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後日談その一 お引越し

 


 

「ありがとうございましたー」

 コンビニを出るとはす向かいにある新築のマンションを見上げた。

「あの一番上か」

 雅也は片手をポケットに突っ込んで歩き出した。

 確かに近い。問答無用の近さだ。

 麻里子が引っ越すと聞いたときには驚いたが、こうして近くに住んでくれるのは嬉しい。それだけ会う時間が長くとれるし、ほかにもいろいろと都合がいい。

 マンション入口のドアは開け放されていた。オートロックだということだが、今日だけは開放されているようだ。

 引越し業者のトラックが数台止まっている。

 いくつかの家族がすでにこのマンションに入っているのだろう。

 とにかく一番上の部屋だということなので、そのままエントランスに入りエレベーターに乗り込む。

 外から見たときには十一階建てのように見えたが、エレベーターのボタンは十階までしかない。とりあえず十階のボタンを押した。

 エレベーターを降りると目を丸くする。

 ファミリータイプの賃貸マンションだということだが、各階三世帯は入れるようになっているようなのに、この階だけは二部屋になっていた。それだけ広くとられているのだろうが、これはやはり家主だからだろうか。

 ドアがそのまま開放されていて、廊下にはダンボールなどが置かれていた。おそらくここなのだろう。

 そう思っていると、よちよち歩きの幼児が廊下に出てきた。

「あ」

 思わず声が出る。すると幼児もこちらに気がついたらしく目をまん丸にした。

 まっすぐな薄い茶色の髪に天使の輪ができている。肌の色は白く、目が大きくて黒目がちだった。

 可愛い男の子だ。男の子のはずだ。あまりにも可愛らしいので女の子のようにも見えるが、着ている服は男の子用だ。

「あ、えーと…」

 瀬川家の子だろうが、理一郎の子だろうか。

 まさか彼らも来ているというのか。

(そんなの聞いてないぞ)

 冷や汗が出てくる。

 正式に付き合い始めてまだ一ヶ月と経っていない。

 麻里子は理一郎たちに報告をしているのだろうか。いきなり行って邪魔者扱いはごめん被りたい。いやむしろそれよりも恐ろしいことが待っていたらどうしようか。

 幼児に話しかけても話は通じるのだろうか。いや、理解できないだろう。

「たーたんっ!」

 どうしたものかと思っていると、幼児は部屋の中へ向けて何か言った。

「たーたんっ」

「たつきー? こらっ、おまえは裸足で外へ出るなっておとうさんはいっ……」

 部屋の中から出てきた青年は幼児に向けて怒りながら抱き上げ、こちらに気づいた。

 見覚えのある顔だ。

「……?」

「あ、こんにちは……」

「あ、ああー! 山沖くん!」

「はい」

 麻里子の従兄、拓海に名前で呼ばれて目を瞬かせた。やっぱり麻里子が話したのだろうか。

「一度会ってるけど、初めましてのほうがいいのかな? 俺は坂崎拓海。麻里子の従兄」

「坂崎……? 理一郎さんの弟さんじゃ……?」

「ああ、俺は婿養子。嫁さんの家に入ってんだ」

「そうなんですか」

 瀬川本家の跡取りは理一郎で決まりなのだろう。拓海は次男だから妻の家に入っても問題はないのだろうが。

「この子は俺の長男の達樹たつき。歩き回るようになったらジッとしてなくてね」

 拓海はそう言って息子の足を軽く払った。

「ま、廊下もそんなに汚れてないから大丈夫だろ」

 意外とアバウトだ。神経質そうな理一郎と比べると、弟という立場なだけにおおらかな性格なのかもしれない。

「さあ、どうぞどうぞ、主は俺じゃないけど、麻里子はお待ちかねじゃないかな」

 やはりバレているようだ。拓海はそれほど気にしていないようだが、理一郎のほうはどうなのだろうか。

 部屋の中に入ると、ずいぶんと広いことに気づいた。

「メゾネットになってるんですね」

 マンションの中だというのに、その部屋の中にさらに階段があって、階上と階下に部屋が分かれていた。

「家主の特権ってやつ? つい棲家すみかだからな。広めに作ってあるんだよ」

 拓海は息子を抱いたまま階段の上に向けて言った。

「おーい、麻里子ー」


  

