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第三章

 第三章 「霞」


 高校を辞めることにそれほど抵抗は無かった。いずれそうなるだろうとは予測していたが、何より友達と呼べる人がいないのも一つの理由だろう。友人は、死んだ。VANに殺されて。

 彼女が光を好きだと言ったのには驚いたものだった。光と修に対して良い印象を向ける者は多くはなかった。言いたいことがあればはっきり言う。たとえ、それが相手にとって一番言われたくないことだったとしても。

 他者に対して無関心だった自分にはどうでも良い相手だったが、評判が良くないということは耳にしていた。だから、彼女が何故光を好きになったのか最初は理解できなかった。

 だが、今では少し解る気がする。人付き合いが悪いと言うよりは、直感で相手が光に対してどんな印象を持っているのかを見抜いていたのかもしれない。相手と気が合いそうなら深く付き合い、そうでない場合は馴れ合おうとはしないのだろう。上辺だけの付き合いで友達と言っている連中とは違っていた。

 同じように、人を見る目があった彼女には、光が良い人物だと解ったのだろう。他者との接触を避けていた自分に対しても、その本心を見抜いて積極的に話しかけてきたぐらいなのだから。

(私は、何も変わっていない……)

 紅霞くれないかすみは目を細めた。

 霞にはもう何も残されてはいない。親友を失い、高校生という日常を失い、残っているものがあるとすればVANへの復讐心ぐらいだろう。

 だが、それに対して光は変わって行く。いや、彼だって変わっているわけではない。ただ、霞には手の届かない場所まで駆け上って行ってしまったような気がしていた。

 光はROVに良く顔を出すようになっていた。自分自身を鍛えるために、刃や翔を相手に実戦形式で訓練を積んでいる。だが、霞と言葉を交わすことはほとんどない。時折視線が合うぐらいだ。

「……そろそろ、動くか」

 刃が呟いた。

 廃屋の中にはROVのメンバーが集っている。刃、楓、翔、瑞希、霞の五人が中心に、現地で仲間になった能力者が数名いる。

 光たちが完全にVANと敵対するようになってから、ROVの情報源は極端に減った。それは、今までROVに対しても情報をもたらしてくれた誠一という存在が光の側についたからだ。光のチームのためだけに情報を集めるようになった。VANとROV、双方に対して情報を仲介する者が消えたため、互いの動きを読み難くなっていたのだ。

 だが、一ヶ月ほど前から、聖一はROVにも情報を伝えてくれるようになっていた。光の特訓に対する見返りとして提示されたのである。

 そして、今日、聖一はVANの第一特殊機動部隊が襲撃に来る可能性が高いという情報を提供してくれた。

「撤退するってのも、ちょっとな……」

 翔が呟く。

 情報源である聖一が光の側についてから、ROVは勢力拡大を当面の目標としていた。VANが表舞台に出たことで、それに敵対する能力者も少なからず増えると踏んだのだ。その能力者たちを取り込み、ROVの戦力を増強する。

「ダスクの部隊と正面から戦うのは危険だ」

 刃が告げた。

 VANの蜂起から、ROVはこれまでに勢力を一気に拡大してきている。VANとの戦闘よりも、仲間の確保を優先していた。刃は、VANとの最終決戦に向けての準備だと言っていた。VANが本腰を入れて世界中を黙らせようとする時、全面戦争が始まる瞬間に決着をつけるのだ、と。

 ただ、弊害が発生していた。能力者の練度が低いのである。既に覚醒しており、それを隠して生きてきた者ならばまだいい。だが、覚醒したばかりの能力者はまだまだ未熟だ。ROVの内部でも互いに稽古を付け合っているが、上位部隊との戦闘が始まった際に戦死する者も少なくはなかった。

 刃や楓、翔、瑞希などの熟練者や他の支部長権限を与えられた者たちならまだいいが、やはり仲間が減ってしまうのは好ましくない。

 最近の襲撃も、十分に実力を着けたと思える者を率いて少数精鋭での戦闘に留まっている。

「そうね、あなたたちにはまだ辛過ぎる相手だわ」

 瑞希が新入りたちを見回して呟いた。

 刃たちがここで仲間を集めていることがVANに察知されていたのだろう。VANの中でもトップクラスの戦闘力と指揮能力を持つダスクを相手に、新入りを抱えたまま立ち回るのは難しい。刃の決断はギリギリまで引き付けて離脱、というものだった。

