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真情

劉備どのは高熱を出され、何日も意識不明となった。

諸葛亮どのは、ご自分と典医以外の入室を許さなかった。不満はあったが、誰も異議を唱えることはできなかった。

数日たって、ようやく劉備どのの容体は小康状態となり、諸葛亮どのが室から出て来た。

どちらが病人か分からないくらい顔色が悪い。警護をしていた私に気づくと、諸葛亮どのは一瞬泣きそうな顔をされた。珍しいことだ。

「お悪いのですね。」

声をかけると、諸葛亮どのははい、と小さく答えた。

「次は持たないかもしれません。」

私は少し驚いた。諸葛亮どのが弱音を吐くのを初めて聞いた。よほど参っているのだろう。

「私が連れ出したせいですね。」

「そうですよ。趙将軍のせいです…いいえ。」

諸葛亮どのは疲れた息を吐いた。

「殿のお望みだったのでしょう。仕方ありません。」

諸葛亮どのは私と並んで扉にもたれ、背を預けた。あの時私が劉備どのにしたことを見ていたのかどうかは分からない。諸葛亮どのは聞かなかったし、私も言うつもりはなかった。

諸葛亮どのはこれまでになく憔悴していた。看病疲れだけではないように見えた。

「…妻帯を勧められました。残酷な方です。」

「妻帯?」

諸葛亮どのに実子はいない。最初の妻は賢いと評判の方だったが、いつの間にか姿が見えなくなった。亡くなったのか離縁したのかは分からない。直接聞くのもはばかられ、そのままになっている。

「私に子を作れと…今更何を仰っているのでしょうね。私を心配するふりをして、ひどいことを。」

諸葛亮どのは両手で顔を覆った。

同情する気は起きない。諸葛亮どのは長く劉備どのと深い関係にあった。

「あなたにお子がいれば、殿のお子たちをお守りできるではないですか。」

気のない返答をすると、諸葛亮どのは皮肉げな眼差しを向けて来た。

「趙将軍が言いますか。あなたも妻帯はなさっておられませんね。」

「必要ないので。」

必要、と諸葛亮どのは口の中で呟いて、低く笑った。

「そうですね。私は丞相だから、国を支えて行く必要がある…ですが、」

聞き取れないほど小さな声だったが、諸葛亮どのははっきりと断言した。

「殿が死んだあとのことなどどうでもいいです。」

意外さはなかった。蜀は劉備どのの国だ。劉備どのがいなくなったら価値はない。劉備どのが守れと言えば守り、捨てよと言えば捨てる。国も、お子も、それだけのものだ。

諸葛亮どのも同じなのだろう。

この方も、本当は国などどうでもよいのだろうと私は思っている。

劉備どのが才を愛した龐統ほうとうどのも法正どのも、諸葛亮どのが死に追いやったことを私は知っている。ひょっとしたら義兄弟である張飛どのと関羽どのの死もそうだったのかもしれない。

国のためにどれほど有用な人材であっても、私怨であっさり殺してしまえる方だ。他にもひそかに手をかけた者がいるのだろう。徐庶どのは逃がしてしまったようだが。

この国は、奔放な劉備どのを囲い込むために諸葛亮どのが創った、大きな檻だ。

彼らを妬む気持ちは私にもあった。彼らの死に、心が晴れる気すらした。私たちはよく似ている。鏡のように。

だから諸葛亮どのは嫌いだ。

「…妻帯はしません。殿が死んだら私も死にます。」

諸葛亮どのは苦しい息を吐いた。そうは言っても、結局この方はそうしないだろうと私は思った。諸葛亮どのが劉備どのの言葉に逆らえるとは思えない。

もう行きます、と言って諸葛亮どのは重そうに身を起こした。

「丞相。」

私はふと気まぐれを起こし、諸葛亮どのを呼び止めた。

「本当は、あなたのことが嫌いなんです。」

諸葛亮どのは表情ひとつ変えなかった。

「子龍どのは誰のことも好きではないでしょう。殿以外は。」

怜悧な瞳に刺すような光が走るのを私は見た。

「私もです。我が君にあのような無礼をなさる方だと知っていたら、もっと早く遠ざけるべきでした。」

諸葛亮どのは長い道服の裾を翻して私の前を通り過ぎた。かすかに墨の薫りがした。諸葛亮どのにあざなで呼ばれたのは初めてかもしれないと後になって気がついた。


四月に入り、気温が上がってくると劉備どのは起き上がることができなくなった。お子たちの中で劉永さまが呼ばれ、病床に侍した。


その日、珍しく諸葛亮どのが私を室に招き入れた。劉備どのの希望だった。

しかし病室を訪れようとした私の耳に入ってきたのは、病床には似つかわしくない、言い争うような声だった。

少し躊躇ったが、私は扉を開けた。


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