遠足
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1986年5月9日金曜日、この日の福山市立第二小学校は普段とは違う雰囲気に包まれていた。
登校した児童はワイワイ騒ぎ浮わついている。また、普段はランドセルを背負って登校するが、今日はランドセルの代わりにリュックサックを背負って登校していた。更に児童全員が水筒を持参している。
今日は全校児童の遠足の日だった。
遠足といっても、最初から最後まで歩くのではなく、目的地近くまではバスで行きそこから目的地まで歩くのである。
一年生から六年生まで目的地はそれぞれ違っていて、学年が上がるにつれ歩く距離も長くなる。
ちなみに、俺達六年生は広島県北部にあるスキー場やキャンプ場があるレジャー施設にバスで2時間以上かけて行き、その近くにある山に登るというなかなかハードな遠足である。
六年生は行き先が遠いので、他の学年より早く8時に学校を出発するので7時30分に登校した。校庭に整列してバスが来るまで待機する。
7時50分になって4台のバスが学校前に到着した。さっそく、全員バスに乗り込むが、普通は4つのクラスがあって、4台のバスが来ているという事はクラスごとにバスが割り当てられるのだが、うちの学校はクラス関係なく自由に乗り込む。他のクラスとの交流を考えての事らしい。今日一日はバスの号車単位で行動する。
俺はどれに乗り込もうか迷っていたが、ジュンこと山口淳平と一緒に乗ろうと思いジュンを探したが、ジュンは男女問わず人気があるので引っ張りだこのようで、すでに4組の女子児童がジュンを確保したようで、ジュンを引っ張るようにバスに向かって歩いていた。
俺は隣に座ってくれそうな奴が見つからないので、とりあえずバスに乗って、誰か隣に来ればそいつを隣に座らせればいいと考え、空いてそうなバスを探した。
ちなみに、杉山京子とは他の児童がいる場所ではあまりベタベタしないようにしているので、今日はあえて一緒に行動しないつもりだった。京子も同じ考えなので俺を探したりしてないようなので、俺は京子がどこにいて誰と一緒に座るのかすら知らなかった。
俺は遠くにジュンと並ぶ親友であるイケこと小池伸二と、フジダイこと藤井大介の姿を確認した。どうやらこいつらは一緒に座るつもりらしく、楽しそうにお喋りしながら3号車に乗り込もうとしていた。
ジュンも姿が見えなくなり、いよいよ独りぼっちになってしまったので、とりあえず適当にバスに乗り、独りで座っておく事にして、比較的空いているように見える1号車に向かって歩き出した。
「田村君?」
俺は誰かに後ろから声をかけられた。
「え?」
俺が振り向くと、そこには一人の女子児童が立っていた。
(糸数玲奈……)
俺に声をかけたのは1組の糸数玲奈という女子児童だった。玲奈はジュンに俺のを聞いていたらしく、いつの間にか俺はモテキャラになってしまったのかよくわからないが。
「一緒に座る人は決まった?」
玲奈ははにかみながら俺に聞いた。
「いや、決まってないよ」
「じゃあ、一緒に座る?」
「まぁ、いいけど」
断わるのも悪いので、俺は玲奈の申し出を承諾した。それから、改めて玲奈の姿を見渡した。玲奈は長い髪をポニテに纏めてあり、目がクリッとして顔立ちは愛敬がある。所謂、ロリ顔の美少女だ。大人びた京子とは正反対だが、これはこれでいいと思う。
「1号車に乗るの?」
「空いてるみたいだから」
「1号車はたぶん1組の中西先生が引率するんじゃないかしら」
「それで空いてるのか」
1号車の引率教諭は、順当に行けば1組の担任と思われる。1組の担任は超体育会系の中西宏子先生である。したがって、児童が避けているのである。特に1組の児童は1号車にはほとんどいない。
「嫌なら他にする?」
「私はそんなの気にしないからいいけど」
「じゃあ、決まりだ」
俺と玲奈は1号車に乗る事にした。
1号車に乗り込んでみると、まだ半分以上の席が空席のままだった。児童は前方か後方の隅の方に多く乗っており、真ん中あたりはほとんどが空席である。
前方に乗り込んだ児童はフロントガラスからの眺めを楽しみたいのだろうし、後方の児童は隅っこで静かに寝ているつもりであるか、一番前に先生が乗るはずだから先生から遠い席を選んだのだろうと俺は想像した。
