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第六話 師は走る季節

 

 

 

 二次会は例年通りのカラオケだった。

 大人数なので一番広い大部屋を予約しておいたのだ。

「これで山沖の仕事も終わりだなー」

 歌い終わった楢崎が雅也の隣に座った。

「これで少しは楽になるだろ」

「雅也、あなたもしかしてバイトもずっと続けてるの?」

 楢崎の反対隣に座っていた小塚沙織がまさかというように訊いてきた。

「ああ、やってるよ。おかげで忙しくてね」

「大丈夫なの? さっきも訊いたけど、お母さまの具合は?」

「今はなんとかね。通院治療を続けてるよ」

「あの、訊いてもいいですか?」

 いつの間に座っていたのだろうか。中松が向かい側に座っていた。

 心なしか目つきが鋭い。

 睨まれているような気がするのは何故だろうか。

「山沖先輩のお母さん、どうかしたんですか?」

「ちょっとな……」

 中松に喋ったら麻里子にまで筒抜けになるはずだ。彼女には気を遣わせたくないのだが。

「雅也のお母さまは何年も前から病気なのよ。だから、あなたたちもあまり彼に迷惑かけないでちょうだいね」

「おいっ!」

 小塚沙織が中松に向けて高飛車に言った。何故、彼女がそんなことを言わねばならないのだ。

 案の定、中松は面食らったような顔をして、だんだんと形相が変わってきた。

 怒っている。たぶん。

「なんであんたにそんなこと言われなきゃなんないのよっ!」

 とでも言いたいはずだ。相手が見知らぬ先輩だからこらえているに違いない。

「ホントですか? その話」

 なんとか怒りを鎮めたらしい中松は雅也に訊いてきた。

「ホントだよ。もう何年もずっと治療を続けてる」

「治療費もずいぶんとかかるから山沖はバイトを続けなきゃならないんだよ」

「楢崎っ、余計なことは言うな!」

 友人の襟首を掴むと低い声で言った。

「おまえらももう気にするなよ。あんまり気を遣われるとやりにくくてしょうがない」

 苦笑いして周りで聞いていた後輩に言うと、彼らも神妙な顔をして頷いた。

 どうにもその場にいづらくなって、気持ちを切り替えるためにトイレに立つ。

 用を済ませてトイレから出てきたところへ小塚沙織が待ち構えていた。

「何か用ですか。先輩」

「先輩だなんてつれないわね」

 小塚沙織は手を伸ばして腕に触れてきた。

「もう二年近くになるわね。彼女はできた?」

「それが先輩に関係あることなんですか?」

 もう関係がないからどうでもいいと言ったら冷たく聞こえるかもしれないが、小塚沙織とのことは本当に過去のことになってしまった。

 やましい気持ちも後ろめたい気持ちもない。懐かしいというのともちょっと違う。何も感じないのだ。本当に。

 けれど、「今」は誰にも誤解されたくないのだ。

「いないの? あなたはモテるからとっくに恋人でもいるのかと思ってた」

「忙しいから誰の相手もしてられないよ」

 触れてくる手をさりげなくはずす。

「あらそう? あの頃は来るもの拒まずだったじゃない。私以外にも何人かいたでしょ? あなた上手だったもの。あなたに夢中になってた子もみんな切り捨てたの?」

「だったら悪いか?」

 廊下に並んでいるカラオケルームからは歌声や騒ぎが漏れ聞こえている。

 誰もいないだろうと思っていた廊下の陰に誰かいる気配がする。

 このまま喋り続けえて聞かれるのもまずいかとも思ったのだが、どうやら聞き耳をたてられているようだ。

 ならば聞かれても構うものか。

「あなたに会いたかったのよ。このあとは解散でしょう? どこかへ」

「やめろって」

 押し付けてくる体を無理矢理離す。

 むせるような香水の香りに顔をしかめた。別れる前に使っていたものとは違う。

 麻里子も香水をつけているようだったが、ずっと控えめでほんのりと柔らかで甘い香りがした。吸い込むとスッとするような香りがとても好みだった。

 ダメだな。

 と自嘲するように笑う。

 近づいてくる女性すべてを麻里子と比べてしまう。

「会いたかったっていうなら、なんで帰国してすぐに会いに来なかった? 悪いけど、俺はあんたとヨリを戻すつもりはないんだ。こう言ったら悪いとは思うけど、あんたとのことはあのときで終ったと思ってる。今は本気で好きな子がいるんだ。その子に誤解されるようなことは何一つしたくない」

 距離をおいて正面から向かい合うと、小塚沙織は呆気にとられた顔で雅也を見つめた。

 そして口元を歪めて笑う。

「あなた、本当に変わったわね。ううん……本来のあなたに戻ったのかもね。あの頃はいつもどうでもよさそうな顔をして、投げやりに生きてた感じだったもの。いいわ、別に。私も本気で誘ったわけじゃないのよ」

 負け惜しみともいえるような台詞だったが、可笑しそうに笑うので本気かどうかわからない。

 彼女は踵を返して出口へと向かった。

「帰るわ。私がいるとお邪魔でしょうしね」

「そんなことは」

「あるでしょ? 三沢さんたちがピリピリしてるもの」

 三年女子によく思われていないということはわかっているのか。

「ああそうだ。これ、私の携帯の番号よ。用でもあれば電話ちょうだい。あなたったら番号まで変えたのね。それじゃ、またね」

 軽やかに笑って去っていく細身の後ろ姿を見送ると、そのまま壁に背中を預けた。

 彼女が現れたとき、どうなることかと思ったがこれで終ったと思っていいのだろうか。

 背後の気配を窺うと、もうそこには誰もいないようだった。

(中松……か?)

