運動会②ペア体操
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1986年5月25日の日曜日、この日は運動会である。
俺達六年生の最初の出番である二人三脚が終わり、次の出番まで待機していた。
児童達はテントの下の応援席に座り競技を見る者、開放されていた体育館へ遊びに行く者、応援席でお喋りをする者など様々な時間の潰し方で過ごしていたが、俺は応援席のシートに寝転がり、寝たフリをして、すぐ近くに固まってお喋りしているうちのクラスの女子児童の会話に聞き耳を立てていた。
「それでさー、4組の永野君、最近かっこよくなったよねー」
「あー、わかるわかる」
「1組の谷村君もいいわね」
「谷村君は糸数さんがもう押さえてるんじゃない? 二人三脚も一緒だったし」
寝たフリをしながら会話を聞いていると、どうやら男子児童の値踏みをしているようである。
(ほう、永野や谷村は人気があるのか……)
「糸数さんって、3組の山崎君と仲良くなかった?」
「私は糸数さんに、うちのクラスの……あ……いや何でもない」
「えっ、あぁ……」
(どうした? 様子がおかしい)
なぜか、女子児童達の会話が止まった。
「糸数さんでしょ? うちのクラスの田村君に興味があるのよね?」
これは京子の声だ。会話が止まったのは他の女子児童が京子に遠慮したためである。
「えぇ、でも田村君は京子ちゃんが……」
女子児童の一人が遠慮がちに言った。
「田村君が誰を好きになるかなんて、本人の自由だし、私がどうこう言えるわけないでしょ」
(嘘つけ、俺に選択の自由を与えるつもりなんかないくせに)
京子は事実とは正反対の事をあっけらかんと言ってのけた。
「そういや、次はペア体操よ。最悪だわ」
「何で男子に体を触らせなければいけないのよ」
「私なんか、相手が三宅だよ。ずっとニヤけてて気持ち悪いんだから」
これは山岸徳子の発言である。
「でも、徳ちゃん三宅君とは仲いいでしょ」
「仲がいいから、触られてもいいってわけないわよ」
(でも、三宅が他の女子を触ると腹が立つんだろ?)
山岸と三宅は相思相愛なので、山岸は口で言うほど嫌がってはいないはずだ。むしろ、率先して触らせていると言われたくないから、嫌がっているフリをしているのだろう。
「男子って、みんなスケベだよね。ペア体操の時、たいていの男子はズボンをふくらませてるもの」
「そうそう、男子ってわかりやすくて面白いわ。キャハハハ……」
「皮被ってるくせに、いっちょ前に勃たせるなっての、アハハハ」
女子は俺が聞いてるとも知らず言いたい放題である。
「男子でスケベじゃないヤツっているのかな?」
「育美ちゃん、船場君は真面目そうだよね?」
「でも、船場君はペア組む時いつも顔を赤くしてるけどね」
「それは、育美ちゃんが可愛いからだよ」
「そんな事ないわよ。京子ちゃん、田村君はどうなの? 田村君って、スケベなイメージないけど」
(おい、何でわざわざ俺の話題を出すんだよ)
俺は間田育美を心の中で呪った。
「まぁ、田村君も男子だから、普通に触ってくるわよ」
「えーっ、そうなの?」
(おい、わざわざ大勢の女子の前で言わなくてもいいだろ)
俺は寝たフリをしながら、心の中では頭を抱えていた。
「でも、京子ちゃんは自分から田村君を指名したのだから、触られても平気でしょ?」
誰かが大胆な質問をした。
「顔を赤らめながら、おそるおそる触ってくるんだから、可愛いわね。フフフ……」
(杉山さん、もうやめて下さい……)
俺は起き上がって逃げ出したくなった。
俺は女子小学生がこんな会話をしているとは知らなかったので、少々驚いていた。俺を挟んで、女子の集団の反対側にいるジュン達は昨日放送されたアニメの話をしている。
一般的に女子の方が先に大人になるとされているが、お喋りの話題一つ取っても、こんなにも差があるとは思っていなかったのである。
