始業式
ご覧になっていただき誠にありがとうございます。
いよいよ、今回から学校生活のスタートとなります
1986年4月7日月曜日、俺が通っていた……いや、俺は今は小学生に戻っているのだから、現在進行形で通っているという事になるのだが、ともかく、俺が通う福山市立第二小学校に限らず、全国津々浦々の小学校が始業式の日である。
俺は春休みだった時には朝寝坊していたのだが、学校が始まるとなるときちんと早起きしなければならない。昨夜寝る前に、目覚まし時計を朝7時にセットして寝たので、ちゃんとその時刻に起きる事が出来た。
起きてすぐに顔を洗い、一階の台所に下りて朝食である。
トーストと牛乳というシンプルな朝食を済ませると部屋に戻った。
今日は始業式だけで、授業がないために、ランドセルを使う必要がなかったはずだ。こういう時には、手提げカバンに筆記用具だけを入れて行けばよい。
手提げカバンを出して筆箱を入れた。
新学期だから、上履きは終業式の日に家に持って帰っていたはず。部屋の中を探して、体操服等が置いてある場所の脇に上履きを見つけてカバンに入れた。
(後は何が必要だったかな?)
筆箱だけでなく、何かノートのような物が必要に思えた。
科目別にノートがあるのだが、始業式の日に国語や算数のノートを持って行っても役に立つとは思えない。何かないかと、机の上に積み上げてある教科書やノートの山を崩してみた。
そして、ようやく役に立ちそうな物を見つけた。
(れんらくちょう!)
俺は連絡帳なる物の事をすっかり忘れていたのだ。
連絡帳とは、家で日々の日記を書いて毎朝先生に提出する。そうしたら、午後の帰りの会で連絡帳が返される。返された時には、先生が日記に何かコメントを添えてくれているというシステムである。
新学年であるから、まだ一度も使われていない新品の連絡帳を手提げカバンに入れた。
俺はまだ何か忘れてないかと考えた。何しろ31年ぶりの小学生生活である。覚えている事の方が少ない。
俺は色々思い出そうとしたが、何も思い出せず、とりあえず、今日はこれで登校してみる事にした。
俺は歯磨きをしてから制服に着替えた。全国的には、小学生は私服で通学するのが多数派であるが、広島県福山市では公立小学校はほぼ全校に制服があった。
白のカッターシャツを着て、黒の半ズボンを履く、更に黒い上着があって、これが俺の通う小学校の制服である。
俺は制服を着て家を出た。登校する際には集団登校といって、近所の児童が決められた集合場所に集まって、班長と呼ばれる上級生に引率されて登校する。
たしか、俺の登校班はジュンが班長で、集合場所は俺の住んでいる家から筋一本違う場所にある『あさひ建設有限会社』の資材置場前だったはずである。
俺が集合場所に行くと、既に下級生が3人来ていた。しばらくして、一つ下で今年から5年生になる丸山光則がやって来た。
「田村君おはよ」
光則が挨拶をする。
「おう、おはよう」
俺は挨拶を返した。光則とは一つしか歳が違わないため、公園で野球をする時などによく一緒に遊んでいた仲である。
光則に続いて下級生の女の子が2人集まって来た。おそらく、これで集団登校の班員は全員揃ったのだが、肝心の班長がやって来ないのである。
「ジュン君来んなぁ……」
光則が俺に話し掛けた。ジュンが欠席する時は副班長が引率するのだが、見る限り6年生は俺しかいないので、おそらく、俺が副班長なのだろう。
「まだ時間があるからもう少し待とうや」
俺は光則に言った。元々、ジュンは遊びの時間は必ず守るが、学校では時間がルーズな男である。今日も時間ギリギリまでやって来ないつもりだろう。
しばらく待つと、予想通りジュンが走って来た。
「悪い悪い、寝坊した。さぁ行こう」
ジュンは謝罪してすぐに学校に向けて歩き始めた。
集団登校時は班長が先頭を歩き、その後ろは学年が低い順番に並ぶ、副班長はしんがりを努めるというルールがある。俺達もそのルール通りの順番に並んで登校した。
俺達は比較的学校に近い場所に住んでいるので、数分あるけば学校に着いた。
登校は8時30分までと決められているが、少し余裕を持って8時20分までに登校する児童が多い。
今日はジュンが遅れて来たので、俺達が校門を通過する時、校舎の壁の大時計は8時25分を指していた。
学年別に下駄箱の位置が違うので、校内に入るとそれぞれの下駄箱に向かう。俺とジュンは6年生が使う下駄箱へと急いだ。
福山市立第二小学校は四階建ての校舎が二つ並んで建っている。
校庭に面しているのが本館と呼ばれている校舎で、職員室や校長室、保健室、理科室、図工室、視聴覚室と一年生、三年生の教室がある。
