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日直

ご覧いただきありがとうございます。

今回からストーリーが大きく動きます

1986年4月16日水曜日、この日は登校班には参加せず朝8時に登校した。


授業がある日には、必ず日直というものがあり男女一人ずつが担当する。俺の6年2組は男女21人ずつなので、出席番号が同じ男女が日直を担当する。つまり、俺は男子の8番なので、女子の8番である杉山京子と日直をする。


日直は他の児童より早めに登校し、クラスの花壇の水やり、季節によっては教室の窓を開ける。更に黒板消しをはたきチョークの用意、職員室に行き先生に掲示物があるか確認し、掲示物があれば教室後方の掲示板に貼り付ける。


それらの雑用が終わる頃に他の児童が登校して来るのである。


京子とは日曜日に一緒に映画を観た後にマックに立ち寄ったのだが、なぜか『言動に気を付けろ』と言われ、俺はどういう事かわからず困惑していた。


月曜になって、どういう事か聞きたかったのだが、他人がいる時に訊くわけにはいかないような気がしたので、二人きりになるタイミングを待っていたのだが、なかなか二人になる事が出来ずそのままの状態だったのである。


俺は8時に登校したのだが、既に京子は登校して教室にいた。


「おはよう、田村君」


「おはよう」


互いに挨拶を交わしたのだが、俺は何となく気まずい。日曜日の話の続きをしたかったのだが、どう話を切り出せばよいのかわからなかった。


一方の京子はというと、普段と何ら変わりない。日曜日の事など意に介してはいないようである。


「早く水やりに行きましょうよ。時間なんてすぐに経ってしまうわよ」


京子に言われて俺は我に返った。


「そうだった。さっさと水をやっとこうぜ」


俺と京子は教室を出て階段を降り、上履きを靴に履き替えて外に出た。


俺は外に出たは良いのだが、花壇に水をやるにはジョウロかバケツと柄杓のような道具が必要だ。


俺にはその道具がどこに置いてあるのかわからなかった。というよりは覚えていなかった。


「どうしたのよ?」


「いや、別に……」


俺は立ち尽くしたまま、どうする事も出来ない。ジョウロがどこにあるのかなど、知ってて当たり前の事である。まさか、京子にジョウロを置いてある場所を忘れたなどと言うわけにもいくまい。中身が大人だとバレる事はないだろうが、不審に思われる事は確実だからである。


「ジョウロを取りに行かないの?」


京子が不審そうに俺を見ながら言った。


「まさか、ジョウロが置いてある場所を忘れたんじゃないでしょうね?」


俺はそのまさかであると言うわけにもいかず、完全に八方塞がりとなってしまった。


「俺、さっきからトイレに行きたいんだけど」


俺は自分でも下手な誤魔化し方だとは思ったが、こうするより他に方法が無かった。


「はぁ?」


京子が呆れたような声を出した。京子に呆れられようが、ここは京子にジョウロを用意させるしか切り抜ける方法はなかった。


「悪い、トイレに行ってる間にジョウロを用意しといて」


俺は早口でまくし立てると下駄箱に向かって走り出した。


「あっ……」


京子は俺を引き留めようとしたのかもしれないが、構わず全力でダッシュした。


俺が走り去った後、京子はため息を吐いてから肩をすくめて首を横に振っていたが、それは俺の知るところではなかった。


俺はトイレに行きたくはないのだが、とりあえずトイレに入り1分くらいしてからトイレを出た。それから下駄箱に戻り靴を履いて花壇へと戻った。


辺りを見渡すと京子がいない。おそらくジョウロを取りに行ったのだろう。


ジョウロを使うとなると、中に水を入れなければならない。俺は花壇から一番近くの手洗い場へ向かった。おそらく、そこでジョウロに水を入れるはずだからである。


手洗い場に行ったが京子はまだ来ていないようだ。手洗い場では他のクラスの日直と思われる児童がジョウロに水を入れていた。


少し待っていると、手洗い場にジョウロを二つ持った京子が姿を表した。


(ジョウロはあっちの方に置いてるんだな)


