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第九話 教育実習


  

 

 五月――

 

 母校であるK大付属第一高校を訪れた雅也は、事務室へ顔を出すと職員室へと案内された。

 教育実習に必要な書類を提出するためだったが、卒業以来一度も足を踏み入れていなかった場所を懐かしむ。

「お久しぶりです」

 現在の学年主任であり、かつての担任教師でもある木原に頭を下げた。

「本当にご無沙汰だな。お母さんのことは聞いたよ。でも……よく持ったもんだな。大変だっただろ、おまえも」

「あのときは先生にもご迷惑をおかけしました」

 母が病気で倒れる前は両親の離婚の影響で少々どころでなくやさぐれていた。

 品行方正というわけではないが、成績優秀で友人達にも慕われていた雅也は教師たちのウケもよかったのに学校にも登校しない日が続き、あやうく進級できなくなるところまでいったのだ。

 しかし母が入院してから元に戻った。

 否、以前よりも何事も真面目に取り組むようになったのかもしれない。

 木原は当時「喜んでいいのか悪いのか」と言っていた。

「教育実習の期間は四週間。これは大学から指定されている期間だから変更はないぞ。それから、今年の教育実習生で数学担当なのはおまえだけだからな」

「あー、でしょうね」

 教育学部でも同じ数理コースに入った同級生は一人もいなかった。後輩には一人か二人はいたはずだが。

 同じクラスの友人たちは他校や地方出身者なので、皆地元の母校で教育実習を受けるらしい。

「そうだ。あとで体育館の教官室に行けよ。藤堂先生が待ってるぞ」

「げっ!」

「げっ、ってなんだ」

 木原は顔をしかめたがすぐに合点がいったようで笑い出した。

「おまえが教育実習に来るって聞いて、藤堂先生は喜んでたがな」

「勘弁してくださいよ……」

「行かなくてもいいが、どうせ実習が始まったらつかまるぞ」

「わかってますよ」

 生徒達はまだ授業中で校内は静まり返っている。

 K大の付属高校の中でも一番学力レベルの高い第一高校、通称一高では「自立・自尊」が校訓とされている。生徒たちの自主性を高めるために校則はあまり厳しくはない。

 ただし、進級、卒業するためには成績と素行が重視され、審査がかなり厳しいものとなる。そのために自己管理能力に長けてくるので無駄に校則違反する者が少なくなるのだ。

 厳しくもあり、自由でもある校風が受け入れられ、人気の衰えることがない。

 当然ながら校内でサボりなどするものも見かけない。

 体育教官室の前までくると回れ右をして帰りたくなった。

 わかっている。

 藤堂の用件はわかっているのだ。

「かえろうかなー」

 呟いた矢先、目の前のドアが開き、ガンと額を打ち付けた。

「がっ!」

「おっ!? すまんすまん大丈夫だったか………山沖!」

「………お久しぶりです」

 憮然とした表情で山沖は額をさすりながら頭を下げた。

 名は体を表すとはこのことか。本名「藤堂巌とうどういわお」、生徒達の間では「イワちゃん」と呼ばれている中年男性は、ドアをぶつけた相手が雅也だとわかるといかつい顔をしかめて言った。