本館の裏にあるのが新館と呼ばれる校舎で、二年生、四年生、五年生、六年生の教室がある。俺達六年生は新館の四階だ。
新館の六年生用の下駄箱に靴を入れた。
カバンから上履きを出して履き階段へと向かう、ジュンと共に階段を四階まで上がり6年2組の教室へ入った。ちなみに、この学校では3年生と5年生の時にクラス替えがある。したがって、5年生と6年生は学年が上がるだけでクラスは変わらない。5年2組だった俺はそのまま6年2組になるというわけである。
6年生は4クラスあって、俺が在籍する2組は、男子女子共に21人の合計42人のクラスだった。
教室に入ると、二個くっ付けた机が教室の廊下側、真ん中、窓側に並んでいる。2組は担任の先生の方針で、男女とも出席番号順、つまり「あいうえお順」に 通路側の一番前から着席する決まりである。
二個くっ付いているので、男子女子の出席番号が同じ者同士が隣り合って座る事になる。
通路側の列の一番前が出席番号1番が座り最後尾が7番、真ん中の列は8番から14番、窓側の列15番から21番が座る。
俺が小学生だったのは31年前なのだから、出席番号など覚えていないのが普通なのだが、俺は忘れる事なく覚えていた。
理由は簡単だ。俺の席は真ん中の列の一番前、つまり、先生から一番近い席だったからである。どの児童も座りたくない席に、俺は二年間座っていたのだから忘れるはずがない。
つまり、俺の出席番号は8番というわけである。
ちなみに、イケは5番、フジダイは13番、ジュンは19番である。
俺が入口から教室内に入ったところ、教室の隅の方にたむろしていた数人の男子児童がこちらを向いた。
「おーい、ヒデ。ちょっと来てくれぇ」
教室の隅の方にいた数人のうちの一人が俺を呼んだ。
俺を呼んだのは『渡裕次郎』だった。渡という苗字だからわざわざ裕次郎と付けたのが見え見えであるが、ニックネームは『スター』である。ただし、名前は派手だが顔も頭脳も平凡なやつである。
俺は自分の机にカバンを置いてから、スター他数人がいる教室の隅の方へ行った。
スターの席は窓側の一番後ろである。窓側と言っても女子の列が一番窓寄りであるから、正確には窓から二列目となるのだが。
それはさておき、スターこと渡裕次郎の席の回りには四人の男子児童がいた。スターは自分の席に座っていた。
まず一人目は、スターのすぐ前の席に座っている『吉岡大』である。通称『大ちゃん』、藤井大介から大ちゃんの呼び名を奪った男だ。ちなみに『よしおかだい』ではなく『よしおかひろし』が正確な名前である。
二人目はスターのすぐ横に立っている『堀武彦』だが、こいつについてはあまり印象がない。住んでいた場所が俺やジュンのいた町内とは離れた場所だったため、一緒に遊ぶグループでなかったからだろう。
三人目は『佐藤学』という眼鏡をかけた優男だ。こいつも俺達のグループではなかったため、特に覚えている事はない。
そして、スターの真後ろに立っているのが『三宅秀一』である。こいつはスケベなやつで、女子児童のスカートをめくるのは、三宅にとっては挨拶代わり、胸の発育が良い女子児童を見つけると、後ろから抱きついて胸を揉むようなやつで、変態扱いされていたが、羨ましく思っていた者も少なからずいた。
こいつらがたむろして何を話していたのかはわからないが、どうやら俺に用事があるようだ。
「どうした?」
俺はスターに尋ねた。
「ゲームでどうやっても先に進めないとこがあってさ」
どうやら、スター達はテレビゲームの攻略法を話していたみたいだ。
彼らの話を聞くと、発売されたばかりのロールプレイングゲームをプレイしているのだが、充分にレベル上げしたにもかかわらず、先に進めなくなってしまったらしい。その話をしていた時に、テレビゲームが得意な俺を見つけたので声をかけたようである。
俺はそのゲームについては全然覚えていないのだが、話を聞いて考えられる攻略法を教える事にした。
「武器が弱いのかも知れないから、強力な武器に変えるか、まだそんな武器など持っていないのなら、どこかで見つかるかもしれん」
「そうか、武器を変えれるのかも知れんな」
スターが言った直後にチャイムが鳴り、クラス全員席についた。
俺は最前列にある自分の席に向かった。俺の隣の席には女子の出席番号8番の児童が既に座っていた。
(杉山京子……)
俺は席に向かう途中、京子の後ろ姿を見て緊張した。
「おはよう、田村君」
俺が席に近付くと京子がこちらを振り向いて挨拶をした。
「おはよう」
俺も挨拶を返す。俺は31年ぶりに京子の顔を見て驚いた。
(こんなに可愛い子だったかな?)