「どこに座る?」
「バスは真ん中あたりが一番揺れないからいいんだよ」
俺は揺れない真ん中あたりに座りたかった。
「じゃあ、真ん中あたりに座りましょう」
玲奈も了承し、がら空きの真ん中付近に並んで席を取った。車窓の景色がよく見えるように玲奈を窓際に座らせて俺は通路側に座る事にした。
1号車にま徐々に児童が乗り込んで来て席が埋まりつつある。そんな中、山岸徳子が1号車に乗り込んで来た。席を探して通路を進んで来た山岸と視線が交錯した。その瞬間、山岸は『ヤバい』という感じで表情を曇らせた。
ほどなくして、京子も1号車に乗り込んで来た。
(あぁ、そういう事か)
山岸と京子は一緒に座る事にしたのだろう。そして、バスに乗り込んでみたら京子と仲の良い俺が他の女子と並んで座っていた。京子に見せたらマズいと思い表情を曇らせたのだと俺は考えた。
「京子ちゃん、この前のあたりにしましょうか」
山岸は俺と京子の間に立ちはだかり、俺達が鉢合わせしないように前の方に座ろうと提案していた。
「もう少し後ろが空いてるじゃない」
京子が山岸の脇をすり抜けて来て俺と視線が合ってしまった。
その瞬間、京子はほんの一瞬だけイラついたような表情を見せたが、すぐに笑顔で山岸の方を見た。
「やっぱり、真ん中あたりがいいわ」
京子はスタスタとこちらにやって来る。そして、当て付けるかのように、わざわざ俺と玲奈が座っているのと同じ列に座った。山岸を窓際に座らせて京子自身は通路側、つまり、通路を挟んで俺のすぐ隣に座り込んだ。
(勘弁してくれよ……)
俺は心の中でため息を吐いた。何も知らない玲奈は無邪気に話し掛けて来るが、俺は気が気でない。
バスの出発時刻である8時になって、ようやく引率の先生が乗り込んで来た。1号車を引率するのは、大方の予想に反して4組の担任の久保美津子先生だった。久保先生は定年近いベテランで6年の主任教諭である。
「皆さん、これから出発します。トイレに行きたい人はいませんか? 到着まで2時間半くらいかかるので、トイレに行きたい人は今すぐ行って下さい。途中、一回だけドライブインに入りトイレ休憩をします。気分が悪くなった時はすぐに申し出て下さい」
久保先生が通路に立ち車内の児童に注意した。登校してからバスに乗るまで30分あったので、トイレに行きたい者は既に行っているはずである。
誰もトイレに行かないのですぐにバスは出発した。目的地は広島県の北部、遠足とはいえかなり遠くに行く事になる。車内では児童がワイワイとお喋りを始めて実に賑やかである。
俺は隣に1組で一番の美少女、通路を挟んで向こう側に2組で一番と二番目の美少女という、男子にとってはこれ以上ない席に座ったのだが、何とも言えぬ居心地の悪さを感じでいた。しかし、隣に座った玲奈には何の落ち度もない、大人として玲奈につまらない思いをさせるのは良くないと考え、心の中で京子に謝ってから玲奈と楽しくお喋りをする事にした。
中身が42歳の俺からすれば、小学六年生の玲奈とは父と娘のような年齢差がある。玲奈を相手に性的に興奮などはしないが、中身が21歳の京子とは違い、正真正銘の女子小学生とお喋りするのは普通に楽しい。
玲奈とのお喋りは他愛のない内容である。得意な科目、得意なスポーツ、好きなテレビ番組などの無難な話題ばっかりであるが、それは玲奈が小学生であるからしかたない。
そんな話題であっても、俺からすれば、女子小学生とお喋りをする事そのものが新鮮で楽しいものである。42歳当時の俺は息子はいたが娘はいなかったし、本当の小学生だった頃は女子とお喋りをした記憶はほとんどないからである。
俺が本当の小学生だった頃は、男子は男子だけのグループで固まっていたような気がしていたが、車内をよく見てみると男女で座っているのがちらほら見える。
あの頃は、男子は女子と仲良くすると冷やかされるから女子には近付かないような風潮があるような気がしていたが、そんなのは無かったのである。
(あの頃に気付いていれば、もっと女の子と仲良くしていたのになぁ)
俺は今更ながら後悔していた。
「ねぇ、三つ前の席、箱田君と植松さんじゃない?」
「そうか?」