「来たわ」

 今まで目を閉じて黙り込んでいた楓がその目を開けた。

 力を解放し、周囲の大気から状況を探っていたのだ。そのレーダーにダスクの部隊が入ったということだろう。

「陣形は?」

「扇状に展開しているわ。後退できる道はあるけれど、怪しいわね」

 刃の問いに、楓が素早く答える。

 扇状に部隊を展開させ、包囲を狭めてくるつもりだろう。退路があることを考えると、先回りしている者がいるかもしれない。罠である可能性も十分にある。ダスクなら、完璧な包囲網で攻めてくるだろう。

「後退し、敵陣を突破する」

 刃の決断は早かった。

 先回りされている可能性を考慮しても、人数の少ない方が良い。待ち伏せされていたとしても、一人や二人であれば刃や翔が相手をすれば仲間を逃がすことはできるだろう。

 決定が下れば行動は早い。刃と翔を先頭に、瑞希と楓が最後尾につく。霞は、翔の直ぐ後ろについた。

 人気の無い路地裏を、素早く駆け抜けていく。

「それにしても、最近の光は凄ぇな」

 翔が呟いた。

 ここのところ、光の上達速度は凄まじい。翔の家系に伝わる武術を彼との特訓で半分以上吸収し、刃の速度にも喰らい付いていけるようになっていた。最終的にはまだ負けているが、刃に大しても普通に攻撃を返せるようになっていた。かつて、怒りに任せて刃に戦いを挑みあしらわれていた頃の面影はない。

「そうでなくては困る」

 刃の言葉に、翔が苦笑する。

 VANを倒す切り札とも呼べる存在が光だった。超越能力を持ち、無限にオーバー・ロードのできるアグニアの弱点が、力場破壊能力を持つ光なのだ。アグニアの力がどれだけ大きくても、光の力はそれをゼロにする。

 理論上、光の力に敵はない。全ての攻撃を無に帰し、自分の力だけを相手に届かせる。まさに最強の力だ。

 通常型と呼ばれる、最も一般的な力を持つ霞には遠い存在だ。

(光、か……)

 特訓のために現れる光の傍には、必ず一人の少女がいる。

 セルファの存在を見た時、霞は一瞬戸惑った。

 付き合っていた少女を失い、涙を流した光はもういない。セルファを見つめる光の眼差しは優しく、力強いものだった。特訓に入った光の瞳には、力と同時に強い意志が宿る。今まで戦っていた時とは明らかに違う表情になっていた。刃とはまた違う、強い眼をしていた。

 そして、光を見つめるセルファの瞳にも同じような力強さがある。お互いに信頼し合い、支え合っているのだと思った。二人の左手の薬指にはめられた指輪がそれを物語っている。

(……私は、何も、変われない)

 誰にも気付かれぬように、霞は息を吐いた。

 セルファに対し、霞が最初に抱いたのは敵意だった。敵であるVANの総帥アグニアの娘だというだけで。今まで、刃に情報をもたらしていたことを理解していても、彼女の姿を見て憎悪を抱きそうになった。

「……あの二人、勝てると思うか?」

 小声で翔が刃に問う。

「……勝ってもらわなければ困る」

 刃は静かに答えた。

 あの二人、光とセルファのことだろう。光はアグニアに勝てるだろうか。刃は光を切り札として利用するつもりだ。光も、それに気付いているだろう。気付いているからこそ、光が強くなることに刃は協力的だろうと踏んで特訓を依頼しているのかもしれない。事実、刃や翔との模擬戦で光はかなりの力を身に着けているのだから。

 最近、光との特訓風景は試合をする度に熾烈なものになっていく。刃や翔も、殺さない、というだけで本気の力を出しているようにすら思えるほどに。

 霞の戦う姿を見て光が驚いていたのが、ほんの五ヶ月ほど前のことだとは思えない。親友が死んだことも、もう遠い昔のことのように感じられる。

 思えば、あの時から光は既に霞よりも強かった。クラスメイトに紛れていたVANの部隊長に苦戦していた霞をいとも簡単に助けたのだから。

「……あの二人には、死んで欲しくねぇな」

 翔が呟いた。

 その言葉に、刃は視線を細める。かつて、刃は大切な人を失ったと聞いた。それが誰なのか知っているのは、楓と翔、瑞希の三人だけだ。ROVの初期メンバーであり、昔馴染みでもある三人しか、知らない。ただ、その事件が刃をVANと戦う道に進ませたのだということだけは霞も知っている。

 だから、互いを大切な人であると認識している光とセルファには生き延びて欲しい、翔はそう言っているのだ。

 光と刃が、対照的にも見えた。刃は大切な人を失ったことで、VANへの復讐を誓い、戦っている。それに対して、光は大切な人を守るためにVANを倒そうと戦っている。

(美咲……)