「もうじき、ペア体操の時間だわ」
「あー、やだやだ。また、三宅に股を触られるのか」
「京子ちゃんは、田村君とだからいいわねぇ。私も田村君なら触らせてあげでもいいな」
(おいおい、誰だよそんな事言ってるのは)
「私、山口君と組みたかったけど、ジャンケンで負けて西君しか残ってなかったのよね」
「さて、そろそろ行きましょうか」
誰かが言って、女子の集団が立ち上がる気配がした。
(しかし、好き勝手言ってくれてらぁ……)
とはいえ、これを男子達に話すのも良くないと思えたので、心の中にしまっておくしかないだろう。
「おい、ヒデ起きろ」
ジュンが俺を起こそうと肩を揺すった。狸寝入りなので、言われるまでもなく起きてるが、一応眠っていたフリをしておく事にした。
「あぁ、よく寝た。もう出番か?」
俺はダルそうにジュンに尋ねた。
「まだ少しあるけど、もうみんな集合場所に向かったぞ」
「よし、わかった。俺達も行こう」
俺は起き上がってジュンとフジダイと一緒に校庭の隅にある入場門の後ろの集合場所に向かった。
集合場所には体育館でバスケをして遊んでいたイケが既に来ていた。
「お前ら、遅いぞ」
イケが俺達の姿を認めて声をかけて来た。
「六年生、整列!」
誘導係の教師が号令をかけると、六年生の児童がぞろぞろと集まって来た。
「これが終わったら、一年生から三年生までの各学年のリレーをやって昼飯だな」
「さっき二人三脚でコケて膝を擦りむいて痛いよ」
「本番で失敗したら恥ずかしいなぁ」
児童達は口々に勝手な事を言いながら整列する。体操は裸足でやるので、整列した場所で靴を脱ぎ裸足になった。
「田村君、今日はお触りなしで真面目にやってよね」
俺の後ろに並んだ京子がニヤニヤしながら話し掛けてきた。
「当たり前だろ。三宅じゃあるまいし」
俺はそこまでスケベじゃない、見くびらないでくれという思いだった。
「誰もいない場所でなら、田村君だけには私の体を触らせてあげるから、人前では真面目にやりなさいよ」
京子は俺の反論を鼻で笑ってから相変わらず意地悪に微笑みながら言った。
「他のやつに聞かれると変態扱いされるからやめようぜ」
さすがに、こんな会話を他の児童に聞かせるわけにはいかないので、俺はストップをかけた。
「これより、六年生によりますペア体操です。今年のペア体操はおもに女子が演技をする構成になっております」
アナウンスが流れた。いよいよ入場だ。
入場は全員が馬飛びをしながら入場して整列する。俺と京子は交互に馬飛びをしながら前のペアを追い掛けていたが、中にはモタモタするペアもあり、その後ろのペアが渋滞する事もあったが、どうにか位置に整列した。
もちろん、倒立では京子のお尻ではなく腰を持って補助した。緊張しているのだろうか、一度で倒立が出来ず二度、三度と試みるペアもあった。全体的に練習よりもうまくいかないのだが、やはり子供とはいえプレッシャーはあるのだろう。
肩車する際もグラグラするペアが幾つかあったのだが、崩れるペアはなくどうにか電信柱とアンテナのポーズをこなせた。
そこからは、基本的に女子がでんぐり返しや倒立やブリッジをしたりするのを男子が補助する。見せ場は女子に持って行かれて、既にこの時代から女性上位は始まっていたのだろうと俺は思った。
最後は全員一緒になっての組体操。
組体操とはいえ、タワーなど難しいのはやらず、むしろ、全員で創作ダンスでもやるような感じで演技をこなす。
男子もここでは倒立やブリッジをやるのだが、全員でやるので男子が目立つわけではない。
最後はやはり馬飛びで退場する。演技を続けていたため、緊張も解れたのか軽快に馬飛びをしながら退場して行った。
スケベの三宅を見ればわかるのだが、このペア体操は男子からすれば女子の体を触れるチャンスくらいにしか思ってないが、さすがに運動会本番ではふざけた男子はいなかった。