俺は京子が現れた方角をしっかりと記憶した。


京子はジョウロの一つを俺に渡して、自分が持っているジョウロに水を入れ始めた。俺もジョウロに水を入れる事にした。


それから、二人で花壇に戻り、何の花かはわからないが植えてある植物に水をやった。


「じゃあ、ジョウロしまって来る」


「私は教室に行って、黒板消しをはたいておくわ」


俺はジョウロを二つ持って先程京子が現れた方に向かった。そのまま校舎脇を歩いていると、木製の大きな棚があり、そこにたくさんのジョウロが並んでいるのを見つけた。


俺は棚にジョウロを置いて、これから何をするべきか考えた。京子が教室で雑用をするなら、俺は職員室に行き、先生から配布物や掲示物を受け取るのが良いと思ったので、職員室へ向かう事にした。


下駄箱で上履きに履き替えると、渡り廊下を歩き本館へ向かった。俺達の教室は本館の北側に並んで建っている新館にあって下駄箱も新館にあるので、職員室へ行くには渡り廊下を歩いて本館に行く必要があった。


職員室に入ると、既に先生方は全員来ているようで、それぞれの机に向かい授業の準備をしたり、テストの採点をしたり、する事がない先生は新聞を読んでいたりしていた。


職員室の入口から中に入った俺は担任の板垣先生を探した。少しキョロキョロしていると、職員室の真ん中あたりの机に向かって何かをしている板垣先生の姿を見つけた。


「おはようございます」


俺は板垣先生の所に言って挨拶をした。


「やあ、おはよう。これを掲示板に貼っておいてくれないか。今日渡す物はこれだけだよ」


板垣先生は何やら大きなチラシかポスターのような物を俺に渡した。俺はそれを受け取って職員室を出て新館に向かった。新館の階段を4階まで上がり6年2組の教室に入った。


俺は教室に向かう途中に、板垣先生から渡された物が何かを確認した。


板垣先生が俺に渡したのは5月末に行われる運動会のポスターだった。


教室に戻ると、京子は黒板消しをはたきチョークの準備を既に済ませており、自分の席に座っていた。また、京子以外にも数人の児童が既に登校していた。


俺は板垣先生から預かったポスターを教室後ろの掲示板に画鋲を使って貼り付けた。


「それ何だ?」


既に登校していた児童の一人である古川和夫がポスターを見るためにやって来た。古川はお調子者タイプで俺の友人である、ジュンこと山口淳平と共に、クラスのムードメーカーだ。


「来月の運動会のポスターだよ」


俺はポスターが斜めに張り付けられていないか、確認しながら言った。


「何だ、運動会か」


児童にとっては、運動会そのものは楽しいのだが、毎年必ず行われる恒例行事なので、驚きのようなものはない。古川は運動会に興味を引かれなかったようで席に戻って行った。


時刻は8時20分を過ぎて、児童が次々に登校して来る。教室内は騒がしくなり、ふざけて走り回ったり、喧嘩が始まったりでとにかくうるさい。


そうするうちに8時30分になり、始業のチャイムがキンコンカンと鳴った。騒がしい教室内だったが、チャイムと共に児童はふざけたり喧嘩をするのをやめ、各々自分の席に座り静かになった。


チャイムと共に職員室を出たのであろう、板垣先生はチャイムから3分くらい後に教室に入って来た。


日直の仕事の一つに号令がある。始まりの号令は男子、終わりの号令は女子が担当する。俺は板垣先生が教室に入って来たのを見るとすぐさま号令をかけた。


「起立!」


号令と共に児童全員が立ち上がる。板垣先生が教室の前方、俺の席のまん前にある教卓の向こう側に俺達の方を真っ直ぐ向いて立った。このタイミングで俺は朝の挨拶の号令をかけて先生にお辞儀した。これら一連の動作は始業式以降の登校日で、他の日直がやっていたのを見てしっかりとマスターしていた。さすがに31年ぶりの小学校だけに、日直の号令がどうだったかなど覚えてはいなかった。


