11.母知らずのバステトは爆ぜる炎を見つめる。
デュシスの森は、ただ平坦な土地に樹々が生い茂っている訳ではない。
水の流れだけでいえば、ボレアス山脈から連なる北の森を、幾筋もの渓流が岩を削りとりながら複雑に流れ、南に下る程に集結して大きな流れとなっていた。
それは一旦森の中程にある窪地で実を結び、鏡面のように澄んだ水をたたえた大きな湖になる。
湖から流れ出た水は、北の森を蛇行しながら流れ、途中からクアニデュス海へ出るオケアノス川になるものと、滝となって南の森へと流れ落ち、テロス大地の西を流れるノトス川になるものとに枝を分かつ。
ライナスとバステトの2人は、朝からずっと、真直ぐ南東へと向かって飛んでいた。
しかし、空が薄紫に染まる頃になっても、眼下には相変らず鬱蒼とした森が広がっている。
「今夜は野宿するしかないな」
ライナスは森の樹々が少しひらけた場所を指差して、バステトを森へ降りるように促した。
2人が降り立った場所は湖の南、ちょうど滝が流れ落ちるあたりだ。
「さすがに疲れたわ! 1日中ずっと飛んでいたのに、まさか、まだ森の中とはね」
バステトが溜息まじりに言う。
「歩けば西壁からこのあたりまで2日はかかるよ。アンシュノだと、1日半ってとこかな」
「アンシュノって?」
「アルブが乗る馬のことだよ。ぼくも1頭持ってる」
アンシュノというのはクアニデュス海近くに生息する青毛の野生馬で、気が荒く飼い馴らすのが難しい。
しかし1度飼い馴らせば、賢く俊敏で丈夫なこの馬は、かけがえの無い友となる。
滑るように駆ける姿から、水面をも走ると言われる名馬だ。
「おかしな話ね。あなたは空を飛べるのに、馬にも乗るなんて」
バステトは理解できないというように片方の眉を吊りあげてみせる。
「アンシュノは別だよ。歩くのとも飛ぶのとも違う。ぼくの友人なんだ」
ライナスはそう言いながら薮の中をかき分けて、森の奥へと入って行く。
「何してるの?」
「火を熾せそうな乾いた枝が無いかと思って。バステトもちょっと探してよ。少し奥まで行けばあると思うんだ」
2人は熾した火を囲み、ネフリティス翁が持たせてくれていたチャムとラ・ガ(ヤギの乳のチーズ)、それに森の中で摘んだラクスの実で夕食を済ませた。
森の中は暗闇に覆われて、焚火の周辺だけが赤々と照らされている。
「ねえバステト。バステトは13年以上前のことを覚えてないの? 神なんでしょ?」
「残念ながら。“忘却”の奴、神だからって見逃してはくれなかったらしいわ」
「そう……」
ライナスはバステトと2人っきりで、何を話せばいいのか戸惑っていた。
聞きたい事は山ほどある気がするのに、うまく言葉に出来ない。──何しろ、昨日はライナスが口を開いた途端、思いかけず怒らせてしまったのだ──
バステトの様子を窺うと、抱えた膝に顎を乗せて、じっと炎が爆ぜるのを見つめていた。
ライナスは話題を探しあぐねて、森の音に耳を澄ました。
夜の森は意外にも、音に満ちていた。
人の話し声や笑い声こそしないが、虫の声や夜行性の獣が下草を踏む音、川のせせらぎ、蛙が鳴く声、枝葉が風に揺れて擦れ合う音──それぞれは小さいが、無数の音が折重なり、響き合っている。
「ただ、覚えているのは……」
長い沈黙を破って唐突にバステトが話し始めたので、ライナスの心臓は驚いて跳ね上がった。
「覚えているのは、わたしがディオにしがみついて泣いていたこと。すごく腹を立てていて、すごく悲しかったんだと思う」
そう言ったバステトの顔は、泣くのを必死に堪えているように見えた。
ディオニーサスのことを思い出したのだろう。
「我慢してないで泣いちゃえば? 見られたくないんならぼく、席を外すけど」
「ううん、平気。全部終ってから、嬉し泣きするんだって決めたから。気を使わなくていいわ」
バステトは目をゴシゴシと乱暴に擦って、笑顔を作って見せた。
「……ディオニーサス様のこと、聞いてもいい?」
バステトはこくんと頷いた。
「ディオはわたしの育ての親よ。酩酊神──お酒の作り方を広めたり、酔って騒いで憂さを晴らす神。変な神もいたものよね。──で、一緒にエターダム中を旅していたってわけ」
「育ての親って、バステトの本当のお父さんとお母さんは?」
「わたしの父はフォイボスって言うんですって。ディオが教えてくれた。母はどこの誰なのかも、行方もわからない」
「……ぼくの父さんとバステトのお母さんは同じだね。どこの誰かも、行方もわからない」
「……そうね」
ライナスは、顔さえ思い出せない父のことを考えていた。何も知らせずに置いて来てしまった母の事や、ネフリティス翁のことも。
バステトもディオニーサスや両親のことを思っているのか、しばらく黙りこんでいた。
第11話*母知らずのバステトは爆ぜる炎を見つめる。も、引続き
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