 霞は亡き親友を思う。

 もし、親友が生き延びていたとしたら、光の隣には彼女がいたのだろうか。指輪をしていたのは彼女だったのだろうか。セルファは、どうしただろうか。何より、光はどう生きようとしていただろうか。

 光を好きだと相談されたことがあった。同じクラスだからという理由で光の印象を聞かれたことがあった。良く判らない、と答えた覚えがある。ただ、それから何となく光を観察していて、少し興味が湧いたのも事実だった。

 親友が好意を持った相手が、どんな人物なのか知りたいと思った。今まで他人に興味は持つまいと心に誓っていたのに、それが簡単に崩れ去ったことに自分でも驚きながら。

 親友が死んだ時、光を殺してやろうかとも思った。だが、逆に慰められたのは霞の方だ。何故、光に自分の内心を吐露してしまったのだろうか。見せまいとしていた弱さを晒してしまった。

「刃、前方に敵よ」

 楓の知らせに、刃が翔と視線を交わす。

「私がやるわ」

 霞は静かに刃の背中に声を投げた。

 刃が振り返り、霞を見る。向けられる視線を、霞は受け止める。

「私が囮になる」

 相手がダスクなら、あらゆる状況を想定しておくべきだ。ここで戦力を割いてしまったら、更に先の方で待ち伏せされていた時に苦戦するかもしれない。今いるメンバーの中で、刃たちROVの中核メンバー四人を除いて最も戦闘経験が長いのは霞だ。

 戦力の分散を極力避けるためには、霞から囮になるべきだろう。

「聖一からの情報なら、光たちも来るんでしょう?」

 恐らく、光たちにもダスクの部隊が来ていることは伝わるはずだ。なら、VANの部隊への奇襲を狙っている彼らならこの場に乱入してくる可能性は高い。

 それまで持ち堪えることができれば、後は光たちが敵を駆逐してくれるかもしれない。一時的に光たちと合流し、また刃の下へ戻ればいい。刃なら霞の意図も読めるだろう。

「危なくなったら身を隠せよ?」

「解ってる」

 翔の言葉に、霞は無表情のまま答えた。

 霞は敵がいるであろう前方へそのまま進み始めた。刃と翔は仲間を連れて途中で道を逸れ、逃走経路をずらす。

 走りながら、霞は具現力を解放した。紅い防護膜が霞を包み込む。知覚と身体能力が拡張され、踏み込みの速度が上昇していく。周囲に視線を走らせ、警戒しながら進んで行った。

 敵は直ぐに発見できた。路地裏を挟む建物の屋上から、VANのスーツを身に着けた人影が飛び降りてくる。防護膜の輝きを見て取り、能力者であることを確認した。

 霞は走る速度を落とさず、右手から放った閃光で敵を迎撃する。紅い閃光は細い鞭のように曲線を描きながら、敵へと伸びて行く。敵の一人が閃光で霞の攻撃を相殺する。攻撃同士が接触する瞬間、霞は閃光を拡散させた。ただの拡散ではなく、筒がそのまま縦に裂けるように幾本もの閃光に分離させるような拡散のさせ方だ。

 攻撃を散開させることを読んでか、敵も閃光を拡散させて対応したが、散らせ方が弱い。ショットガンの弾のような散り方では、閃光のまま分解させた霞の攻撃に比べて密度が低い。相殺できて半数程度だろう。十分押し勝てる。

 敵の額に伸びる閃光が横合いから飛んできた攻撃によって打ち消された。もう一人隠れていたらしい。時間差をつけて別の人影が路地裏へと飛び込んでくる。

 霞は先に着地している方へと足を向け、閃光を放った。敵が相殺の攻撃を放つ瞬間に閃光を炸裂させて目晦ましにすると、霞は大きく踏み込んだ。目晦ましが消えると同時に敵の懐に飛び込むが、そこに能力者はいない。

 振り返りざまに回し蹴りを放ちながら、上空に掌を向けて閃光を放つ。真上に逃れた場合を考慮しての攻撃だったが、敵は霞の回し蹴りを腕で防いでいた。放った閃光の向きを変化させ、敵の真上に垂直落下させる。

 もう一方の敵がその閃光を横から打ち消した。

 舌打ちして、霞はその場から飛び退いた。横合いから飛んできた攻撃が地面を抉る。目の前の敵が霞に踏み込んでくる。繰り出される拳の手首を右手で掴み、左手を肘に当てる。勢いを利用して右手を引き、左手で押さえた肘関節を無理な方向へ曲げてやる。