「先生、おはようございます」




俺に続き他の児童も挨拶とお辞儀をする。


「先生、おはようございます」


「はい、皆さんおはようございます」


板垣先生は普段通りの静かな口調で挨拶をした。


「では、出席を取ります」


板垣先生が出席を取り始めた、名前を呼ばれた児童が返事をする。今日は全員が出席していた。


「もう、既に見ている人がいるかも知れないが、来月に運動会があるので後ろにポスターを貼っています。小さくですが、各学年の出場種目が書かれています」


板垣先生は俺がさっき貼り付けたポスターの話を始めた。


「六年生は全員参加の個人競技は徒競走、男女ペアの二人三脚、団体競技は男子が棒倒し、女子は騎馬戦、出し物としてペア体操、そして、選抜チームによる男女のリレーがあります。リレーの出場選手はこないだの体力測定で計測した50m走のタイム上位者とします」


板垣先生が運動会の競技について説明した。


まぁ、徒競走は一年生から六年生まで必ずあるのだが、男女ペアの二人三脚とかあったかなと俺は思った。31年前の事だし、はっきりとは覚えていないのだが、言われてみれば二人三脚をやったような気がしなくもない。


ペア体操というのは、男女がペアで体操をするのだが、逆立ちをしたり肩車をしたり、二人一組で簡単な体操をするだけだったような記憶がある。


団体競技の男子は棒倒し、これはクラス全員が一つのチームとなり、チームでディフェンスの児童とオフェンスの児童に別れ、グラウンドにそれぞれ3mくらいの丸太ん棒を立てて、ディフェンスの児童が棒を取り囲んで倒されないように守り、オフェンスの児童は相手チームの棒を倒しに行く。


グラウンドでは、両チームの児童が入り乱れて揉み合い押し合いする大乱戦となる。殴る蹴るといった暴力は禁止されているが、児童は全員熱くなっているので、審判役の教師に見つからないように殴ったり蹴ったりは当たり前だ。これは戦前の海軍兵学校で行われていた競技と同じである。


なぜ、こんな野蛮な競技が行われているのかわからないが、棒倒しは昔から行われている我らが福山市立第二小学校、略して二小の伝統競技として保護者にも人気の競技だった。


女子は騎馬戦をやるが、これは騎馬に乗った児童の帽子を奪い合う競技である。騎馬戦といえば男子向きの競技と思われがちだが、女子の騎馬戦も、普段は大人しい猫を被った女子が、闘志剥き出しにして争う姿に男子児童は震え上がったものである。


火曜日の一時間目の授業は算数である。8時50分になりチャイムが鳴った。チャイムが鳴り終わるとすぐに俺は号令をかけた。


「起立!」


他の児童が一斉に立ち上がる。


「これから、算数の授業を始めます、礼!」


児童全員と板垣先生が互いに礼をした。それから児童は着席する。


こうして授業が始まり、俺は一応は居眠りなどせず授業は受ける姿勢だけは見せていたが、内心は退屈でしかたなかった。


退屈な算数の授業は終わり、今度は京子が号令をかける。


「これで、算数の授業を終わります。礼!」


授業の最初と同じく児童全員が起立して、板垣先生と共にお辞儀をする。授業のたびにこんなやりとりをするのは、大人の俺からすれば馬鹿馬鹿しいのだが、他の児童は疑問に思っていないようである。


こうして授業は進み、今日の最後の授業は体育だったのだが、午後で疲れてからの体育とはめんどくさいのだが、この授業が終われば今日の授業は終了なので、最後の力を振り絞る事にした。


俺は着替え時間になると、さっさと着替えて校庭に出た。一緒に校庭に出たジュンから放課後に公園で野球をやろうと言われ、それを承諾した。ジュンは他に参加出来そうな連中に声をかけるらしい。


(帰った後は野球か……久しぶりだな)


