伝言
病を得てから、昔のことをよく思い出すようになった。
劉備どのが逝去されてから六年になる。古参の将はほとんどいない。よく生きてこられたものだと思う。
劉禅さまは劉備どのによく似てこられた。劉備どのがご存命の頃はあまり似ていると思ったことがなかったが、亡くなられてからは、ふとした面差しにどきりとさせられることがある。
「無意識に、亡くなられた方の面影を探しているからですよ。」
枕元で諸葛亮どのが言った。忙しい政務の合間を縫って見舞いに訪れてくれたのだが、先ほどから話が続かず存在を忘れかけていた。私は頭に浮かんだとりとめのないことを、そのまま口に出してしまっていたらしい。
起きようと思えば起きられたのだが、それも億劫で、私は仰臥したまま諸葛亮どのの顔を眺めた。
諸葛亮どのは手持無沙汰気に羽扇を弄っている。生前劉備どのから頂いたと言っていた白い羽扇には、だいぶほつれや傷みが見える。劉備どのがご存命の頃はそうでもなかったが、今は片時も離さずお持ちである。
相変わらず素っ気ない。何をしに来られたのだろう。
「私もそうですから。」
諸葛亮どのは羽扇を翳した。諸葛亮どのは劉備どのの遺志を守り、最高責任者として蜀を全力で守っている。劉備どのが亡くなられた直後は精神にやや不安定さが見られたが、それもなくなった。劉禅さまのお陰だろうか。
北伐を繰り返す諸葛亮どのの根底には、魏への根深い憎悪があると私は思っている。
諸葛亮どのが約束された十年は、あっという間に過ぎ去るだろう。
劉備どのは、私には何ひとつ約束をして下さらなかった。出会った時も、再会した時も。
「丞相が羨ましい。」
ずっと隠していた言葉がするりと口から滑り落ちた。
「私も…あの方をお慕いしていましたから。」
一生言わずに墓まで持っていくはずの言葉だった。どうして口にしてしまったのかわからない。体の衰えとともに心も弱っていたのかもしれない。
諸葛亮どのは見舞いに来てから初めて、笑った。
「ようやく子龍どのの口から、その言葉を聞くことができました。」
「え?」
「子龍どのがいつ言われるのかずっと待っていたのです。死ぬ前なら聞けるかと思って。」
「まさか、そのために来たのですか?」
「ええ。来た甲斐がありました。」
諸葛亮どのは唐突に帰り仕度をはじめた。
「今の言葉、我が君にお会いしたら伝えておきます。」
劉備どのに再会できることを信じて疑わない口調には、かすかに嫉妬を感じる。しかし伝言を口にしたことで、胸につかえていたものが少しずつ溶けてゆく気もした。
この方にはかなわない。
「お大事に。」
引き止める気もなかったが、本当に諸葛亮どのは帰っていった。そして二度と見舞いに来なかった。
やはり諸葛亮どのは嫌いだ。
しかしこれで、ようやく安心して死ねる気がした。
229年、趙雲死去。
謚号、順平侯。