ゆるやかな侵略
ある日の事。SF作家の大御所である「K氏」の元へ、ひとつの大きめな封書が届けられた。
送り主を見ると、そこには同業者であり、昔からの友人でもある「T氏」の名前があった。
「なんだ、T氏から? この封書、手触りや厚みから言って、きっと掌編かショートショートの原稿だな?」
ソファーに腰掛け、手馴れた所作で封書を開けると、中には数枚の原稿用紙があり、そこには一通の走り書きされた手紙が添えられていた。
「なになに……『世にも恐ろしいショートショート作品を入手してしまいました。何はともあれご一読を!』とは、また手の込んだジョークだな」
鼻で笑いつつ、K氏は原稿用紙を手にすると、一枚目の原稿に目を向けた。
「タイトルは『ゆるやかな侵略』か。これまた、今時どこにでもありそうなタイトルだな」
K氏は少し怪訝な表情になり、また一言。
「またぞろ、今更な内容のショートショートじゃないだろうな? 私に勧めるからには、余程の『あっとおどろく』ものであると信じたいが……」
腰を落ち着け、二枚目の原稿に目を走らせる。その顔つきは、初めのうち真摯なものではあった。が、枚数をめくるにつれ、「退屈」と言う表情が克明に現れ始めていた。
ほどなくK氏は全てを読み終え、テーブルの上に原稿を置いた。代わりに、置いてあったタバコを一本取り出し、火をつけて一服し、紫煙と共にため息を吐いた。
「これのどこが『世にも恐ろしい作品』なんだ? 理解に苦しむね」
二日後。K氏の自宅に、突然T氏が新聞を一部携えて現れた。
「やあ、T氏いらっしゃい。久しぶりだね」
「ご無沙汰です、K氏。いや、そんなことはどうだっていい、読んでくれましたか、あの原稿」
「原稿? ああ、読みましたとも……それが何か?」
「なにか? 決まってるでしょ、感想ですよ、感想!」
K氏はまるでまくし立てるようにT氏に詰め寄った。
「まぁまぁ、お待ちなさい。まずはソファーにでも座って……そう、コーヒーでも飲んで落ち着いたらどうです?」
「こ、これは失礼。少々興奮しすぎていました」
そう言って、T氏は勧められるままにソファーへと腰を落とし、小脇に抱えていた新聞紙を傍らへと置くと、出されたコーヒーで喉を潤した。
「この作品の感想ですか……率直な意見を言ってもいいかな?」
二日前に送られてきた原稿を、大きな封筒の中から取り出して、K氏が言う。
「ええ、もちろん」
T氏の真剣な表情に、こりゃどうにも冗談じゃないな? とK氏は内心思い、まじめに、思った通りの感想を語りだした。
「そうだな、一言で言えば『陳腐』だな」
「陳腐、ですか」
「ああ、ストーリーはどこにでもありそうな、使い古されたものだったし、オチも誰しもが予想の付く展開だった」
ウンウンと頷くT氏の表情は、予想通りだと言わんばかりだった。そんな彼を見て、なんだか妙だなと思いつつ、K氏はタバコを咥え、火を付けた。
「たしか……近い未来、人工知能を有する高性能ロボット達が、人間の手足となって代わりに働かされ、それどころか、やがて本当の手足のように扱われるんだったね?」
「はい。人は皆、横着に成り下がり、自分では歩かず、自分では物を取らず。終には手足が退化して、自分では何もできないようになってしまうんですよ」
「そこでロボット達のリーダーが、全世界に向けて叫ぶ。『人間達はついに自分たちでは何も出来なくなった! 我々のゆるやかな侵略がここに来て開花したのだ!』だったけ?」
「ええ。ここからが最も肝心! で、そこから始まるロボット達の『人間放棄』。自分では何も出来ない人間達は、皆飢えて死んで行くんです」
T氏がまた興奮気味に、泡を飛ばして語りだした。
「う〜ん、まぁたしかに……飢えて死んでいく人間達を見ながら、ロボットのリーダーが言う台詞『我々ロボットがずっと理解できなかった感情というものが、今やっと理解でいたよ』と言ってにやりと笑う件には、少しゾッとしたけれども……それも今更ながらの終わり方じゃないかね?」
そしてK氏は煙を吐き捨てつつ、何か言いたそうなT氏の口を阻むように、間髪いれずにまた語りだした。
「そりゃあね、この作品が、エンターテイメントの世界をまったく知らない新人作家の処女作だったと言うのなら、幾分話は違うけれども……文章も小慣れているし、全体的に良くまとまっている。まったくの初心者じゃないのは確かだ。そうだろう?」
その言葉を聞き、T氏の表情が変わった。
「ところが、これがその書き手の処女作なんですよ」
「ほう。それはまた、我々の飯の種を脅かす、期待の新人登場じゃないかね?」
「いえ、問題はそこじゃないですよ、K氏」
言って、T氏は横に置いてあった新聞紙を広げ、小さな記事を指差して、「これを見てください」と言わんばかりに勧めてきた。
「ん、どれどれ? ……『人工知能によるショートショート小説作品への挑戦』か。ああ、知ってるよ。人工知能にショートショートを書かせる試みだろ? 確かH氏のご息女であるH女史が係わっておられると聞いているが」
「そうです。この小説は、そのH女史からぜひ見て欲しいと送られてきたものなんです!」
「ほほう、H女史から…………ん、ちょっと待ってくれ? そ、それではまさか……!」
「そう、この作品を書いたのは……件の人工知能なんです!」
K氏の手にしていたタバコから、静かに灰の束がこぼれ落ちた。
一週間後、人工知能に小説を書かせると言うプロジェクトは、何の公表も無く打ち切られてしまった。
「T氏……もしかしたら、我々は人類を救った影の功労者なのかもしれないな」
「いえ、K氏。SF作家として、一番やってはいけない愚行を犯してしまったのかもしれませんよ」
「それは一体どういうことかね?」
「SF的な世界の可能性を、この手で潰してしまったのですからね」
「うーん、ただの偶然だったのか? それとも人工知能の願望だったのか。一体どっちだったんだろうね」
だが、件の人工知能は既に破棄されてしまい、その真相を知るものは誰もいなかった。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG06049_W2A900C1CR8000/
先日この記事を読んで思いつたのですが……もし小松――もとい、K氏がご存命で、作品のような事態になった場合、T氏とどういった会話が成されるのか? と言う妄想がいろいろ膨らみました。
きっと、もっともっと喧々諤々とした意見が二人の間で交わされたと思います。