退場門を出て集合場所に戻り、靴を履いて解散となって応援席へと戻った。
ペア体操の後に一年生、二年生、三年生のリレーが行われた。各学年男女別に行われるので、計六つのリレー競走が行われた。
いろいろな競技があるのだが、一番盛り上がるのはリレーである。各クラスを代表する精鋭がクラスの誇りを賭けて走るリレーは花形競技である。
低学年のリレーは実力が拮抗した高学年とは違い、時折飛び抜けて速い児童がいるために、ごぼう抜きが見られたりするなど、高学年のリレーよりも展開的には面白い。
低学年のリレーが終わるとようやく昼食時間となる。多くの児童は保護者が用意した弁当を保護者用のテントの下で食べる。俺もその中の一人だ。しかし、中には保護者が来ていない児童もおり、解放された体育館で食べたり、友達のテントにお邪魔したりして食べる事が多い。
京子は母親が来ないと思われるが、友人の山岸徳子の席にお邪魔するようで、一緒にテントに向かって行った。
俺は同じ子供会に所属する、簡単に言えば同じ町内に住むジュンと一緒にテントに向かった。
「ジュンこっちこっち」
ジュンの母親がテントの方から呼んでいる。弁当の入った重箱を出しながら、ジュンの母親が息子に向かって手を振っていた。傍らには、ジュンに似てイケメン……1980年代だからハンサムと呼ぶべきであるが、なかなかカッコイイ父親が座っている。
「すぐ行く」
ジュンが両親の方に走って行った。
俺も付いて行きジュンの両親に挨拶した。
「こんにちは」
小学生らしく、軽くお辞儀をして簡単に挨拶をした。
「あら田村君、二人三脚は一等賞だったわね。おめでとう」
「何か田村君は六年生になって、仕草や立ち姿が大人っぽくなったな」
ジュンの両親は口々に俺を誉めてくれたが、あまり調子に乗ってはいけないので、挨拶だけで立ち去る事にした。
「じゃあ、これで」
俺は一礼してその場を離れ俺の母親と姉を探した。
「あら、ヒデ君一等賞おめでとう」
うちのすぐ近所に住む五年生の丸山光則の母親に声をかけられた。
「田村君すごいわね」
これは6年4組の女子である小野弘美の母親だ。ちなみに、子供会のソフトボールチームの一塁手である四年生の小野正弘は弘美の弟である。
「田村君さすがだね」
正弘がガッツポーズをしながら俺に言った。
21世紀でもあまり変わらないが、昭和の時代は運動会は現代よりはるかにビッグイベントだったので、競技で一等賞ともなればヒーローになれた時代である。
「何やってんの、早く来なさいよ。主役のあんたがこなけりゃお母さんも私も食べれないじゃない」
二人三脚で1位になったために、同じ町内の保護者達からの祝福攻めにあって、なかなか自分の母親を見つけられなかったが、そんな俺を見かねて姉が大声で呼びかけてきた。
俺は母と姉が座っているテントの一番隅の方に向かった。
「あぁ、腹減った」
俺は座るなり箸を取り、重箱から巻き寿司を一つ口に放り込んだ。
「やっと来たと思ったら、もう食べてる」
姉が呆れたように言ってから、負けじと巻き寿司を食べ始めた。
「二人三脚、速かったわね。運動会で一等賞なんて英樹はあまりないからビックリしたわ」
母は俺の活躍にご機嫌である。
「さぁ、おかずも召し上がれ」
母は重箱の下の段を出した。こういう特別な日はどこの家庭も弁当は豪華になるのが普通だ。
おにぎりが巻き寿司になるように、おかずも豪華になっている。鮭の塩焼きがブリの照り焼きに、鶏の唐揚げが手羽元に、ウインナーがトンカツになったりする。テザートも普通の弁当ではミカンだが、今日はメロンだった。
俺は母と姉と楽しく食事をしていたが、ふと京子の事が気になった。
京子の母親は運動会や学芸会や参観日には姿を見せない。やはり、風俗店経営者という自らの職業に後ろめたさがあるのか、あるいは、自分が姿を見せる事で京子がおかしな目で見られるのを避けているのか、単純に時間がないのかはわからないが、とにかく、京子の母親は学校行事にはやって来ないのである。