京子は1986年の小学生とは思えないほど垢抜けていた。この時代の小学生は、可愛いと言われる子でも、どこか野暮ったさというか、子供っぽさが抜けない面があった。
しかし、目の前にいる少女は2017年とまではいかなくても、少なくとも2000年代に入ってからの小学生のように見える。少なくとも、この時代の小学生には見えない。この時代だと、制服を着ていなかったら中学生に見られるのではないかと思った。
「何をボーッとしてるの?自分の席を忘れた?」
京子が怪訝な表情で首をひねりながら尋ねた。
「いや、何でもないさ」
俺は何事もなかったかのように振る舞って席に座った。
(参ったな、目が合っただけなのに、何故こんなにドキドキするんだよ)
俺の記憶にあった杉山京子という少女と、今ここにいる杉山京子は同一人物である。顔もおそらく同じだろう。しかし、小学生当時の俺が見た京子より、大人になった俺が見た京子の方が可愛く見えたのである。おそらく、捉え方の違いなのだろう。
しばらくして、担任の教師が教室に入って来た。
6年2組の担任は板垣茂先生で、俺達が5年生の時も2組の担任で、そのまま持ち上がりで6年2組の担任となっていた。
板垣先生は30代半ばの寡黙な人で、どちらかというと面白味の無いタイプだったため、児童の受けはあまり良くなかったように記憶している。
この板垣先生は我がクラスで起きたある事件のため、今年度中に辞職する事になるのである。
板垣先生もクラスメートもそんな事は知るよしもないのだが、俺は既にこの1986年を経験しているので、今後我がクラスに降りかかる辛い出来事も全て知っていた。
しかし、未来を変えてはならないので、その事は俺の心の中にしまっておかなければならないのである。
「起立!」
今日の日直が号令をかける。今日の日直は出席番号の1番の男女である。ちなみに、明日は2番の男女が日直となる。我がクラスでは、始まりの号令は男子が、終わりの号令は女子が担当する。
今の号令は男子の出席番号1番の『荒木知博』がかけたものである。
荒木の号令でクラスの児童全員が起立した。
「先生、おはようございます」
荒木の号令に他の全員が続く。
「先生、おはようございます」
「はい、おはようございます。じゃあ、出席をとります」
板垣先生は出席をとり始めた。
「荒木君」
「はい!」
「石坂君」
「はい!」
まずは男子が出席番号順に呼ばれる。俺は8番目に名前が呼ばれて返事をした。
男子の後に女子の名前が呼ばれた。今日は全員出席で欠席者はいなかった。
「8時45分から始業式なので、今から体育館へ行って整列するように」
板垣先生は指示を出してから教室を後にした。
俺達は先生の指示通りに体育館へ向かった。体育館へは校舎を一階まで下りて、通路を通って行くのだが、その途中でクラスきってのスケベ男である三宅が、山岸徳子という女子のスカートをめくった。三宅は廊下で徳子を追い抜く際にサッとスカートに手をかけてめくる。三宅からすれば、こんなのは挨拶代わりだろう。
しかし、純白のパンティをクラスメートに晒す事になった徳子はたまったものではない。
「こらぁ、三宅!」
徳子が怒鳴り付けるが、三宅はニヤニヤしながら走って逃げて行った。
徳子はクラスでも美少女として男子にも人気があるのだが、三宅のスカートめくりやお尻や胸タッチの餌食になる事が多い。三宅はクラスの女子の大半に痴漢行為を働くのだが、中でも徳子がターゲットになるケースが断トツに多いのだ。
徳子の方もあれだけスカートをめくられるのだから、当時はスカートの下にブルマを履いている女子も多かったのだから、ブルマを履くなり、もっと周囲を警戒するなりすればよいのにと思う。
俺は小学生当時にも、そんな疑問を抱いたが、当時は子供だからそのあたりがまだまだ甘いのだと思っていた。
しかし、大人になった俺が見ると別の見方が出来る。
三宅と徳子は何だかんだ言って仲が良いのだろう。徳子もマジギレするほど怒ってないように見えるのが証拠だ。
それに、三宅も徳子に興味があるからこそ、ちょっかいを出しているように思える。
それはさておき、俺達は体育館へ行きクラスごとに整列した。