 間接を砕くはずだったが、相手の防護膜は霞の力に耐えうるだけの力を男の肉体に付与していた。肘に当てた手から閃光を放とうとした瞬間、横合いからの閃光に霞は飛び退いていた。もちろん、手は放している。

(さすがに、手強い……)

 第一特殊機動部隊の隊員だけあって、練度はかなりのものだ。

 霞の力は特殊なものではない。具現力の中では最も一般的とされる通常型の能力者だ。霞が今まで生き残ってこれたのは、昔からの経験だ。二年前に覚醒した刃より以前から、霞は能力者として覚醒していた。

 だが、刃はあっさりと霞を追い越して行った。

 そこには、刃がVANと戦うことを決意した経緯が根底に存在している。刃の行動の原動力となっているのは、その経験だ。大切な人を殺されたことで、刃はVANに憎悪を抱いている。

(なら、私は、何のために戦っている……?)

 敵の攻撃を捌きながら、霞は眉根を寄せた。

 自分が戦う理由は何なのだろうか。刃はVANに対する復讐心から、光は大切な者たちを守るために、戦っている。霞には明確な理由がない。

 親友を殺されたというのも理由の一つではある。だが、だとしたらそれ以前の霞は何故ROVに入ったのだろうか。能力者の存在を知り、VANを知った時点でVANに渡っていたら、親友は死なずに済んだかもしれないのだ。もっとも、VANに入っていたら彼女と親友にはなっていなかったかもしれないが。

 覚醒した直後、力を暴走させて家族を失った。その原因を作ったのは覚醒を促したセイナだ。だから、霞は戦うことを選んだのだろうか。

 もしかしたら、霞は具現力を怨んでいるのかもしれない。こんな力さえ無ければ、霞が家族を失うことは無かった。家族がいたなら、霞の性格も変わっていただろう。

(何を今更……)

 自嘲気味に笑う。相手の右ストレートを、左脚を軸に回転してかわす。

 遠心力で加速させ、渾身の力を込めて振るった裏拳が敵の顔面を打ち砕いた。辺りに血と肉片が撒き散らされる。

 頭部を失い、慣性に従って吹き飛ぶ死体には目もくれず、次の敵へと意識を向ける。向かってくる閃光を首を逸らしてかわし、踏み込んだ。

(もう、何も感じない、か……)

 すっと、目を細める。

(……光は、まだ抵抗感を持っているんだろうか……)

 人を殺し続けて生きてきたせいか、その行為が当たり前のように感じ始めていた。誰かの人生を破壊して、自分の人生を歩んでいく。自然界では当然とも思える弱肉強食の世界だ。人間だけが違う道を進んでいた。他者を殺すことを善しとせず、共存を探る生き方をしている。法律というものを創り、社会を形成してきた。

 だが、能力者の力はそれを逸脱する。いや、簡単に逸脱できるだけの力を持っている。具現力によっては人に悟られずに隠蔽でき、また咎めてくる者を全て排除するという強引な手段も取ることができる。恐らく、世界はそれを善しとはしない。ルールを破る可能性があるのも確かだが、何より世界はその力を恐れている。世界を掌握することすらできる力が、そこにあるから。

 ハイキックを屈んでかわし、足を払う。体勢を崩しながらも、敵は光弾を放つ。霞はその敵の懐に身体を押し込んで、肩で鳩尾を突いた。

 吹き飛ぶ敵に幾筋もの閃光を放った。背後の壁に背中から激突しながらも、敵は霞の攻撃を全て相殺する。

 自分の力に、力不足を感じていた。第一特殊機動部隊とはいえ、隊員ですら薙ぎ払えない力が怨めしい。上位クラスの隊長とどうにか戦えるレベルの霞には、特殊部隊の隊員を簡単に葬るだけの力はない。長年戦って来たというのに、刃に追い抜かれ、ほんの五ヶ月ほど前に覚醒した光にすら数日で抜かれてしまった。

 刃は古流武術の家系に生まれ、天賦の才があったのだろう。だが、戦いを好まず、望みもしなかった光の力にすら及ばなかったのはショックだった。後に光も戦うことを選んだが、それでも好戦的な性格ではないものの力が強力であることに不平を感じる。

 突撃ながら敵が閃光を放つ。大きく跳躍してかわし、敵を跳び越える。向かいの壁を蹴って瞬時に方向を転換し、そのまま敵へ跳び蹴りを繰り出した。

 咄嗟に腕で顔を庇う敵に、足先に纏わせていたエネルギーを解き放つ。相殺し切れずに腕が吹き飛んだ敵の顔面に踵が突き刺さり、貫いた。頭部が破砕され、鮮血と内容物を撒き散らす。