俺は立ち上がって前の席を見てみた。箱田というのは3、4年生の時に同じクラスにいた男子児童である。植松という女子児童は同じクラスになった事はないが、4年の時に俺と玲奈が一緒に学級委員だった時に、他のクラスの学級委員を務めており、委員会でよく一緒になっていたはずである。
「あぁ、そうだね。たしかにあれは箱田と植松さんだな」
俺は座りながら答えた。
「田村君って、箱田君の事をコンチって呼ばないんだね」
玲奈がちょっと驚いたように言った。そういえば、箱田はコンチというあだ名を付けられていて、男子はみんなあだ名で呼んでいたのを思い出した。ちなみに、なぜこんなあだ名が付いたかというと、箱田の口癖が「こんちくしょう」だったからである。別に、男性器がデカいから男性器を逆さ読みしたあだ名が付いたわけではない。
「こ、コンチ本人にはコンチと言うけどさ、本人がいない所ではあだ名で呼ぶのはあいつに失礼だろ」
俺はあだ名を忘れていたというわけにもいかないので、それなりの理由をつけてごまかす事にした。
それから玲奈はうちのクラスの誰と誰が仲が良いとか、俺のクラスの誰と玲奈のクラスの誰が仲が良いとか、楽しそうにそんな話をしたのだが、俺は小学生の女子が普通にそんなコイバナをする事と、知らないところでそんなにたくさんのカップルが誕生していた事に驚いていた。
「うちのクラスで一番女子に人気があるのは誰だと思う?」
俺はうちのクラスの男子の人気順が気になったので質問してみた。
「それは絶対に山口君よ。カッコいいし話が面白いから」
「へぇ、ジュンは人気あるんだな」
俺はジュンに対し感心した。
「田村君も人気あるよ」
「そんな事ないと思うけどな」
俺は自分が女子に好かれるような事はしていないし、女子に人気があると言われてもなぜなのか理解出来ないのである。
「田村君は六年になって、急に物知りになってよく話すようになったし、色んな事に的確にアドバイスしてくれるようになったと言われてるのよ」
「そうかなぁ。何も変わってないと思うがなぁ」
「そんな事ないよ。六年になって急に大人になったみたいだって言われてるんだから」
それはそうである。実際に六年から中身は42歳のオッサンに変わってしまったのだから。しかし、そんな事を言う事も出来ないのではぐらかしておくしかない。
「じゃあ、うちのクラスの女子で一番モテそうなのは誰?」
俺は自分の事をあれこれ言われるのは照れくさいので話題を変えようとした。
「……」
玲奈は無言のまま俺の向こう側を指差していた。つまり、京子か山岸のどちらかである。
「杉山さんと山岸さんのどっち?」
俺は玲奈の耳元に口を寄せて小さな声で尋ねた。
「山岸さん、うちのクラスの男子にも人気があるのよ。杉山さんは小学生じゃないくらい大人っぽいから、逆に苦手な子もいるのよ」
玲奈が今度は俺の耳元にささやいた。
(なるほど、正論だな)
山岸が京子より男子に人気があるというのは理解出来る。京子は中身が21歳なので、本人に自覚のあるなしにかかわらず、どうしても周囲の児童に対し上から目線になってしまうのだろう。更に、京子はバカ騒ぎするようなタイプではないので、いわゆるクールビューティーである。誰からも好かれるタイプではないというのはよくわかる。
もっとも、京子の場合はクールビューティーを装っているだけで、実際は俺をからかって楽しむのが大好きなのだから、なかなかの性悪女である。それでも美少女だから性悪でも許されそうなのだから、可愛いというのはそれだけでもれなく多くの特典があるという事なのだろう。
バスは福山市と広島県北部を結ぶ国道を走っている。既に出発して4、50分たっているので、バスは市街地を抜けて山の中へ入っていた。
町に住む子供には山の景色が楽しいのだろう。窓側に座った児童はみんな車窓に釘付けになっていた。
「あの川、すげぇ流れが速いぜ」
「あの山のてっぺんの鉄塔、どうやって立てたんだろう?」
「このあたり、熊とかいるのかな?」
「あんな、崖の上に家があるぞ」
車窓を眺めながら、目に入るものが普段の町の風景とは違うので、児童にはとても珍しいのだろう。様々なものに興味を示していた。
それからしばらくして、最前列に座っていた久保先生が通路に立った。
「もうすぐ、トイレ休憩です。トイレに行った人が全員戻ったらすぐに出発します。時間に余裕がないので、トイレに行く人以外は降りないようにして下さい」
