42.ライナスはノトス坑道の暗がりの中で涙を流す。
エルトロの家ではオゾスとルビニが夕食の支度を整えて、3人が帰って来るのを待っていた。
「あいつら遅いな。今日が俺たちとの最後の夜だって言うのに、薄情なもんだ!」
オゾスはそう言って笑って見せたが、ルビニにはオゾスがライナス達を心配しているのがありありと伺えた。
「大丈夫ですよ。もうすぐ帰って来るでしょう」
ルビニもそう言いながら落着かない様子で、さっきから何度も窓から外を眺めている。
辺りはもう真っ暗だ。
昼間には晴れていた空も厚い雲に覆われ、月も星も見えない。
「明日、大丈夫でしょうか? なんだか空が曇ってますけど」
ルビニがそう言うと、オゾスも窓辺に近付き、空を見上げた。
「うーん。少し風が出てるな。雲も吹き飛んでくれるといいが」
「……あの、オゾスさんは私を送った後、デュシスへ帰っちゃうんですよね?」
「さて、どうするかな。親父にはいつ帰るとも言って来なかったし……俺は俺で、気になってる事があるんだ」
オゾスはそう言って、ルビニの方へ顔を向けると、くしゃっと笑った。
ルビニは思わずどぎまぎして、慌てて顔を伏せる。
「き、気になることって?」
「ああ、ルビニさんには言ってなかったな」
そう言ってオゾスはデュシスから持って来ていた背嚢の中を漁ると、目当ての物を見付けて取出した。
「これだよこれ! ルビニさんはこんなの、見た事ある?」
オゾスが取出したのは、ライナスとバステトが南門にあるオゾスの家に来た時に見せた、樹皮を束にした物だ。
「……ええ。似たような物が私の家にもありましたけど」
ルビニはホッとしたような残念なような、複雑な面持ちで答えた。
しかしオゾスはそんなルビニの様子には全く気付かず、更に続けた。
「バステト様が言うには、この模様が13年以上前のことを記憶しているのかもしれないってさ! この樹皮の束の模様がどんなことを記憶してるのか、ルビニさんも知りたいと思わないか?」
オゾスは樹皮の束を掲げて、瞳を輝かせている。
「そういえば、ポイニクス亭の少し西……ムシケという町で、そんな模様の付いた樹皮を大量に置いてある場所を見た事があるわ。そこに行けば、何か判るかしら?」
「よし、決まった! 俺はデュシスに帰らずそこに行く。そうだルビニさん、案内をお願いできるかい?」
そうオゾスが言うと、ルビニはこくりと頷いた。
「ええ。もちろん喜んで!」
ジェロは敷物の上で獣のように踞り、額から油のような汗を流している。
苦しそうに身悶える姿は、ライナス達の想像以上に激しいものだった。
徐々に息づかいは荒くなり、口からは涎が垂れ落ち、目は虚ろに充血し、手足は痙攣するように震え出す。
骨が軋みをあげて、ジェロは苦しそうに断末魔のごとく悲鳴を張り上げた。
側にいるだけでジェロの苦痛と恐怖、悲しみや怒りがひしひしと伝わって来て、目を背けたくなる。
そうして長い時間、ライナスとバステトは暗い坑道の中で、ジェロが苦しむのをただじっと見守るしか無かった。
暫くするとジェロは四つ足でむっくりと起き上がり、檻の向こうでウロウロと落着き無く歩き回りだした。
「終ったみたいね」そう言ったバステトの声は微かに震えている。
「ジェロ? 大丈夫?」
ライナスは恐々《こわごわ》声をかけてみる。しかし返事は無く、ジェロは獣のような唸り声をあげるだけだった。
「バステト、ジェロは狼になってるの?」
「ええ……あなたには見えないのね」
ライナスにはジェロがそのままの姿で獣の真似をしているようにしか見えなかった。
正気を失っていることは感じるが、ジェロはジェロのままだ。
「やっとジェロの言ってたことが判った気がするよ。ぼく、甘く考えてた」
知らず知らずに、ライナスの頬には涙が伝っていた。
ジェロは怯え、怒りながら、今までどれだけの時をこの暗い坑道の中で過ごした事だろう。
「でも、どうにかしよう。ジェロを1人にしておけない。そうだろ? バステト」