第26話 雨音
「って、待った! 幾らなんでも酷くないか? 人にコイツ等ふん縛るよう命令しといて、自分たちは妙ちくりんな雰囲気で帰るなんて!」
突然降って湧いた情けない響きが語る内容に、泉は直前の状況を思い出して青くなった。すっぱりさっぱり忘れていたが、この路地裏には伸された三人と伸した人狼が一人いたのだ。
だというのに、妙ちくりんな雰囲気と称されても仕方ない、肩を抱かれた己を傍目で思えば、今度は恥ずかしさから赤くなる。自覚した分、痛みを忘れて黒一色の男から離れようとしても、いつもは面白いくらい弱々しい腕は、逆に泉の身を守るよう引き寄せてきた。
「……ちっ」
あからさまな舌打ちがへらりと笑う口から発せられ、泉の目が大きく開いた。
そんな泉に気づいた様子もないワーズは、泉の身を労わり抱く力はそのままに、彼女からは窺い知れないほど顔を後方へ背けて毒づく。
「うるさいな。元はといえば、お前の種族のせいだろう、ラン・ホングス。それとも己の種を嫌悪するあまり、自分の正体も見失ったって? この、見掛け倒しが」
「み、見掛け倒し……人が気にしてることをよくも抜け抜けと」
確かに声だけ聞いたなら冴えない顔のランのモノだが、泉がちらりと黒い服の影から覗いた姿は、凶悪な面構えの人狼そのもの。
「…………あのぉ……」
「何!?」
ワーズに蹴られた脇腹が未だ痛む様子の人狼は、金の鋭い眼にうっすら涙を浮かべて歯を剥く。
幾ら見ても慣れない恐ろしさに「ひっ、ごめんなさい!」と顔を引っ込めれば、ワーズを挟んだ向こう側が酷く慌てた。
「や、悪い。君に対して怒ってるわけじゃなくて、人に縛れって命令しといて放置する魂胆が分からないって――」
「何を口走っとるんだ、お前は。聞きようによっては変質者だぞ?」
「史歩さん……?」
弁明を図る言葉に重ねられた声は通りから聞こえ、そちらを見やれば些か疲れた風体の袴姿。手には団子の串が握られており、泉の腹の音が鳴るともなしに、くぅと間抜けな悲鳴を上げた。
これに素早く反応した史歩は慌てて団子を背後に隠す。
そこまで意地汚くないとちょっぴり傷ついた。
だが、史歩が慌てる原因は別にあったようで、聞いてもいないのに、べらべら言い訳をする。
「いや、違うぞ? これは走って汗かいて疲れただけであって、決して、ずいぶん時間が経過したから手遅れだろうと見切りをつけて、団子に舌鼓を打っていた訳では、断じてない!」
「……あんたこそ、何口走ってるんだ?」
「それに、走って汗をかいた後は、水分と少量の塩分を摂るのが良いんじゃ…………」
「うぐ……い、いいじゃないか。私が最初に綾音が危ないと伝えたんだし……そう! 見つかったんだ、結果良ければ全て良し!」
最後には何やら一人で納得し、憚ることなく団子を口にする史歩。
いっそ清々しい様子に緩みかけた頬が、もう一度、背後へ問う。
「あの、ランさん……なんですか、本当に?」
「……まあ、そうだよね。昼と夜じゃ違い過ぎるもんな、俺の姿。同族じゃなきゃ、一目見て分かんないし……」
はっきりとした肯定はないが、声音とうなだれる様は正真正銘ランのものだ。
どうやらギャップのある容姿にかなりのコンプレックスがあるらしく、ワーズが何事もなかったかのように歩き始めても気づく気配がない。
「わ、ワーズさん、ランさん置いていくんですか?」
そんな状況に追い込んだ責任を感じて聞いたなら、ワーズは苦笑した。
「いいんだよ。アレは、ああいう風に自分を追いつめるのが好きなんだ。それに命令っていうけどさ、ボクはお前は邪魔だからアイツらの相手してろって意味で言ったんだよ? なのに始末どころか縛り上げるだけなんて……手ぬるい」
へらりとした口のどこかから、軋む歯の音が低く響く。
ゾッとするほど無情なソレに泉が動揺したなら、急に顎が背けられた。合わされた刃のように鋭い目が細まり、咥えられた串が横へ吐き出される。
「……綾音。この頬、どうした?」
「っ……」
冷気すら感じる問いかけ。
詰まった声の変わりに後ろ手で縛られた三人の男を見る。
「そうか……」
先ほどまでと雰囲気をがらりと変えた史歩が離れれば、嫌な汗がどっと背を伝い、肝が冷えた。
訳も分からずのろのろと袴の背を追うが、丁度三人に差しかかった当たりで、少々乱暴に黒い胸で視界が遮られる。
文句を言おうにも押しつける力は強く、息苦しい安堵へ噛みつくように上を睨めば、肝心の白い面は史歩の方を見ていた。
端に描かれた血の赤が、残酷なほど上に釣り上がったのが辛うじて、泉の視界に焼きつく。
「史歩嬢……ソイツら、追いかけっこが好きなんだってさ」
「そうか……」
嗤い混じりの音色に被せられるのは、人らしからぬ、かといって金属とも違う、からくりめいた響き。
次いで上がるのは、風が舞う音と止んだはずの――雨音。
安らぎの隙間から漂う、鉄錆の濃密さは噎せかえるほど、乾いた肺に染み入る。
酷い車酔いに襲われた時のような眩暈を感じて膝から崩れれば、ひょいっと身体が宙に浮いた。
「泉嬢?……ああ、疲れたんだね。いいよ。お休み? 後はボクに全部任せて」
恐ろしいほど力の入らない身体を持て余し、外へ逸れる頭。
投げ出されたそれを回収するように、黒い肩へ誘われる間、重くなる瞼の向こうからぼんやり覗いたのは、いじける人狼を他所にうなだれる三体の身体。
彼らを縛っていたはずの縄は足元に両腕ごと落ちており、肉塊のような身体が止血を始めた傍らで、血に染む袴姿が白刃の血を払い――……。
軌跡の円を追いながら、泉の意識は深い眠りに沈む。