久保先生が注意を終えるとすぐにバスは国道から道路脇の駐車場に入って行った。
そんなに大きくない駐車場は、バスが4台入ると半分以上のスペースを占領してしまった。
駐車場の隅に公衆トイレがあるのが見える。しかし、久保先生は出発時にはドライブインでトイレ休憩と言っていたはずである。
「先生、ドライブインじゃないじゃんか」
男子児童の一人が久保先生に言った。
「ドライブしている車がインするからドライブインなのよ」
久保先生は笑いながら答えた。ドライブインとはそのような意味ではないのだが、小学生にはこの方がわかりやすいのかもしれない。
バスのドアが開くとトイレに行きたい児童が降りて行く。俺もバスを降りてトイレに向かった。
公衆トイレなので、きれいなトイレだとは期待していなかったが、予想通り汚そうなトイレである。21世紀では公衆トイレといえど男女別々に作られているが、昭和の時代である。トイレは男女共用だった。小便器が四つ並んでいる背後に個室が三つある造りだった。
男女それぞれに列が出来ていたが、女子の方が時間がかかるので、男子の列はどんどん人数が減るのに対し、女子の列はなかなか人数が減らなかった。
俺は列の後ろの方に並んだのだが、順調に列は解消していき俺の番になった。入口トイレに入り便器に向かう。田舎なので汲み取り式なのは仕方ないが、小便くさい鼻にツンと来るにおいがけっこうキツい。まだ、男子はよいが町に住む女子にこのトイレはキツいように思えた。
背後でジョロジョロと女子が排泄音を響かせているのを聞きながら小便をする。俺は女子小学生の排泄に興味はないので気にはならなかったが、それまで列に並んでいた時は騒がしかった男子児童が、トイレ内ではお喋りはもちろん、物音すら立てないようにソーッと小便をしている事から、少なからず女子の排泄音が気になっているのがわかる。
俺が小便をしてバスに戻ってからも、全員がトイレを済ませるには時間がかかるようだ。車内には空席がいくつか残っている。
俺が先程席を立った後、玲奈もトイレに向かったらしく、玲奈の席は空席だった。また、京子はトイレに行かなかったようだが、山岸はトイレに行ってまだ戻ってないので、俺と京子は通路を挟んで二人だけ並んで座っている。
「あの子、田村君にまんざらでもないみたいよ。変に情をかけて、おかしな事にならないようにしなさいよ」
京子が声を潜めて言った。
「子供を傷つけるような事は出来ないしなぁ」
俺は複雑な表情で言った。
「女の12歳はあなたが考えてるより大人だから。もし、あの子があなたにまとわりついて来るなら、私の事が好きだとハッキリと言いなさい。私には勝てない事くらいあの子もわかってるはずだから、絶対に引き下がるわ」
京子は自信満々に言ったが、確かに可愛くて頭のいいのだが、そこまで自信が持てる理由が俺にはわからない。
「何でそんな自信があるんだ?」
俺は京子に尋ねた。
「田村君に関しては前の人生で何年も彼女やらせてもらってたから、そこいらの小娘よりはあなたの扱い方はよく知ってるもの」
「扱い方とか、嫌な言い方だな」
「それに、私は田村君が中身が大人だと知って、なおさらあなたを他に譲る気なんてなくなったから。だって、正真正銘の小学生だと21歳と12歳でしょ? どうしようかなぁ、と思ってたんだけどね」
京子は悦に入っているのか饒舌である。
「俺は杉山さんに好きだと意思表示されたのは、今が初めてだけどな」
「えっ!? やだ、こんな告白とか想定外だわ」
京子は少し焦っていた。
「田村君、返事は?」
しかし、京子はすぐに気を取り直して言った。
「まぁ、42にもなってお子様相手に恋愛とか無理だもんな。かといって妙齢の女性は、俺の見た目が小学生だから相手にされないし」
「ハッキリ返事をしなさいよ」
京子がため息を吐きながら言った。
「まぁ、杉山さんでしゃーねぇな」
俺はぶっきらぼうに言ったのは照れ隠しである。
「こんな可愛くて頭のいい女と付き合えて『しゃーねぇな』とはたいそうなご身分ね」
京子は嫌味を言いながらもご機嫌である。
「なぁ? 俺を元の世界に帰してくれる気はあるの?」
俺は少し気になった事を質問した。
「私から帰すつもりはないけど、田村君がどうしても帰ると言うなら止めないわね」
