表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/31

父の言葉

ご覧いただき誠にありがとうございます。


今回は主人公が父と釣りに行きいろいろ考えるという話です

友達と花見に行ったのは1986年4月3日木曜日なので、春休みはあと3日ある。


4月6日の日曜日、つまり春休みの最終日は父親と魚釣りに行くのだが、金曜日と土曜日は特に予定がない。


4月4日金曜日は朝から雨が降っていたので、あまり出掛ける気にはならず、一日中家にいてテレビを見たり、テレビゲームで遊んだり、漫画を読んだりしているうちに一日が終わってしまった。


子供時代にはこんな一日の過ごし方は珍しくなかったが、サラリーマンを経験した身にとっては、一日中ずっとゴロゴロしていられるのはこの上ない贅沢に感じられた。


社会人になると、休日にしなければならない私用があるし、増して結婚して子供がいれば、自分の休日は家族サービスの日と化してしまう。仕事に行くより疲れてしまう事も珍しくない。


翌4月5日土曜日、前日は一日中家にいたので、この日は一人で出掛けてみる事にした。


とはいえ、小学生の身であるから、出掛けられる範囲は限られるし、小遣いも当時は月に1000円くらいだったはずで、あまり豪遊も出来ない。


しかし、遊び歩く事は出来ないが、街を見て回るだけならお金もかからない。30年前の街並みを見て回るのも悪くはないだろうと俺は考えた。


そこで、4月5日土曜日は午前中は家に居て、昼ごはんを食べてから出掛ける事にした。子供だと、食事のたびに家に帰らなくてはならないのは不便である。


俺は昼ごはんを済ませると自転車に乗って家を出た。


どこに行こうかと考えていたが、とりあえず駅前に行ってみる事にした。俺の家から福山駅まではそれほど遠くない。


一昨日に友達と尾道市の千光寺公園に花見に行く際に、バスに乗るために福山駅には来ていたのだが、駅前をじっくり見る時間がなかったので、今日は駅前をいろいろと歩いて回るつもりだ。


1980年代の福山駅前は、空洞化が進み閑散としている2017年とは違い、大勢の買い物客で賑わっていた。


2017年も営業しているデパートは当時から変わっていないが、1986年当時はそのデパートの他に大型スーパーが二軒存在していた。


その両方の大型スーパーにはゲームセンターがあり、福山市内中心部に住む子供で、そのゲームセンターで遊んだ事がない子供はいないというほど馴染み深い店だった。


その二軒の大型スーパーも21世紀になってしばらくして閉店してしまった。


俺は駅前の賑わいの中を歩きながら懐かしさに浸っていた。


本屋で立ち読みをしたりしているうちに時間がたってしまったので、俺は家に帰る事にした。


こうして土曜日も終わり、春休みは残すところ4月6日を残すのみとなった。


その4月6日日曜日は父親が仕事が休みなので、二人で魚釣りに行く事になっている。


当日は朝8時に家を出発して、鞆という福山市の南の方にある港町に行った。


9時すぎから竿をだしたのだが、潮目が悪いのかさっぱり当たりが来ない。


「10時過ぎてから上げ潮だから、釣れるとすればそれからだろう」


既に一本目の竿を出し、二本目の仕掛けを作っている父が言った。父は竿を三本出すようで、それぞれ違う仕掛けを用意しているようだ。


実際、俺と父が着いた時には誰もいなかった岸壁に、10時近くになると他の釣り人が数人現れて釣りを始めた。


「今日は何が釣れるん?」


俺は父に尋ねた。


「今の時期ならメバルだな。メバルは今が最後の時期だからな。あんまり釣れんかも知れん」


父がくわえたタバコに火を付けながら答える。


それから一時間くらいたったのだが、俺と父の竿には全く当たりが来ない。他の釣り人も同様で、岸壁の一番端で釣っている老人が一度釣っただけで、他の人は釣れていなかった。