  ◇ ◇ ◇

 

 

 いい天気だ。

 窓を開けていると少し冷たい空気が部屋の中に入ってくるが、春の暖かい陽射しのおかげで寒いとは思わない。

 麻里子は服の入った衣装ケースをクローゼットに入れた。

 真新しい木の香りがするこの部屋が、これから麻里子が生活する場だ。

 部屋の向かい側には弟の部屋がある。

 先ほどからなにやら従兄と問答しているようだ。

「おーい、麻里子ー」

 階下から声が自分を呼ぶ声が聞こえて廊下に出た。

「何、拓海兄さん」

 和佐名義となっているこのマンションの最上階の部屋は、麻里子と和佐の新しい家だ。

 この最上階部分だけはメゾネット形式になっていて、上の階は麻里子と和佐の部屋ともう一つ空き部屋がある。

 下の階では、従兄夫婦たちがキッチンやリビングに生活用品を片づけていた。

 呼ばれて降りると、息子を抱えた拓海がニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべていた。

「お待ちかねのお客さんだぞ」

「あっ……いらっしゃい」

 恋人になりたての彼氏、山沖雅也が所在なげに立っていた。

 手にはコンビニの袋を持っている。

 今日は引越しの手伝いをしに来てくれることになっていたのだ。

「おう……これ、差し入れっていうか……よかった。大きいペットボトル買ってきて。あとジュース……」

 とウーロン茶とオレンジジュースのペットボトルが入っている袋を差し出した。

「ありがとうございます。冷蔵庫、もう大丈夫かな……」

「大丈夫よ。もう冷えてるから」

 台所から桜子が姿を見せた。

「いらっしゃい。山沖さん」

「こんにちは、お久しぶりです」

「ええ、本当に」

「すみません。お邪魔してしまって……手伝うつもりで来たんですけど、必要なかったみたいですね」

 そう言って雅也は周囲を見回した。

 ほとんど片づけられている家の中はダンボールの空き箱が置いてあるだけだ。

「最近は引越し業者がほとんどやってくれるからな。俺たちがやらなきゃいけないのは買ってきた生活用品を片づけることくらいだよ」

 拓海が笑いながら言った。

「それにね、お邪魔したのはこっちなのよ」

 桜子が口に手を当ててクスクスと笑う。

「マリちゃんに聞いたの。山沖さんが手伝いに来てくれるって。だったら私達も行かなきゃってことになったのよね、拓海くん」

「そうそう、ここは俺たちも挨拶しておかなきゃって思ってさ。みつかー? おーい、光佳!」

「なあに? そんなに大声で呼ばないでよ」

 台所とは反対方向の洗面所のほうから声が聞こえて、美女が現れた。

「あ、ら……お客様……? ああ!」

 化粧はしていないようなのに、目鼻立ちのはっきりした美人はポンと手を打った。

「山沖さんね!」

「こんにちは、はじめまして」

「はじめまして。拓海の妻の光佳です。山沖さんのことはマリちゃんから聞いてますよ」

「あ、そうですか」

「あのう、そのあたりでもう……」

 何を喋っているのかと山沖に目で問われて、麻里子は顔から火が出そうだった。

「はいはい、このあたりでやめておきましょうか」

 桜子と光佳は顔を見合わせて笑う。

「もしかして、理一郎さんは仕事ですか?」

 桜子や拓海夫妻がいるのに、彼だけ姿が見えないので不思議に思ったのだろう。

 雅也が訊ねると拓海が階上を見た。

「和佐の部屋にいるんだろう。兄貴ー?」

 拓海が呼ぶとパタパタと軽い足音が聞こえた。

 そこへ現れたのは四、五歳の男の子だった。

 くりくりとした大きな目が可愛らしい。

「あ、あの子は理一郎兄さんの長男の悠一郎ちゃんです」

