46.ジェロは長剣の切っ先をバアルの胸へ向ける。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
クローロンは不服そうにオゾスを睨みつける。
「お前達の方こそ、ここに居る意味がわからん。何しに来た?」
オゾスはいつもの事ながら、クローロンからの謂れの無い敵意に呆れ返った。
「意味ならあるさ。ライナスの兄貴分として可愛い弟を助けようと追って来たんだ。何が悪い」
クローロンはオゾスへの対抗心を剥き出しに、喧嘩腰で言い放った。
「兄貴分だって!? お前よりよっぽどライナスの方が大人だろうよ。どうせネフリティス様にも断わり無しにデュシスを出て来たんだろ?」
クローロンは言葉を詰まらせた。
「すみません……僕がネフリティス様とエスカラ様が話していたのを、クローロンに言っちゃったんです」
「ブリュオン、お前も気の毒になあ。どうせこのバカに脅されたんだろ」
ブリュオンは頷きかけたが、クローロンの視線に気付いて慌てて首を横に振る。
「そんな事より、今はライナスが追われてるんだ。お前達もとりあえず一緒に来い」
オゾスはそう言うと、クローロンとブリュオンを手招きした。
「追われてるのなら知ってるさ。兵士を4人やっつけて来たからな!」
クローロンは鞍へ付けた兵士達の武器を自慢げに指し示した。
「自慢なら後で聞いてやる。いいから来いって」
オゾスに軽くあしらわれて、クローロンはぶつくさ言いながら、アイルーロスの丘を登っていった。
「誰がお前なんかに付いて行くものか! この化け物め!」
ライナスは力を振り絞ってそう叫ぶと、バアルの体を押し退けた。
恐怖で声が震える。身体は血の気が引いて冷たいくらいなのに、悔しくて怖くて、目頭は熱くなった。バアルから逃れようと必死に手足を動かしたが、焦るあまりに濡れた下草に足をとられた。
「この私が化け物だと言うのならお前はなんなのだ? 普通のアルブではないだろう。お前だって化け物じゃないのか?」
ライナスに押し退けられたバアルは嘲るようにそう言うと、再びライナスににじり寄り、蒼白い光を発する手をかざした。
「ライナス! そこにいるの!?」
ライナスに向けていたバアルの手は、霧の向こうから聞こえたバステトの声の方へと向けられた。
「気を付けてバステト! 兵士が1人居る! 化け物だ!」
そうライナスが叫ぶと同時に、抜身の長剣を口にくわえたジェロが、バアルに飛掛かっていくのが見えた。
「こっちだ! 化け物っ!」
ジェロは四つ足で兵士に飛掛かると、くわえていた剣の柄を右手に持ち替えて、バアルの胸へその切っ先を向けた。
その時、バアルの全身から発せられた蒼白い光にジェロの体は撥ね除けられた。
はね飛ばされたジェロは木の幹にぶつかり、下草の中へと倒れ込む。
バアルは起き上がって再び宙に浮かぶと、倒れたままのジェロに手をかざし、指先から蒼白い光の槍を放った。
その瞬間、赤い焔の鳥がジェロの握る長剣から姿を現し、高らかに一声鳴き声をあげると、光の槍を撥ね除けた。
鳥は焔の渦をあげて、宙に浮かぶバアルの周りを飛び回る。
バアルは怒号をあげ、もがき、蒼白い火を吹くイボだらけの大きな黒い蛙や、牙を剥く目の飛び出した馬のような怪物、赤黒い鱗を持った双頭の蛇など、次々とおぞましい姿に形を変えていった。
「盗人め! そんなところに隠れていたか!」
バアルは燃え盛る焔の中で、地響きのような声を轟かせた。
「プラグマ・クレイスはいつか必ず、私がこの手で取返してやる……!」
そう言ったが最後、毒々しい赤色の模様をつけた巨大な黒い蜘蛛の姿になったバアルは、煙のようにその姿を消した。