第19話 石遊び
問いかけが役に立つのは、相手が言葉の通じる相手で、且つ、答える気がある場合のみ。
「ひぇっ!?」
「ちっ、外したか」
舌打ちする声はあれど、何故かそこに愉しむ色を感じて、泉は柵沿いを走りながら青ざめる。
振り返れば遠く、歩み寄る人狼の姿がある。
街灯の影で遊ぶのは、人狼の手の中を上下する石。
それが大きく仰け反ったのを受けて、泉の身に緊張が走った。
人狼の身体が元に戻った瞬間、宙にあった足を無理矢理斜め前へ着地させた。
ほぼ同時に、ぼすっと穿たれた穴には、石。
まともに当たれば、最悪骨折してしまいそうな投石は、同じ舌打ちをする人狼からもたらされたと推察できる。
だが、理由が分からない。
「……ううん、理由なんてないのよ、きっと」
結論づけ、震えて止まりそうになる足を叩いて走る。
緋鳥と別れてから一定のペースを保って走り、疲れては歩みに変え――程なく。
前触れもなしに石が投げつけられ、今に至る。
外しては舌打ちを繰り返すだけの人狼へ、問うことはしなかった。
これまでの経験上、どうせ答えは得られないと逃げに徹しているわけだが、問わない理由は他にもある。
おかしいのだ、人狼の視線が。
投石の標的は泉で間違いないはずなのに、向けられる熱は泉を通り越した先に浮かんでいるかのよう。それでも石は執拗に泉を狙い、避ける度に舌打ちが繰り返される。
理解し難い一連の動きは、次第に泉を別の疑問へと誘う。
(どうして私は石を避け続けていられるのかしら?)
答えの出ない、内へ向けた問いの最中にも、投げられた石を勝手に避ける身体。
不可思議な現象は幽鬼に襲われた際にもあった。
緩慢な動きながら避けることの難しい、その最初の一撃。
死角から放たれたにも関わらず避けられた俊敏さは、今の己にはないもの。
惰性の暮らしに慣れてしまった身には――。
(しまったっ!)
不意にそう感じたなら、肩に衝撃が走る。
「っぁ!」
詰まった声は空気に絡み、それでも走り続ければ、口笛が涼やかな夜風に乗って届く。
「おお、ようやく当ったりぃ! でも、しんどいなぁ。大体、身体つきからして女なのに、ただ殺すってのもな……とと、いけねぇいけねぇ。変な欲出したら、せっかくの御馳走にありつけねぇ――そぉれ」
「くっ!」
やる気のない掛け声の割に、投石は鋭さを増し、打撃ならではの鈍痛に呻きながら避ける。
「あっれぇ? また当たると思ったんだが……どうも上手くいかねぇ。本当に人間か?」
「…………」
聞こえて来た内容に、束の間状況を忘れてショックを受ける。
よりにもよって、苦手とする人狼から人間かどうかを疑われるなど。
そう思ったなら、更にショックが深まった。
いつの間にか、人狼の位置づけが嫌悪から苦手に弱まっている。
何故と己に問わずとも分かるのは、関われば関わるほど、奇人街という奇異な場所ゆえに、彼らが普通である認識を泉が持ってしまったため。
ランのように同族を嫌い、面倒臭がりながらも助力しようとする者。
シウォンのように強引に誘っては、勝手に寝腐る者。
キフのように酔っ払い、かと思えば怒り、戸惑い、謝罪し、逃げる者。
緋鳥のように恋を追いかけ、寄り道しては目的を忘れる者。
害意があるかないか。
紙一重の関係は、希薄であっても泉の元居た場所にもあり、度合いは違えど、変わらぬ根本の性質は気づけばとても新鮮で心地良く――バスンッと思考を遮る音が耳朶を打つ。
「うう……余計なことっ、考えてる暇っ、ないっ! ぃたい……」
じんわり滲む涙を瞬きの数度で払い、なおも走っては避けるを繰り返す。
目前、現れたのは奇人街の夜を妖しい光で彩る屋台群。
とはいえ、久々の眩さに「助かった」と感じられないのがこの街である。