長らく野球などやっていなかったので、久々にやるのが楽しみになってきた。


そのうちに、クラスの児童はどんどん校庭に出て来て、自然と男女別に背の低い者を右端にして、横並びに並んでいた。


授業開始のチャイムから2分くらいして板垣先生がジャージに着替えて校庭に出て来た。


ここでも、俺の号令で全員でお辞儀をした。この儀式は授業の会場が校庭だろうが、体育館だろうが、理科室だろうが変わらない。


「今日から、運動会の練習をする。今日は二人三脚とペア体操のペアを決めて、練習をしてみよう」


板垣先生の言葉に児童はざわついた。二人三脚もペア体操も男女ペアである。自分が誰と組むのかを誰もが気にしているようだ。


「二人三脚もペア体操も、ペアの呼吸が合わなければならないから、二つの種目は同じペアでやるようにしたい」


二人三脚とペア体操で違うペアを組むよりは、同じペアで二つの種目をやる方が良いのはわかるが、こうなると誰と組むのかが問題である。鈍臭い相手と組まされたら地獄なので、みんなが良い相手とペアを組みたいところである。


「ペアは今からみんなで話し合って決めてくれないかな」


板垣先生が言うと児童は整列を解いてワイワイ騒ぎながらペア決めを始めた。


こういう時に男子はヘタレだから、男子児童からどの女子と組みたいとは絶対に言わない。もし、誰かと組みたいなどと言えば、あいつの事が好きなんだろうと冷やかされるのがオチである。


したがって、ペアの決定権は女子が握っているのである。女子が互いに話し合ってペアを組む男子を決める。その決定に男子は従うというのが自然な流れであった。


ただし、男子の中に一人だけ例外がいた。言うまでもなく、痴漢常習犯の三宅である。


「誰と組もうかな…」


三宅は両手を自分の胸の前で、指を女子が固まって立っている方に向けてモゾモゾさせながら、ニヤニヤしていた。その手つきがいやらしい。


「三宅、そのいやらしい手はやめろや」


スターこと渡裕次郎が三宅の手をパシンと叩き、三宅は手を引っ込めた。


女子としても、三宅と誰が組むのかが一番の問題であろう。二人三脚もペア体操も体を密着させるので、スケベな三宅と組みたくない女子が多いと予想されるからである。


「三宅君、誰と組むのよ」


「私は絶対に嫌」


「あんた三宅君と背の高さが近いからちょうどいいんじゃない?」


「私と背の高さが同じくらいなのは三宅君以外にもいるわよ。そっちと組みたいわ」


女子は勝手な事を口々に言っている。男子は黙って聞いているだけである。


俺は京子と並ぶクラスの美少女である山岸徳子の様子を窺っていた。


山岸は三宅の事が好きだという感じがするし、三宅も山岸を痴漢のターゲットにする事が多い。


山岸は三宅の事が好きなのではあるが、まさか自分から組みたいと言うわけにもいかず、事態を静観しているようである。


「三宅君は徳ちゃんと組みたいんじゃないかしら」


「なんで私なのよ。三宅だって私は嫌なんじゃない?」


女子の一人が声を出した。山岸は顔では嫌だという表情を作ったが、待ってましたとばかりに前に進み出て言った。


「三宅君、徳ちゃんでいいかな?」


三宅と山岸のペアにすると先程提唱した富田敦子という女子児童が言った。富田は三宅が余程嫌いなようで、自分とペアにならないように山岸に押し付けようとしたのである。


「山岸さん? いいよ」


三宅は山岸とのペアを承諾した。それを聞いた山岸は、やはり顔では嫌そうにしているが、嫌だとは言わなかった。


「三宅、変なとこ触ったらタダじゃおかないから」


山岸はそう言いながらも、よしよしという感じでうなずきながら三宅の隣に並んだ。


「三宅と山岸かよ」


「三宅のやつ、うらやましいな」


「なんで、山岸があいつと組むんだよ」


男子児童の間では嫉妬の声が上がっていた。


まずは懸案だった三宅のペアが決まり、それから次々とペアが決まっていった。


席が隣同士だからという一番安易な理由で決まったペアもあれば、ガリ勉の船場哲之助はガリ勉女子の代表格である間田育美と学級委員ペアを他人推薦で組まされていた。


さて、俺は誰と組むのかなと思いながら京子の様子を見た。京子は女子児童がペア決めで盛り上がっている中に加わらず、ペアが一組、また一組と決まる様子を見ているだけだった。