京子は不敵な笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、田村君は帰る気はあるの?」
京子に尋ねられたが、俺には答えにくい質問だった。
「その時にならないとわからないよ。それに、帰れなくなる可能性が高いし」
はっきり言って、俺は半分以上帰らなくてもいいと考えていた。向こうに残した家族は気になるが、家族といえどいつかは死別するものである。それに、俺が死んだからといって、向こうに残した家族が、俺が死んだからといって彼らの人生が悪い方向に向かうとは限らない。
京子と話しているうちに、玲奈が戻って来たので会話をやめて黙り込んだ。
玲奈に続き、山岸をはじめとする残りの児童もバスに戻り、ようやく全員が揃った。
久保先生が車内の児童を数えて、全員が揃った事を確認してからバスは出発した。バスはどんどん山深い場所へと進んで行く。最初は山の景色を眺めて楽しんでいた児童達も、延々と山ばっかりを見せられて飽きてきたのだろう、景色を見るよりお喋りをしたり、居眠りをする児童の方が増えてきた。
「ねぇ、田村君ってさ、誰か好きな……っていうより、気になる子とかいる?」
隣に座る玲奈が話しかけてきた。
(そうら、来たか)
俺はチラリと京子の方を見た。京子は隣の山岸が居眠りしているので、京子もする事がなくて眠っているように見える。しかし、京子の事だから眠っているフリをして、こちらの会話に聞き耳を立てているに違いない。
「いやぁ、そうだなぁ〜」
先ほど、このような場面に遭遇したら、京子が好きだとハッキリ言うように言われたのだが、本人のいる前で恋人宣言をするのも何だか照れ臭い。というより、まだ互いに小学生の状態なので、相思相愛のカップルになってしまっていいものかどうか、判断に迷うところである。
「ねぇ、いるの? いないの?」
玲奈が興味津々という感じに目を輝かせながら訊いて来る。
「まぁ……いる事はいるけど……」
俺は玲奈にいないと答えて彼女に立候補されても困るので、一応は気になる女の子がいるとは言っておく事にした。
「えっ!? それって誰なの?」
「いや、それは勘弁……」
「教えて、教えて、教えてよぉ〜」
「うん、それはね………………ひみつ」
「うわっ、ズルい!」
まさか、その子は隣に座っておられますとは言えなくて、結局はぐらかしてしまった。
「誰にも言わないから、私にだけこっそり教えて」
玲奈はなおも食い下がってきた。
「こっそり教えても、どこかから本人に伝わったら恥ずかしいじゃん」
「あ〜なるほどね。片想いなのね」
「片想いってわけじゃないんだけどね……」
「じゃあ、何なのよ?」
「いや……えーと、それよりさ、俺にだけ答えさせるのはズルいから、糸数さんは誰か気になる男子はいるのか教えてほしいな」
俺は話を反らしてやり過ごそうと考えた。
「えっ、私?」
「うん」
「そ、そりゃ、いるにはいるけど、田村君が名前を教えてくれないから、私も教えてあげない」
「やれやれ、じゃあ、名前は教えてなくていいか」
「えー、田村君が気になる女の子の名前知りたいのに」
「いや、恥ずかしいから、違う話をしようぜ」
「しょうがないなぁ」
どうにか、話題を反らす事が出来たようだ。
「じゃあ、田村君と仲が良い山口君って1組の女子にも人気あるけど、好きな子とかいるのかな?」
玲奈はジュンについて質問をした。ジュンは女子に人気があるので玲奈としても気になるのかもしれない。
「ジュンか……特別に誰かってのはないだろうな」
「そうなんだ……じゃあさ……」
玲奈は俺に顔を近付けて来た。俺は何事かとドキドキしたが、玲奈は俺の耳元でささやいた。
「隣に座ってる杉山さんは?」
「杉山さん?」
俺は返答に困る質問をされて弱っていた。
「声が大きいよ」
「あ、ごめん」
その時に限り玲奈の声が大きくなってしまい、狸寝入りをしながらこちらの会話に聞き耳を立てている京子に聞こえてしまったに違いない。さて、俺はどう返答すればよいものか困ってしまった。
「さぁね。本人がすぐ横にいるんだから、直接言ってみればいいんじゃない?」
俺は玲奈もさすがに直接京子に訊けないだろうと考えていたので、これでこの話題は終わると考えた。
「ねぇねぇ、杉山さん」
玲奈は俺の頭越しに京子に声をかけた。
(マジかよ!?)