こういう時は背の低い順に並ぶ。背の低い児童は自分から前へ、背の高い児童は自分から後ろへと向かうが、俺はどのあたりだったかと思い出そうとした。
(俺って、一年の時からずっと真ん中前後だったよなぁ)
背が高くも低くもない俺はは真ん中あたりだったのは覚えている。しかし、六年生の時、誰の後ろに並んでいたか思い出せない。
(とりあえず、真ん中あたりに行ってみるか)
俺は自分より明らかに背の低い児童を先に並ばせて、パッと見で背が同じくらいに見える連中の近くに移動した。
「ヒデ、お前チンゲの次だろうが、早く並べよ」
後ろから俺に声をかけた者がいた。誰かと振り替えると『林京一』というやつだった。林とは特に仲が良かったわけではないが、高校まで同じ学校だったはずである。
ちなみに、林に『チンゲ』と呼ばれていたのは『石坂隆志』の事である。なぜ、こんな渾名になったのかは説明するまでもないのだが、一言で言えば、クラスで一番最初に毛が生えたからである。
この時代の日本中の六年生のほぼ全てクラスに『チンゲくん』がいたと言っても過言ではない。当時はそれほどの定番の渾名だった。
余談ながら、『チンゲくん』は日本中どこにでもいたのだが『マンゲさん』と呼ばれる女子児童がいたというのは聞いた事がない。
体育館に整列した二年生から六年生までの児童は、多少ザワザワしながら始業式が始まるのを待った。なお、一年生がいないのは、入学式は始業式の翌日、つまり明日なので、まだ入学していないからである。
やがて、一人の教師がステージに上がりマイクに向かった。
「静かに!」
教師の声に、お喋りしていた児童の声がピタリと止まった。
「これより、一学期始業式を開始します。一同、礼!」
教師の言葉通りに児童が礼をする。
「校歌斉唱!」
号令と共に、体育館の隅に置いてあるピアノを音楽教師が弾きだした。
(凄く懐かしいメロディだけど、歌詞覚えてるかな)
小学校時代には数え切れない程歌った校歌であるが、何しろ31年ぶりである。まず、出だしの部分がわからない。
いのちを育む瀬戸の海
優しく流れる芦田川
二小に集う我らの未来
あふれる希望は無限大
簡単な歌詞だったので『いのちを育む』の部分を聞いたあたりで、後は思い出せた。こういう時にちゃんと歌ってないと怪しまれるので、気を付けなければならない。
校歌斉唱が終わると校長先生の話がある。
校長先生は、ありきたりな当たり障りのない話をしてステージを降りる。
次に、新任、転任の先生の紹介があった。六年生には直接関係がある先生はいなかったが、新任の先生の中で背の高いハンサムな先生が紹介された時だけ、六年生の女子の拍手が他の先生の時より大きかったような気がした。
その後、春休み中に児童が起こした問題についての注意などがあり始業式は無事終了した。
「この後は外掃除をします。全員、クラス毎に決められた場所を掃除して下さい」
始業式が終わったら教室に帰り休憩かと思ったら、外掃除と聞き俺はため息をついた。
(これが大人なら、掃除の前に一服しようという事になるのだが……)
俺は他の児童に続いて体育館を出て、下駄箱に行き靴に履き替えて外に出た。
外掃除というのは、毎日行う教室内とは別に、月に一度くらい行われていた校舎の外、つまり、校庭や植え込み、体育館や校舎の裏などを掃除する恒例行事である。
俺は自分のクラスがどこを掃除するのかわからないので、とりあえず、ジュンと一緒に行動する事にした。
周りを見ると、六年生はクラスにかかわらず、全員が校庭の南端を目指しているように見える。俺とジュンもそちらへと向かった。
校庭の南端には倉庫があって、六年生はそこで掃除道具を受け取るようだ。
「おい、六年。今日からお前らは最上級生なんだからダラダラすんな!」
倉庫の前で女性教師がドスの効いた声で怒鳴っていた。
声の主は中西宏子先生で6年1組の担任だった。2組の板垣先生より少し年上の先生で、高校大学とバレーボールの選手として活躍した、バリバリの体育会系の先生だ。
物静かな2組の板垣先生とは対照的に、気合いの入った先生である。
「板垣先生、早く道具を出して下さい」
「はいはい……」