「ようやく来たな!」

 入れと首根っこを掴まれて教官室にひきずりこまれる。

「山沖じゃないか、ひさしぶりだな」

 他にも二人いる体育教師たちにも頭を下げた。

 彼らも雅也が在学中から顔ぶれが変わっていない。

「藤堂先生、お待ちかねのコーチがやっときましたね~」

「やっぱり……」

「なんだ、やっぱりということは用件はわかっとるじゃないか。というわけで頼むぞ、柔道部のコーチ! 最近、年とったせいか疲れやすくてな~」

「イワちゃん、まだ若いじゃないですか」

「おまえには負けるわ」

「無理ですよ! 俺だってもうまともに道場に通ってないんですよ! 月に一回行ければいいほうで」

「じゃあちょうどいいじゃないか。練習がてら生徒たちの相手になってやれ。それに、これも教育実習のうちだぞ」

 反論の余地なし。

 どうあがいたって断ることなんて無理。

 これも評価につながるのかな~。

 そんなことを考えていたら藤堂が言った。

「それは別として、お母さんのこと聞いたぞ。残念だったな」

「いえ、それはもう覚悟してたんで」

「『倉本』の家には戻らないのか?」

「戻りませんよ。俺は子どものときから『山沖』を継ぐと決められてたんで、戻ったってしょうがないでしょう」

「そうだったのか。それは知らなかったが」

 それから少しだけ話をしてから学校をあとにした。

 

 一高の予備の教室は、教育実習期間中は実習生たちの控室となる。

 月曜日の朝、スーツに身を包んだ雅也は実習生室に入ると、懐かしい面々と顔をあわせた。

「山沖、久しぶりー」

「森山!」

 高校時代同じクラスだった森山はK大に進学せず首都圏の大学へと入った。

「おまえも教職とってたのか。確か文学部に進学したんじゃなかったか?」

「ああ、でも一応取れる資格はとっておこうかと思ってさ」

 雅也は高校では生徒会に所属していたため、同じクラスになったことがない者たちとも顔見知りだった。

 自然と雅也を中心にして集まる。

「今年は七人なのか」

「毎年こんなもんらしいぞ」

「でもさ、山沖くらいだろ? 本気で教職とろうとしてる奴って」

「ここで採用枠あればいいけどな」

 実はすでに来年度の数学教師の採用予定がないと言われている。

 それはそれで仕方がないと思っているが、教員試験はどちらにしても受けるつもりだ。

 ただ、試験が受かったとしても家から通えるところがいいとは思っている。

「しっかし、当たり前だとはいえ、ヤロー共ばかりだな」

「大学はいいよな~。オンナがいる。オンナが」

「文学部だったら女子が多いだろ?」

「どっちかといえば、だけどな。あっ、そういえば山沖はどーなん? 年上の彼女!」

 一瞬誰のことだと思ったのだが、思い当たるのは一人しかいない。

「ああ、とっくに別れた。つーか、よく知ってたな。森山」

「高校のころから噂になってたぞ。おまえそんなことにも気づいてなかったのかよって……別れたぁ!?」

「彼女が留学したんでそれきりだな」

「んじゃ、新しい彼女は?」

「いまのところはフリーだよ」

「えー、もったいねー! おまえモテんのに!」

 森山は意外そうに言ったが、雅也と同じ教育学部の社会コースに在籍している笹川が首を傾げた。

「あれ? 山沖ってフリーだったの? サークルの後輩のあの超美人な子は?」

「美人!?」

 教育実習生たちの目の色が変わった。

「え、何、マジで美人なの?」

「写メある? 見せて!」

「んなもんねーよ!」

 本当に写メなんてない。

 盗み撮りしているヤツらは大勢いるらしいが、どうせならきちんとした形で撮らせてもらいたいものだ。

「俺あるよー」

「ささがわ!」

 なんでお前がそんなもの持ってる!

