給食
久々の更新お待たせしました。
俺が31年ぶりに小学生生活をする事になっておよそ2週間、学校で食べる昼ごはんは当然ながら給食だ。
かつて小学生時代、給食といえば不味いものという認識だった。栄養バランスは良いのだろうが、どう考えても美味しいとは思えない味付けの献立があり、あまり良い思い出がなかった。
1986年当時の広島県福山市の給食事情はというと、当時は米飯給食は行われておらず、主食は専らパンだった。パンにおかずと牛乳というのが当時の給食だった。
今日、つまり1986年4月18日金曜日の給食メニューは、パン、マーガリン、牛乳、ポークビーンズ、ヨーグルトサラダ。ちなみに、ポークビーンズというのは、大豆と豚肉のケチャップ煮の事である。
四時間目の社会の授業が終わり、給食当番がエレベーターホールに向かう。そこにはクラスごとの給食がカートに乗せて置いてある。
給食当番は男女3人ずつ、3人がカートを取りに行く間に、残りの3人が給食台と呼ばれる折り畳み式の大きなテーブルを教室前方に用意する。テーブルをセットした後、布巾できれいに拭いておく。
カートを取りに行った3人のうち、食器のカートが先に教室に入って来る。食べ物を乗せたカートは重いので、2人がかりでゆっくり移動させるので、少し遅れてやって来て食器のカートに続いて教室に入る。
給食台の横に食器のカートと食べ物のカートが並ぶと、盛り付け担当者が食器に盛り付けて給食台に並べていく。それを配膳担当者が各人の机に配って行く。
給食当番以外の児童は配膳の間に手を洗い、席に戻って待っている。
盛り付けは平等にというのが建前だが、気に入らない児童の給食に鼻くそを入れたり、唾を入れたりは当たり前だ。嫌いな食べ物をわざわざ多くいれたりする嫌がらせも当然である。給食当番は、自分には好きな食べ物が多くなるようにするのは特権だ。
21世紀の今日にこのような事があれば大問題になるが、時代は昭和、こんなのは日常茶飯事であった。
俺は授業が終わるとすぐに手を洗いに行った。手洗い場に仲の良い、ジュンこと山口淳平がいたので、放課後にジュンの家でテレビゲームで遊ぶ約束などをしてから教室に戻った。
教室に戻ると、俺の席には給食の配膳が終わっており、席について配膳が完了するのを待った。
程なくして給食の配膳が完了した。
日直の西豊治が号令をかけた。
「いただきます!」
他の児童が続く
「いただきます!」
全員が給食を食べ始めた。おかずをガツガツ掻き込む者、牛乳を一気飲みする者、好きな物がないのか食が進まない者、食べ方ひとつ取っても人それぞれである。
俺は味の付いていないコッペパンにアルミ紙に包まれたマーガリンを塗ってからかじりついた。
それから、ポークビーンズを先割れスプーンでひとすくいして口に入れた。
(不味いとまでは言わないが、何か物足りないな)
俺はポークビーンズを更に食べながら思った。
教室の後ろの方で牛乳の早飲み競争が始まるようで、『イッキ!イッキ!』と21世紀には禁止されている煽りの掛け声が聞こえて来た。
ふと隣の席を見ると、杉山京子が黙々と食べている。
「これじゃ、俺達には物足りないよな」
俺は京子の方を向いて言った。
京子は顔をしかめながらこちらを向いた。
「私は全然平気だけど。それより、そんな話は人がいる場所ではしない方がいいわよ」
俺が学校で大人目線での会話をするのは控えるようにすべきと言いたいのだろうが、これくらいは大丈夫だと俺は思う。
こんどはヨーグルトサラダを食べてみる。
(これは不味い)
俺はヨーグルトもサラダも好きなのだが、わざわざ一緒にしなくてもいいのにと思わせるような味だった。
俺はヨーグルトサラダがなかなか飲み込めず、口の中に残っていたので、牛乳をグイッと飲んで流し込んだ。更に牛乳を一口飲む。
「クーッ、うまい」
俺は朝昼晩の食事で必ず牛乳を飲むほど牛乳が大好きだ。一口のんで不味いヨーグルトサラダを流し込んだので、口の中がさっぱりしたため、つい感嘆の声が出てしまった。
「ちょっと、晩酌でビールを飲む時みたいな声を出さないでくれる?」
京子がとなりからたしなめてきた。
「ヘヘッ、家では牛乳で晩酌してるもので」
俺は苦笑しながら言った。
「日本人の半数は体質的に牛乳からカルシウムを吸収出来ないって知ってた?」
京子はニヤリと意地悪な笑みを浮かべながら皮肉を言った。
「知ってるよ。でも、牛乳が美味しいから好きなんだよ」
俺は京子の皮肉を笑い飛ばした。
「ヒデ、早く食えよ。サッカーするからさ」
フジダイこと藤井大介が俺の席にやって来て言った。
「わかった。すぐ食う」
俺は給食の残りをガツガツと掻き込んだ。しかし、ヨーグルトサラダがなかなか喉を通らず苦戦していた。フジダイは他の仲間を探しに行ったようだ。
「ほら頑張って。早く食べないと藤井君達が待ってるわよ」
京子が応援というより俺をからかっているような感じで言う。
(彼女、すました感じであまり感情を表に出さないイメージだけど、本当はこんな皮肉を言う子なんだな。しかし、今はそれどころじゃないぞ!)