 着地と同時に周囲を見回し、霞は呼吸を整えた。誰もいないことを確認し、先へと進む。まだ罠があるのなら、引っ掛かる囮は必要だ。刃たちの方に向かう敵の数を可能な限り減らすためには、囮である霞が待ち伏せされているであろうルートを突き進んで注意を引き付ける必要がある。

 道を走りながら、つくづく自分の弱さに厭きれていた。刃ならあの程度の能力者に呼吸を乱したりはしないだろう。光だってそうだ。軽く仕留められたに違いない。刃には具現力の中で最速を誇るスピードがあり、光には最強の防御能力がある。ただの通常能力では、到底追い付いてはいけない領域だった。

 ふと、前方に人影が見えた。

「……女の子?」

 場違いな驚愕の声に、霞は眉根を寄せる。

 霞と一つ違うか違わないかという年齢の少年だった。鮮やかな朱色の防護膜に身を包んでいる。その朱に染まった瞳が大きく見開かれている。

 一瞬、敵なのかどうか判断に迷った。

「……あなた、敵?」

 霞は問う。

 能力者に年齢は関係ない。覚醒してからの年月に影響はあるが、実年齢と戦闘能力との関係はほとんどないと言っても過言ではない。それに、能力者の強さには性別も無関係だ。持つ能力と、戦闘センスと訓練によって強さは決まる。

 敵だとしたら、新人なのだろうか。練度が低いのなら助かるが、第一特殊機動部隊という精鋭部隊にそんな能力者が回されるとは思えない。

 だとしたら、相当な戦闘力を持つ新米ということか。厄介かもしれない。

「君は、ROV、なのか……?」

 どこか信じられないとでも言いたげな表情を見せる少年を、霞は冷ややかな視線で見つめていた。

 殺気が感じられない。隙だらけの構えに、強さは感じられなかった。それでも、霞はこの少年が高い戦闘能力を秘めているのだと確信していた。

 何故だろうかと考えて、霞は思い当たった。

(光に、似てる……?)

 覚醒した直後の光にどこか似ている気がした。人を殺すだけの覚悟を決めていなかった頃の光だ。

 少年の顔付きにも、光の面影があるように見えたが、気のせいだろう。

「……そう、敵ね」

 霞は駆け出した。少年の反応に、VANの能力者なのだと確信した。この場にROVの能力者が現れることを知っているのは、VANの能力者だけだ。待ち伏せしていたからこそ、ROVであるのか、と問えるはずだ。一般人なら、霞を見た瞬間に逃げ出している。

「敵、なのか……!」

 やりきれないとでも言うかのように表情を歪め、少年は呟いた。

 繰り出した光弾を、少年は簡単に相殺して見せる。

「君は、何でROVにいるんだ?」

「なら、あなたは何故VANにいる?」

 少年の問いに、霞は同じ問いを返していた。

 答えるつもりはなかった。無言で、敵を葬るつもりだった。だが、彼の問いは、どこか癪に障った。今までの自分を否定されているようで。

「こんなくだらない戦いを早く終わらせるために」

「……無視すべきだったわ」

 返答に、霞は落胆した。

 重みの無い答えだと思った。そんなのは綺麗事でしかない。

 くだらない戦いだと割り切れるのは、そこに感情が無いからだ。刃や光のように、復讐心や希望に向かうだけの意志が見えない。あったとしても、そんな口調や言葉では伝わってこない。

「なら、君が戦う理由は何だ! 能力者同士が戦う必要なんて無いじゃないか!」

 霞の繰り出す拳を、少年が左右に動いてかわす。

「あなたには解らない」

「そんなの我侭じゃないか!」

 相手との和解を拒否することが我侭だろうか。そうかもしれない。だが、それを言うなら最初に我侭を通そうとしたのはVANの方だ。何もかも失くして、一人きりとなった霞は、もう誰とも関わりたくなかった。干渉を止めなかったVANに抗うのは当然のことだろう。

「あなたたちの我侭で、私の親友が殺された」

 復讐するには十分な理由だろう。力を持つ者ならばともかく、力を持たぬ友人の命を奪ったことは許せない。幸せそうに笑う彼女の姿を見ることはもうできないのだから。きっと、霞が心の底から笑うことももう無いだろう。

「だから、こんな戦いは終わらせなきゃいけないんじゃないか!」

 過去を水に流せとでも言うのだろうか。そんなことできるはずがない。

 VANとの和解をして、誰が得をするのだろうか。戦いの日々からは抜け出せるかもしれないが、それで気分が晴れるとは思えない。VANと戦う道を選び、敵を倒し続けてきたのだから、今更後には退けないのだから。