中西先生の後ろで、2組の板垣先生がえっちらおっちら道具を出している。
端から見ているとカカア天下の夫婦のようである。
倉庫から出た掃除道具を取りに来た六年生の児童に、6年3組の平田優里先生が手際よく箒と塵取りを渡す。
平田先生は若い女性教師で男子児童に圧倒的人気の美人先生だ。
俺達も列に並んで道具を受け取る順番を待った。
「おい、道具を受け取ったら、喋ってないですぐに掃除に取りかかれ! 終わるまで帰らせんけえの。晩までやる気か?」
中西先生が女性らしからぬ口調でダラダラしている児童を怒鳴り付けていた。
やがて、俺達も受け取ろうかという時になって、6年4組の担任の久保美津子先生がやって来た。
「久保先生、道具の配布は間もなく終わります」
中西先生は体育会系らしく、年下や児童には厳しいが、目上の者には絶対服従である。4組の担任の久保先生は定年が近い大ベテランであり、当然、中西先生は頭が上がらない。
「中西先生、ここは私が見ますから、掃除をする子供達を見に行って下さい」
久保先生が言うと、中西先生は深々とお辞儀をして掃除場所へと走って向かった。
俺とジュンも掃除道具を受け取った。掃除場所がわからない俺はジュンが歩いて行く方向に付いて行くしかなかった。
ジュンは体育館の裏へと向かって、俺はそれに付いて行った。そこでは2組の児童が既に掃除を始めていた。
真面目に掃除する者もいれば、お喋りに興じている者もいる。俺はとりあえず箒で地面の落ち葉を集める事にした。
しばらく掃除に集中していたので、かなりの量の落ち葉が貯まった。それを塵取りへ取り掃除場所の片隅に置かれたごみ袋に入れた。
ふと前を見ると、数人の女子児童が掃除をしていた。その中に杉山京子がいた。
俺は京子を目で追った。見た目も小学生には見えないのだが、立ち居振舞いもおよそ小学生には見えない。むしろ、子供の中で京子一人浮いて見えるくらいである。
「ヒデ、やっぱりお前杉山に興味あるんじゃないか」
いつの間にかジュンが後ろに来ていて、ニヤニヤしながら言った。
「ジュン、お前こないだ杉山が俺を好きなんじゃないかと言ってたが本当なのか?」
俺はジュンに尋ねた。
「本当だ。これは女子からの情報だから間違いない」
ジュンは自信満々に答えた。しかし、小学生時代の俺が女子に好かれるイメージがわかない。
「ヒデは男女とわず、気さくなとこがあるからな。割りと女子には評判いいんだぜ」
ジュンが言うが、俺はそんなものかなぁと思うだけだった。
(俺が小学生だった頃にいた杉山京子も俺の事が好きだったのだろうか? もしそうだったとして、その事に俺が気付いていればどうなっていたのだろう?)
しかし、俺は考えていた事をすぐに否定した。そんな余計な事はどうでもいい。未来が変わらないようにするだけなのだから、余計な事はしてはならない。
そうしているうちに外掃除は終わり、俺達は教室に戻った。
教室に戻ると今度は教室の掃除だった。掃除から掃除とは少し辟易したが、それでも掃除を済ませた。
それから、板垣先生が教室に戻って来て「帰りの会」と呼ばれるホームルームが始まった。
帰りの会では明日の入学式の諸注意などがあった。六年生は入学式には在校生代表で全員参加である。
帰りの会も終わると、今日の学校はおしまいであった。教室の時計は10時45分を指していた。
「起立!」
女子の日直の『井上飛鳥』が号令をかけると全員が起立した。
「先生、さようなら」
飛鳥の号令に続いて、他の児童もお辞儀をしながら挨拶をする。
「先生、さようなら」
「はい、さようなら。気を付けて帰って下さい」
板垣先生は挨拶をしてから教室を後にした。
「あー終わった。帰ろ帰ろ」
「昼から一緒に遊ばないか?」
「野球やるけど来るか?」
「みどりちゃんの家に集まりましょう」
みんなそれぞれに午後の予定を話していた。
さて、俺に予定はあったかと考えたが何も思い付かない。
「ヒデ、昼から遊ばないか?」
声をかけてきたのはスターだった。
「朝言ってたゲームをやるから、お前も家に来てくれよ」
スターは俺と一緒にテレビゲームをやりたいみたいである。
「いいぜ、他に誰か来るのか?」
「大ちゃんは来れるみたいだ」