「もうメバルはおらんのかなぁ?」


父が近くで釣っていた作業服姿の50過ぎの男性に尋ねた。


「今年はメバルが少にゃあけぇ、先週も釣れなんだ。こぎゃあな調子じゃ、メバルは済んどるかも」


男性は福山の方言で答えた。 今年はメバルがあまり釣れてなくて、先週も釣れなかった。既に、メバルのシーズンは終わっているかもしれないという意味である。


「この時期ならまだメバルがおるはずなんじゃが、今年はいけんのか……」


父が独り言を言いながら戻って来た。


「あんまり釣れそうにないな、まぁ、のんびりやろうや」


父はそう言ってから、竿を出している場所から、少し下がった場所にある日陰に折り畳み椅子を出して座った。


俺も同じ場所に椅子を出して腰掛ける。


釣れないとはいえ、小魚が針に付けたエサをつついたりするので、時々エサを変える必要がある。釣れないから何もしなくてよいというわけでもない。


たまに仕掛けを上げてエサを変えたりしながらも、全く釣れないので退屈な時間が過ぎて行った。


「潮が一番良くなるのは1時過ぎあたりだから、その時間になったら釣れるかも知れんぞ」


俺が退屈そうにしているので、父が取りなすように言った。


ちょうどその時、父が三本出していた竿のうちの一本が大きくひん曲がっているのが見えた。


「ほら見ろ。やっぱり釣れるんだよ」


父が待ってましたとばかりに言って竿の方へ向かう。


しかし、父が竿を持ち、一度引いてからリールを巻こうとした時、ひん曲がっていた竿は反動を付けて元に戻ってしまった。


「くそったれ、ちいと焦ったな……もちいとしっかり食わせときゃあ良かった」


父は魚がしっかりエサを飲み込む前に引いてしまったので、針が魚にしっかり引っ掛かっておらず逃がしてしまったのである。


「今は逃がしたが、魚がおる事はおるみたいじゃけぇ。けぇから釣れだすかも知れんど」


父は魚がいる事がわかって満足しているようだ。


しかし、それから30分が経過しても俺と父の竿はピクリとも動かなかった。


「まぁ、陸上におるワシらがジタバタしても魚は釣れんし、昼飯でも食おうや」


時間は正午前、1時頃から潮が良くなって魚が釣れる可能性が高くなるらしい。昼ごはんを食べるならちょうど良い時間である。


父は弁当箱と水筒を二つずつ出した。俺の弁当箱は先日花道に持って行ったのと同じものだ。


昼ごはんを食べて一息ついたあたりから、魚が釣れ出すと思われる時間帯になった。


父も戦闘態勢になったのか、エサを全て新しいのに取り替えた。


しかし、期待しながら当たりを待ったのだが、全く当たりが来ない。


周りで釣っている人も同様である。


「釣れんのう……」


父が退屈そうに岸壁に座りタバコを吸っている。


俺も隣に座り、当たりの来ない竿をいじっていた。


「まぁ、お前と二人でこうしてのんびりする事はあまりないし、たまにはええじゃろ?」


父は釣れない事の言い訳をしているようにも聞こえなくはないが、息子と二人で出掛ける事自体が楽しいと言いたいのだろう。


俺自身も、今は小学生になっているが、つい先日までは42歳で息子がいた。


子供というものは、いくつになっても可愛いものであるが、子供が小さい時ならいざ知らず、ある程度の年齢になると父親との距離が離れてしまうものである。


身の回りの世話をする母親はまだ出る幕があるのだが、父親はただ生活費を稼ぐだけの存在になりがちだ。




「ついこないだ幼稚園に行ってたのに、お前も大きくなったなぁ」


父は俺が大きくなって、自分との距離がだんだん広がって行く事に寂しさを感じているのだろう。


子供が育つ事は嬉しい、しかし、育つにつれて多くの人と関わりを持ち、子供の中に父親の占める割合はどんどん下がって行く。


小学生から中学生になろうかという年齢は、ちょうど大人の社会の一端を垣間見るようになり、自分も大人の社会に近付きたいと考えるようになる年頃だ。


よく考えてみれば、俺は小さい時はよく父親と釣りに行った記憶があるが、中学生になった後に一緒に釣りに行った記憶はない。


ひょっとしたら、父親と釣りに行くのは、これが最後なのかもしれない。


「お前もこれから大きくなるにつれ、ワシからは離れて行くんじゃろうな」


父親は俺の方を見ながら言った。


「…………」

俺の方から父に何か言う言葉が見つからない。


「ワシはな、お前もお母さんもずっと守ってきた。お前がいつか自立して行くじゃろうが、気持ちは変わらん」


「そうか……」


父の気持ちが俺にはすごくよくわかるだけに、どう返事すれば良いかわからなかった。


「ワシはこれからもお前らを守って行くが、それが出来んようになる時が来るかも知れん」


父は海の遠くを眺めながら言った。


「もし、そんな事があっても、お前らが強く生きて行けるように育てとるつもりじゃ」


父のこの言葉を聞いた瞬間、俺は父親としての自分を思い出していた。


俺も自分の息子に、自分がいなくなっても困らないように、強い人間に育てているといつも言っている。


それは、俺の父親としてのポリシーなのだが、その考えの元がいったいどこにあったのか、ずっと謎だったねだが、今ようやく謎が解けた気分である。


(俺の父親としてのポリシーはオヤジの影響だったのか)


父はいなくなるような事はなかったが、俺は42歳で死んでいるので事情は複雑である。


しかし、俺のポリシーは父から受け継いだのだと思うと、やはり父は偉大だと思ってしまう。


その時、俺はある事を思い出した。父は2017年も健在で、俺達の前からいなくなる事はなかったが、たしか、1986年のゴールデンウィーク明けから約一年間ほど、東京に転勤して単身赴任していた。


これも、いなくなるの一種にカウントされるかもしれない。


もっとも、遠くに行っただけで、いなくなったわけではないので、大して困らないだろう。


一方、42歳で死んだ俺はどうなのかと考えた。


子供が寂しい思いはするかも知れないが、子供を育てるにあたり手を抜いてないつもりだ。


例え、俺が一年間小学生をやった後に、死ぬ前の世界に戻れなかったとしても、ちゃんと生きて行けるはずだ。それは自信を持って言える。


そんな事を考えているうちに、父は竿を片付け始めていた。


「今日はどうやっても釣れんみたいじゃ」


今日はボウズで諦めて帰るみたいだ。


午後1時半すぎで釣りを終えて帰宅する事になった。


「母さんには今日はメバルを釣って帰るからと言うとるけぇ、晩ごはんのおかずの材料を用意しとらんかも知れん」


そこで、父は帰りにスーパーに寄り道して、ステーキ用の肉を買って帰った。


なお、母はどうせ魚は釣れないだろうと思い、ちゃんと晩ごはんとしてトンカツ用の肉を買っており、帰宅した父が勝手にステーキ用の肉を買っていたので怒られてしまったのである。


こうして、日曜日は暮れて行き春休みが終わった。


いよいよ、明日は4月7日月曜日、つまり始業式が行われる日である。


ついに、明日から本格的な小学生生活が始まるのである。

次回からいよいよ主人公が学校に通い始めます。


次回は主人公の通う小学校の紹介と、まだ登場していないクラスメート等、登場人物を紹介する話になる予定です。お楽しみに

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