―壱―
ぽかぽかと心地よい天気に、久保田麻美はほうっと息をつく。
晴れて今日から高校生――入学式、である。桜は満開だし、空には雲ひとつないし、天候でさえも自分の入学を祝ってくれているような気がした。
ポニーテールに結いあげた茶髪の髪が、そよ風によって揺れる。
(…本当に、いい天気)
真新しい制服に身を包み、ぼんやりと空を見上げながら余裕を持った足取りで道を歩く。入学式まではまだ時間があるし、どうせ母は来てくれないだろうからどのタイミングで到着しても問題ない。
そのとき、どんっ、と。
あまりにも麻美が前を見ていないせいで、前からやってきた歩行者に、ぶつかった。
「す、すみませ…」
はっと我に返り自分がぼんやりしすぎていたことに気づき、麻美は慌てて謝罪の言葉を口にする。
…否、口にしようとしたが。
「悪ぃ」
その歩行者は、明らかに麻美からぶつかりに行ったと言っても過言ではないのに、麻美が謝るよりも先に、その黒みがかった赤い瞳を束ねた前髪の隙間からのぞかせて。
謝罪した。
その瞳と、視線が絡んだ瞬間、麻美の心臓はどくんと大きく高鳴った。
歩行者は何事もなかったかのように彼女の横をすり抜け、そして去っていく。どくどくと妙に鼓動の早い心臓を押さえつけ、ぽつりと思う。
(何…今の。)
(変な気分だった)
胸を押さえる指が微かに震えている。先ほどの歩行者は、ぱっと見た感じ中学生くらいだろうか。ともかく自分よりは幼そうだと、ぼんやり彼女は思う。
初めて会ったはずだし、知り合いの誰かに似ていたわけでもない。"彼"の容姿は、確かに印象には残りやすいものだったけれど…しかし。
それでもこんなに、記憶について剥がれないなんて。
不気味で、不思議で、気味が悪い。
(――嗚呼、でも)
いつしか彼女の表情には、笑みが浮かんでいた。
素直に喜ぶ顔でも、現状に楽しみを抱く顔でもなく。
目を爛々と輝かせ、にたりと笑みを浮かべた――薄気味悪い、表情だった。
―――
――
―
「……。」
曲がり角の壁に背中をよりかからせながら、"男"は風船ガムを膨らませる。
ぱちん、と弾けても尚、膨らませ続ける。
男の表情は、影になっていて詳しくは伺えない――が、微かに口元だけがにたりと歪んでいる。
「…見つけた」
ネクタイを緩め、ズボンのポケットに手を突っ込む。
"男"が視線を向けていた先は――少年と少女の肩がぶつかりあった場面。男の横を何事もなかったかのようにすれ違っていく赤髪の少年を横目で確認した後に、茶髪のポニーテールの少女を目にとめる。
「……ふふっ」
くすくす、くすくすと男が笑う。
まるで、これから起こることを楽しみにしている悪戯を思いついた悪い大人のように。