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自転車と言う人類の文化

作者: kam2style

 我が国においてはモータリゼーションが始まって既に50年程の時間が過ぎた事になる。我が家に車が登場するのは私が12歳ぐらいの頃だと思う、車はカローラ1200だった。戦後の日本は破竹の勢いで経済成長を成し遂げていった。世界的な歴史の上での快挙であるらしい。その中で日本の自転車文化について考える時が来た様に感じているのは僕だけだろうか?今や世界中の大都市では自動車が溢れて交通渋滞が慢性化して新たな移動手段が模索され始めている。そして、自転車の利用が促進されているのである。我が国の自転車文化に付いて考えない訳にはいかないだろうと思うのである。


 自転車の歴史

 自転車が生まれたのはドイツであるらしい、フランスの幼児用の木馬の玩具が発祥となり、ドイツで大人が乗って遊ぶ足蹴り自転車が生まれて、イギリスで車輪の大きなペダル自転車になって、産業革命でチェーンが付いた安全型となったそうである。それを作ったのがラレーと言う会社だそうで世界中に出荷されたそうである。北海道の札幌市の歴史で大正15年に自転車の保有台数が1万5千台だそうです、当時の札幌の人口は10万以下だと思います。自転車が導入されてから馬車の数が大幅に減ったそうです。札幌では馬糞風と呼ばれる風が春先に吹きますが、自転車の事は何も言われていません。札幌は雪国であり冬の間は不便な筈なのですが?それだけ多くの自転車が使われていたのです。そう言えば御巡りさんも郵便やさんもみんな自転車だったですね、バイクメッセンジャーなんて昔から居るのを新しくしただけの事なのです。


 自転車の利用

 日本の自転車保有率は世界的に見て上位に位置している筈です。確か自転車の国と言われる中国より保有率は上である筈で日本は自転車大国と言う事なのですが、文化的には非常に低い位置に居ると言うありさまです。自転車を歩行者扱いしている国は日本以外に無いそうです。ノルーウェーが戦後まもなくまで日本と同じ政策を採っていたそうですが、ヨーロッパ式に変更したそうです。謂わば日本は自転車文化の後進国であると言う事なのです。

 では、何処が遅れているのか?を考えて見ましょう。

 自転車の使い方でしょう。駅に置かれた大量の自転車は無秩序に放置されて駐輪場の機能を果たさなくなっているのです。それは、自転車が安価で販売されて使い捨ての状態である為なのですが、自分的には自転車メーカーが文化の普及に言及して来なかった事が大きな原因であると思われます。先進国には自転車の古いブランドがあって自転車文化の普及に努めて正しく自転車が使われる様に市民の心の中に存在しているのです。一方、日本では自転車メーカーが移り変わってスーパーで売られるノーブランドの自転車が主流になってしまったのです。これは自転車だけではなく使い捨ての傘の使用量にも見て取れます、日本で消費される傘の量は年間3億本であるらしいです。傘が一本あれば何年も使える筈なのに人口の3倍もの傘が使われるとは異常ではないでしょうか?世界の人々は、そんな日本を素晴らしいと言って年間何百万人もの観光客が来日しているとは・・・特に都会では非常に無駄が目立ちます。乱立する居酒屋やレストラン、無駄に消費するサラリーマン〔仕事をするより消費が目的である様な団体が多い〕こんな事をしていて田舎の地方都市は疲弊しているとはなんて言う国なのか誰も疑問に思わない所が怖いと思います。話がずれたので本題に戻りたいと思います。

 では自転車のブランドが有れば自転車が正しく使われるでしょうか?いいえ、使われないでしょう、膨れ上がった消費大国であり金余りの行方が大量の国債発行へ金満大国では太った豚が貪欲に金を食らう仕組みを作り上げてしまった。つまり、金を食らわない少数派は非国民となり経済社会から追放される始末の悪さなのである。現代社会はローマ帝国崩壊の時代を映し出していると言えるのでは無いでしょうか?大阪人に言わせれば『有るもん使わな損や・・』でしょ・・大阪死んでまっせ・・と言って日本の自転車の発祥が大阪なんですね・・大阪堺市に鉄砲鍛冶の集団が居たそうで、その技術が自転車のパイプに成ったらしいです。スペインやイギリスの老舗メーカーも同じだそうです。でも大阪は文化の街ではなく商人の街でしょ・・儲からん物は作らへん・・だからシマノの様に自転車の高い部品を大量に生産して自転車ブランドに販売している。自転車部品ではシマノのシェアーが世界一だそうです。でも自転車を見て、これにはシマノの部品が使っている何て見ない、フレームに付いたメーカーの名前だけを見るのね、ジャイアント、ブリジストン、って自動車もメーカーの名前って大事だと思うんだ、ホンダが好き、日産が好きとかでも自転車は殆どそれを排除してしまった。乗れたらエエやん・・チャリンコやん・・ちなみにチャリンコは韓国語のチャジュンゴから来ている言葉だそうで日本語では無いのです。それだけ、蔑まされている乗り物であり自転車に乗る奴は非国民とでも言いたいのでしょう。チャリンコと言う言葉を流行らし定着させた人物を知っている人が居れば教えて欲しいのです。