「とっ」
また投石の気配を感じて、肩の痛みに耐えつつ身を翻す。
「ごはっ!?」
突然、そんな声が石の着地点に響いた。
さっと青みを増した泉は振り返るが、石に当たったと思しき、こちらも人狼の男が睨むのは、石を飛ばした人狼の方。
「てめぇっ!」
「うわっ、ちょっと落ち着けって」
「黙れ! 青二才がっ!」
さすが人狼同士というべきか、泉にはさっぱり分からない齢を罵倒に使い、殴りかかる被害者とへっぴり腰で避ける加害者。
とばっちりを受けた被害者には悪いが、今の内に逃げた方が賢明である。
何せ突如始まった喧嘩の華へ、野次馬が集中しているのだ。
投石人狼が被害者から再起不能になるまで殴られようと、奇人街の、特に夜の只中を征く住人は危険極まりない存在。注意が逸らされている間に遠ざからねば、誰に捕まるか分からない。
幸いなことに、誰も泉へ注意を向けず、中心たる暴力へ吸い寄せられていく。
「…………これが、普通?」
奇人街の普通を一応は納得したが、腑に落ちない点は数多あり、逃げながら呟く。
人の波を数度乗り越えれば、今まで歩いてきた暗闇と街灯の列が続き、その斜め右に、ライトアップされたわけでもないのに、のっそりと生い茂る巨木の頭が見えた。
「ラオさん……もう少し!」
逃げつ追われつやって来たため、目的の一つが視界に入ったなら、自然と緊張が解れるのは当然のこと。
仕舞いには怒鳴り散らす声をバックミュージックに、安堵の息が吐かれ、
「緋鳥! 見つけたぞ!」
「いっ!?」
いきなり横合いから伸びた手に、後ろへ振った右腕を取られて引き寄せられる。意味が分からず、痛みからの解放を得ようともがけば、ぎゅぅっと抱き締められた。
「ああっ緋鳥、私の可愛い小鳥。突然私を置いていってしまうから、捨てられたのかと思ったよ。さあ、家に帰って続きを愉しもうか」
「ぶべっ!? ちょ、待ってください! 私は緋鳥さんじゃありません!」
胸板から顔を上げ、埃っぽいニオイに咳き込めば、小さな角と長い髪を持った鬼火の男がいた。
いつかの日に見た、人間の骨を部屋中に敷きつめた同じ種の男を思い出し、冗談じゃないと暴れても、鬼火は不思議そうな顔をするだけ。
ジャケットのせいで緋鳥と間違われるにしても、かなり無理があるほど泉は彼女に似ていない。決定的に違う顔を見せつければ、本来あって然るべき驚きの反応があるだろうに、男はくてんと首を傾げると、泉を片腕で抱いたまま、その顎を持ち上げた。
「うん? 緋鳥、いつの間に人間になったのかな? 君は事ある毎に人間を弱者と蔑み嫌っていたのに…………そうか。新しい自虐の境地なんだね、その格好は。うん、とても似合う。可愛いよ、緋鳥」
「や、ですから!?」
完璧酔っ払った物言いに泉が抗議すれば、鬼火の男は腰に回した腕を腹まで寄せた。さわさわと撫で回す感触がくすぐったくもいやらしく、泉は抵抗を試みるが敵わない。
「でも、さ。私は以前の君が好きだったな」
いきなりの告白。
予想だにしなかった展開についていけない泉。耳元に吐き出された吐息を拭うべく首を振ろうとしても、固定された顎が許さない。
せめてもの抵抗に視線だけ男から逸らせば、その声だけが鮮明に届いた。
「そう、以前の、華奢で肉付きのよくない君が」
「っ!」
それは今の泉が一番気にしている点であり、禁句。
百年の恋も液体窒素に浸された挙句、原子レベルで粉砕される続け様の告白に、泉の左拳が唸りを上げて男の腹を抉った。
「がっ!?」
二つ折りになって苦しむ様を涙目で睨みつけ、解放を喜ぶに似た足取りで泉は巨木へ向かう。
その際、ジャケットを男に投げつけて。
「私はっ、緋鳥さんじゃありませんっ!」
鈍い痛みが右腕に生じるが、構わずそう叫んだ。