ヨーグルトサラダが喉に詰まってしまって苦しんでいた。牛乳で流し込もうにも牛乳は既に飲み干していた。しかたないので、拳で胸を叩いて喉に詰まったサラダを胃袋まで落とそうとした。
飲み干しているのはわかってはいたが、それでも俺は牛乳瓶を持ち口に当てた。中にほんのわずかに残っていた牛乳を喉に流し込んだが、一滴二滴の液体では何の効果もない。俺は腹が立って牛乳瓶を机にドンと叩きつけた。
その瞬間、隣の席から無言で俺の様子を見ていた京子が、俺の牛乳瓶を目にも止まらぬ早さでひったくった。そして、俺の牛乳瓶を自分の机に置くや、自らの牛乳瓶を俺の机に置いた。京子の牛乳はまだ半分残っていた。
驚いて目を見開いて見つめた俺に、京子は無言で顎をしゃくり牛乳を早く飲めと促した。
俺は京子に貰った牛乳でヨーグルトサラダを胃袋に流し込む事に成功した。
「あ、ありがとう」
俺は京子の思いもよらぬ行動に戸惑いながらお礼を言った。
京子はフッと鼻で笑うようにしてから、自分の給食の食器を片付けるために立ち上がり給食台に向かった。
俺は京子の姿を茫然と見つめていた。
(これって…………間接キスだよな……)
かつては結婚もして子供もいた俺が、たかだか間接キスくらいで何を戸惑うのかと自分で自分に呆れていたのだが、その時俺は心臓の鼓動が高まっていたのは事実である。もっとも、食べ物を喉に詰まらせて苦しんでいたのが原因かも知れないのだが……
俺が茫然としている間に食器を片付けた京子が席に戻って来た。
「田村君、藤井君はもう校庭に出て行ったわよ」
京子が俺に言った。京子の言葉で俺は我にかえり、慌てて食器を片付けるために立ち上がった。
食器を片付けると、俺は教室を出て階段を下りて下駄箱に向かった。上履きから靴に履き替えて校庭に出ると、フジダイと数人の児童が既に校庭に出ていた。
「メンバーはこれだけか?」
俺はフジダイに訊いた。
「そうだよ。1組のやつらが6人で行くと言ってたからな」
今回のメンバーは、俺、フジダイの他に、フジダイと並び運動神経抜群の前岡正、普段は野球少年の中橋信行、学校のサッカークラブに所属している小川康博と森脇健である。
中橋がキーパーで、イケ、小川、森脇がフォワード、俺と前岡がディフェンスとポジションが決まった。
(サッカーとか久しぶりすぎるけど、体が覚えててくれたらいいんだがな)
俺は久々のサッカーに不安ではあったが、少年達とボールを追い掛けて駆け回るのは楽しみだった。
1組の連中もやって来てすぐにキックオフだ。休憩時間は残り20分を切っているから、モタモタしている時間はない。
子供が少人数でやるサッカーだから、オフサイドなどあるはずもなく、フォワードは最初から相手ゴール前にいて、ディフェンダーは自分達のゴール前に守っている。
つまり、中間のスペースはがら空きなのだが、そのスペースを有効利用する事もなく、ディフェンダーが奪ったボールをフォワードにロングパスして、フォワードはスキを突いてシュートするのが俺達のやるサッカーのスタイルである。
つまり、自分達が相手陣内で攻撃している間は、ディフェンダーは自分達のゴール前でする事がない。だから、キーパーや別のディフェンダーとお喋りをしながら相手が攻めて来るのを待つしかない。
ボールは敵陣にあり、2組のフォワードの3人がボール保持している1組のディフェンダーを取り囲んでいる。俺のそばには1組のフォワードがいて、自陣からのパスを待っている。自陣までボールを取りに戻ればいいのに、ボールが近くにないときは休憩するのがうちの学校におけるサッカー遊びの流儀であるからしかたない。
敵陣では1組のディフェンダーがボールを奪ったらしく、俺の周りのにわかに慌ただしくなった。1組のフォワードがやがて送られて来るパスに備えた。俺は一番近くにいた1組のフォワードのすぐ前に立ちパスコースを塞ぐ、やがて誰を狙ったでもないようなロングボールが空いたスペースに蹴り込まれて来た。
フォワード3人に対しディフェンダーは2人、相手フォワードにボールが渡ると不利だ。俺はボールを奪ってすぐに敵陣に蹴り返そうと考えた。