俺は玲奈が本当に京子に声をかけるとは思わなかったので困惑した。
「ねぇ、杉山さん」
「いったい何かしら?」
寝たフリをしていた京子が目を開けて玲奈の声に反応した。
「杉山さんってさ、綺麗だし大人っぽいし、好きな男子っているよね?」
玲奈は屈託のない笑顔で京子に訊いた。
「うーん……えっと」
さすがに京子も困惑した様子でうまく言葉が繋がらない。
「すぐに否定しないって事は、好きな男子がいるのね?」
玲奈は京子が否定しなかったので、好きな男子がいると解釈したようである。
「いるとは言ってないでしょう?」
「いないとも言ってないわよね」
「そりゃあ、まあ……」
京子もまさか玲奈にこんな質問をされるとは想定外だったようで、答えを用意していなかったのだろう。京子は相変わらず困惑している。
「ねえ、誰? 誰なの?」
学年で一番の美少女で一番の秀才の好きな男子が誰か、玲奈でなくても興味があるところである。これはチャンスとばかり、玲奈はどうしても名前を聞き出したいようだ。
「名前を言ったら、その男子が困るんじゃないかしら」
京子もさすがに答えづらいようである。何とか誤魔化そうとしている。
「そんな事ないよ。杉山さんに好かれてたら、どんな男子も喜ぶに決まってるわよ」
「そんな事ないわ。それにその男子を狙ってる他の女子にも悪いし」
「でも、杉山さんと張り合おうなんて誰も思わないよ」
「じゃあ、糸数さんも?」
玲奈がしつこいためか、京子が少しイライラしているようである。
「そうね。杉山さんには勝てないわよ。私も諦めるしかないわね」
玲奈は何も気にせず言うが、俺は二人の会話を聞きながら生きた心地がしない。
「そう。じゃあ、糸数さんって何で田村君を誘ったの? 糸数さんって田村君の事が好きなのかしら?」
京子が玲奈にズバリと言った。
「田村君本人がいる所で、そんなハッキリ言わないでよ。恥ずかしいわ」
玲奈が照れたような表情になった。
「糸数さんには悪いけど……」
「あっ、あのさ」
京子が言いかけたところで俺が遮った。
「糸数さん、悪いんだけど、さっき言ってた俺が気になる子って、実は……」
「えっ? だれだれだれだれ」
俺が言い出すと、玲奈が食い付いて来た。
「…………」
俺は無言のまま京子を指差した。指を差された京子は無言でうなずいている。
「えっ、そうなの?」
玲奈は目を丸くしている。
「じゃあ、杉山さんが好きな男子って……」
「そうよ」
玲奈の言葉に京子は無表情で静かに言った。
「うわ、こりゃやられたわぁ」
玲奈はおどけながら言った。
「田村君が杉山さんといい仲なら、私は出番ないわ。ねぇねぇ、田村君、どうやって仲良くなったの?」
玲奈は少なからずショックを受けたはずだが、そのような素振りを見せずに言った。
「恥ずかしいから言わせるなよ」
俺は苦笑いしながら言った。京子もつられて苦笑している。
「あー、でも田村君と杉山さんならお似合いかも」
玲奈は勝手に納得したようにうなずいている。
俺は場の空気が険悪にならなかった事に内心ホッとしていた。
結局、この一連の出来事で、玲奈と京子が打ち解けてしまい、俺と居眠りから覚めた山岸も含め四人でワイワイと盛り上がった。
現地に着いて、山に登る時も、山頂で弁当を食べる時も四人一緒だった。うちの小学校を代表する美少女が揃っていたので、俺も楽しい時間を過ごす事が出来た。
夕方に学校に戻ってそのまま解散となって児童は下校した。
「田村君、一緒に帰らない?」
帰ろうとしていた俺に京子が近寄って来た。
「別にかまわないけど」
俺としても、拒否する理由がないので一緒に帰る事にした。
「バスの中では助かったわ。糸数さんと波風立てる事なく打ち解ける事が出来たし」
俺と並んで歩く京子が言った。
「もし、あの時俺が何も言わなかったら、どうするつもりだったの?」