「田村君、もう決まったかな? まだなら私と組まない?」


一人の女子児童が俺に声をかけてきた。俺に声をかけたのは高里真理(たかさと・まり)という児童で、京子の後ろ、つまり俺の右斜め後ろに席がある。席が近いので話す事もたまにある。ルックスも成績も平凡で目立たない女子児童であった。


「マリちゃんも田村君とペア組みたいの?」


「そうだけど、えっちゃんも?」


高里に『えっちゃん』と呼ばれた女子児童、沼田悦子(ぬまた・えつこ)も俺と組みたいようだ。沼田は勉強はまずまず出来るが、ぽっちゃり系…いや、はっきり言えばデブである。出来れば沼田とは組みたくない。


しかし、沼田を傷つけるような事を言うわけにもいかず、俺は高里と沼田がどう話をつけるのか見守るしかない。


俺はジュンの方を見てみた。ジュンは数人の女子児童に詰め寄られて嬉しそうに彼女らと話している。


ジュンは勉強は苦手で運動もからっきしだが、イケメンでコミュ力抜群なので女子には人気がある。


さて、俺のペアを希望する高里と沼田は話し合っても決着がつかず、ジャンケンで決める事になりそうである。


(高里と沼田なら高里がいいな)


口には出さないが、ジャンケンで高里が勝ってほしかった。


二人がいよいよジャンケンを始めようかという時だった。


「マリちゃん、えっちゃん悪いんだけど、私、田村君と組みたいの」


いつの間にやって来たのか、京子が二人の間に割って入った。


「やっぱり京子ちゃん来たか」


「京子ちゃんに言われたら勝てないよ。でも、ちょっとズルいわ。京子ちゃんもジャンケンしましょうよ」


二人が京子に言ってるが、京子はジャンケンに加わるつもりなどなかった。


「マリちゃん、えっちゃん、ホントにごめんなさい。私は田村君以外とはペアを組みたくないのよ」


口調は申し訳なさそうだが、京子の目は強い意思を表していた。これは小学生の女子が、無邪気にお気に入りの男子を選んでいる時の目ではない。大人になり男女間の修羅場も含め、様々な経験をした俺にはわかる。あれは、男を奪いに来た女の目だ。


(いったい何者なんだ……)


俺は戦慄していた。京子は大人びた女子児童であるが、表情や目ヂカラまで大人っぽいのである。


「そうなんだ。京子ちゃんがそこまで言うなら別の人にするわ」


「私も田村君は京子ちゃんがお似合いだと思うから、他を探すわね」


高里と沼田は諦めて他の児童に切り替えた。


「どうしたんだよ。急にやって来て」


俺は内心嬉しかったが、京子の真意を知りたくて訊いてみた。


「田村君が私と組みたそうにしていたから」


京子は意地悪な笑みを浮かべながら言った。しかし、俺はそんな態度など見せていないはずだ。


「そんな事ないよ。俺は誰とでも良かったんだけどね」


俺は態度に表さなかった心の中を見抜かれたので、悔しさから京子の言葉を否定した。


「田村君、私以外の女子に興味ないでしょ?」


京子はニヤニヤしたまま言った。


「いや、そんな事は……」


確かに俺は女子小学生に興味などはない。ただし、京子だけは例外である。しかしながら、ズバリと言い当てられると恥ずかしいものである。だから、俺は一応否定しておこうとした。


「ったく、ロリコンなんだから……!」


京子はあきれたよう言ってから、しまったというような表情を見せた。


たしかに、42歳の俺が小学六年生の女子に興味を持つとはロリコン呼ばわりされてもしかたない。しかし、今の俺は中身はともかく、見た目は小学六年生そのものである。見た目小六の俺がクラスメイトに興味があるからといって、ロリコン呼ばわりされるのは心外である。