 彼は何も知らないのだ。親友が能力者でなかったことも、戦って死んだわけでもないことを。VANと戦う能力者に恋をして、巻き込まれただけだというのに。

「殺そうとしている相手に、話しかけるなんて何様のつもり?」

 霞は苛立ちを隠さずに告げた。

 戦う相手が知り合いでもなければ、言葉を交わす必要などどこにもない。命を奪う相手を知るということは、それだけその人を殺し難くなるのだから。無言で戦えば良いのに、何故それをしないのか。何故、話しかけてくるのだろうか。腹が立って仕方がない。

「私が女だから? それとも子供だから?」

「それは……!」

「だったら、私が男だったら、大人だったら、あなたは話しかけることなく戦えた?」

 口を開く少年の言葉を遮って、霞は言い放つ。

 もし、霞が男だったなら、彼は普通に戦っていたのだろうか。霞が大人だったなら、言葉を交わすこともなく戦闘に集中できたのだろうか。

 恐らく、違うだろう。彼自身がまだ本物の戦いというものを知らないのだ。きっと、これが初めての戦闘なのだろう。

「もういいわ。そんなに戦うのが嫌いなら黙って殺されてくれない?」

 言いながら、霞は歯噛みしていた。

 会話しながらとは言え、霞は全力で戦っている。少年はそれを簡単にかわしているのだ。掠りもしない。光弾なども容易く掻き消されている。

(こいつ……!)

 具現力のポテンシャルが尋常ではない。敵は息を切らしてもいないのだ。一般隊員たちとは明らかに違う。素人のクセに素質が凄まじい。

「君を殺して、戦いが終わるわけじゃないだろ!」

 少年の言葉に、霞は返事をしなかった。

 霞を殺しても戦いは終わらない。レジスタンスに分類される能力者全てが死なない限り、戦いは終わらないだろう。それでも、覚醒する者は現れ続ける。ならば、永遠に戦いは終わらない。VANという、組織が潰れでもしない限り、能力者同士の戦闘が終結することはありえないのかもしれない。

 少なくとも、今この瞬間の戦闘行動に片は付くが。

「力を力で捻じ伏せて、理解し合おうとしないなんて我侭じゃないか!」

 少年が叫ぶ。

 理解を示さなかったのはVANの方ではなかっただろうか。霞にしてみれば、VANの方が我侭だ。能力者のために動いていると言っているが、邪魔な能力者は排除しようとする。VANに属さぬ者を敵に回し、消そうとする行為が我侭でなくて何だと言うのだ。

 もし、霞の気持ちが我侭だとしたら、どうすればいいというのだろう。今更VANへ来いとでも言うのだろうか。大人しく殺されろとでも言うのだろうか。

 少年の言葉こそ我侭ではないのだろうか。霞の意思を理解してもいないクセに、一方的な意見を押し付けてくることは我侭ではないとでも言うつもりなのだろうか。VANに属すことを拒んだ者たちの意見を聞こうともしないことこそ我侭だろう。

 理想論や綺麗事だけで世界が成り立つのであれば、そもそもこんな戦いは起こらなかったはずだ。平和な世界が出来上がっていたに違いない。だが、現実は違う。

(過酷な目に遭っていないから、そんなことが言える!)

 そう感じた。霞は家族を亡くし、刃は大切な人を亡くし、光は日常を失った。復讐を誓う刃の目に一切の迷いは無い。光は、揺れながらも、自分の意思を曲げずに歩き続けている。霞の親友、美咲の死を、光はきっと乗り越えている。復讐に走ることもなく、今まで通りの信念で戦うことを選び続けていた。

 あの強さが欲しい。純粋に、そう思う。

 大切なものがある強さは、霞には無い。

「俺は君だって殺したくない!」

「なら、あなたは私の彼氏になってくれるとでも言うの?」

「それは……」

「冗談じゃない!」

 口篭る少年に、霞は吐き捨てた。

 もし、互いに命を落とすことなく霞を止めるというのなら、それだけの覚悟は必要だ。霞の今までの人生全てを背負うだけの覚悟がなければ、戦いを止める理由にはならない。今までの全てを捨ててでも、戦いを止めて生きたいと思えるだけの理由がなければ、ROVを抜けたりはしない。

 だが、たとえこの少年がそれを承諾したとしても、霞に彼を生涯の伴侶とするつもりはなかった。

「私はあなたの仲間を殺したし、あなたの仲間は私の仲間を殺してる」

 忘れたのかとでも言いたげに、霞は少年を見据える。

 この場に辿り着くまでに、霞は二人の能力者を殺した。そして、これまでにVANの能力者によって殺された仲間も少なくはない。溝は深いのだ。埋めることなどできはしない。

 新入りだとしても、同じ部隊に配属されたのだから顔見知りぐらいではあったはずだ。霞がVANに入ることは、彼らの死を無駄にすることでもある。そんなことも解らないのか。

