第二話 再会
また楢崎か――
雅也の中学時代からの友人、楢崎圭一は明るくて人懐っこいので誰にでも気後れせずに話しかける。
だからサークルの勧誘をまかせていたのだが、楢崎はとにかく女にだらしない。
女好きと言うと聞こえが悪いがその通りなので否定しようがない。それでいて性格が優しいものだから、相手が自分に気がないようだったらあっさりと引いてしまえる潔さも持ち合わせている。だからこそ友人として付き合えるのだが、サークルの勧誘においては別だ。
女ばかり誘うな!
男子学生が入ってくれなかったらどうするのだ。女子学生が必要ないわけではないが、力仕事をこなしてくれる男子学生は必要だ。
一応、二、三年生の綺麗どころに頼んで勧誘の手伝いを頼んでおいて正解だったと思う。
おかげでいままでに勧誘できた新入学生の男女比は半々だ。
しかしまた雅也の視線の先で楢崎の悪い癖が出ている。
だからそこで肩に手を回したりするから相手が引くんだって。
後ろ姿でもわかるほっそりとした肢体が、今にも離れたいというように体を離そうとしている。
親しい間柄ならともかく、今それをやるべきではないだろう。
サークルに入ってくれるかもしれない新入学生を逃さないためにもここは割って入らなければ――
「おい、いいかげんにしろよ」
ここは一つ注意せねばなるまい。楢崎とは中学からの付き合いだが、こういうときに彼に厳しく言えるのは自分だけだ。
「ちょっと目を離すとすぐこれだ」
「な、なんだよ。サークル部員の勧誘してただけだろ?」
「勧誘はしろと言ったけど、ナンパしろとは言ってない」
これで女子学生が逃げたらどうしてくれる。そのときは絶対にお説教だと思っていると、言い争いをはじめたと思われたのか、二人にはさまれた女子学生が戸惑った声をあげた。
「あ、あのぅ…」
その声はとても柔らかで耳障りがよかった。
愛想よく笑って、楢崎の馴れ馴れしさを謝って、そこから勧誘に入らねば。
そう思って見下ろした女子学生の顔を見て心臓が止まるかと思った。
あの子だ!
約二年半前、大雨の日に出会ったあの少女だった。
彼女を見たのはあの日きり。
なのに、絶対に彼女が【彼女】だと信じて疑わなかった。
顔もほぼ忘れかけていると思っていたのだが、一目見ただけでわかった。
「ごめんごめん」
向こうはこちらを憶えていないのか、明らかに初対面と思われるような反応に、それならそれでいいと思い愛想よく笑った。
どうやら彼女は「福天堂」の活動に興味を持ったらしい。
これは儲けものだと思いつつ名前を名乗ると彼女も名乗った。
「あ、私は商学部の瀬川麻里子です」
「瀬川、麻里子さん、ね。商学部かぁ、楢崎と同じ学部だな」
名前を聞いて軽い失望を味わった。
あの指輪に刻まれた刻印は「K to S」だ。
彼女のファーストネームのイニシャルはKでもなければ、Sでもなかった。
あの指輪は彼女のものではなかったのだ。
しかし、失望と同時に淡い期待も生まれる。
彼女にアクセサリーを贈れるような異性がそばにいないのかもしれない。
サッと両手の指や手首、首元なども見たが、アクセサリーの類は一切つけていない。指にも跡が残っていないことも確認した。
だが、これだけの美少女だ。男どもが放っておかないのではないだろうか。
実際、楢崎も目をつけたではないか。
内心焦りを抱いたが、ここでいきなりアプローチするわけにもいかない。楢崎と同じような真似をしては、自分まで同類と思われてしまう。
ここはあくまでも普通にサークルの先輩として接しなくては。
来週開かれるオリエンテーションや連絡先の説明などを終えると、先日パソコンで作成した名刺を渡す。
「じゃあこれ、俺のサークル用の名刺。何か聞きたいこととかあったらこの番号に電話かメールして」
「えっ、代表?」
名刺を見た彼女はびっくりした声をあげる。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「そういえば言ってなかったな」
「そうね」
勧誘した新入学生たちに同じような説明をしていると、すでに相手がわかっているものと思い込んでしまう。
「その携帯番号はサークル専用の電話にかかるようになってる。俺個人のは別にあるから、もしも知りたくなったら俺に直接訊いて」
「はい、わかりました………えっ!?」
そう言えば彼女は訊いてくるだろうか。ちょっとした期待をこめて言ってみたのだが、彼女の表情がおかしくてつい吹きだしてしまった。
ずいぶんと初々しい反応をするものだ。もしかして、男性に言い寄られたこともないのかもしれない。
夕方になってサークル棟の部室に戻るとパソコンに新入学生のデータを打ち込む。
今日だけなら人数が揃っているが、果たして来週のオリエンテーションに何人が来るだろうか。
「はいよ、山沖」
「おう、サンキュ」