「ロリコンって……それはないだろ」


俺は京子をたしなめた。


「ご…ごめんなさい。言い方間違えてたわね」


京子はなぜか焦ったように言った。俺は京子が失礼な事を言ってしまったので動揺しているのだと思った。


「まぁ、とにかく頑張ろうぜ」


俺は先程の京子の焦りに深い意味があると後々判明するのだが、今はそんな事などわからずにいた。


「田村君こそ、しっかり頼むわよ」


京子も先程までの焦りの表情も消え、普段通りのポーカーフェイスに戻っていた。


さて、ジュンや他の仲間は誰とペアを組んだのかというと。ジュンはペアを希望する女子がジャンケンをした末に海藤聖子(かいとう・せいこ)という女子児童とペアを組む事になった。


イケこと小池伸二はペアが決まらずにいたが、同じくペアがなかなか決まらなかった平井清美(ひらい・きよみ)と残り物ペアを組んだ。


フジダイこと藤井大介は席が隣の野田しのぶとペアを組んだ。


こうして、全てのペアが決まった。


「じゃあ、まずはペアで二人三脚の練習をするぞ」


板垣先生は二人三脚で足を結ぶ布製の紐を配った。


「二人三脚は徒競走と同じ、トラックを走るから内側に足が短い方が来るようにした方がいい」


板垣先生がアドバイスをした。俺と京子だと俺の方が少し足が長い、トラックは左回りなので俺が右側で京子が左側になる。つまり、俺の左足と京子の右足を結ぶ事になるのである。


俺と京子は足を並べて立って、京子が紐を結んだ。


「紐を結べたペアはスタート位置に来なさい」


板垣先生の声に、既に紐を結んだペアが、徒競走と同じトラックコースのスタート位置に向かって歩き始めたのだが、もう紐が結んであるので、スタート位置への移動も二人三脚である。何も考えずに歩き出したペアが、最初の一歩が合わずにいきなりズッコケたりしていた。


「紐を結んだ時は、必ず最初の一歩は結んだ足と決めましょう」


京子が提案した。確かに、このように決めておけば、いきなりズッコケたりはしないだろう。


「俺がペースを取るから合わせてくれよ。1、2、1、2……1が結んだ足、2が反対の足」


俺はペースを取りながら歩いた方がいいと思い、口でペースを取る事にした。


「よし、1、2、1、2……」


俺と京子はぎこちない動きでスタート地点に向かった。俺と京子は互いに肩を組んでいるが、案外、体は密着していない。


俺と京子はスタート地点に立ったペアの列に並んだ。俺達の前にはフジダイと野田のペアが立っている。


フジダイのペアがスタートして行った。フジダイがせっかち過ぎるのか、野田が引っ張られているような感じだ。ペースが合わないのか、コーナーを曲がる手前で足並みが乱れ野田が転んでしまった。