「もちろん、糸数さんにズバッと言ってやるつもりだったわ」
「中身は俺と同じ大人だと言ってるけど、やっぱ学生レベルだな」
京子の返答に俺は肩を竦めて言った。
「そりゃ、あそこで君が糸数さんに負けるとは思えないけどさ。そんな事したら友達いなくなるぜ」
「元から友達は少ないから、別にいいけどね」
「まぁ、ああいう場面は、俺が言ってしまうのが一番問題が起きにくいんだ。糸数さんに脈なしだと認識させられるから。あのまま、君が糸数さんを負かすような言い方をしてたら、君が俺を一方的に好きなだけなのに、俺が無理矢理付き合わされてるとか言われたりするかもしれないんだぜ」
二人で喋りながら歩いていると、いつの間にか帰り道が分かれる交差点にやって来てしまった。
「まぁ、今日はあなたに助けられたわね。本当にありがとう」
京子はにっこり笑いながら俺に礼を言ってから、キョロキョロと周りを見回した。周囲に人の姿はない。
京子は無言で俺の手を取った。
「どうしたんだ?」
俺は驚いて尋ねた。
京子は再度周囲を確認してから、無言、無表情のまま俺の手を自分のお尻に持って行った。
「おい、何するんだ?」
俺は驚いて尋ねた。
「お礼に触らせてあげる。触りたいんでしょ?」
京子は平然と言った。
「ちょっと待てよ」
俺は慌てて京子のお尻から手を離した。
「自分のは安売りするもんじゃないぞ」
俺は苦笑しながら言った。大人の姿ならまだしも、今は互いに小学生の姿であるし、無理矢理に手を引かれて触らされても嬉しくない。
「結局、恥ずかしいだけでしょ?」
京子も苦笑しながら言った。
「おいおい、おじさんをからかうもんじゃないぞ」
「はいはい、じゃあ、また明日」
京子は自分の家の方角に向かって歩いて行ってしまった。俺も自分が帰るべき方角に向かって歩き出した。
(しかし、京子ってあんなつかみどころのない女だったんだな)
従来の俺の中の京子のイメージは、物静かな何を考えているのかよくわからないミステリアスな美少女というイメージだった。もっとも、このミステリアス美少女は小学六年生の夏に自殺している。
その自殺した京子が、二度目の人生では俺と付き合うようになったらしいが、京子から話を聞いたりする限り、頭は良いが、悪戯好きでやきもち妬きな小悪魔タイプに思える。京子の二度目の人生の世界にいた俺は、京子にずっと振り回されつつ、そこに幸せを感じていたに違いない。
そしてこの世界、俺の二度目、京子の三度目の人生。互いに小学六年生ではあるが、俺は42歳、京子は21歳である。
(42歳のオッサンに21歳の彼女が出来たら、そりゃ振り回されてクタクタに疲れそうだ)
俺は歩きながら想像して苦笑いしてしまった。家に帰ってもニヤニヤしていたのか、帰宅して廊下で鉢合わせになった姉に気持ちわるがられてしまった。
部屋に戻り、畳んだ座布団を枕にして寝転んだ俺はいろいろと考えた。
俺もそうだが、京子も俺の半分の年齢ではあるが十分に大人である。
子供という、制約のある生活の中、大人として振る舞える時間を求めて俺に近付いているのは理解出来る。前にいた世界で彼氏だったからというより、そちらの理由が大きいだろう。
俺も京子と仲良くするのは大人として振る舞えるからというのが大きい。
それでも、二人で居る時間も小学生という肩書きは外せない、これから一年間小学生として暮らす事は、ストレスを感じる事が少なからずあるはずだ。
そんな中で、二人だけで誰にも遠慮なく小学生という肩書きを忘れてしまえる場所が必要に思えてきた。
(何か方法はないものか)
遠足で歩き疲れた俺は、思案しながら眠ってしまったが、眠りに落ちる寸前に何か妙案が思い付いたような気がした。
次回は主人公と京子が二人でお出掛けする話です。
この話で主人公が居眠りをする前に思い付いた妙案の内容も明らかになります。
お楽しみに