 面識はないはずなのに、何故か小塚沙織を意識しているというか目の敵にしているようだった。

 生理的に好かないということかもしれない。

 あの二人は性格的に合わないだろうとは思うけれど。

 

 

 私立中学の受験まで二ヶ月をきった十二月初旬。

 夜遅くまで受験生達の勉強をみてやっていると、必然的に帰りが遅くなる。

 それでもサークル活動をしていないだけは体力的にも精神的にも余裕があった。

「マーくん、お姉ちゃんの具合はどう?」

 帰り支度をしていると、叔母の由紀がやってきた。

「……あんまり、よくない」

 年々体力が衰えてきている梨津は、麻里子が家にやってきている間は気持ち的にも張り合いがでてきていたのかとても元気だった。

 しかし先月にちょっと風邪をひいてしまって、体調を崩してしまった。

 投薬治療を続けている身では普通の風邪の治療が受けられない。

 しばらく入院して治療を受け、医師の許可を得て退院してきたのだ。

 新しい翻訳の仕事があるというので、それを受けたためだ。

「しばらく仕事しなくていいって言ったんだけど……」

「お姉ちゃんが聞くわけないわよね」

 自宅でもベッドの上でパソコン画面を睨んでいる。

 夜遅くまで仕事はしないように見張っておかないと根を詰めてしまうだろう。

 それではちっともよくならないというのに。

 否、これ以上はよくはならない。病気の進行を食い止めているだけで、むしろ症状が悪化してしまうかもしれないことを心配している。

 しかし、あまりにも元気に過ごしている母を見ていると、もしかしたらこのまま治ってしまうのではないかと錯覚を起こしそうになるのだ。

「私も様子を見に行くから、マーくんも注意しておいてね」

「うん、わかってる」

 最近では母が車を使わないので、もっぱら雅也がバイトに行くために使用している。電車の乗り継ぎの必要もないので時間短縮できていいのだ。

 玄関のドアを開けるとふと眉をひそめた。

 梨津は雅也が何時に帰ろうとも、玄関と居間の灯りは点けたままにしている。たとえ自分が先に寝てしまったとしてもだ。

 不安にかられた雅也は灯りを点けるのもそこそこに母の寝室のドアを軽くノックする。

「母さん?」

 そっとドアを開けると、暗くなった寝室の奥で人の息づかいが聞こえた。

 少し荒く、不規則な感じがしたので慌てて近寄る。

「母さん」

 寝ているものを無理矢理起こすのは忍びなかったが、軽く肩を揺すっただけで梨津は身じろぎした。

「あら、マーちゃん、帰ったの?」

 無理矢理にでも出した声はとても辛そうだ。

「具合悪いのか? 今からでも病院に……」

「大丈夫、大丈夫。ちょっと眩暈がしたから寝てただけよ」

「何が大丈夫だよ。いつから寝てたのか知らないけど……」

「え、今何時?」

「十一時回ったとこだよ。夜の」

「晩御飯……」

「いいって、もう遅いから何か軽く食べたらすぐ寝るから。明日、病院に行くからな」

 大人しく寝ていろと言い置いて部屋を出る。

 台所に入って冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスで飲み干すとようやく一息ついた。

 シンクの縁を力任せに握りしめる。

 落ち着けと自分に言い聞かせて大きく深呼吸した。

 完治はしない。ただ進行を遅らせているだけと医師にも言われているし、それは母も知っている。

 とっくに覚悟はできている。

 それでもやはり、少しでも長くと思ってしまうのだ。

 

 

 翌日になって母を病院に連れていったが、結局入院することになってしまった。

 検査入院とはいっているが、相当に悪いらしかった。

 そんなある日、麻里子から電話がかかった。

 自分の邪魔をしないようにと気遣ってか、あまり電話をかけてこないのにどうしたのだろうか。

『先輩がお忙しいのはわかっているんですが、クリスマスパーティーに来られませんか?』

「イブだろ? ……」

 部屋のカレンダーをチェックしたが、その日はバイトが入っていた。受験生の勉強に付き合う予定なので、バイトが終るころにはクリスマスパーティーは終っているはずだ。

「悪い。その日はちょっと……」

『そ、そうですか! そうですよね。クリスマスですから、ご予定くらいありますよね。余計なこと訊いてすみませんでした!』

 その言葉にぎょっとする。

 何か勘違いしているようだ。

 勘違いして当然かもしれないが、この場合は困る。

「おい」

 説明しようとしたのだが、電話を切られてしまった。

 こちらからかけなおすと、電源をオフにされたらしく全然通じない。

「くそ」

 絶対に誤解されたくない。

 手早くメールを送ると腹立ちまぎれに電話をベッドに放り投げた。

 

 

読んでいただきまして、ありがとうございます。

折り返し地点を過ぎました。

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