今日の午後は渡裕次郎の家で、吉岡大も含む3人でテレビゲームで遊ぶ事に決まった。
「じゃあ、昼から」
スターが教室を出て行った。俺は誰か一緒に帰れるやつがいないかと見渡した。
「ジュン、一緒に帰るか?」
「帰りにお使い頼まれてるから、遠回りしてスーパーに寄るんだよ」
ジュンはお使いの用事があるみたいだ。他に一緒に帰れそうなやつが残っていなかったので、仕方なく一人で帰る事にした。
階段を一階まで下り下駄箱まで行くと、京子が靴を下駄箱から出して履いているところだった。
俺は京子の姿に一瞬戸惑ったが、思いきって声をかけてみた。
「杉山、一人か?」
靴を履いた京子が俺の方へ振り向いた。
「ええ、そうよ」
京子は表情一つ変えず言った。
「一緒に帰るか?」
俺にしては思い切った事を言ったものだと思った。小学生時代の俺は女子に声をかけるようなタイプではなかったはずだ。
「ええ、いいわ」
京子は一瞬意外そうな表情を見せてから少し微笑んで言った。
二人並んで校門を出て歩きだしたのだが、俺は何か話しでもしなければ不自然に思われそうな気がした。
しかし、こういう時に限って何も話題が思いつかないものである。
「明日だけどさぁ……」
俺はとにかく何か話さないとと思い口を開いた。
「何?」
京子が俺の方を見てキョトンとした表情で言った。
「明日は入学式だったよな? 何か持って来なければならない物とかあったかな?」
言ってから、苦し紛れに出た話題がこんな物かと俺は思ったが、他に思い付かなかったからしかたない。
「明日は私達は入学式に出るだけで、教室には行かないはずだから、何かを持って行ったら置き場に困るんじゃないかしら」
京子は俺の方を向いて歩きながら言った。
「私はここを左に曲がるから」
とある交差点まで来た時、京子が言った。
「そ、そうか……」
「じゃあね、バイバイ」
京子は笑顔で小さく手を振り交差点を左に曲がって行った。
「あ、あのさ杉山」
咄嗟に俺は声をかけてしまった。
「どうしたの?」
「いや、あの……さ」
反射的に声をかけてしまったため言葉が続かない。
しかし、だまっているわけにもいかないので、俺は思い切って口を開いた。
「また今度、互いに一人の時があったら一緒に帰らないか?」
俺は小学生をナンパしてんじゃねーよという心の声を無視して言った。
俺の言葉を聞いた京子は、自分の家の方に向かって歩き出していた体を俺の方に向き直らせた。そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「あら、誘ってるの? 今度はちゃんとエスコートしてくれるのかしら」
京子は俺の出方をうかがうように言った。その表情は、およそ小学生のものではなく、大人の女そのものであった。
「あぁ、エスコートしてやるよ。楽しみにしといてくれ」
中身が大人である俺は、小学生相手にあたふたしつはいけないと思った。
「あぁ、エスコートするよ」
俺は言った。
「ありがと、じゃあね」
京子は不敵に微笑みながら言って自分の家の方に向かって去って行った。
俺はそれから家に帰り、自分の部屋で服を着替えてから座布団の上に座った。
俺の心臓はずっと鼓動が高まったままだ。いったいどうした事だろう。
いや、俺自身その答えはわかっていた。
俺は杉山京子に一目惚れしてしまっていたのである。
大人の俺が小学生に一目惚れするなど、自分の息子の同級生に一目惚れするようなものである。
俺はロリコンであるつもりはないのだが、京子の大人びた雰囲気に惹かれてしまったのであろうか。
しかし、俺にとってはそれどころではない。俺が前に小学生だった時、京子と特に仲が良かったわけではない。俺の知っている小学生時代とは違ってしまう。
小学生時代が違えば未来も変わってしまう可能性がある。そうなれば元の2017年に戻れない。
俺はこれからの一年間、京子との間で様々な事が起き、その度に未来に関わる重要な選択を迫られる事になるだろう。そして、その選択に俺自身が大いに悩む事になるだろうと予感していたのである。
次回は杉山京子という人物について、深く掘り下げてみようかと思います。お楽しみに