31.エルトロは早朝にアクテーの鍛冶屋を訪れる。
ライナス達が夜の眠りについた頃、ゲイブンは燭台を手に、月を眺めていた。
長椅子の上で横たわる女王の口から、小さな呻き声が洩れる。
横に置かれた小さな卓には、空になった白い瑪瑙の玉杯が倒れていた。
「お目覚めですか? 女王陛下」
ゲイブンはそう言って、ゆっくりと女王へ歩み寄る。
「まったく私とした事が、小娘1人の体もままならないとはな」
「おかえりなさいませ。お待ちしておりました」
ゲイブンは女王が長椅子から起き上がるのを助けた。
女王は忌々し気に頭を振って、高く結上げてあった金色の髪を振りほどく。
頭が痛むのか、女王は額に手を当てて、長椅子の背に体を凭せ掛けた。
「して、ダンザックから何か知らせは? あれから何日経った?」
「3日経ちます。それと、ダンザックからの知らせは……まだ何も」
ゲイブンは顔をしかめ、蒼白い額に縦じわを刻んだ。
「──逃げられたのかもしれんな。見付けていたなら、そろそろ知らせが来てもいいはずだ」
女王は苛立ちを紛らわすように、長椅子の肘掛けを爪の先で数回弾くと、思い立ったようにゲイブンを見据えた。
「おまえの方はどうだ? 他の2人のことは、何か判ったか?」
「北も南も、精霊の気配がまだ感じられませんので、少々手間取っています。しかしそろそろ限界かと。あれから13年も経ちますので」
「お前も面白いことを言う! 13年も、か! たった13年しか私の目を誤魔化せぬ、それが奴らの限界とはな!」
女王はゲイブンの言葉に高らかに声を上げ、下卑た笑いを浮かべた。
翌朝早く、エルトロは一軒の小さな鍛冶屋を訪れていた。
鍛冶屋の並ぶ狭い裏路地には、キィンと甲高く澄んだ、鉄を打つ音が工房から洩れ響いている。
重く軋む扉を開けて、薄暗い店内に入ると、エルトロは呼び鈴を鳴らした。
呼び鈴に応えて、お世辞にも愛想があるとは言えない、汗だくになった中年のトルル女が顔を出す。
炭で汚れた顔には、赤い髪がべっとりと張付いていた。
「いらっしゃい。何か御用かい」
女は汚れた顔を、首にかけたシミだらけの布切れで拭いながら、エルトロにたずねた。
「頼んでおいたものを受取りたいんだが」
エルトロがそう言うと、女は返事をする代わりに、店の奥の扉に頭を突っ込んだ。
「あんたー! 客が来てるよー!」
「あぁ!? なに言ってんだか聞こえねえ!」
店の奥から、男のがなり声が返って来る。
女が奥へ引っ込むと、しばらくして槌を振るう音が止み、煤けた赤い髪をぼうぼうに逆立てたトルルの男が姿を現した。
「なんだ、爺さん。朝早くになんか用か」
男はぶっきらぼうにそう言うと、逆立った髪に手を突っ込んで、わさわさと頭を掻いた。
「前に頼んでおいた物を受取りたいと思ってね。わしの背丈くらいある長剣なんだが……」
エルトロがそう言うと、鍛冶屋は頭を掻いていた手を止めて、目玉が飛出しそうな顔をした。
「ああ! そうだそうだ、あんただった! ちょっくら待ってろ」
男は慌ただしく店の奥に引っ込んで、一振りの剣を持ってかえって来た。
「いやあ、爺さん。こんな剣をどこで手に入れたんだ? 俺も長年鍛冶屋をしてるが、こんな剣を鍛えたのは初めてだったよ」
男はそう言うと、店棚に乗せてあった金物を、根こそぎ腕で払い落とし、空いた棚の上へ長剣を寝かせた。
男が鞘から徐に剣を引き抜くと、滑らかに磨がれた鏡面のような剣身が煌く。
そこには長く美しい尾を巻付かせた、赤い鳥が浮き出ていた。
「なんですか? この鳥の模様は。こんな細工は頼まなかったはずだが」
剣身に浮き出た鳥の赤い羽根は、燃立つ焔のようにチラチラと色を変える。
まるで剣の中で、赤い鳥が生きて呼吸をしているようだ。
「俺は何もしちゃいないよ。勝手に浮き出て来たんだ。しかしこれは、浮き出てるというより──」
「──剣の中で生きているみたいだ」
エルトロは剣身の表面を撫でてみた。細工をしたような凹凸は無い。
「なあ、言い値をいくらでも払うから、俺にこの剣を譲ってくれんか?」
そう言いながら鍛冶屋の男は、うっとりと剣の中の鳥に見蕩れていた。
エルトロは男の言葉に慌てて剣を鞘に戻すと、棚から降ろし、鍛冶屋の男を睨みつけた。
「これだけはいくら払われても譲れん! これはわしのじゃなく、息子のものだからな」
鍛冶屋の男は心底惜しそうな顔をしたが、エルトロの気迫に根負けした。
両手を降参したというように、肩の上でひらひらと振ってみせる。
「仕方ない。客の物を取り上げるわけにはいかんしな。一生に一度目にできただけでも、儲け物ってもんだ。我慢するよ」
エルトロは鍛冶屋に金を支払うと、長剣を両腕で抱えて、そそくさと店を後にした。