しかし、俺がボールを奪う目前に相手フォワードの1人がボールに最初に到達しドリブルでゴールに向かって行った。他の相手フォワードもゴール近くに散って行く、俺はボールを持つ相手に追い付き、フェイントで交わそうとする相手がパスを出す直前にボールを奪おうとした。
「あっ!」
ボールを奪おうと相手に突進してボールに足をかけようとした瞬間、相手フォワードの足につまづき、俺は膝から転倒してしまった。
左足の膝が熱い、すぐに熱さはヒリヒリした痛みに変わった。俺は座り込んだままだ。
「膝から血が出てるぞ。大丈夫か?」
俺と接触した相手フォワードが俺の様子を見ながら言った。
俺の周りに敵味方全員が集まって来た。
「血が出てるし、保健室行った方がいいんじゃないか?」
フジダイが俺に言ったが、せっかく楽しく遊んでるのを中断させては申し訳ないと思った俺はフジダイの提案を断った。
サッカーは再開され、俺は足は大して痛まず普通にプレーしていたのだが、ボールを持った相手フォワードとの競り合いの時、突然相手フォワードがプレーを中断した。
「田村、血が流れてるぞ。保健室行った方がいいって」
その言葉に敵味方全員が再び俺の周りに集まった。
「そろそろ休憩終わるから、ここらでやめようか?」
1組の児童の一人がいい、サッカーはそこで終了となった。
「ヒデ、血が流れ落ちてるし、保健室行けよ」
フジダイが俺の足を見ながら言った。
ちょうど、左足のお皿のところを擦りむいていて、傷口からすねにむかって血液が流れ落ちており、赤い一本の線を作っていた。
「こんなの、水道で洗っておけば大丈夫だよ」
俺はたかがかすり傷で保健室に行くまでもないと考えていた。
教室に戻る前に、校庭の隅にある水道で擦りむいた傷口に水をかけて洗ったら。血がしたたる左足のすねも洗い教室に戻った。
教室に戻ると自分のせきに向かう、席に座る直前に自分の後ろの席の方を向いてお喋りをしていた京子が俺に気付き視線が合ったのだが、京子は何の反応も見せず、俺はそのまま席に座った。
俺が席に座り、机に肘を付いて頬杖にしてボーッとしていると、隣の席の京子が座っていた椅子を俺の方に少し寄せて来た。二人の肩が触れるか触れないかの距離に、俺は少し心臓の鼓動が高まった。
「ひざ、どうしたの?」
京子が声を潜めて訊いてきた。小学生だから男女があまり親しく会話していると冷やかしの対象になるからだ。
「サッカーやってて転んだんだよ」
「オッサンだから、サッカーのやり方忘れてたのかしら」
京子は呆れたように言うが、俺自身、まだこの小学生の体を使いこなせていないので、文句を言えないのがつらいところである。
「水で洗ったら、血も止まったみたいだし大丈夫だろう」
「洗ったと言っても、まだ汚れてるわよ」
俺は擦り傷など気にもしていないが、京子には俺が適当に水をかけて傷口を洗ったので、傷口周りが汚れているのが気になるようである。
京子はポケットからハンカチを取り出して壁に掛けてある時計を見た。
「あと1分でチャイムが鳴るわね。手洗い場に行って水に濡らして来て傷口を拭いてるうちに授業が始まってしまうわ」
京子は俺に言うとも独り言とも言えるような口調でつぶやいた。
京子は突然後ろを振り向いた。つられて俺も振り向いてしまった。さっきまで京子とお喋りをしていた児童はトイレにでも言ったのか後ろの席には誰もいない。俺の真後ろの席も誰もいない。
京子は前に向き直ると、おもむろにハンカチを口に当てた。そして、ハンカチに自分の唾液を染み込ませてから、素早く俺の足にハンカチを当てて傷口周りの汚れを拭き取った。
俺は呆気にとられて、何も言う事が出来なかった。
まさか京子が自分の唾液で俺の傷口を拭くとは思っていなかったので、呆気にとられていると京子はこちらを向く事もなく、自分の椅子を離して机に向かい次の授業で使う教科書を机に並べていた。
京子がこちらを見向きもしなかったのは、俺と京子の後ろに座る中橋信行と高里真理が席に戻って来たからであると俺は気付いていた。小学生の男女が教室でベタベタするのは不自然だし、周囲から冷やかされる。また、他の児童に与える影響を考えると、俺も京子も大人として配慮しなければならない事はわかっていた。
