36.セオの男達はマクランの宿屋で正体を無くす。
「まるまる一日中馬に乗ってりゃ尻の皮が剥けるっての!」
「あーったく! やってられっかってんだ!」
「あの真面目な隊長さんには、まいるぜほんっと!」
テロス大地の南に位置するマクランの食堂では、3人のセオの男達が昼間から酒を飲んでいた。
ろれつの回らない舌で唾を飛ばしながら、くだを巻いて喚き散らしている。
食事を静かに楽しんでいた客達も、セオの男達の騒ぎように興醒めした様子で、ひとり、ふたりと席を立ち、満席だった食堂には酔っ払ったセオの男達3人と、あとは片手に満たない数の客が残るばかりとなっていた。
「よう店主、こりゃなんて飲みもんだ? なんだか目の前がぐるぐるしてきたぞ」
セオの男が、皿を下げに通り掛かった店主の肩をいきなり掴んで足留めした。
「なにって、ただの酒ですが」
先ほどから大声で喚き散らすセオの男達を迷惑に思っていたのか、明らかに不遜な態度でトルルの店主が答える。
「なにぃ? 酒だあ!? んなわけあるかあ! ふざけんのも大概にしろよ! 毒でもいれてんじゃねえのか? 目が回ってたまらん!」
「変なもん出すと、承知しねえぞ!?」
目をとろんとさせて、もう1人のセオの男が加勢する。
「言いがかりは止して下さい。いくらお客様でもあんまり酷いとおん出しますよ!」
「んだとお!? ドッツ風情がえっらそーにっ!」
「もう我慢なりません!──金を置いてとっとと出て行きやがれ!!」
とうとう食堂の店主とセオの男達はつかみ合いの喧嘩になった。
店内にいた僅かばかりの客は席を立ち、セオの男達と店主に場を空ける。
店の外を通りがかった野次馬も、なんだ、なにごとだと食堂の戸口に押しかけて、やんやと店主に無責任な声援をおくり始めた。
逞しい体躯をしたセオの男達が明らかに優勢と見えたのも束の間、トルルの店主は1人の男の襟首に飛掛かると、飛掛かられたセオの大男は体勢を崩しどうと倒れ、店のテーブルの角へしたたかに頭を打った。
残った他の2人も揃って店主に掴み掛かろうとしたが、続けて店主は椅子を足場にしてひらりと宙へ飛び上がり、男2人の耳を同時にがしっと捕まえた。
「いていて! 放せこのドッツ野郎!」
「やめろ! いてー!」
セオの男達はあまりの痛さに涙を浮かべて店主の手から逃れようともがいたが、店主の体のわりに大きな節くれだった手は2人の耳をがっちり掴んで放さない。終いに耳を掴まれた男達は互いに頭突きする形となって、これもまた目を回してぶっ倒れた。
助太刀しようかと構えていたアルブの青年2人は、結局飛出す間も無く食堂の隅で呆気にとられて固まっていた。しかしトルルの主人が足元に転がる3人の大男を見つめて、どうしようかといった様子で頭を掻いていたので、2人は声をかけることにした。
「やるもんだなあ、おっさん!」
「外に運ぶのをお手伝いしましょうか?」
「やあ、助かるよお客さん」
店主は声をかけて来たアルブの青年に目をやると、白い歯を見せてにかっと笑った。
「しかし、たった3杯の酒で正体無くすたぁ、セオの男は安上がりだね! 私なんかこんな小さい体なのに、10杯飲んだ所でほろ酔いもしないよ」
「いや全く。こいつら本当の酒を知らないみたいだ」
アルブの青年が相槌を打つ。
「ところでご主人、翼のあるアルブの少年を見ていませんか?」
「は? お前達もか? このセオのバカどもも、目を回す前にそんなこと言ってたぞ?」
「本当ですか?」
アルブの青年は驚いて、思わず両手で掴んでいたセオの男の腕を放した。
セオの男は再び床に頭を打付けて、うっと、くぐもった呻き声をもらす。
「あっ。ごめんなさい」
アルブの青年は慌てて謝ったが、セオの男は気を失ったままだ。
「じゃあ、こいつらもライナスに用があるってわけか」
足の方を掴んでいたアルブの青年が、顎をしゃくって言う。
「大丈夫でしょうか、ライナス様。こんな手合いに追われてるなんて」
倒れる男の腕を掴み直したアルブの青年は、店の外へセオを外に運び出すと、腰に手を充てて遠くの空を見やった。