 ヨーロッパで自転車が或る一定の地位を持って使用されているのは、革命の国である事が大きな部分を占めていると思われます。車の乗り入れを制限し自転車の地位向上を図るのは行政ではなく市民であり使用者本人なのです。自転車を使用してより良い街づくりをしようとする人が居るからこそ人々の心の中に大切にされて行くのであろうと思うのです。金が有るから新しいのを買う、金があるから外国から大量のパルプを輸入して紙オムツやキッチンペーパーを使う、自分に言わせればアホ丸出しです。かつて日本人をジャップと言わしめた観光客がやった行為と同じなんです。違うやろ、もっと自覚を持ちなさいよアンタは世界から見られている存在なんやで・・・日本で本当の意味で自転車に市民権を与える自治体が何処であるのか?先ずはブリジストンサイクルが有る埼玉でしょうか?ジャパンカップが開かれる宇都宮でしょうか?自転車の街と称している堺市では無いと思います。既に埼玉には自転車道が多く存在すると言う事です。全国のモデル事業に発展する可能性は?


 日本は縦割りで厚生労働省なんかが分析して自治体に落として検証し利害関係をはっきりさせて天下り先を確保するそれからでないと動き出さないのですね・・携帯電話で遅れを取ったのは、これが原因ではないのでしょうか?ある意味で日本企業は勤勉で世界を席巻する能力は高いのにトータルとしての文化創造力は低いのではないのでしょうか。はっきり言って日本の自動車メーカーの車に乗りたい人って、そんなに多くはないのではないですか?日本の法律が日本車に縛り付けているだけなのではないですか?性能ではヨーロッパの自動車も良いでしょうし、価格では韓国やインドの自動車が安いでしょ・・どうして価格の高いヨーロッパ車が多量に輸入されて安い方は輸入されないのかね?ヒュンダイなんか撤退したもの・・お隣の自動車会社が撤退するなんて政治的な動きがあったのか?で・・日本で売られている自転車の多くが輸入代理店を経由しているのですね・・つまりは自分で作らず販売だけを行っているのです。


 イタリヤの自転車工房

 数多くの自転車選手を輩出しヨーロッパ2大ツールの一つジロが開催されるイタリアには工房が沢山存在する。イタリアに自転車の街は無いようだけれど日本のシマノに対抗するカンパニョーロがある。ツールが開かれるヨーロッパに置いてやはりシマノの部品が付いた自転車よりカンパの部品が付いた自転車に乗りたいと思うのが心情だろう。つまり、自転車は心の乗り物であってスピリットが大きな位置を占めている事になるのである。35歳で亡くなったパンターニさんが今でも英雄である様に彼らは自国の自転車に乗る事に誇りを感じているのである。日本にも今でも宮田や丸石のブランドは存在しているのに誇りを持って、そのブランドに乗れないのは社会の仕組みがおかしいからではないだろうか?


 宮田自転車

 宮田自転車もオランダに競技用の自転車を作る会社を持っていた様である。現在、ブリジストンサイクルは自転車のチームを持っているから協議用の自転車も製造販売しているが商業色が強いのは否めない。スピリットを感じる自転車工房も在るケルビムとか・・知る人ぞ知る・・イタリアのピナレロやアメリカのトレックの様にスピリットを感じさせる有名なメーカーは存在しない。で実際にイタリヤの自転車が凄いのか?と言うと素人レベルが乗って判る物ではないし、プロが批評しているのを見ても、そこいらの自転車に乗っている方が得策と思われるのである。要するにイメージが大きな要素になって性能は悪い方が乗り易いのである。日本人の下手な所でどうしても性能に拘るのが日本人である、会社の歴史に誇りを感じるのではないのだ。個人的な話になるが自分はホンダのバイクが好きだった、ホンダは他の会社の様に性能やイメージだけを売りにする会社では無かった。自分たちのポリシーを貫いて消費者にアピールする姿勢が好きだった。本田は性能を重視していたが消費者に媚びる様な重視の仕方では無かった。だから市販のエンジンにDOHCは頑なに乗せなかった。その姿勢で作られた最後のエンジンがホーク2の二気筒エンジンだった。実際にはライバル社に大きな差をつけられて負けたのだが、やはり、その姿勢が好きだった。これがスピリットなんだと思うのだ。食品にしても何にしても海外ブランドも日本ブランドに引けを取らない品質を持っている、オーストラリアの日本向け農場で生産される商品は価格も安く品質も日本以上の物が作られている。でも・・スピリットは日本の様にはいかない筈である。日本の農場で作られる食品には日本のスピリットが存在している古くから受け継がれてきた文化が其処には在るのだと思いたいのである。価格や品質で選ぶのでは無く、それを着る事で誇りを感じるスピリットで選択する日本でありたい。


 まとめ

 日本の企業は社長や会長、などの管理者だけの物では無い。国民一人一人が有する者であり、其処に誇りが存在しなければ文化も生まれない。だから企業は国民に対して紳士でなければならないし、国民は企業に対して敬わなければならないのだ。そう言った文化意識の高さが自転車の文化を生んで行くのだと言う事を私は提言したいと思う。縦割り行政の弊害を一日も早く取り除いて日本人と言う誇りを感じさせる日本でありたいと思うのでありました。

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