部屋に置いてあるコーヒーの入ったマグカップが置かれる。
楢崎は雅也の斜め前に座ると手に持ったマグカップに口をつけた。
「今年はなかなかいい子たちがいたな~」
「楢崎くんが言うのは可愛い女の子でしょうが」
三年の女子の中でも一番サバサバした性格の三沢が呆れたように言った。
「見た目もだけど、性格もよさそうだったぜ。特にあの子!」
雅也は内心ギクリとした。まさか楢崎まで目をつけたというのか。
「ナカマツアカリちゃんだっけ? 明るくてハキハキ喋るし、感じのいい子だっただろ?」
「ああ、あの子ね~。ああいう子が一人はいるといいのよね。でも、楢崎くんならもう一人の子のほうを選ぶかと思ったわ」
「セガワマリコちゃん? う~ん、あの子も美人だし、性格もよさそうだけどなぁ…。なんか、俺のこと嫌がってたっぽいじゃん。傷つくんだよな~、ああいうの」
「何言ってんだ。あのときも言っただろ? 初対面で馴れ馴れしくするなよ。ヘタすりゃ痴漢行為だぞ」
思わずムッとして口に出してしまった。
すると楢崎はまじまじと山沖を見つめると納得したように頷いた。
「なるほど、やっぱりな」
「は? なにがやっぱりって?」
「山沖って、あの子が直球ど真ん中だよな」
「それってどういう意味?」
三沢が興味津々な顔つきで身を乗り出す。
今、部室内はこの三人しかいない。
楢崎は中学から、三沢は大学入学以来親しくしているが、楢崎が言い出しそうなことが予想できたので内心で焦った。
「変だとは思ってたんだよ。山沖の好みのタイプって絶対に小塚先輩みたいなのじゃないって思ってたのに付き合ってたからさ。セガワマリコちゃんて、モロに山沖の好みのタイプじゃん。清楚で可憐で真面目そうでさ、遊びなんかじゃ絶対に男と付き合わないぜ、あの子は」
「そう、か? 別に好みなんて」
自分の好みなんて考えたこともなかったのだが。
「ダテに長く付き合ってないよ、おまえとは。おまえだってそうだろ?」
「まあそうだけど」
「へぇ~、山沖くんも美人には弱いのか~。ね、ね、協力してあげようか?」
三沢が面白そうな顔をして訊いてきた。
「やめてくれ」
本気で嫌そうな顔になる。
「そりゃまあ好みなのかもしれないけど、それだけでどうこうしようなんて思ってないからな。それに俺はいまはそれどころじゃないし」
「…そうだったね。ごめん」
「就職決まって、無事に大学を卒業できたら考えるよ。それまで時間がとれそうにないから当分は独りでいるさ。別に困らないからな」
「うわー、やだねーっ。なんだよ、この余裕っぷり。大学卒業したら手に入れますって言ってるようなもんじゃん」
「そういうつもりで言ったんじゃない。ったく…おまえらに付き合ってたら、いつまでたっても終らない。俺はこのあとバイトなんだからな」
塾の講師のバイトを始めて二年が過ぎた。小さな塾だが個人指導がウリで、経営者が叔母ということもあり、時間の融通がきくので助かっていた。
「じゃあ、私たちは資料づくりしておくね。正式に入部してもらう子に記入してもらう申込書はどうする?」
「昨年のがあっただろ。どうせ書く内容は同じなんだし、コピーすればいいじゃん」
楢崎は申込書の原稿を見つけるとドアに手をかけた。
「ちょっとコピーしてくるわ」
「はいよ~、いってらっしゃい」
こういうときにフットワークが軽いのが楢崎だ。自分が指示する前に自分から動いてくれるので、山沖にとっていちいち指示しなくてすむ相手なので気が楽なのだ。
「よし、終わり」
パソコンの電源を落とすと鞄に入れた。
「山沖くん、もう帰っていいよ。あとは私と楢崎くんとでやっておくから」
「悪いな」
「いいっていいって! あと半年だもんね、それまでは私たちができるだけフォローするから、山沖くんには頑張ってもらわないと」
「ありがとな。じゃあお先に」
「おつかれ~」
サークル棟を出ると裏門へと向かう。
自宅へはそちらが近いので一旦荷物を置いてからバイト先に向かった。
午後十時過ぎには帰宅できた。
昨年担当していた中学一、二年生たちが進級したのに合わせて今年も同じ生徒たちを担当することになった。子どもたちの中には大喜びしているものもいたので、そう思ってもらえるのは嬉しいことだと思う。
風呂にも入り、ベッドに寝転がると今日の出来事を思い出す。
まさか大学で再会できるとは思ってもいなかった。
いま思い返しても、一目見ただけでよく【彼女】だとわかったものだと思う。
机の引き出しからあのときの指輪を取り出す。
どう見ても内側に彫られた刻印のイニシャルと彼女のイニシャルは違う。
「やっぱり…違うのか?」
持っている意味もないはずの指輪。
もう二年半も前のことだ。落とし主だって諦めているだろう。
彼女のものでないのなら、持っていたってしょうがない。
捨ててしまおうかと思ってしまう。
なのに。
再び机の引き出しにしまった。