第10話 経営者の買い物
天井に並ぶ裸電球の光に煽られ、絢爛豪華な色彩が煌く。狭く雑然とした店の雰囲気を払拭するそれらを、台越しに遠目で眺めていた指が素早く動いた。
「そうだねぇ。あとは、コレとコレとコレ……ああ、そっちもおくれな」
「ヘイ、毎度!」
手もみする獣面の男がだらしない視線を寄せても、逆に挑発するが如く長い白髪を掻きあげたクァンは、吐息を一つ零すのみ。
この店へ買い物に来た回数は数えきれないが、接客はいつも男の妻が行っていた。それが今日を入れて三度前から、いかがわしい顔つきを隠そうともしない男へと変わった。男の話では妻は療養中だそうだが、疑わしい限り。
何でもありの奇人街では、経営者の交代は珍しいことではないが、夫が妻を、というのは些か興ざめするところ。気の強い彼女の夫をそれまで続けていた男の苦労は涙ぐましくとも、クァンは彼女を気に入っていたのだ。
どうか、彼女のその時が安らかであったようにと密やかに祈る。
仕舞いに憂いを帯びたため息がクァンの艶やかな唇を湿らせたなら、無遠慮に眺めていた他の視線までもが、生唾を呑み――
一同に燃えた。
悲鳴を上げ、方々へ逃げる群れを見もせず、元凶の鬼火は鼻で笑う。
「ひっ」
これに怯える唯一無事だった屋台の男へ、クァンはにっこり微笑みつつ、片眉を上げて言った。
「いい加減におしよ、この下衆。アタシゃ、見世物になった覚えはないんだからね? そんなに拝みきゃ、狩人にでもなってウチに来るこった。尤も、アンタ程度がなれるもんなら、って話だが」
凄惨に笑えば、ただただ怯え続ける男。
情けない様子に笑顔をピキッと凍らせたクァンは、男がバリケード代わりに使う台を蹴り倒し、下敷きになった男を堂々踏みつけると、店の中を物色し始める。
「ク、クァン? それって泥棒、ううん、強盗なんじゃ……」
しんみりした空気から打って変わり、生き生きとし出したクァンの背に、恐る恐るかかる澄んだ声。ずっと黙って後ろを付いてきた少女の、おっかなびっくり止める手を振り返ったクァンは、一瞬きょとんとした顔を浮かべ、すぐさまニッと少年のように笑って見せた。
「へーきへーき。堅いこと言いっこなしだよ。大体、客の前で商売の手ぇ休める腑抜けは、モノを売る資格がないのさ。不埒な想像にかまけている時間があるなら、売り上げ貢献の技術でも磨けってね」
「で、でも……」
「いいんだって。ここは奇人街。金を払う気なくさせた方が悪いんだよ。……それより、ちょいとおいでな。アンタに似合いそうなドレスがあるよ」
「う、うん」
楽しそうなクァンに手招かれ、少女は渋っていた割にクァン同様、いやそれよりも強く、倒れた台を踏みつけた。
「ぅげっ――くそっ!」
「きゃっ!?」
途端、クァンに踏みつけられた時は大人しくしていた男が、乗られた台ごと少女を跳ね除けて立ち上がった。崩された体勢から地面に尻餅をつく少女へ、男は獣面の歯を剥き出して吼える。
「人間の小娘風情がっ! この俺をコケにするたぁいい度胸――」
「ほほう? コケにした憶えはないが……風情と言われて無視するのも、礼儀に反するなぁ?」
「げっ!?」
唾を吐き散した男の声は引きつる呻きに変わる。
たまたま通りかかった袴姿は、足元で転がる少女に気づく素振りもなく、青筋を立ててすらりと刀を抜いた。
刃を思わせる美貌には、怒号に泡立った男の唾が張りついていた。
「ちょっと待て、俺はあんたに言ったんじゃなくて!」
「問答無用!」
一閃。
止めるべく翳した男の腕が宙を舞う。
一拍遅れ、噴き出す血に男がぎゃーぎゃー泣き喚く。
この様子に袴姿は口の端を笑ませ、腰を落とした。
確実に仕留めるその動きに、クァンは物色する手は休めず声をかける。
「あ、史歩。一応ここ、アタシのお得意だから。殺しはナシで頼むよ」
「ん? クァンか」
名を呼ばれた史歩は峰を用い、逃げようとした男の頭を無造作に払った。そうして、嫌な音が響こうとも我関せず、横倒しになって泡噴く身体を草履で踏み躙り、呆れた顔のクァンへ歩み寄る。
「アンタ……やり過ぎよ? 出血大サービスで死んじゃったらどうしてくれんのよ。ここの装飾、結構気に入ってんのに」
「悪いな。何せ私には縁遠い店だ。生死に興味はない。が、何だったら医者でも呼んでやるぞ?」
「いいわよ別に。言葉のアヤだし。この程度でくたばるタマでもないしねぇ」
すでに血を止めた先のない腕を視界の端に、クァンは凶行に青ざめる少女を手招いた。立ち上がって服を払い、駆け寄る姿を見て、初めて少女の存在に気づいた様子の史歩が、無遠慮に彼女を指差す。
「クァン、コイツは?」