「ゆう、お父さんはどうした?」

「おとうさんは和にいとケンカしてる」

「喧嘩?」

「穏やかじゃないな」

 拓海が顔をしかめると、光佳に抱いていた息子を預けて階段をあがった。それに麻里子と雅也もついていく。

「俺はこっちのがいいんだって!」

「何やってんだ?」

 拓海が部屋に入っていくと、腕組みをした理一郎がムスリとした顔を向けた。

「和佐が言うことを聞かないんだ……ああ、山沖くん、来たのか」

「こんにちは、お久しぶりです」

「お兄さん!」

 従兄に対して喧嘩腰だった和佐の顔がパッと変わった。

「よお、久しぶり」

 軽く手をあげて答えた雅也に和佐が嬉しそうに言った。

「びっくりした! 今日はどうして……あ、姉ちゃんの様子がどうもおかしいと思ったら!」

 和佐は麻里子を見るとニヤリと笑った。

「そっかあ、やっぱりお兄さんと付き合うようになったんだ!」

「うん、まあそうなんだけどな。さっきから何を揉めてるんです?」

 最後の問いが丁寧なのは理一郎に向けて訊いているからだ。

「たいしたことじゃない。テレビゲームをここに置こうとしてるからやめさせようと……」

「でもリビングに置くと姉ちゃんがテレビを見れないじゃん」

「ハードはどこにでも持っていけるんだから、無理にここじゃなくてもいいだろう?」

 雅也はポンと和佐の頭を叩いた。

「それに、これからはここで姉さんと二人きりで暮らすんじゃないのか? だったら、あんまり一人で部屋に閉じこもるのはやめろよ」

「あ……」

 ふと思い出す。両親が生きていたころは、麻里子も和佐も母がいるリビングにいつもいたものだ。伯父の家では個々に部屋を与えられていたし、来客も多かったこともあって自室に引っ込んでいることが多かったのでそれに慣れてしまっていた。

「それに、向こうのテレビのほうが画面でかかっただろ? あっちの大画面でやると迫力ありそうだよなあ!」

「そうだよね! お兄さん、あとで対戦やろうよ!」

「お、いいぞー。だけど」

 雅也はもう一度和佐の頭を叩いた。

「ちゃんと片づけが終ってからな」

「やったー!」

 テキパキと部屋を片づけ始めた和佐を見て、理一郎は感心したように頷いた。

「お見事。うまいもんだ」

「俺たちが言うと、どうしても親目線でモノ言っちまうからな」

 部屋の片づけは和佐自身にやらせることにして廊下へと出る。

 拓海は肩をすくめる。

「和佐は俺が高校一年のときに生まれたから年が離れてるし、叔父さんたちが仕事で忙しかったからうちで預かることも多くてね。俺と兄貴が二人の面倒を見てたんだけど、和佐は男なだけになにかと厳しくしてたもんだから」

 階下へ降りると桜子が待ち構えていた。

「はーい、男の人たちには力仕事が待ってますよ」

「ダンボールを下のゴミ置き場まで持っていってくれる?」

「ああ、それくらいは俺がやりますよ」

 雅也が頷いてたたまれたダンボールを手早くまとめていく。

 いくつかロープでくくると玄関へと運ぶ。

 それを追って麻里子がついていくと、雅也は両脇にダンボールを抱えて振り返った。

「麻里子」

「はい」

「まとめたやつをここまで持ってきておいてくれるか。そのほうが手っ取り早い」

「はい」

 リビングまで戻ると桜子と光佳が顔を見合わせて笑った。

「ふふふ、山沖さんたら、『麻里子』だって」

 頬が熱くなる。以前からそう呼んでいるように「麻里子」と呼ぶようになった雅也に対して、麻里子はなかなか名前を呼べない。雅也は呼び捨てでいいというのだが、桜子や光佳が「理一郎さん」、「拓海さん」と呼ぶのを聞いていると、なんだかそういう呼び方に憧れてしまう。

 