野田が立ち上がり、再び走り出したがモタモタしてなかなか進まない。


フジダイ達は三度転んでからようやくゴールに到達した。


次は俺達の番だ。スタート前に作戦を決めておく必要がある。


「さっきより早いペースで行こう」


「ペースは早い方がいいけど、歩幅は小さい方がいいわ。歩幅が大きいと足並みが乱れたらすぐに転んでしまうから」


「わかった」


俺達はスタート地点に並び立った。


京子が俺の肩に手を回した、俺も京子の肩に手を回しペースを取り始めた。


「1、2、1、2……」


先程よりかなり早いペースでペースを取る。俺は京子の肩をポンと叩いた。


「行こう。1、2、1、2……」


少し走ってからペースを取るのをやめた。このまま最後まで走りきるつもりだった。


コーナーを曲がりながらもペースを守り続けていた。


曲線を走るうちにスピードダウンしている。俺はペースを戻そうと少し歩幅を広げようとした。


「少しペースを上げるから合わせてよ」


俺は京子に言ってから歩幅を広げ、わずかにペースを上げた。


コーナーの外側を走る俺は歩幅を広げたが、京子はコーナーの内側なので、それほど歩幅を広げる必要はない。


俺はピッチを上げてみたが、京子がピッチを上げるタイミングがわずかにズレてしまった。京子と結ばれた足がぎこちなく動く。


「田村君、ペース戻して。足が合ってない」


京子が慌てている。俺はペースを戻そうとしたが、その前に結ばれた足が着地に失敗して俺はバランスを崩してしまった。俺は京子の肩か手をつかみ踏み留まろうとした。


「あっ!」


「えっ?」


俺は肩か手をつかむつもりだったが、つかみそこねて京子のお尻を思いきりつかんで転んでしまった。


「ごめん」


「そんなのいいから、早く走りましょう」


京子はあまり気にしてないようだが、俺は気まずかった。二人共立ち上がり、京子が俺の肩に手を回し、俺も京子の肩に手を回し、再びペースを取りながら再スタートした。


今度はペースを変える事なく、そのまま走った。コーナーを回り直線をゴールを目指した。ゴール手前で少しペースを上げてみた。


「ペースを上げるよ」


「ええ、いいわ」


ゴール手前でペースを上げて一気にゴールに駆け込んだ。


「おお、早い」


「やるなぁ」


先に走った児童が俺達の走りにびっくりしているようだ。


「早く紐をほどこう」


俺は自分の左足に結ばれた紐をほどいた。


「さっきはごめん」


「もういいから、思い出さないでよ」


俺は謝罪したが、京子はお尻をつかんだ事よりも俺が後から思い出す事の方が恥ずかしいみたいだ。


全員が二人三脚を走り終えると、もう一度繰り返す事になった。二度目は俺も京子も無理をせずペースを合わせる事に集中した。そして、一度も足並みを乱す事もなくゴールに到達した。


「走ってる途中でペースを変えたり、歩幅を変えるのは良くないわ」


「練習の度にペースを上げてそのまま走り切る事にしよう」


俺達はゴールした後に作戦を話し合った。ちょうどそこで授業の終わる時間となった。


これで今日の授業は終わりである。俺達は教室に戻り制服に着替えた。


俺は着替えながら京子のお尻をつかんだ時の感触を思い出していた。


しかし、これではいかんと思い直し、さっさと着替えを終わらせた。それでも、京子のお尻が気になって、つい京子の方をチラリと見てしまった。だが、京子もすでに制服に着替えてしまっていて、それ以上に妄想する事が出来なくなってしまった。俺は残念に思いながらも、偶然から生まれた幸運に心の中でニンマリしていた。