「そういえば」
食事をしながら、母が何かを思い出したように話し始めた。
「二人三脚や体操で英樹と一緒に出てた女の子、すごく綺麗な子だったわね」
俺はめんどくさい話題になったぞと思ったが、顔には出さないように注意した。
ちょうど京子の事を考えていたので、まさか母に無意識に京子の事が伝わったのかと錯覚してしまったが、もちろん母は偶然思い出しただけだろう。それに母は深い意味で言ったわけではないはずだ。
「でしょ、凄い綺麗な子よねぇ」
母は問題ないが姉は問題がある。姉は福山城のベンチで、京子が俺の顔に付いたソフトクリームを舌でなめ取る場面を目撃したり、京子が俺の胸に付けたキスマークを見ている。何を言い出すかわかったものではない。
(姉さん、頼むから余計な事は言うなよ)
俺は心の中で祈った。まぁ、いくら姉でも俺の考えている事はわかるはずだし、それを無視はしないだろうとは思った。
「あの子、ヒデ君の彼女さんなんだよ」
姉は俺の気持ちなど微塵も考えていなかった。俺は姉に期待した自分を恨んだ。京子の話題にならないように、違う話題を振り続けるべきだった。
「へぇ、そうなの。英樹にはもったいないくらいの綺麗な子だわ」
「ホントホント」
母と姉は楽しそうに喋っているが、俺としては居心地が悪い。
「でも、あの子、見た目がお姉ちゃんと同い年くらいに見えるわね。ずいぶん大人びた感じね」
「見た目だけじゃなく、きっとやる事なす事マセてると思うわ」
母と姉の話が一番向かって欲しくない方向に向かい始めた。
「それよりさ、写真は撮れた? 父さんに見せるために撮るって言ってたけど」
俺は話題を変える必要があると思った。
「忘れてたわ」
母がバッグを持ち上げながら言った。カメラはバッグに入れたままという事だろう。
「せっかく1位だったんだから、撮ってくれてればよかったのに。午後の徒競走はちゃんと頼むよ」
「はいはい」
何とか話題を変えて俺はホッとしていた。
「じゃ、お昼食べたし私は帰るわ。友達と約束あるし」
「もう、帰るの? お昼を食べに来ただけじゃない?」
どうやら、姉は昼ごはんの直前に小学校に来たらしい。まぁ、運動会そのものに興味はなく、母が昼ごはんを小学校に持って行ったのでしかたなく食べに来ただけなのだから、目的を果たしたらさっさと帰るのは当然だろう。
「運動会とか興味ないから。じゃあ」
姉はさっさとテントから離れて行ってしまった。俺としては何の問題もない。むしろ好ましい。
「じゃあ、俺は他の奴のとこに行って来る」
俺も昼ごはんを食べ終わったので、ジュンを誘い同じクラスの連中がいそうな場所へ行こうと考えた。
「徒競走はちゃんと写真撮るから、一等になりなさい」
「自信ないけど頑張るよ」
俺は母に軽く手を振ってから席を離れジュンのいるあたりに向かった。
ジュンのいるあたりに行くと、同じ町内の下級生達と楽しくお喋りをしている。邪魔するのは悪いので、俺は独りで誰か仲の良いのがいないか探す事にした。
正門近くを歩いていると、正門脇に京子の姿がチラリと見えた。出入りする人々に見え隠れしてはっきりとは見えないが、笑顔で誰かとお喋りしているようだ。
(お喋りに割り込んじゃいけないな)
俺は京子の近くに行くのはやめて、別の場所に移動しようとした。移動しながら、もう一度京子の方を見た。京子の向こう側に見覚えある人の姿があった。
(あれは……姉さん!)
京子と話をしているのは間違いなく俺の姉だった。それならば、なおさらジロジロ見るわけにはいかない、姉にそれを見られたら家に帰ってからかわれるのは確実だからである。
二人が何を話しているのか気にはなったが、俺はそそくさと立ち去る意外の選択肢を見出だせなかった。
次回は運動会の午後の部、主人公とその友人達が徒競走に出場する話です。
お楽しみに