 雅也がダンボールをすべてゴミ置き場に置いてもどってくると、理一郎たちが顔をつきあわせて相談事をしていた。

「達樹がまだ小さいからファミレスには行きづらいんだけど…」

「そうだな。その辺のコンビニかスーパーで弁当とか惣菜買ってくるか」

「麻里子、昼飯か?」

「あ、はい。食べに出たほうがいいんでしょうけど、たっちゃんがいるから…」

「ああ、じゃあすぐそこにスーパーがあるからそこで何か見繕って買ってきますよ。あそこの惣菜はなかなか美味いんで」

 雅也が言うと、理一郎が眉根を寄せた。

「この辺にずいぶんと詳しいな。大学の裏側になるからそんなに用事があるとは思えないが」

「買い物によく行くんですよ。晩飯作るのが面倒なときは便利なんです。」

「は!?」

「ああ、そういえば、大学の近くに住んでるって前に聞いたな……すっかり忘れてた」

 眉を跳ね上げた拓海とは反対に、理一郎は顎をつまんで思い出したように言った。

「ちょっ……兄貴! そういうことは忘れんなよ!」

「そうは言ってもな、彼は昔から住んでるんだし、後から越してきたのはこっちだからどうしようもない」

「そりゃそうだが……」

 拓海は面白くなさそうな顔をして雅也を見た。

 悪いことをしたわけでもないのに首をすくめる。

「で、君の家はどのあたりだ?」

「はぁ……それが……」

 ベランダに出て、そこから見える分譲マンションを指差す。ワンブロック先の、築十年は経っているであろうマンションはどうみても新社会人が賃貸で住めるようなマンションではない。

「麻里子、本当だろうな?」

「ほ、本当よ。亡くなられたお母さまと一緒に住んでて…」

「そうか、それはもうどうしようもないな」

 麻里子だって驚いたのだ。

 伯父はとっくに知っていたはずだ。彼の住所は教育実習の書類を見ればすぐにわかっただろう。

 しかし、そのときにはすでに土地の購入は終っていたのだから、どうすることもできなかったのだろうが。

「えーっ! じゃあ、お兄さんが遊びに来るのって簡単じゃん!」

 和佐が嬉しそうに言った。

「よかったね、姉ちゃん!」

「え、あ、えと」

 居たたまれないほど頬が赤くなった麻里子は顔を俯かせた。

 なんとなく雅也の後ろに隠れてしまう。

 チラリと彼の様子を窺うと、麻里子を見返して気まずそうな表情を見せたが、すぐに気を取り直したように肩をすくめた。

「そうだ。お兄さん、今日は泊まっていったら?」

「は!?」

 その場の全員が和佐の言葉に反応した。

「ちょっ! 和佐、何を言い出すの!?」

「えー? だって姉ちゃんはお兄さんと付き合ってるんでしょ? 別にいいじゃん」

 和佐はケロリとした顔で言う。もうすぐ中学生になる和佐だが、素直というか天然すぎるところがある。

「そしたらさ、遅くまでゲームできるよね!」

 なんだ。目的はそれか。

 その理由には全員が納得した。

 なにしろ、伯父の家ではテレビゲームをする人が他にいなかった。友人以外に相手をしてもらえる人ができて嬉しいのだろう。

 それが姉の恋人で、自分も気に入っている人物ならなおさらだ。

「あのさ、家が近いんだから別に泊まらなくても…」

 殺気立ちそうな理一郎と拓海の顔色を窺いながら雅也は諭すように言う。

「それじゃあ徹ゲーできないじゃない」

「和佐、ゲームばかりやって、勉強は……」

「やってるよぉ! りーち兄だって知ってるじゃん」

 K大付属の中学にもちゃんと合格した。それからも毎日勉強は続けている。やるべきことはやっていると言われたら、和佐のわがままを聞いてやってもいいかという気分になる。

「兄貴、和佐自身が言ってるんだからいいんじゃないか?」

「おまえはアバウトすぎる」

 ため息をついた理一郎は雅也を見た。

「山沖くん、和佐のわがままにつきあってやってくれないか? 和佐がここまで懐くのも珍しいから」

「俺は別に構いませんけど……、麻里子は?」

 雅也は麻里子をチラリと見た。

「え? あの、私はセンパ……ま、雅也さんと和佐がいいなら……」

 ドキドキする。付き合い始めてまだ一ヶ月と経っていないのに、もうお泊り成立だ。

 といっても、和佐の客としてだが。

 それに、和佐がいるのだから何かが起ころうはずもない。おそらく、雅也もそのつもりだろう。

 そう思うとちょっとだけ複雑な気分になるのだった。

 

 

 

読んでいただきまして、ありがとうございます。

もう一話続きますのでお付き合いください。

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