やがて板垣先生が戻って来て、俺が号令をかけて帰りの会が始まる。


帰りの会ではとくに何もなくすぐに終わってしまい。京子がさようならの号令をかけて、全員で帰りの挨拶をして児童は帰宅して行った。


しかし、日直はまだ帰れない。教室の窓を閉めてカギをかけて、教室内に児童が忘れ物や落とし物がないかチェックして、職員室に行き先生に報告して帰宅出来る。


先生への報告を終えた俺と京子は教室に戻り、ランドセルを背負って帰宅の途についた。


「田村君、途中までだけど一緒に帰る?」


「いいよ」


京子から誘われたのは好都合だ。映画を観に行った後で立ち寄ったマックでの京子の言葉について、訊いてみたかったからである。


俺達は校門を出て、学校前のバス通りの歩道を歩いていた。俺は周りに他の児童がいないのを確認してから切り出した。


「あのさ」


「気にしなくていいわよ」


「えっ?」


俺には何の事かわからなかった。


「だから、さっきの二人三脚での事でしょ?」


どうやら、京子は俺が京子のお尻を触ったら事を気にしているのだと思っているようだ。


「違うよ。日曜にマックで俺に言ったじゃないか。言動に気を付けろって」


「あぁ、あの事」


京子はめんどくさそうに言った。


「どういう意味なんだ?」


「常識として、日常の言動に気を付けろって意味よ」


京子はぶっきらぼうに言った。しかし、それが本当の事を言っているとは思えなかった。わざわざ楽しい時間にあんな事を言うとは、あまりにもKYだからである。


俺が難しい顔をして黙っていると、京子はため息を吐いて肩をすくめた。


「わかった。でも、長い話になりそうだから、こんな帰り道では話せないの」


「じゃあ、どうすれば話してくれるんだい?」


「一度家に帰ってから、うちに来てくれる?」


予想外の展開に俺は混乱した。まさか、家に招待されるとは考えてもなかったからである。


「出来ればうちで夕食を食べて行ってほしいわ。ゆっくり話したいから」


「でも……」


俺はいきなり女の子の家に行き、晩ごはんまで食べて行って良いのかと思ってしまった。


「うちの母は仕事で朝まで帰らないから、家には私独りなのよ。だから、田村君が時間を作れるなら、気兼ねする必要はないわ」


京子が俺の考えを先回りして言った。


「わかった。何とかしてみるよ。いつ行けばいい?」


「いつでもどうぞ。早く来ればそれだけ永く話せるわ」


「じゃあ、帰ったらすぐ行くよ。それで、杉山さんの家ってどこなんだ?」


俺は京子の自宅がどこかは知らなかった。


「あそこの角を左に曲がり、まっすぐ行って信号を渡って更にまっすぐ進み。突き当たりの角を右に曲がってすぐの所にアパートがあるの。そのアパートの202号室よ」


「わかった。すぐ行くよ」


「じゃあ、待ってるわ」


京子はにこやかに言ってから、交差点を左に曲がって行った。俺はこの交差点は直進する。


家に帰った俺はまず母親に友達の誕生日会に呼ばれたから、晩ごはんはいらない事。帰るのは9時ごろになると告げた。母親は承諾してくれて、俺は夜9時までは自由の身となったのである。


俺は部屋に戻り、私服に着替えて出かけようとしたところで、俺はジュン達と野球をする約束があったのを思い出した。


俺は慌ててジュンの家に電話をかけて、急用で野球に行けなくなったと告げた。


それから、俺はすぐに京子の家に向かった。京子に言われた場所に来てみると、そこには二階建てのアパートがあった。俺は202号室の前に行き呼び鈴を押してみた。


ほどなくして、京子が出て来て俺を玄関内に招き入れた。


「どうぞ」


「お邪魔します」


俺は一応挨拶をして中に入った。


「私の部屋へどうぞ。ここではリラックスしてもらって結構よ」


京子の部屋は洋間で机とベッドが置かれている。京子はベッドに腰掛けて、俺に隣に来るように手招きしている。俺は京子の隣に腰を下ろした。


京子は立ち上がると、ベッドに腰掛けた俺の前に立った。俺は改めて京子の姿を見た。京子は白いワンピースに着替えている。


「今日は何時くらいまで居られそう?」


京子が俺に尋ねた。


「親には9時には帰ると言っといたから」


「じゃあ、今が4時過ぎだから5時間近く居られるのね。ゆっくりお話出来るわね」


京子は上機嫌である。


「そんなに話す事あるかなぁ?」


俺は疑問を口にした。いくら重要な話とはいえ、聞きたい事を聞いてしまえばそれ以上に話す事などないからである。


「さっそくだけど」


京子は話を切り出した。


「日曜のマックでの件ね」


「何であんなわけわからない事言ったんだ?」


俺はあの時の京子の言葉の意味を訊くためにここに来ているのだ。


「わけわからない事はないと思うんだけど……」


「わかるわけないだろ。いきなり言動に気を付けろって言われても……」


「でも、その通りでしょ?」


俺には京子が何を言いたいのかわからない。言動に気を付けるのは良い事であるが、わざわざ改まって言うような事ではないはずだ。


「なぁ、遠回しにではなく、ハッキリと言ってくれないかな?」


「じゃあ、単刀直入に言うわ」


さて、京子は何を言うつもりだろうか、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。


「私があなたに言動に気を付けろと言ったのは……」


京子はここで一度言葉を切った。俺は早く続きが聞きたいので、何も言わずジッとしていた。京子はそれまで上機嫌でニコニコしていたのだが、急に笑顔から真面目な表情になり、こちらを瞬き一つせず見つめていた。俺も京子を見つめて互いに見つめ合っていた。ここは大事な場面なので、俺も京子も視線を反らす事はなかった。


「田村君、私はあなたが未来から来ていると知っているからよ」


俺はその言葉を聞いて、心臓が止まるかと思えるほどのショックを受けた。

次回は今回の話の続きとなります。

お楽しみに

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