「どうして、そう身勝手なんだ!」

 少年の瞳に、敵意が宿る。

 霞の拳を打ち払い、少年が突きを繰り出した。弾かれた腕に体勢が崩れる。打ち払うという行動ですら、それだけの威力があった。

「……っ!」

 拳が左肩に突き刺さる。凄まじい衝撃に、身体が木の葉のように吹き飛んだ。

 かわせなかった。体勢が崩れていたせいで、ボディへの直撃は免れたが、左腕が使い物にならなくなった。たった一撃で左肩の間接は粉砕された。骨の破片が内側から肉に突き刺さり、激痛が走る。内出血や筋肉の断裂も起こしているはずだ。

 地面に叩き付けられ、転がりながら、右手を突いて身体を押し留める。痛覚にしか反応を示さない左腕を無視して、霞は起き上がった。もし、防護膜による痛覚抑制効果がなければ立ち上がることなどできなかっただろう。そして、霞はそのまま、少年へ真っ直ぐ突っ込んだ。

「解っただろ、君じゃ俺は殺せない!」

「勝ち目があるから戦ってるわけじゃない!」

 叫び、霞は拳を打ち込んだ。

 掌で受け止めた少年に回し蹴りを浴びせるが、もう一方の手が足を掴んだ。

 たとえ勝ち目のない相手でも、引くわけにはいかない。それが霞たちの戦いでもあるのだ。勝てる勝てないよりも、抗うか否かだった。抗わなければ殺されるなら、抗って殺される方がまだ後悔しない。だから、戦う。

「殺す覚悟がないなら、戦士になんてなるな!」

 不公平だと思った。何故、こんな奴が自分よりも強いのだろう。どうして、全く歯が立たないほどの力を持っているのだろう。

 一閃した右腕を、少年は屈んでかわす。膝蹴りを繰り出そうとするも、少年の肩が霞の下腹部に減り込んだ。 

「ぁが……っ!」

 息が詰まったと思った瞬間、後方へと身体が飛んだ。背後の壁に背中から叩き付けられ、肺の空気が全て押し出される。壁には亀裂が入り、霞の全身に衝撃が伝わる。破砕された左肩に激痛が走り、砕けた骨が内側から皮膚を突き破り出血を起こした。

 飛びそうになる意識をどうにか繋ぎ止め、二重にブレた視界で少年を睨む。

「ぐ、ぅ……はぁ……」

 呻き声を出して、どうにか息を吸い込んだ。

「もう、いいだろ……!」

 戦闘の停止を訴える少年へ、霞は一歩踏み出した。ぐらつく身体を強引に前へと押し出す。倒れ込む勢いを利用して、駆け出した。足を動かす度、振動が左肩に痛みを走らせる。衝撃の抜け切らない身体を走らせて、霞は右の拳に全力を集中させた。

「あああああ――っ!」

 腹の底から叫び、霞は振り被った拳を思い切り突き出す。

 今出せる全ての力を右手と踏み込む速度に乗せて、渾身の一撃を繰り出した。紅い閃光に包まれた霞の拳に、少年が目を細める。悔しさと辛さの入り混じった視線の中には、確かな敵意があった。

 姿勢を低くして踏み込み、右腕が内側から外へと振り払うように一閃される。霞の拳は、少年の髪の先端を掠めただけだった。

 左の脇腹を吹き飛ばされ、衝撃に霞の身体が舞う。錐揉みしながら、霞は直ぐ傍の建物に左肩から激突する。破砕された間接が更に粉砕され、複雑骨折が肋骨や上腕にまで及ぶ。砕けた骨が肺に突き刺さり、激痛が脳を貫いた。

 叩き付けられた壁には亀裂が入り、夥しい量の血がぶちまけられる。両脚を着いた霞だったが、立っていられず壁にもたれかかったまま、血を吐いた。

 もう、左腕は千切れてしまってもおかしくない状況だった。脇腹は大きく抉り取られ、出血と共に内臓がはみ出している。致命傷だと気付くのに、時間はかからなかった。服を濡らし、血が地面に滴り落ちる。戦う意思はあっても、もう身体がついてはこなかった。

(……終わるのか)

