霊なんかいないと信じたい。更に人に危害を加えるなんて。けれど、実際に後ろにいるのは何?この橋にたどり着くまでに、色んな人とすれ違った。けれど、誰も見向きもしない。まるで見てしまったと認識してしまうと、自分自身が危ないと思えるような。
橋の真ん中に辿り着いてしまった。後ろからの臭気も立っていられない程、濃ゆくなってきている。明音は気づかないのだろうか。眩暈まで起きそうだ。
「ねぇ、明音。何か気付かない?」
明音に声をかける。けれど、その声は届いていなかった。耳が無いからだ。耳だけじゃない。首から上が無くなっている。どす黒い血が噴き出している。体は石像のように動かない。明音の体はゆっくりとスローモーションを見ているかのように前のめりに倒れていった。あまりのことに、悲鳴も出ない。すると、後ろから、
「あれ?お姉ちゃんの首なんで切れないの?」
大きな包丁を持った首から上の無い物体から声がした。男女とも区別のつかない声。そして、この異臭は肉が腐ったものであることが分かる。所々、骨や臓物が見えているからだ。私は必死に吐き気をこらえて分かり切った質問を尋ねる。
「どうして殺したの?」
「お姉ちゃんが振り返ったから。僕の声に気づいてくれた……二人も。今までのは声なんか関係無しに振り返ってたから、警告も含めて傷付けてあげたんだ。もしも、次また来たらその時は首落とすよって。僕、優しいでしょ。お姉ちゃんは何で切れないの?」
「私もあなたと同じだから」
「え?」
「私はもうこの世界にはいないの。明音だけに見えている幽霊」
私は大学入学後、壮絶ないじめにあい、耐えきれず自宅で首吊り自殺をした。
やっと、念願の志望大学に入学出来た。けれど、人間関係が最悪であった。未練だけがずっと残っていた。友達さえも出来ずに、自殺した。
成仏出来ずに、大学を彷徨うことになった。彷徨う内に、サークルのチラシを見かけ、ホラーサークルに興味を持った。
もしかしたら、霊感のある人がいるかもしれない。私の事を、見てくれるかもしれない。
そんな淡い希望を込めて、サークルの教室に居続ける日々が続いた。
明音とは約一年前に出会った。優しい人だった。私の姿を見ても、悲鳴一つあげずに、話しかけてくれた。幽霊である事も分かっていた。何故か私だけ、はっきりと見えて、声も聞こえるとの事。亡くなってから友達が出来るとは、思いもしなかった。
「けれど、もうこれで未練は無いわ。だって、これからは明音がずっと一緒にいてくれる。あなたには感謝したい程よ」
そう言って、私は首の無い物体に深々と頭を下げた。相手の顔はもちろん見えないが、微笑んでいるかのように、私には思えた。