 笹川が取り出した携帯電話を雅也が取り上げようとする前に教生たちが取り囲んだ。

「うっわ、マジで可愛い! 綺麗!」

「アイドル顔負け」

「山沖の後輩なんだって?」

「なあ~、紹介してくれよ」

「ぜってーやだ! 笹川! おまえ、それどうやって手に入れた!」

 見せろと携帯電話を取り上げて画面を見た。

「え、本人に頼んだんだよ。撮らせてくれって」

「は!?」

 よく見ると麻里子はドレスを着ていた。察するに昨年のクリスマスパーティーのときのものだろう。

 隣には彼女の友人の中松朱莉の姿もあった。

「頼んだらわりと気軽に応じてくれたけど? 盗み撮りされるよりはって」

「な、なるほど……」

 本人たちが許可したのであれば、自分はどうこう言えない。

「どっちも可愛いな~」

「で? どっちが山沖の彼女だって?」

「だから彼女じゃねーって」

 それは本当だ。

「じゃあ紹介して!」

「嫌だって言ってんだろ」

 自分が手に入れるつもりなのだから。

 まるで高校時代に戻ったときのように騒いでいると、突然ドアが開いた

「こるぁーっ! おまえら何騒いどるか!」

「イワちゃん!」

 藤堂が怒鳴り込んできて教生たちの頭を小突いて回る。

「おまえら、一応成人したいい大人だろうが! 懐かしいからといって子どもみたいに騒ぐんじゃない! ほれ、さっさと体育館に行かんか!」

 

 教育実習第一週目はいろいろと疲れることばかりだった。

 特に放課後の部活が厳しい。

「山沖! 体力づくりはしてなかったのか!」

「してませんよ! そんな暇なかったですよ!」

 そう言ってしまったがために生徒たちと一緒に走りこみをやらされたのだ。

 何故いまごろになって高校生と同じことをしなければならないのか。

「俺も若くねえ…」

 ようやく練習が終って学校を出るとすでに日は傾き始めていた。

「センセー、何言ってんの? 俺らとそんなに年変わらないじゃん」

 柔道部の生徒の数人が帰り道で一緒になる。

「おまえら元気だなあ」

 さっきまで藤堂にしごかれてへばっていた奴らとは思えないほどピンピンしている。

「へっへー、回復力はあるんで」

「腹減ったな~。なんか食って帰るか」

「センセーのおごり?」

「牛丼一杯までならな」

「やったー!」

 最寄の牛丼屋に入ると皆で大盛りを注文する。

「おまえら大盛り……」

「だって一杯までならいいんでしょ?」

 まあいいか。それでも四、五人分くらいならしれている。

「先生、家に帰って飯作らないの?」

 生徒からタメ口をきかれているが、雅也はそれほど気にはしていない。

 塾のバイトをしている経験から、敬意をはらってくれているのはなんとなくわかる。

「時間があれば作るけどなー。今日はとにかく腹が減ったからだよ。家に帰ってからも食うよ、夜食」

「ご飯作ってくれるカノジョとかいないんだ?」

「いまのところはな」

「えー、先生モテそうなのに」

 教育実習初日に誰かが言ったことと同じようなことを言う。

 すると一人の生徒が言った。

「俺のねーちゃんがK大の二年なんだけど、先生のこと知ってたよ。彼女と別れたときなんて、後釜狙った女が告白するために行列作ったってホント?」

「マジで!?」

「センセーすげー!」

「いや、それは根も葉もない噂だって……なんでそんな噂が……」

「じゃあ、告白されまくってたってのは?」

「……」

「そっちはマジなんだ……」

「やっぱセンセーすげー」

 違った意味での尊敬の眼差しを受けて、雅也は視線を思いっきり逸らしたくなった。

 なんなんだ、この展開は。

 すると生徒がはいはいっと手を挙げた。

「先生! 彼女を作るためにはどうしたらいいですか!」

「どうしたらって言われてもな」

 雅也は苦笑せざるをえない。

 自分から女性に寄っていくのではなく、向こうから近づいてくるのだから。

「それはともかく、おまえら好きな子いるのか?」

「……それ以前の問題だった!」

「そもそも女の子との出会いがないよな……」

「ま、まあ、今は気にするな! 大学までいけば女子学生もいるから! な!」

 なんで自分が生徒を励まさなくてはならないのか。

 先生だから当たり前か。

 励ましてもらいたいのはこっちだ。

 というのも先日、楢崎経由で麻里子が今年入学してきた一年生に告白されたというのを聞いたからだ。

 自分が「福天堂」を離れてからはそういうことが頻繁に起こっているらしいので気が気ではないのだった。

 

 

 

読んでいただきまして、ありがとうございます。

「Close to You」の男性視点のお話です。

サイトに掲載していたものを改稿でき次第UPしています。

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