 漠然と、そう思った瞬間だった。

「霞っ!」

 声に、霞は閉じようとしていた目を見開いた。

 自然と、目を向けていた。

「ひか、る……?」

 現れたのは、光だった。声が聞こえた直後には、既に霞の目の前にまで辿り着いている。敵の存在は、もう霞の目には入っていない。

 視線を向けたことで身体のバランスが崩れ、倒れそうになる。それを、光が受け止め、支えてくれた。仰向けに抱きかかえるように、寝かせてくれる。

「霞! しっかりしろ!」

 必死に呼び掛けてくる光に、霞は悟った。きっと、光も霞の傷が致命傷であることに気付いている。

「……ごほっ」

 口を動かそうとして、吐き出せたのは血だけだった。

「喋らなくてもいい! 気をしっかり持っていてくれ! 直ぐに治癒してやるから!」

 光が捲くし立てる。光の仲間であるセルファか有希なら、傷を癒すことができる。致命傷であっても、即死さえしなければ一命を取り留めることはできるはずだ。

 だが、光が一人できた時点で、それは叶わないのだろうと思った。常に一緒だったセルファがいないことが、それを証明している。何らかの理由で光一人しかここまで辿り着けなかったのだ。もし、仲間が追いついてきたとしても、時間がかかるに違いない。

「……いい……もう、眠らせて」

 口の中に溜まった血を溢れさせながら、霞は告げた。

 いっそ、死んでしまった方が、気が楽だ。何も考えず、悩まずにすむ。他人との関係に気を遣うこともなくなる。親友の仇を討てなくなるのは心残りだが、彼女の下へ行けるのなら悪くはないとも思えた。

「駄目だ! 美咲の仇を討つんじゃなかったのか!」

 光が叫ぶ。

(そうか……私……)

 ふと、気付いた。最初から、仇討ちにはさほど執着心は無かったのだと。

 親友が死んだ時、確かに霞は悲しんだ。光に辛く当たったりもした。だが、それは美咲が霞にとって大切な存在であったからではなかった。いや、確かに美咲は霞にとっては掛け替えの無い友人ではあった。ただ、親友と呼ぶには月日が浅過ぎたのも事実だ。

「……光、お願い」

「霞……?」

 ゆっくりと、霞は光の頬に右手で触れる。どうにか動く右手で、今目の前にいるその存在を確かめるように。微かにかかる光の吐息が暖かい。

「キス、して……」

 その言葉に、光は驚いたように目を見開いた。

「……好き、だった……ずっと、前から……」

 涙が零れる。ようやく、気付いた。

 彼に興味を持つようになってから、霞は光に惹かれていった。人を殺すことに抵抗を覚えながらも、光は平穏な日常を諦めずに戦うことを選んだ。その光が、霞は昔の自分に似ているのだと言った。いつか、光のように、自分に自信を持てるようになれるのだろうかと思っていた。

 辛く当たったのも、自分では手を伸ばせない苛立ちからの八つ当たりだったのだ。美咲と同じように、霞もあの頃から光を好きになっていたのだろう。仇を討つと言ったのも、光がそれを拒んだからでも、美咲が親友だったからというよりも、光が背負うものを軽くしてやりたかったからなのかもしれない。

 そして、セルファに抱いたのは憎悪ではなく、嫉妬だったのだ。もしかしたら、美咲にも嫉妬していたかもしれない。

(小さいな、私……)

 心の中で、霞は自嘲した。こんな状況で言い出すのは卑怯だろう。それでも、気付けないまま死ぬよりは良かったかもしれない。求めなければ、可能性など存在しないのだから。

「……ごめん」

 光は苦い表情で呟いた。唇を噛み締め、申し訳なさそうに霞を見つめる。

 薄々、気付いていた。光は霞を恋愛対象になれる相手としては見ていない。同情の対象や、過去の自分と重なる相手としてしか見ていなかったに違いない。

「馬鹿……こういう、時は…嘘でも、するもの、じゃない……」

 光は自分に嘘をつこうとはしない。たとえ、それで他人を傷付けようとも、自分の理念を曲げようとは思わない。それも解っていた。それでも求めたのは霞の弱さだろう。強くありたいと願うこと自体が、弱さの証明なのかもしれない。

 我侭かもしれない。それでも、我侭でなければ望むものなど手に入らない。自分を押し込めて、他者との激突を避ける生き方をしても、楽しくなんてなかった。我侭を言い合って、互いに納得できる道を探すのが、光の生き方に思えた。

(でも、だからこそ、そんなあなたが――)

 掠れゆく意識の中、最後に光へ優しく微笑んで、霞は目を閉じた。

 想い人の腕の中で眠れるのなら、そう悪くはない。誰を恨むでもなく、安らかな気持ちで霞は深い眠りへと落ちて行った。

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