今日の授業も終わった放課後、俺は独りで帰宅しようとしていた。普段は一緒に帰るジュン、イケ、フジダイはそれぞれ家の用事があるようでさっさと帰宅していた。
独りで下駄箱で上履きから靴に履き替えていると、数人の女子児童と共に京子がやって来た。京子は俺を空気のように無視して、他の女子児童に手を振ってから小走りに校門の方へ行ってしまった。
小学六年生……ちょうど、異性を異性として意識するようになるが、それを素直に認めるにはまだ少し早い年頃である。他の児童がいる場所で親しく会話などは出来ないのはしかたない。
俺は独りで校門を出て家に向かって歩き始めた。
学校脇の信号を渡り、まっすぐ進む。数百メートル先の信号を右に曲がれば俺の家だ。
しかし、学校脇の信号を渡ってすぐ、後ろから声をかけられた。
「足は大丈夫?」
どこに隠れていたのかわからないが、京子が俺の後ろに立っていた。
「先に帰ったんじゃなかったか?」
「下駄箱で靴に履き替えた後、校門に向かわずに校舎の陰に隠れていたのよ」
京子は周囲を確かめながら言った。
「近くには誰もいないみたいだから、話しながら帰る?」
「うん、いいよ」
京子の誘いに乗った俺だが、牛乳瓶での間接キスや唾液で傷口を拭かれた事が頭をよぎり、何となく気まずいのだ。42歳の既婚の男がそんな事でと思われてもしかたないが、なぜか気まずくなっていた。
「さっきはありがとう。ハンカチだめにしちゃったな。明日、新品のハンカチを用意するから」
俺は京子に気まずさを悟られぬよう、まずはお礼を言った。
「ハンカチなんて、他にたくさん持ってるから、気にしなくていいわよ。それより、傷口を拭いてあげてた時、ずいぶんと顔を赤くしていたけど、私の唾液を傷口で感じて欲情したのかしら?」
京子はニヤニヤしながら訊いてきた。
「してないよ。絶対してない」
俺は京子がそんな事を言うイメージが無かったので、かなり驚いていた。京子は余裕の笑みを浮かべながら俺を見ている。
「だって、あの時ここをずいぶんと膨らませていたじゃない」
京子は俺の股間を指差しながらいった。
「えっ!?」
俺はその時の股間の状態など覚えていないので、まさか本当に股間を膨らませていて、それを京子に見られたのではないかと思った。さすがに、それはちょっと恥ずかしい。
「バーカ」
京子がとても楽しそうな笑顔で言った。俺が知ってる京子は影のある美少女で、ほぼ無表情だった。しかし、目の前にいる彼女は、まるで別人ではないかと思えるくらいにいろんな表情を見せてくれる。
「杉山さんって、本当はずいぶんと明るい性格だったんだな」
「あぁ、田村君が知ってる私は最初の人生の時だから、ネクラな私だったわね」
京子は遠くを見ながら言った。
「田村君も、私の知ってる田村君とは少し違うかも」
「どう違うんだい?」
別の並列世界の俺がどんな人物なのか少し気になる。
「今の田村君は中身は40歳過ぎてるでしょ」
「そういう意味か、それならそちらも21歳何だろ?」
姿は小学生でも、中身はそれなりに人生経験を積んだ人間である。
「でも、すぐに照れちゃうあたりは変わってないわ」
京子がクスクス笑いながら言った。京子がこんなにいろんな笑顔を見せるような人物だとは思っていなかったので、俺は少々呆気にとられていた。
「ごめんなさいね。小学生のフリをしなくていい人なんて、他にはいないからちょっとテンション上がってるのよ」
「うん、そうだな。遠慮なく話せるからな」
俺も京子の気持ちはよくわかる。同じ境遇の人間が一人でもいてくれるだけでも、ずいぶんと助かるのは俺も同じだからだ。
「じゃ、また明日。家ではちゃんと手当てしなさいよ」
京子は楽しそうに手を振って交差点を曲がって行った。俺も手を振り返し自分の家に向かった。
(彼女にとっても、今の42歳の俺は初対面なんだな)
俺は歩きながら考えた。俺の知らない京子、京子の知らない俺。俺の知ってる一年間の中に、未知の存在があるというのも悪くはないだろう。しかし、未知の存在によって未来が変わるかも知れないと考えると、手放しには喜べない。俺の胸中は複雑だった。
次回は田村家に起きるある出来事についてのお話です。お楽しみに