「ああ、海で拾ったんだ。歌が上手くてね。……言っとくけど、この子の意思でアタシんトコ来たんだから、芥屋のに茶々入れさせないでよね」
クァンは少女に見繕ったドレスを、その身を隠すように宛がって釘を刺す。
「ってことは、人間か」
これに全く動じない史歩は、少女の姿を上から下まで眺めてきた。史歩より年上に見える容姿と綺麗な黒髪は、そこまで珍しいものではないはずだが、何故かしばし少女に見入った史歩は眩しそうに目を細める。
珍しいその様子に、クァンの目が警戒から戸惑いへ変われば、はっと何かを思い出したように史歩が問うてきた。
「あ、そうだ。クァン、シウォンを見かけなかったか? もしくは綾音とか」
「いや? 見てない、けど……なんだい、その不穏な組み合わせは?……まさか!?」
とさっ……と軽い音を立てて、少女へ宛がっていたドレスを落とすクァン。
青い顔に史歩は、ふむと一つ頷いた。
「その様子じゃ本当に知らんようだな。お前の店は奴の系列だから、知っていようが教えんと思ったが」
「いや、確かにその通りだけど……いいやっ、こうしちゃいれないよ!」
「クァン?」
急にわたわた動く白い鬼火へ、少女は不思議そうな声を掛け、これに少しだけ正気を取り戻したクァンがその両肩を掴んだ。
「悪いんだけど、先、帰っててくんない? 来た路は分かるだろ? 護身にコレやるから」
そう言って素早く少女の手を取り、その上に握らせたのは、赤い珠。
鉄を高温で熱したような、凶悪な赤さである。
「熱っ!?」
途端、顔を顰めた少女がコレを落としてしまった。
そのまま手を庇うように蹲る。
間を置かず、何かが焦げついたニオイが漂ってきた。
「わっ、悪い! 保護しとくの忘れて……だ、大丈夫かい!?」
「クァン……何を慌ててるんだ。紅珠玉なぞ、鬼火でなけりゃ扱えん代物だろうが。保護したところで人間の肌では耐え切れんぞ?」
「や、だって、でもさっ!」
しゃがみ込み震える少女を持て余しながら言い募ろうとするクァンへ、史歩が大仰なため息を吐いた。
「皆まで言うな。お前のことだから、シウォンが手ぇ出す前に綾音確保しときたいってんだろ? 全く……何故そうまでして、アイツに執着するかねぇ?」
半眼でじろりと問われれば、クァンは唇を噛み締め、少女の呻きを聞いては顔を青くして手をこまねく。
腕を飛ばされ殴られ倒れた男はクァンにとって、この店の維持に必要な道具でしかないが、少女はクァンが保護した相手。歌い手以前に、差し伸べた手を取った可愛い娘を、芥屋の店主ほど過保護ではないが、大切に思う気持ちは強い。それが自分のせいで傷ついたのだから、いつもはカラカラに乾いた空色が潤んできた。
さすがの史歩も見かねたようでクァンに言う。
「心配するな。綾音は私が確保しておくさ。まさか地下はあるまいし、手当たり次第に奴の寝床を衝けば見つかるだろう。問題は朝になったら、だが……。まあ、店主もいることだ、アレでも何かしらの役には立つはず。シウォンと一番因縁深いのは奴だし――」
「店主? 芥屋のがいるのかい……?」
少女の苦悶には青ざめても、ワーズの存在を聞いては、気遣いを止めて少女を後ろに隠すクァン。傷ついた人間など見つけたなら、たとえクァンのところを少女が選んでいたとしても、彼の店主は強引に彼女を連れていってしまうだろう。そうなると最終的には従業員扱い、仕舞いにはシウォンの毒牙にかかること請け合いだ。
(冗談じゃない。第一、せっかく仕入れた歌、そう簡単に手放してなるものか!)
そう固く決心するクァンだったが、路地へ視線を投じても、映るのは半壊した店と転がる男、何事もなく過ぎ去る呑気な住人の群れだけ。
「…………どこに?」
黒一色の忌まわしい男の姿は見当たらない。
「どこにって――っ! 店主!? おいおい嘘だろ?」
クァンの言葉に促されて振り返った史歩が、大股で路地へ戻り、辺りを見渡す。
しかし、件の店主は史歩にも見つけられなかったようで、普段刃のように鋭く隙のない目が困惑に揺れていた。
「な、何なんだ、アイツ?……猫が留守番主張するまで渋ってたくせに、自発的に動くのかよ……。ああもう! くそっ、じゃあな!!」
当人にしか分からない怒りを吐き、史歩はクァンへの挨拶もそこそこに、雑踏の中に消えていった。
「……だ、大丈夫かね、アレ。泉、無事でいておくれよ」
完全に置いてかれたクァンは、手の負傷に動けない少女を支えて立たせ、祈るように目を閉じて――後。
「っとと、そうだそうだ。帰る前に、貰っとくモンは貰っとかなきゃね」
「ク、クァン……」
呆れた声を上げる少女を壁に預けたクァンは、見繕ったドレスや装飾品を袋へ詰め込んでいくのだった。




